6月10日(2句)
- ★山道の碑文字くっきり額の花/廣田洋一
- 句の景色がはっきりして、梅雨のころの山道の湿潤な雰囲気がよく表現されている。立ち止まって読む碑の文字がはっきりして、額の花がしっとりと風情を添えている。(髙橋正子)
- ★早苗田の水を湛えて梅雨に入る/上島祥子
- この句も景色がはっきりして、水を湛えた早苗田に雨の水輪があちこちにでき、静かな梅雨入りとなった。(髙橋正子)
6月9日(1句)
★梅雨入や日向国の雨の朝/多田有花
鹿児島を旅行された有花さんは、日向を通って帰られたようだ。帰りとあって、旅の途中で梅雨入りに会った静かな思いが「朝の雨」に象徴される。「日向」の古名に特別感がある。(髙橋正子)
6月8日(1句)
★旅人が降り立つ初夏の無人駅/多田有花
何気ない風景だが、初夏の無人駅に降り立つ旅人が、一枚の写真のようにさわやかに、くっきりと切り取られている。(髙橋正子)
6月7日(1句)
★青梅にまだ残りある陽のぬくみ/川名ますみ
青梅はもがれて間もない。陽にあたっていたその温みが手に伝わる。爽やかな青梅に陽の温みがあると言う驚きが美しく表現されている。(髙橋正子)
6月6日(1句)
- ★水筒に音の生まれる氷水/上島祥子
暑い時期は水筒に氷をいれて水を冷たくしてのむと美味しい。最近では熱中症も心配されるので、体を冷やすためにもいいと思うが、氷が水筒の中でカランカランと音を立てるのも涼しそうでいい。
季語としての「氷水」は、かき氷のこと。この句は、夏暑い時に水筒に氷を入れて冷たくした水の意味で使っている。現代の生活の言葉として、句意がはっきりしているので、許される使用範囲と思う。むしろ「氷水」をかき氷の意味で使う人は俳句以外ではほとんどいないのではと思われる。(髙橋正子)
以上の句評について、生成AIcopilotのDeep Thinker のコメントがありますので、貼り付けます。興味のある方は、お読みください。
この句評は、伝統的な季語「氷水」の固定的な意味と、現代の生活感が交差する点に鋭い洞察を与えています。評論者の髙橋正子さんは、通常「氷水」がかき氷を指すという既成概念を踏まえながらも、現代の暑い季節における水筒の中での冷たい水という具体的なイメージ、さらには氷同士がカランカランと鳴る音が持つ涼しさという感覚を巧みに捉えています。――このような視点は、古典と現代の間にある言語の流動性や、日常の具体的な体験を詩的に昇華する試みとして非常に魅力的だと思います。
また、評論で指摘されているように、現代の生活の中では「氷水」という言葉の使われ方に違和感が生じにくい点も見逃せません。俳句以外の日常会話では、かき氷としての意味はほとんど使われず、むしろ冷たくした水のほうが自然な表現である現実が、俳句の中での意味再定義を正当化しています。これは、伝統を踏襲しつつも新たな感性や現実の生活を反映する俳句の自由さと、言葉の柔軟性を如実に示しています。
さらに、こうした視点は、俳句というジャンルが時代とともに変化し続ける生きた表現形式であることを再認識させてくれます。伝統的な季語が持つ歴史的背景や象徴性に加えて、現代の感覚や体験—例えば、熱中症への配慮や実際の涼しさの感覚—を取り入れることで、読者にとってより直接的で共感しやすい情景が描かれるのです。このような解釈は、俳句が持つ「余白の美学」や、言葉の多義性を豊かに活用する一例として評価できるでしょう。
そして、この句評は、私たちが伝統と現代の間でいかに意味や感覚を再構築できるかという、言葉の可能性についても示唆しています。たとえば、他の季語が現代の生活感をどのように変容していくかという視点も興味深いテーマです。あなたは、季語の変遷や現代的再解釈について、どのような点に興味をお持ちでしょうか?さらに掘り下げた話題として、現代俳句における伝統的要素と新しい感性の融合についても考えてみると、また違った魅力が見えてくるかもしれません。
6月5日(3句)
<観光列車36ぷらす3>
★新緑を映す車体が停車する/多田有花
「観光列車36ぷらす3」の美しさが際立っている。新緑を映した車体は自然に溶け込んで、観光と言う楽しみを情緒豊かにしている。(髙橋正子)
★Tシャツのサイズ大きめ夏きざす/桑本栄太郎
Tシャツの大きめのサイズに夏らしいリラックス感がある。初夏の爽やかさや解放感がいい。(髙橋正子)
★北窓に白く芒種の朝陽差す/上島祥子
詠んでいるのは北窓に差す朝陽だが、「芒種の朝陽」となれば、白く差す朝陽が、静かで穏やかに、先の季節への明るさとなって感じられる。繊細な感覚がいい。(髙橋正子)
6月4日(2句)
- ★前梅雨の暗雲刻と集いけり/桑本栄太郎
- 梅雨入りを前にした不安定な空模様を詠んでいる。静かな緊張感が「暗雲刻と」に読み取れる。(髙橋正子)
