近代日本の巨匠展/日本民藝館10月23日(木)

俳句
ゆりの木の黄葉かるがる濠へ散り
 日本民藝館
秋雨の音もしずくも大甕に
大甕にむかえば雨と森の声

晴れのち雨

○大洲の治代さんから、出かけるちょうど前に、郷土料理のいもたきのセットが送られてくる。里芋と牛蒡は大洲の名産。夕食の献立を変更し、早速いただく。

○出光美術館の近代日本の巨匠展と、駒場の日本民藝館へ信之先生と。

小杉放庵がかなりあって、楽しむ。なんと、「さんたくろす」の絵もあり。帰り、放庵の「金時遊行」の絵葉書を買う。

仙の併設展も。出光のカレンダーをここ何十年も裕子さんに送ってもらっているので、見慣れたものも。

上村松園の「灯」。襟元のゆるみと、袖口に見える色合いが、やわらかさを出している。浅黄色の着物には紋が付いている。眉が剃ってあるので若妻であるが、どんな日のどんな場であろうかと思う。

佐伯祐三の踏み切りの絵。大正15年作。日本の風景は脆弱であるとする。物足りなさが鬱屈して画面に出たのか、鬱々とした色。電信柱、踏み切り、家の線がひ弱なのが風景。

平櫛田中の張果像。瓢箪からロバを出して、そのロバにのって走った仙人。ついでに、この田中の師西山禾山は、愛大俳句の仲間西山恭子さんの祖父である。

冨岡鉄斎。これまでの山水画より線が逞しく動きが自由闊達の印象。

陶芸では富本憲吉と板谷波山。憲吉は、砥部焼きの窯元にも数点あったので、馴染みがある。都市的であることは、簡明であることとも言えるのだそうだ。

陶磁器の破片を見る。中国青磁の色がいい。

○日本民藝館の初代館長は柳宗悦。二代は濱田庄司。同人作品に、庄司、憲吉、河井寛次郎、リーチほか、の展示がある。リーチのいわゆるリーチハンドルの小鹿田釉が気に入る。家に置きたい気持になった。そして彼の壷もよかった。

○井の頭線の東大駒場前を出たときには、雨になる。コンビニで傘を買い、民藝館へ行ったのも、心持おもしろかった。駒場は駒場。そこらに生えている雑草に、都会でないものがあるのが昔を語っている。

民藝館を去り、渋谷へ引き返し、東急のレストラン街へ遅い昼食。「四国」で、讃岐の生醤油海老うどんを注文。食べ方の説明をしてくれる男の子に、「わたしら四国人間ですよ」というと、にこにこ。男の子は東京人とのこと。反応を示す無邪気さが残っているのが若い東京人の救い。思惑がないのがよろしい。

○愛代さんか「人間国宝 濱田庄司展を見て」を寄稿してくれる。溝口の生家を訪ね当ててくれた。もとは、和菓子店だったが、今は洋菓子店になっているとのこと。

○22日の朝日夕刊に<「民芸」・日本デザイン>に脚光/パリの展覧会で柳宗悦・棟方志功など紹介 とあった。歴史的背景を評価し、パリで人気の無印の影響も大とある。2年前、エッフェル塔近くに開館した「ケ・ブランリ美術館」で展示されているとのこと。日本民藝館の150点余りが出展とある。民芸運動をより広い時代的、国際的な文脈で再認識する意図があるようだとする。

花冠ウェブサイト/10月21日

俳句

晴れ。
○kakan2をドメイン登録していたが、本日よりホームページがウェブ上で見れるようになった。72時間以上かかった。
http://kakan2.jp/

○晴れが続く。

○短歌や俳句、詩の編集者は、前を打ち砕くものを常に求めている。写実、直情では、平凡というわけで、虚構、比喩、これまでにないもの(レベルが低かろうが、顰蹙を買おうが)、を評価するのが常のようだ。編集者の手によって、詩歌の世界を変えるのだという意気込み。岡井隆氏の10月19日の日経の記事で、当然のこととわかってはいるものの、鮮明に知る。ひとつには、編集者の存在価値のためもあるだろう。先人を越えることは、もちろん大事。しかし、多数の人間の中で、人が人たるためには、「主体性が大事」としているのは、水煙の伝統。

