十三夜句会/10月11日(土)

句会投句
朝よりのりりと雨ふる十三夜
木犀に空は曇りてなにもなき
宵宮は雨降る空の十三夜

木犀に四目竹垣あおあおと

○雨。昨夜の予報では、天気がずれて、晴れであったが、夕方まで雨。小さな夕焼け。句会最中に月が見られた。今年の月は、12夜月のようでさびしい。

10月10日(金)

俳句

○晴れ。

○投函に出かけたところ、近所で柵の修理。職人さんが来て、四目垣でも作るらしい。杭を打って高さを決めるところだったが、全く目で測っている。「(弟子)これでよいか。」「(親方)これでよし。」

○明日は十三夜だが、今夜から曇りの予報。

ノーベル化学賞/10月9日(木)

俳句
風に向かえば金木犀のつんとくる
カーテンを洩れる団地の秋灯
バスを降り大路を吹ける秋の風

○夜中ネットのニュースで、下村脩氏がノーベル化学賞を受賞されたと知る。
オワンクラゲの研究。面白そうだ。研究というのは、気の遠くなるような道を休まず、困難にもあきらめず、辿っていくことらしい。逆に考えれば、自然はそれほどに神秘的に、魅力的に、応えをもっているということか。

○下村先生は森のなかで暮らしておられるとか。インターネット俳句センターが開設されて3年目ぐらいだったか、アメリカの俳人たちが、ウォールデンの森で2週間ばかりを過ごす計画があるが、参加するなら申し込むようにと知らせてきたことがあった。森の哲学者ソローにあやかってのこと。森のしずかな生活にあこがれている俳人もいるようだ。

○母校からノーベル賞受賞者がぞくぞくの敬二さん。名大万歳!!談話室にノーベル賞余聞を書いてくださる。ご一読を!!
http://ehime.net/bbs/suien/index.html

○ノーベル賞で湧いている間に、わが家のベランダではハイビスカスが大きな花を開いた。買ってきたときの蕾は全部取れてしまって、育てるのをあきらめかけたが、夏クーラーの排水が溜まるので、やり続けた結果咲いた花。2花目。あと二つ蕾が付いている。さらに見ると、蕾らしい形が覗いている。いつまで咲いてくれるか。

○午後日吉に買い物に。抹茶とノーベル賞に湧く名古屋の外郎、本日入荷の赤穂の塩味饅頭を買う。少々坂道を歩いたせいで疲れるが、メロンのフレッシュジュースに蘇る。

ノーベル物理学賞/10月8日(水)

俳句
ひよどりの一声くらき雨に捨つ
涙なく熱く焼けたる秋刀魚食ぶ

雨。
○今年のノーベル物理学賞に、日本人の三人が選ばれた。日本には物理学の学問のすばらしい伝統があるのだろう。

○秋尾敏氏から句集『ア・ラ・カルト』を贈呈される。主宰誌「軸」の500号記念の出版とのこと。

○水曜日は生協の配達がある。秋刀魚を頼んでいたので、夕食は秋刀魚となる。当来のかぼすを添えて。秋刀魚について、金子兜太氏が、秋刀魚の俳句なら、秋刀魚は、「焼く」か「食べる」かなので、それを詠む次第だ、というのをテレビで聞いたことがある。なるほどであって、おかしくて笑う。今日の俳句は、「食べる」になった。

○朝日の夕刊、このところ、「フェルメールと私」のコラムに、著名人が入れ替わり、フェルメールと私を書いている。先日の谷川俊太郎氏には少なからず驚いた。なにげなく捲った紙面に今度は、西垣通先生。その後いかがお過ごしかと思っていたら、フェルメールで登場された。

著名人もフェルメールがお好きなのか。新聞社のお膳立てであろうが、こう見え透いては、フェルメールも、いやになる。片隅の人のフェルメールを読みたいものだ。どういうときに、フェルメールの何に元気をもらったとか。慰められたとか。昨年新国立美術館でフェルメール1点を見た。今回は見に出かける気がしない。そうは、私が言っても、身近にも海外までフェルメールを訪ねて出かける何人かを知っている。ふと思う、ふわっとした光のようなその名前もいいのかも。

○数年前のこと、K事務所の企画でたぶん「男性の俳句」というアンケート形式の企画があったが、つまらない企画を立てるものだと思いながらも読んだ。それに、残らず著名男性俳人が参加している。こんなつまらない企画に乗れないと断る人もいなかったのか。断るような気骨のある人が、一人ではまずいので、三人いれば、世の中随分変わるだろうなと思った。フェルメールについて書かないと断った人がいたかどうか。そこまで、新聞や雑誌に影響力がないので、気軽に、ちょっとしたお付き合い、というのかも。でも「こぞって」というのが。

金木犀と秋祭り/10月7日(火)

俳句
朝もやに混じりて香る金木犀

○今朝、金木犀の匂いがした。うっすらとした靄に混じってかすかに匂う。秋祭りが近い。松山の祭りはもう始まっているのかも。愛媛の秋祭りは、西から東へと移ってゆく。

郷里の農村では、以前、祭りは一斉ではなかった。少しずつ村をずれて行われ、親戚同士、祭りの客を呼び、呼ばれした。よそゆきを着て、自分の村と違う隣村の神社の祭りにでかけるのも、閉鎖的な農村では、新鮮な気分になれたものだ。祭りは、収穫の感謝と慰労を兼ねて、祭礼としてのうやうやしさもあったが、昨今は、祭りというだけのものになっているのだろう。

新米を搗く/10月5日(日)

俳句
寝返って虫音遠のくみ空へと
搗きあがる新米の温みをてのひらに
甲斐の山下りきし葡萄濃むらさき
葡萄食む信仰のなき日曜日

○一昨日、新規にブログをつくる。アドレスは、<kakan02>。

○荘二さんの句集に入れる句を読む。

○花冠句会の10月1日~4日(土)までの句の入賞発表。前回に引き続き、和美さんの句が最優秀となった。句に面白いところがある。滑稽ではない。面白いというのは、「ワハハ」や「ケラケラ」ではない。この面白さがわからないと物事面白くない。

○午前中晴れていたが、午後から雨が落ちはじめる。8時ごろから本格的に。今頃は、金木犀が匂うはずなのに、どこからも匂わない。こちらの地方祭りは10日ごろらしい。

○松江の和代さんの新米を八百屋さんにもっていき、10キロ精米してもらう。搗き立ては、ほんのりと温かく、持って帰ってさます。今夜は搗き立ての新米のご飯。信之先生は、新米の玄米のお粥。米を八百屋さんで搗くというのもおかしいが、米屋さんが今日は休みなのでした。搗いてもらいながら、八百屋さんの話を聴く。コシヒカリは、いろんな米が混じっているのでよくわからん。田圃によって米は旨さが違う。乾燥機に入れた米はまずい、など。和代さんの田圃のお米はおいしいのです。