★七夕の星はいずれも澄み透る 正子
新暦の七夕は梅雨のさなかで星は見えないことが多いのですが、旧暦の七夕の頃は空が高く星がきれいに見えます。どの星も澄んでいて涼しげです。澄み透る星々を仰ぎながら、秋の気配も感じられるのではないでしょうか。 (後藤あゆみ)
七夕の夜はもう秋の空、涼やかで美しい空気です。天の川を成すそれぞれの星も、天の川の外に在る星も、澄み透って見えることでしょう。都会の空には難しい景色かもしれませんが、御句のように「澄み透る」心境で仰ぎたいと思いました。(川名ますみ)
○今日の俳句
緑蔭にセーラー服のかたまれり/川名ますみ
セーラー服の少女たちが緑陰にかたまっている。おしゃべりに夢中でもなく、次のことを待っているのだろう。「かたまれり」に少女のうぶな、固い一面が読みとれる。(高橋正子)
○稲の花
稲の花をしばらく見ていない。電車に乗って、横浜市営地下鉄グリーンラインの川和町までゆけば、田んぼと梨畑が見れる。
朝、今日は立秋なんだけれど、6時半ごろ起こされる。稲の花の写真を涼しいうちに撮りにゆくからということだ。一昨日までは涼しかったのだが、また暑くなって、暑さ負けしそうだ。
7時過ぎ出発する予定が、コーヒーを入れたりして少し遅くなった。中山行きの電車で、終点の一駅手前の川和町で降りる。グリーンライン沿線では、もっとも牧歌的な風景が見れる。階上の駅を降りて道沿いに行くといきなり、ピーナッツの花が目に入る。ささげかなにかの豆の花を見たり、月見草の花を見たり。薊は、すっかり種になって、ほうけて一つ二つ残る花が無残。信号を右折し、幅広い農道に沿えば、すぐ田んぼがあり、稲に花が咲いている。田んぼに水を引く農家の人がひとり。腰に手を当てて、水の入り具合を見ている。直径10センチほどのパイプからごぼごぼと田んぼに水が流れ混んでいる。今の時期、水がたくさん要るのだろう。子どものころは、稲の花は、夏休みの終わりから二百十日ごろが盛りだったと記憶している。早速、田んぼの脇の道に入って、写真を撮る。どれも似たのが稲の花。ちらちらとした稲の花をクローズアップしたもの、田んぼの全景を入れたもの、稲の花と遠く青い山を入れたものなど撮った。
田んぼの道を山手の民家のある方へ折れる。桔梗、おみなえしが咲いている家を見つける。民家はみな山沿いにあって、敷地に山から夏草が押し寄せ、除草もままならぬのか、暑そうに見える。しばらく歩くと、盆踊りの櫓が見えた。自治会の役員らしき人、とび職のような人が数人いる。「盆踊りの用意ですか。」と聞くと、「盆踊りは終わったよ。」との答え。櫓を取り外すところだった。狭いながらも、そこは、十二神社の境内である。北八朔町の神社で、お伊勢さんとあるから、伊勢神社系であろう。神社は二十段ほど石段の上にあり、杉の大木が左右にある。夫婦杉といって、幹の一つが途中から二つに分かれた杉がある。ご利益があるらしい。神社からは、田んぼの中をまっすぐ通る農道と田んぼ一帯が見晴らせる。稲が熟れ、その中を祭りの神輿が担がれてゆくのが想像できる。信之先生が「鎮守の森が残っているなあ。」という。境内で冷たいコーヒーを飲んで、休憩する。休憩のあとは、田んぼの中を鶴見川の方へと歩く。鶴見川に添うと、第三京浜の国道の高架と、田園都市線の鉄橋が見える。釣竿を持った人に会ったので、「何が釣れますか。」と聞くと、「鯉ですよ。」と照れ笑いをしながら答える。ただ、釣って、また放すだけなのか。鶴見川沿いは、夏草が繁茂し、にいにい蝉、ミンミン蝉が川ぶちの木の中で鳴いている。サイクリングする人、ジョギングをする人をみると、みな汗だく。暑さばかりが募る。田園都市線の電車が二本通過。その鉄橋をくぐり、市ヶ尾駅へ向かう。駅までは坂道。駅近くのドトールでアイスコーヒーとサンドウィッチ、アップルデニッシュで一息入れる。しかし、昼までには帰りたい。市ヶ尾から田園都市線渋谷行きであざみ野まで。あざみ野から市営地下鉄ブルーライン湘南台行で、センター北まで。センター北からグリーンラインで我が家のある日吉本町まで。今日の日程は終わり。
