★草は花を娘の誕生日の空の下 正子
お嬢様のご誕生の時の様子のようですね!。親に取って子供の生まれた時の様子は、子供がどんなに大きくなっても決して忘れるものではありません。秋草の花が咲く頃になると、必ず秋の草花も祝福をしてくれたものと想い出します。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
さざめける稲穂の風の中に居る/桑本栄太郎
稲穂の上を風が渡ると、稲穂はさざめくような、快い音を立てる。吹く風も稲穂のさざめく音も、自然体で受け止められている。(高橋正子)
★朝顔の垣根解きて風透けり 正子
垣根を這わせた朝顔の、みずみずしく咲き連なる様子が目に見えるようです。涼やかな風に辺りのいっそう爽やかな秋意を感じ、心澄む思いがいたします。(藤田洋子)
○今日の俳句
皿洗う秋夜の白と白重ね/藤田洋子
子育てはもちろんのこと、家族の明るい生活から生まれた佳句も多い。日々の生活に詩を見つけ、それを句にしてこられた。高橋正子)
○韮の花
いつ見ても韮の花に蝶せせり 正子
九月一日、二百十日を狙って台風十二号が横浜にも接近しつつある。東からの湿った風で、昨日から非常に蒸し暑い。雨が降る前にと思って、十時すぎカメラをもって5丁目あたりの花を探しに出かけた。昨日、ある家によく咲いていた酔芙蓉も今日は、ちっとも咲いていない。かわりに隣の家の酔芙蓉が咲いていた。花は全く一期一会。歩いていると、なんらかの花に偶然に出会う。一日が言えないし、一時間が言えない。台風の接近を知らせる雲が空を覆って、歩くと暑い。今日は、韮の花がちょうど盛り。韮の花には小さな蝶がいつもせせり寄って蜜を吸っている。
生家の庭先の畑の端に石組みに沿って一列に韮が植えてあった。韮は冬から春がおいしかった。味噌汁に入れるのに、「ちょっと、韮を刈ってきて。」と言われることもあった。春を過ぎると葉が硬くなる。韮の花は、二学期がはじまるころに咲く。韮の花と言えば、「二学期が始まる暑さ」と、体に染みている。二学期が始まると、運動会の練習が始まる。日暮れがだんだん淋しくなり、昼間は汗をかいた簡単服(簡単なワンピース)では涼しすぎるようになる。韮の花が咲くと、九月特有の暑さを思い出す。
★水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ/高橋正子
池畔を吹く風に乗り、翅を光らせて自在に飛ぶ蜻蛉。すいと水面に近づいたかと思うと、空の青さと池の辺のみどりを湛えた水にそっと触れ、薄く透明な翅を広げている。その軽やかで涼しげな水に映った姿を見ていると、心洗われるようです。爽やかな風が胸の奥まで吹きわたります。蜻蛉の一瞬の動きを鮮やかに捉えられ、澄明な詩の世界が広がっています。句のリズムもよく自然と口ずさみたくなります。(柳原美知子)
○今日の俳句
朝空を翅に映して銀やんま/柳原美知子
朝空のすずしい青をそっくり翅に映して飛ぶ銀やんま。静と動の対比、朝の景色全体の中の一つの銀やんま、また逆に、銀やんまにある景色全体が詠まれている。これが俳句の「まこと」である。(高橋正子)
○朝顔
8月の終わり。朝顔が久しぶりに、こちらを向いて咲いた。今年は、種の都合も苗の都合もできなくて、1本だけ、花屋の残り苗を植えた。青に絞りが入っている。いい感じである。プランターに植え、育つごとに支柱を1本、2本、3本と増やした。朝顔は、双葉を入れて、8番目に出た葉の上で切るとよい、と育てかたの本に書いてあった。先を切ってしまうことに不安だったが、思い切って実行した。そうしたら、数本芽が伸びて、下の方もよく茂った。
8月27日に四季の森公園に行ったら、管理棟の玄関前に、朝顔を上らせていた。もう、終わりで花が小さくなっていたが、青色があまりにきれいなので、写真に撮ったら、竹の支柱も写って、遠くにガラス越しの日光が注いでいる。いい風情で写った。8月の終わりの花は、小さいながらも、色が澄んでいた。
○みそか
今日は8月31日で月末。昔で言えば晦日(みそか)。晦日払いの掛取りがくるなど、忙しい日であったろう。私が主宰している俳句雑誌「花冠」は、月刊なので、一月のサイクルで動いている。晦日である今日は、忙しい日となる。
ウィキペディアから引用すれば次のようにある。
<晦日(かいじつ、つごもり、みそか)は、太陰太陽暦の暦法である中国暦、和暦の毎月の最終日のことである。具体的には、小の月では29日、大の月では30日となる。翌月の朔日の前日となる。「みそか」は本来は「三十日」の古い表現(ふつか、みっか、…と続く先にある言葉)だが、実際の日付にかかわらず月の最終日を指す。「みそか」が29日を指す月には30日は存在しないので、混乱が起こることはない。
