10月8日(1句)
★秋夕焼富士を映せしビルの窓/川名ますみ
10月7日(3句)
★友の来て利平栗剥けば日の暮れる/土橋みよ
栗を剥きながらの友との語らいに、一日が暮れてしまった。季節の稔に触れながらの楽しい語らいに秋の日の楽しさが読み取れる。(髙橋正子)
★何処までも天の高きをバスの窓/桑本栄太郎(正子添削)
何処までも天の高きやバスの窓(原句)
原句は、「バスの窓」が取って付けられていますが、俳句は一章です。バスの限られた窓から見る天が、「何処までも高い」。限られた中にこそ見つけた天の高さに、実感がある。(髙橋正子)
★道はさみ稔り田刈田隣り合い/廣田洋一
道をはさんで、まだ刈られていない黄金色の稔田と、稲が刈られてしまった刈田とが並んでいる。それが同時にあることで、稔りの季節の時間の層が、それぞれ違って重なっているのが面白い。(髙橋正子)
10月6日(1句)
★朝焼けの刈田へ猫の出で行けり/柳原美知子
「朝焼け」の現象は夏うつくしく現れるので、夏の季語となっている。この句では「朝焼け」を季語として詠んでいるのではなく、刈田の実景としての扱いである。季語は「刈田」。朝焼けの空の下にひろがる刈田。その刈田へ猫が出て行った。猫の一瞬の出発で、その後の朝焼けの刈田の実景が想像できる。(髙橋正子)
10月5日(1句)
★特急の加速に流るる曼珠沙華/上島祥子
特急の加速によって、視界に入る曼殊沙華が目を掠めるように流れ去る。時間の速さに抗えない曼殊沙華のあやうさは、生きているものすべてに言えることである。(髙橋正子)
10月4日(1句)
★仲秋の夜空へ花火大輪を/多田有花
元の句は、「仲秋の夜空へ大輪の花火」でした。見た通りですが、
読み手の感動が伝わってこないのが難点。仲秋と言えば、空気が澄んでくるとき。夏の花火と違って、色も澄み、鮮やかさが増す。それも大輪の花火を咲かせる。印象の強い花火となった。(髙橋正子)
10月3日(1句)
★秋空に里遠く見せ琴平山/土橋みよ
琴平山から見た眺めがすっきり詠まれている。秋空が広がる下に、遠く人里が見える。なつかしいような広がりに、心が晴れやかになってくる。(髙橋正子)
10月2日(1句)
★川縁や刈田の匂い立ちにけり/廣田洋一
川のほとりの流れの音が聞こえる空間の広がりに、稲を刈った田んぼから立ちのぼる、土と稲のまじった匂いが秋の深まりを感じさせている。 その気づきを「立ちにけり」とほのかに詠嘆している。(髙橋正子)
10月1日(1句)
★曼殊沙華日を跳ね返す赤さかな/小口泰與
曼殊沙華は、花に近寄って見ると、花弁はつややかで、力強く、「日を跳ね返す」という表現そのままだ。曼殊沙華の持つ生命力や異界性を一瞬で切り取っているところがすばらしい。(髙橋正子)
コメント
高橋正子先生
10月1日の投句「曼殊沙華」の句を秀句にお取り上げ頂き、そのうえ正子先生には素晴らしい句評を頂き有難う御座います。こんごともよろしくご指導の程お願い申し上げます。有難う御座いました。
高橋正子先生
10月2日の「川縁や刈田の匂い立ちにけり」を秀句にお選び頂き、その上正子先生には素敵な句評を賜り、真に有難うございます。
今後とも宜しくご指導の程お願い申し上げます。
正子先生
「仲秋の夜空へ大輪の花火」を
「仲秋の夜空へ花火大輪を」に添削いただき、
10月4日の秀句にお選びいただきありがとうございます。
感動を伝えるということの意味が少し理解できたように思います。
大阪万博に行ってきました。
パビリオンには入れませんでしたが大屋根リング歩きは素晴らしく、
そこから見る大阪湾一帯の風景は印象的でした。
夜は思いがけず(それまでは週末のみだったようです)
花火を堪能することもできました。
正子先生
「朝焼けの刈田へ猫の出で行けり」を10月6日の秀句にお選びいただき、丁寧な
ご句評をありがとうございました。
9月初旬の作で、「朝焼け」が夏の季語なのは気になっていたのですが、本当に美しい朝焼けで、他に言いようがありませんでした。前日刈られたばかりの田んぼに軽々とうれしそうに出てゆく飼い猫が、可愛いくもあり、羨ましくもありました。
正子先生
いつもご指導有難うございます。また、「利平栗」の句に温かいご句評を頂き有難うございます。北海道では地元の山栗や九州産の栗しか食べたことがなかったので、大粒で甘みの濃い利平栗をとても珍しく思いました。栗を剝きながらの友との語らいの時間はあっという間でした。