梨畑のことを書き忘れようとしたが、梨畑は、田んぼの続きにあって(元は田んぼだったのだろうが)、青く高い網で周囲を囲んでいるので肝心の梨は良く見えない。「浜なし」として売られるのは、もう少し先のようで、赤梨系のようだ。梨畑の周囲も水路が巡っているが、畑には愛媛の蜜柑畑同様にスプリンクラーが設置してある。
畑の話をもう一つ。農道沿いに、畑があって、栗畑もある。青栗がたわわに枝に付いている。雑草を燃やす煙も細々と昇っている。若いお嫁さんらしい人が畑の水栓から水を汲み、作物に水遣りをしている。「あっ、ブルーベリーですね。」と思わず言ってしまったら、お嫁さんは、「そうですか。」と知らなかった風に答える。これから熟れようとしてブルーベリーの色はどりどりだった。
稲の花水路に水の高鳴れり 正子
境内より農道ますぐ稲の花 〃
稲の花山嶺ようやく見えており 〃
◇生活する花たち「ササゲの花・稲の花①・稲の花②」(横浜市緑区北八朔町)

★胸うちに今日の夏野を棲まわせる 正子
楽しかった今日一日の夏野の思い出を忘れないであろうという思い、「胸うちに棲まわせる」素晴らしくすてきです。 (祝恵子)
○今日の俳句
児は透けし袋に水着持ち帰る/祝恵子
泳いだあとの幼い子どもが、透き通った袋に水着を入れて持って帰ったというのであるが、なにもが愛らしい。濡れたままの幼子の髪、かわいい絵柄の透き通った袋、それを持って歩く様子など。(高橋正子)
◇生活する花たち「向日葵」(横浜日吉本町)

★夏まつりのふうせん浮かせ子ら眠る 正子
子供達にとっての夏まつりは、屋台店をあれこれ回って見るのが何よりの楽しみ。一番人気が有るのがふうせんの様で、遠くから色鮮やかなふうせんを見つけておねだりをしています。買って貰ったふうせんを家に持ち帰り、おまつりの心地良い疲れにうとうと眠ってしまいます。安らかな寝息を聞いて居るかの様にふうせんは子供達のそばに高く浮いています。そんな様子を見守っていらっしゃるご家族の温かい眼差しが見えて参ります。(佃 康水)
○今日の俳句
作務僧も素麺流しの竹を組む/佃 康水
寺での素麺流しであろうか。作務僧も出て、素麺を流す青竹を組み、境内での素麺流しがいかにも涼しそうである。(高橋正子)
◇生活する花たち「昼顔とキンシバイ・むくげ・ななかまど」(横浜日吉本町)

★野に出でて日傘の内を風が吹き 正子
真夏の暑い陽射しの中を歩く時、わずかな日蔭でも有難いもの。日傘を差せば、少しの日蔭にも風が通り抜け、涼しさが生じるから不思議ですね。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
青蘆の風に逆らい騒ぎけり/桑本栄太郎
逞しく育った青葦は、風に抵抗して、というより、風の縦横な吹き方に騒ぐ。乱れ騒ぐ青葦と風の具合がとても魅力的。(高橋正子)
◇生活する花たち「淩霄花・朝顔・黄花コスモス」(横浜日吉本町)

★夏蒲団糊の匂いて身に添えり 正子