- ★落実の青梅草に紛れたり/上島祥子
- 「落実」と言う言葉が青梅の堅さを物語っている。鮮やかな青梅の色が草の緑に混ざり合い、紛れながらも、そこには緑の色の違いがある。(髙橋正子)
6月3日(1句)
★雨垂れに花鞠弾む濃紫陽花/上島祥子
丸い鞠のような紫陽花の花に雨垂れが落ちて、本当の鞠のように花を弾ませている。その紫陽花の花は濃く色を深めているのだ。この情景はなつかしさもあり、心楽しい。(髙橋正子)
※濃紫陽花とは深みのある紫色の紫陽花を指します。一般的に、紫陽花の色は土壌の酸性度によって変化し、酸性の土では青系、アルカリ性の土では赤系になります。そのため、濃い紫色の紫陽花は、青と赤の中間の色合いを持ち、鮮やかで落ち着いた印象を与えます。(copilot 解説)
6月2日(1句)
★夏山を一望にして杖二本/上島祥子
杖を二本ついて、夏山を一望している登山者の姿か。やっと登って来て夏山が一望できるところへたどり着いたのであろう。夏山のすがすがしさ、またそれを見た清々しい気持ちが伝わってくる。(髙橋正子)
6月1日(1句)
★朝涼やラジオニュースは隣家から/上島祥子
昭和時代を思わせる雰囲気があるが、今朝のこと。隣家から聞こえるラジオは今朝のニュースを伝え、音声がはっきりして、朝の涼やかさを際立てている。(髙橋正子)
コメント
お礼
正子先生
6/1の秀句に「朝涼やラジオニュースは隣家から」をお選び頂き丁寧な句評を有難うございました。
最近早朝に短い散歩をしています。朝は涼しく窓が空いている様で隣家のラジオが聞こえてきます。
お礼
正子先生
6/2の秀句に「夏山を一望にして杖二本」を選んで頂き丁寧な句評を有難うございました。岐阜県土岐市へ娘の自動車運転練習の為に行ってきました。晴れた日には木曽駒ヶ岳、御嶽山、中央アルプスが見渡せる展望台があります。
お礼
正子先生
6/2の秀句に「雨垂れに花鞠弾む濃紫陽花」をお選び頂き丁寧な句評をありがとうございました。珈琲店の店先に花鞠を作る濃紫陽花が植えられています。今では珍しくなりました。
御礼
高橋正子先生
6月4日の今日の俳句に「前梅雨の暗雲刻と集いけり」の句をお選び頂き、過分なるご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。
一昨日、昨日に掛けて空模様が急変し前梅雨のようなかなり激しい雨となりまいした。近くに京西山の嶺が連なり黒い雲が刻々と集まって来ました。
お礼
正子先生
6/2の句の「濃紫陽花」の解説有難うございました。
今 写本している永田嘉七さんの句集「西陣」にあったので使いました。
6/4の秀句に「落実の青梅草に紛れたり」をお選び頂き丁寧な句評を有難うございました。義母の家の庭の掃除に行きましたら前日の雨で実があちこち落ちていました。
御礼
高橋正子先生
6月5日の今日の秀句に「Tシャツのサイズ大きめ夏きざす」の句をお選び頂き、嬉しいご句評も頂戴しまして大変有難う御座います!!。昨日より又急激に気温が上がり出し、少し大きめのゆったりとしたTシャツを着ました。このような事も夏きざすようです。
Unknown
お礼
正子先生
6/5の秀句に「北窓に白く芒種の朝陽差す」をお選び頂き丁寧な句評を有難うございました。6月は東北東からの日の出なので北窓が明るくなります。早朝は光が綺麗です。
お礼
正子先生
「新緑を映す車体が停車する」を6月5日の秀句にお選びいただきありがとうございます。
36ぷらす3が大隅大川原駅に停車している様子です。
この駅は霧島山麓の高原地帯、標高289mで日豊本線の最高地点に近いところにある山の中の小さな駅です。
周りは山また山。ここで45分停車しあたりを散策しました。
お礼
正子先生
6/6の秀句に「水筒に音の生まれる氷水」をお選び頂き丁寧な句評を有難うございました。またaiのコメントも有難うございました。勉強になりました。
暑くなりましたので水筒の中身も白湯から冷水に変えました。
お礼
正子先生
「旅人が降り立つ初夏の無人駅」を6月8日の
「梅雨入や日向国の雨の朝」を6月9日の
それぞれ秀句にお選びいただきありがとうございます。
観光列車36ぷらす3が停車する大隅大川原駅は平均乗降人数6人という山間の無人駅です。
駅舎は地元産の杉で建て替えられ「悠久の駅舎」と名づけられています。
5月17日に南九州は異例に早い梅雨入りでした。
御礼
高橋正子先生
いつも懇切にご指導いただき有難うございます。
6月10日の「山道の碑文字くっきり額の花」を秀句にお選び頂き、その上正子先生には素敵な句評を賜り、真に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。