10月17日(1句)
★山あいの稲穂伏せたる棚田かな/桑本栄太郎
山あいの棚田のどこもが稲穂が伏せている。稲穂がきれいに揃って立ち並んでいるのが、普通の光景だ。雨や風の影響でそうなったのか。棚田と言う労力のかかる田に見る異変に心を寄せた句。(髙橋正子)
10月16日(1句)
★柿剥きて吊るせば夕陽に包まるる/土橋みよ
吊るし柿にしようと、柿を剥いだ。剥き終わり、紐に通して、縄に枝を挟み込むやり方もあるだろうが、吊り下げると、夕陽に包まれたのだ。夕陽に照らされ、柿は、色を一層強めて、夕陽の色にでもなりそう。「夕陽に包まるる」が美しい。(髙橋正子)
10月15日(2句)
★ひつじ田の青々として陽を浴びぬ/多田有花
いったん、刈り取られた稲株に、また再び青々と茎がのび、陽を浴びて育っている。再生するものの力強さと明るさに当たり前の良さを感じる。(髙橋正子)
★麻紐に括られて立つ葉鶏頭/上島祥子
葉鶏頭のたくましさと、麻紐のごつごつした粗っぽさの出合に、面白さがある。葉鶏頭と麻紐のそれぞれの本質に響き合うものがありそうだ。(髙橋正子)
10月14日(1句)
★あおぞらや鳩吹く風に吹かれ行く/桑本栄太郎
「鳩吹く」の季語に支えられた句。あおぞらの下を、「鳩吹く」ような風に吹かれて行く、ただそれだけのことだが、その風を「鳩吹く」と思えば、ぞぞろ面白さが湧く。(髙橋正子)
10月13日
該当句無し
10月12日(1句)
★文机や秋の夕日の平らなる/小口泰與
部屋の片隅置かれている文机に、夕日が差している。夕日は、明るく、あまりに静かで、文机にぴったり映るように差している。机の平が、そのまま夕日の平になって、秋のしずかな明るさを思わせてくれる。(髙橋正子)
10月11日(1句)
★小鳥来る葉陰の揺れているばかり/桑本栄太郎
「葉陰ゆれ姿みえざり小鳥来る」が元の句。「姿みえざり」が説明になっており、これが、詩を壊している。一つの方法として、写生をすることがある。掲句はそれを念頭に添削した句。
小鳥が来ている。姿を見たいが、葉陰に隠れてなかなか姿が見えない。来る鳥を迎えるうれしさ、楽しさが詠まれている。(髙橋正子)
コメント
高橋正子先生
10月11日の今日の秀句に「小鳥来る葉陰の揺れているばかり」の句を、素晴らしいご添削の上お選び頂き、大変有難う御座います!!。
見違えるような句になり、大変感激であります。大変有難う御座います!!。
高橋正子先生
10月12日の投句「文机の秋の夕日の平らなる」の句を今日の秀句に
お取り上げ頂き、素晴らしい句評を賜わり厚く御礼申し上げます。
有難う御座いました。
こんごともよろしくご指導の程お願い申し上げます。
正子先生
10/15の秀句 に「麻紐に括られて立つ葉鶏頭」お選び頂き丁寧な句評を有難うございました。
すっかり伸びた葉鶏頭ですが紐で括ると篝火のようです。
勢いが強いので束ねるのは麻紐が1番です。
正子先生
「柿剥きて」の句にコメントを頂きまして有難うございます。コメントから、縄に枝を通して柿を干す方法があることを初めて知りました。確かにその方が効率的なので、次回からはその方法を試してみたいと思います。北海道には柿がないので、干し柿づくりは足利に来てから始めました。私は紐の両側に一つずつ柿をくくり付けて、それを物干し竿に掛けるという簡単なやり方で干しておりました。柿を剥いて干すのは単純作業ですが、夕日に包まれる柿はとてもきれいであるばかりでなく、庭で育てた果物がしだいに熟していくのを見るのを想像して、この時期の来るのを楽しみに待つようになりました。
正子先生
「ひつじ田の青々として陽を浴びぬ」を10月15日の秀句にお選びいただきありがとうございます。
近所の水田はどんどん減って住宅になっていますが、それでもまだわずかに残っており、稲刈りが終わった田でひつじが育っていました。
意外なほどの青さ、伸びた丈の高さにに生命力を感じました。