糊の利いた布団はきっぱりと乾いて肌に纏いつかず、清々しい眠りに就くことができます。夏の夜に糊の匂いを引き合わせて下さり、涼しさが伝わります。(小西 宏)
○今日の俳句
大きく晴れし南の空や凌霄花/小西 宏
南の空が広く眺め渡されて、その中にオレンジ色の凌霄花が咲き盛り、絵画的印象の強い句となっている。(高橋正子)
◇生活する花たち「夾竹桃・むくげ・ハイビスカス」(横浜日吉本町)

★這いはじめし子に展げ敷く花茣蓙 正子
はいはいを始めた赤ちゃん、その様子をうれしく思いながら花茣蓙を広げるお母さん。明るく涼しげな母子の微笑ましい様子が伝わってきます。(多田有花)
○今日の俳句
頂の青筋揚羽雲に触れ/多田有花
山の頂には、こんなところまでよくも、というような蝶などを見かける。飛べば雲に触れそうな青筋揚羽もいて、驚き、また楽しい世界を作っている。(高橋正子)
○簾
古家や奈良の都の青簾 正岡子規
すだれ立てかけて店頭トマトの赤 高橋信之
熟睡(うまい)の子に簾の内の青き部屋 高橋正子
マンション1階の西端がわが家族の住居で、その北西に信之先生の書斎がある。書斎の西窓と北窓に簾を吊って、北からの涼しい風が吹きこんでくる。
信之先生の書斎は、真夏でも涼しいので、そこがネットの仕事場にもなって、時には、私の仕事場ともなる。今日は、涼しすぎて、西窓を締めた。ネットは、毎日の決まった仕事がある。花冠ツイッター句会での入賞句を毎日欠かすことなく選んでいる。今日の秀句・佳句である。
http://twilog.org/kakan_haiku
全国俳誌協会の新設IT事業部の部長になったので、協会公式のホームページを作っている。今日制作の試作版は、下記アドレスの表紙で、蒲の穂の写真と草田男の俳句を選んで制作した。
http://zenkoku-haishi.info/index3.html
協会公式サイト試作版は、第1号から第6号までを制作し、IT事業部のブログにリンクを貼った。
http://blog.goo.ne.jp/zhk2011
○現代俳句一日一句鑑賞
★見おぼえの山百合けふは風雨かな/ 星野立子
この前通って見た山百合が、今日は、雨に打たれ、風に煽られて咲いている。風雨のなかの山百合に、この前見た山百合が重なり、山百合の姿がしなやかに捉えられている。山百合に「見覚えの」を持ってきたのは、立子の真骨頂。(高橋正子)
▼その他は、下記アドレスをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/kakan2011
◇生活する花たち「槿①・槿②・蒲の穂」(横浜日吉本町)
★撒き水の虹を生みつつ樫ぬらす 正子
○今日の俳句
炎天に祭り用意の男たち/黒谷光子
炎天下、祭りの用意に余念のない男たち。汗をいとわず動く意気込みが、男らしさとなって、用意の段階から祭りを盛り上げている。(高橋正子)
○電話
第一話
朝、一息ついてお茶を飲んでいると、電話が鳴る。
「広告代理店のコウハクドウ(確かそう聞こえたが)と申しますが。高橋正子先生でいらっしゃいますか。」
「そうですけど。どういったご用件でしょうか。」(とこう言いながら、廣済堂、博報堂は知っているけれど、聞いたことないなあと思う。)
「実は、原爆記念日に祈りの句として読売新聞に先生の俳句を載せられてはいかがでしょうかと思いまして。山小屋の湯にいて秋の笹の音。いいですねえ。山小屋の湯にいて秋の笹の音。いいですねえ。」
「・・」(どこで私のこの句を知ったのかしらと頭を回す。俳句年鑑しかないね。)