防災訓練/10月19日(日)

俳句 
 防災訓練
桜紅葉の校庭消火器整列させ
秋日じりじり避難してきて頭上より

○晴れのち曇り。

町内の防災訓練に参加。本町駅前が10ブロックの第1集合場所。集まってから、駒林小学校まで、10分足らず歩く。小学校の校庭には、テントが張られ、訓練に必要なものがすでに用意されていた。7時45分に震度7の地震が起きたという想定。小学校では、担架を担ぐグループに入れられ、担架を担ぐ練習。頭から上げ、足から下ろす。

その後、ブロックごとにブルーシートに別れて座り、進行を待ったが、秋の陽ざしが意外に強く、待つだけで体力を消耗する。誰か飴をもってきて、配られたが、大事なことと思われた。飴、水、帽子は、避難そうそうに必要と思えた。

○荘二さんの句集原稿をエックスパックで信之先生が送る。

○インターネットをマンションタイプに切り替えることになり、手続きをする。手続きの都合上、電話番号が変ることになった。28日に工事予定。

○FM/AMラジオ付き、防災電池をもらう。電池と手回し充電池がある。手回しは120回/分で、5分かかり、懐中電灯なら15分、ラジオなら2.30分つかえるようだ。今夜はもっぱら、FMラジオを楽しむ。欲を言わなければ、十分役に立つ。

10月18日(土)

俳句

○晴れ。

○花冠句会(10月12日~19日)の入賞発表。

○日記が、どういうものであるのか、見直す必要がありそうだ。日々の生活記録だけではなく、創作や思索の経緯などが知れるものだし、また文学的価値の程度が知れるとか。ブログばやりのこのごろ、ブログを書くなら書くで、意味や価値がいるだろう。「クレーの日記」を読みたくなった。

○睡眠確保のためには、蒲団をふわふわに干すのが、昔ながらのことだが、よいようだ。

10月17日(金)

俳句

晴れ。
○薬をもらいに病院へ。「主治医としては云々」で、日々のことに追われて、人に自分の健康をいうものでもなしで、だが、健康には気をつけないといけないようだ。

○このところよい天気が続く。このような天気はめずらしい。信之先生は、連日鶴見川を歩いている。荘二さんの話では、ほぼマラソンコースの42キロあるらしい。地図をもって、健脚ぶりを話すことしきり。本日は、河口まで行ったそうだ。

ビオラ苗/10月15日(水)

俳句
すみれ苗植えて秋日の日溜まりへ
草の中の草の露草青冷ゆる

○晴れ。

○コープで注文していたビオラ苗が届く。さっそく、土、プランター、軽石をかって植える。今一番手っ取り早く、植えれるもの。あとピンク系の球根セットを間もなく植える予定。

浜田庄司展/10月16日()

俳句
 多摩川 
百本の電車を通し川澄める
川土手の風のあらさに秋の蝶

○川崎市民ミュージアムで開催中の浜田庄司展に出かける。
11時に愛代さんと武蔵小杉駅北口1番のバス停で待ち合わせ。そこより、バスで、ミュージアム前まで。作品一点一点の力に迫られる。土と火と人のエネルギーのぶつかり合いの力のようなもの。

ミュージアムのレストランで昼食。帰り、多摩川沿いを歩き、丸子橋を半分渡り、引き返し、小杉まで。小杉駅前の喫茶店ブラジルで、3人で句会。解散は4時半。ブラジルでは、アップルパイのみ。昼食でコーヒーを飲みすぎたせい。

