11月24日(金)

晴れ
焚きて残る命日香の銀杏形   正子
百年の樹に名のなかり冬黄葉  正子
冬の竹節の白さが生きいきと  正子
●信之先生の月命日。忘れるところだったが、朝一番に仏壇の掃除。命日香としてお寺からいただいたお香を焚く。今月は銀杏の形。好物の巻きずしを供えた。
●合同句集、信之先生の句の選出が難題。100句選ぼうかと思う。

11月23日(木)勤労感謝の日

快晴
冬鶺鴒飛び立ち止まる三角屋根  正子
ひゅいっひゅいっ冬鶺鴒の飛びざまは 正子
●ますみさんの「連打音」へのコメントがあまり入らないので、『広報』がまずかったのではと、発行所ブログ、自由な投句箱、ネット短信の3か所で行う。
◎メールを毎日チェックしている人は少ない。
◎いつも利用するブログ等しか見ない。
◎自分の投稿はするが、他の人の投稿が読めない。
以上の3点が多くの人の傾向として考えられる。これらに注意して広報をすること。
●はやもお歳暮が届く。日中は暖かいが、夕方から冬らしく冷える。
●新小豆を炊いて餡を作った。一人分のぜんざいを作ってお昼にする。

11月22日(水) 小雪

快晴
●信之先生の3冊の句集から合同句集用に30句選り出す。四国八十八か所の内、大窪寺結願の前書きがあるものまで、わかっただけで46寺あった。残りは行ったのかどうかはっきりしない。
●五丁目の丘の端から下って六丁目へ。初めての感じもする。ゆずりはの実が熟れて小さい黒葡萄のように粉が吹いている。藤蔓と桜の折れ枝を拾う。藤蔓はプランター用に、桜は一時の杖に。六丁目を歩いていると小さい子の詩片が浮かんだ。イスラエルとハマスが一時休戦するニュースが入ってきた。
詩2編
①丘
丘から
ちいさい子が
かけおりてくる
ちいさい子は
ちかづいてきても
ちいさい
小学生だったんだ
?ガザの子
ガザのおさない子は
死ななかったから
知っている
おさない子は
ずっと長いきするから
おとなになっても
知っている
おさない子は
おとなになって
ガザのバクゲキを
思いだす
あのとき
おかあさんが
死んだ
青い土と
赤い血でよごれた顔は
目になみだをあふらせて
バクゲキでこわされた街を
見ている
そうではなくて
かなしみを見ている

11月21日(火)

快晴
●昼間はあたたかい。バスでハート内科へ。検査結果はよい、と首をかしげられる。老人は次第に悪くなっていくのがなりゆきなのだろうが。インフルエンザの予防注射。
●ワードにカレンダーのテンプレート。面白そうだから、来年のを作った。信之先生の一周忌の日なども書き込む。出来上がってみると、11月20日の「20」のところが真っ白。ま、11月20日がないカレンダーもよいだろう。実際、一日ない日があったら面白い。こんなカレンダー売ってみたい。
●夜11時だったかJアラート。北朝鮮から沖縄方向へミサイルが打ち上げられた。15分経過後、10時55分に太平洋へと通過したので、Jアラート解除。
その後、夜中を過ぎてもテレビでこの話。

11月20日(月)

快晴
小六月雪嶺の富士を見とどけぬ 正子
小六月鴉いよいよわが仲間   正子
冬紅葉朱があかあかと聳ゆなり 正子
●5丁目の丘から見える富士山は雪嶺だけ。その向こうに銀嶺が見えるような気がするが、雲かもしれない。「小六月」という言葉を久しく聞かない。みんな小春日和。
●山茶花がよく咲く。5丁目の丘の墓地の北側に樅の木が2本ある。この時期になると樅の木に目が行く。ドイツトウヒではない樅の木。

11月19日(日)

晴れ
●水耕栽培のサラダ菜の使い残しをプランターに植えていたのが、もりもりと育って、収穫。花と野菜と混ぜて植えると、サラダ菜の緑や形も花になる。
●句美子が夕方来て合同句集の校正をしてくれる。合同句集の題名がなかなか決まらない。今仮に、信之先生の俳句からとって「秋天」としている。句美子が言うのに、「天」がねえ。

11月18日(土)

晴れ
●ますみさんの「連打音」への美知子さんのコメントが入る。少しまとめて、ますみさんに転送することにした。
●合同句集の編集進まず。今日はあきらめる。
●俳句界から、12月号、1月号の版下が届くが、花冠の発行とずれるので、またの機会に。版下を見ると、1月号には7月に事故で急逝した澤好摩さんの特集がある。澤好摩さんは初期のころ臥風の「いたどりに」投句しておられた。そのせいか、どうかわからないが、多少、臥風先生風の俳句も見られる。
●午後センター北へ花の苗を買いに。今日は結局パンジーだけ6株購入。他は里芋。あす、芋炊きにする。

11月17日(金)

雨、午後晴れ
靄に透け富士の雪嶺の白きびし 正子
冬菊の茎切りわけて供えけり  正子
風呂上り蜜柑ひとつの水うまし 正子
●喪中はがきを用意。官製はがきの喪中用に印刷。
●11月月例ネット句会に終わりの挨拶。
●映画「第三の男」のあらすじの切り継ぎ場面を見る。「第三の男」は大学2回生のときだったか、購読の授業で読んだ。先生は上背のある軍靴の似合いそうな真面目な先生。そのときの印象は「なんて男っぽい話」と思ったくらい。1948年、英仏米ソがウィーンを四分割統治していたときに撮影が開始されたとのこと。モノクロの画面が傑作らしい。
ちょうどこの年だったか、学園祭のとき友達とはぐれ、どうしたものかと、校庭の木にもたれて目の前のフォークダンスを見ていた。そのとき、学園祭のリーダーらしい男子学生が近づいてくるや、無言で腕をつかんでフォークダンスの輪に放り込んだ。そのときのフォークダンスの歌がアントンカラスの「第三の男」。1965,6年の話。その場面を思い浮かべても、戦後は抜けたと思っていたが、貧しくて、悲しいほどダサい光景だ。そのころも戦後なのだ。

11月16日(木)

曇り、夜雨。
山茶花のこぼれし花の垣根沿い  正子
帰り花くれない色濃くいきいきと 正子
鵯も赤き小鳥に朝日浴び     正子
●合同句集の奥付ができる。
●現代俳句協会から電話とファックス。句美子に用事だったので、ファックスの内容を句美子にメールで転送。

11月15日(水)

曇り
●合同句集、信之先生の俳句に取り掛かる。
●ネット短信No.400を発信。
俳壇ワイド作品集(今月の有力同人)
連打音 川名ますみ
凩の止みて定まる朝の青
口紅の唇埋めずショール巻く
懐炉手に祈り無音の舞台袖
手袋をぬぐや舞台のピアノへと
降る雪のごとく始まる連打音
冬天へ最後の主音届けよと
冬の夜を楽譜とドレス背負い帰る