原爆犠牲者への祈りの句と言ったり、去年の夏の思い出の尾瀬の句を出してきたり、俳句に感じいった演技に、電話を切るタイミングを一瞬逸して、次のことを聞く羽目になった。
「みんなで八人なんですがね。元文部大臣の有馬先生の奥様や、俳人の高橋先生のお嬢様の瑠璃子様とか、それからですね。そういった方々に去年は句をいただいたのですが。今年は先生に是非お願いしたいのです。」
「少しお待ちください。」
朝のお茶を飲んでそのまま椅子に座っている信之先生に、電話の内容を三言、四言話す。言いながら、私は信之先生の顔付きにひらめいて、
「広告代はおいくらですか。」
「25万円です。」
「それでは、結構です。」
(やはり。)
信之先生は、「長々電話を聞いて、馬鹿だなあ。」という。
(しかし、自分の句を他人が知っていれば、次に何を言うか聞いてみたくなるも人情ではないか。)
「安ければ出していいけどな。」
「有馬先生の奥様はお金がおありなんでしょう。」
「そうだろうな。」
第二話
翌日、飛騨三十三観音霊場、第三十三番札所、高野山真言宗「千光寺」から、ダイレクトメールが来た。「千光寺」といえば、懐かしい寺の名前。封筒の中を開けないで、裏表見返して、差出しの寺の住所を確かめる。私の知る「千光寺」ではない。私の知るのは、尾道市にある桜の名所の千光寺。尾道は林文子や志賀直哉が一時住んでいた文学の町。子どものころ、鞆の浦から岬を回ってくる安正丸という小さな客船に乗って桜の季節には家族で花見にでかけたところ。港の石段がみどりの潮に浸って潮の香りが漂う尾道の港。桜とみどりの潮が脳裏を横切った。封書は、その寺からではなかったが、開けて見た。
「飛騨円空の里」「標高八百メートルの静寂」「千二百年の法灯を今に活かす」「円空物六十三対を安置」これは、パンフレットに記された飛騨千光寺のうたい文句。円空仏といえば、惹かれる。ここのご住職が東日本大震災の支援活動を宮城県でされて、あまりの悲惨さに心を悼め、山内に八十八ヵ所霊場を「祈りの道」として作り、犠牲者の慰霊と復興を祈願するということであった。八十八の霊場ならぬ句碑を建てるが、参加してはいかがかというもの。御影石に句を刻んで三十万円。四国に長年住み八十八ヵ所は生活に近いもので、高橋家も弘法大師の真言宗。弘法大師のご縁もあるが、なんとも。標高八百メートルの飛騨山中に句碑を建てても、そこへ見に行けるかどうかと、くだらぬことを思ったり。
第三話
そして、翌日、京都の三木半というホテルから俳句吟行宿泊の案内。三木半の女将は俳人。六角通麩屋町角にあるホテル。三木半からは、水煙の時には年に一回くらいパンフレットがよこされていたが、花冠となっては初めて。
「お母さん、こんなところからパンフレットが来て、お母さんは有名なん?」と句美子が言う。面白い娘である。
「有名になりかけているかも知らんけど(少々からかう)、有名ではないよ。商売はこういう風にして、お金を出してくれそうな人に大勢やたらと当たるのよ。」
どの件も、縁がないわけではないが、お金に縁のない身には、全く縁がない。かくして、詐欺にも合わず、お金に取り込まれることもなく、過ごしている。
◇生活する花たち「月見草・コリウス・白粉花」(横浜日吉本町)

★冬瓜にさくっという音のみありぬ 正子
大きく武骨でユーモラスな形の冬瓜、包丁を入れるとさくっという音がします。冬瓜そのものは無味無臭でまさしく「さくっという音のみありぬ」です。しかし、料理次第でどんな風にもなるところが冬瓜の大物たるところでしょうか。 (後藤あゆみ)
○今日の俳句
弧を描く夜汽車の灯り大夏野/後藤あゆみ