○ミュージアムでは、5枚で100円絵葉書があって、岡本一平の漱石先生、浜田庄司の「春去春来」の角皿、広重の川崎(多摩川は、当時六郷川と呼ばれていたとか)を買う。

あと、一枚はPaul Kleeの絵葉書。これは、157円也だが、青く聳える三角の山と星と月、あかるい街が色彩のみで画かれたもの。題はDER NIESEN とあるから、山は、ベルンの住まいからみたニーゼン山。ユングフラウやアイガーなども見えるところらしい。
最初、カディンスキーの絵葉書に目がゆき手にしていた。愛代さんはマティスの花の線画を地味だけどいいと買う。それもいいなと思いながらも、人と同じものどうも… 。それで、よく見て、パウル・クレーの絵葉書にした。安いものだし、2枚買えばいい思うだろうが、こういうときには、1枚だけ買うことにしている。「何を選ぶかを自分に厳しくするためと、余計なものは買わないため」とはあとで思いついたことだが。

もうひとつ、影向寺のパンフをミュージアムで買う。影向寺は、<ようごうじ>と読ませる。読み方が少々ミステリアス。随分な古刹で、そのいわくありげな名前と、甍の模様と仏像に惹かれたので、一度訪ねてみたい。

○庄司展を見た後、川崎の古代からの歴史の展示があり、土地の祭りの風習などが展示されてあった。広島の郷土と同じものもあるが、体が覚えている風土のものとは、違った民衆の生活の匂いが嗅げた。

○また、ビデオ彫刻なるものを見た。真ん中の円に古い寺や木々の戦ぎなどの部分が、回りを廻る円が10個ばかりもあったか、そこは、今の川崎だろうが、工場群や海の波、鴎、船などが映し出されている。見ていて、ある想念が浮かぶようになっているのかもしれない。

満月/10月13日(月)

俳句

○晴れ。満月。

○花冠創刊号の作品7句の選を始める。創刊号の投句締切は10月末日。

○12日付け日経文化欄で亀山郁夫氏の文章「ペテルブルグの48時間」を読んだ。罪と罰、カラマーゾフの兄弟の訳ですでに有名なロシア文学者で、東京外大の学長だが、読んで抵抗なく身に入る。というより、小説のように読ませる。言葉に納得する。

言葉はどこから生まれるか、ときどき考えてみたりするが、言葉は言葉が言葉に触れるときに、先ずは生まれると思っていいのだろう。英語を話す場合、アメリカ人と話したほうが、他の英語を話す、たとえば中国人とか、ドイツ人とかよりも、英語がスムーズに出てくる。よい文章を読めば、よい言葉が出てくる。難しい本を読めば、難しい言葉を思いつく。文学的なら文学的な。言葉は脳の引き出しに入っているのだろうが、ある言葉に触発されて、その引き出しが開けられるような気がする。

秋祭り/10月12日(日)

俳句

○晴れのち曇り。

○十三夜句会の入賞発表。
http://blog.goo.ne.jp/kakan15

○花冠創刊号の投句の受付を開始。ネット短信9号の返信を使い投句する。

○花冠句会は第1句会から第5句会まで、好きな句会に移動可能とする。但し、一週間は変更してはいけない。

○ネット短信9号。日付を11日としてしまったため、12日として直して訂正版を送信。

○今日は本祭り。子どもみこしが路地を通る。

○パソコンを買おうか買うまいか迷っていたので、なるべくなら買うように、電器店にお供をする。95時代は、IBMが30万円ほどしたのが信じられないほど。400万円ほどをパソコンにつぎこまなければ、エキスパートになるのは、無理とか言われていた。事実そのくらいかかったと思う。いまは、故障も少なくなったし、液晶になったので随分軽便になった。「パグ」という言葉も忘れるほど。

○さわやかな一日。洗濯や布団干しに精出すが、午後からは曇り。行楽シーズンだが、雑用をしながら、箱根がいいか、小諸がいいかそれとも鎌倉の竹林か、グリーンラインとブルーラインの乗り放題切符で湘南台までゆくか、など頭で考えて、今日は終り。