平野の果を走る夜汽車の灯が弧を描いてみえるのは、さすが「大夏野」。(高橋正子)
○向日葵
わが家から東へ数軒先に毎年決まって向日葵を咲かせる家がある。小さな用事の外出に通りすがりに見上げて楽しむ。この家には、2年ほど続けて2メートル以上になる「木立ダリア」が咲いていたが、何の花だろうと、これも見上げて楽しんだ。背丈の高い花がお好きなようだ。
最近大輪の向日葵を見ることが少なくなった。子どものころの向日葵は大輪だった。種が実ると重くて頭を垂れた。この大輪が「ロシア向日葵」だということを、はるか昔、たぶん中学生のころだろうが、知った。ロシアンケーキ、マ-マレードを入れる紅茶、ロシア民謡など、ロシアのイメージの一つとして記憶していた。それを、今日ここで思い出した。
向日葵の原産地は北アメリカ西部で、ネイティブアメリカンの食用作物だったとのこと。食用向日葵に、ノースクイーンとか、アメリカンスナックという品種があるらしいが、もっともなこととうなづける。が、私のイメージは、向日葵は東欧かロシアの花のイメージが強い。食用向日葵の種子の生産の先進国は、ロシアとのこと。理由は、ロシア正教のものいみの食品制限で、油脂食品の禁止食品に向日葵が入っていなかったので、ロシアで盛んに栽培されたとのこと。こういうこともあるのか。
丘をなす一面の向日葵畑は、ロマンティックな叙情がある。ゴッホの向日葵も有名だ。ゴッホの向日葵は、向日葵とその背景の色彩が、さすがゴッホと思わせる素敵な色だ。これは大輪ではない。花瓶に活けられた向日葵もまたよい。
向日葵の蘂を見るとき海消えし 芝 不器男
ゴッホの向日葵切りとられ切口を見せ 高橋信之
向日葵に空の青さがあり余る 高橋正子
向日葵の丘ひろびろと雲の旅 小西 宏
◇生活する花たち「向日葵」(横浜日吉本町)

★熟れきってまるきトマトの冷やされし 正子
中夏から晩夏にかけてまるまると大きく熟した真っ赤なトマトが滔々と流れくる水を受けた樽の中でころころとまわりながら冷されている景は涼しそうですね。夏の素敵な景色ですね。(小口泰與)
○今日の俳句
湖へ虎杖の花咲きいそぎ/小口泰與
湖のほとりに虎杖の花が咲き急いでいる。夏が短い北国を思わせる。虎杖の花は小さく白い。散れば葉に埃がかかるように散る。夏の短さも、花のもろさも、みな移ろいやすさでえある。(高橋正子)
○小諸と上田
ホトトギスと自由律の中間派といわれた「石楠」を大正4年に創刊した臼田亜浪は、信州小諸の生まれで、私たちの「花冠」は、この師系に連なる。亜浪の軸物が古美術商でも扱われる。東京千駄木の「ふじもと」の藤本洋子さんもそういったお茶道具や軸物を扱うお一人で、信之先生にときどき電話がかかってくる。先日は、臼田亜浪筆、桃太郎画賛の俳句を読んでもらいたい、との依頼で、句は、「廣ヽの草に伸びあがる小松の穂」であった。このなかの「草」の字がなかなかユニークで判読できなくて、お困りだった。後日、お軸のお嫁入り先がきまりましたとのお知らせをいただいた。
小諸は、花冠の誌友と吟行で訪ねたこともあるが、その隣町の上田は、真田十勇士で有名であって、千駄木の藤本洋子さんは、そこのご出身である。上田の銘菓「くるみそば」を藤本洋子さんに頂いた。いかにも山国らしいお菓子で、白あんをそば粉で包み、砕いた胡桃をまぶした棒状にした饅頭。これを、1,2センチほどに切ってお茶といただくと、美味しい。蕎麦も胡桃も信之先生の好物なので、思いかけなく美味しい判読料となった。
◇生活する花たち「白百合・桔梗・小豆の花」(横浜日吉本町)