大晦日は、一年で最後の晦日、つまり最後の日を「大晦日(おおみそか、おおつごもり)」という。これは通常は十二月晦日だが、閏年でしかも閏月が閏十二月のときは、閏十二月晦日である。>
晦日に何をするかというと、①月間賞の決定②月例ネット句会の準備と案内を書く③最近は、休みがちであるが、月例オフ句会の準備④10日締め切りの雑詠投句箱を開く⑤散文原稿の依頼の確認⑥細かくは、ホームページ内のブログのテンプレートを季節にあったものにするなど
総合雑誌の編集者の話では、月刊の編集がやれるのは40代まで、と言う。月刊で発行するとなると、結構ハードなのだ。一月は長いようで、意外にも短い。人の生活は月単位に行われることが多い。様々な意味で、旧暦の生活を見直す運動も起こっている。
そういうわけで、ここで、長い文章を書いているわけにもいかない。
★剥く梨にわが顔映りいたるかも 正子
○今日の俳句
箱の荷の泥付き芋は地方紙に/祝恵子
届いた箱の荷を開けると、地方紙にくるまれた畑から掘り起こしたばかりの泥つきの芋が入っている。地方の便りも、合わせて届き、懐かしい思いだ。(高橋正子)
○芙蓉
雲が来て風のそよげる花芙蓉 正子
秋めいてきた。きのう、色づき始めたむらさきしきぶの向こうにピンクの芙蓉が咲いているのは知っていた。今朝、それを写しにゆくと、頭をタオルで包んだ男の人がカメラを覗いている。その傍に草取りをしている女の人がいて、「おはようございます。花を撮らせてください。」と頼んで芙蓉を撮らせてもらった。
ご夫婦で趣味が写真のようだ。朝八時過ぎでまだ陰っているので、芙蓉を撮るとフラッシュが焚かれた。奥さんが、「今フラッシュが焚かれましたよ。」という。そのあと、ご指南があった。花を撮るときは、フラッシュは焚かないほうがいい。近くで撮りすぎるとピンぼけになる。オートをはずしなさい。カメラを覗いているご主人は、ちょっとカメラを見せてごらん、と。しかし、カメラもいろいろでよくわからんなあ、と。この芙蓉の花がいいですよと、奥さんが指す。言われるとおりにその花を撮って家で落ち着いて見てみると、はっきりとして、幾分情緒に欠けているように思うが、写真家好みになっている。家の錆びたトタンの壁までくっきりと写っている。芙蓉はそんなところにも似合う。
松山の郊外に一時住んでいたときは、玄関に芙蓉があり、花に隠れて水道があった。そこでは、盥で洗濯をしたが、花の傍で水をいっぱい使って洗濯をすると、気分もさわやかだった。
★稲穂田の隅にごぼごぼ水が鳴り 正子
稲の花が咲き、実がつき始める頃、稲穂は水をたくさん吸い上げて成長します。この辺では出穂水(でほみず)と言って、どの稲田からも水が迸る音がします。水源からそれぞれの稲田に送られる水は、いずれも田の隅の枡の中に一旦落とされ、それがごぼごぼと音を立てて稲田に溢れていきます。稲穂田の水の音を耳で目でよく捉えられて「隅にごぼごぼ」と生き生きと詠まれた一句と思います。 (後藤あゆみ)
○今日の俳句
葛あんに透けて冬瓜薄みどり/後藤あゆみ
「葛あんに透けて」がこの句の要。冬瓜が、料理され、葛あんをかけられて、いっそう美しく、涼やかな薄みどりとなった。(高橋正子)
○葛の花
葛咲けり一つの花のその奥にも 正子
葛の葉は、初夏をすぎるころから生い茂る。大きな木を覆いつくし、山を行くバスの窓からは、山肌の崖に垂れ下がる。至るところに茂っているが、花は、と思って見ても花が見つからないことが多い。花がつくものには、たくさん葛の花が咲き、地面に紫の花が落ちこぼれて、道の埃を冠っていることもある。八月二十八日、中山の四季の森公園に出かけた。朝のうちは、公園は新涼の風が吹き抜け、水引草、萩、ヤブランな
どが咲き始めていた。コスモス畑には、準備中の立て札が立っている。四季の森公園の北口から入り、紅葉谷を南口へと抜け、公園を出て、中山中学校へ通日広い道路を下った。この道は街中と違って、野の風情があって好きな道だ。葛の蕾を見つける。花は一週間ぐらい先かと下ると、花盛りの葛に出会った。花房も長く、野生の力を発揮している。芳香がする。写真に撮って歩き始めたが、引き返して句美子へのお土産と、私が匂いを忘れないようにするために一花摘んだ。葛の反対側のガードレールには、芒が穂を開いている。また少し下ると、酔芙蓉がわずかにピンクに変わり始めていた。丘の家に庭におみなえしがある。見上げて、そらの白雲を入れて写真を撮った。葛が咲けば、おみなえしも、芒も、酔芙蓉も咲くのである。
★りんりんと虫音に力のありて闇 正子
蝉の激しい鳴声が去り、夜になると虫の音に変わります。ほっと穏かで秋の静寂感も湛えているものです。しかし、虫にとっては、その声もまた生きる力、生命力です。それを「力のありて」とされたのが新鮮です。(多田有花)
○今日の俳句
秋茄子の不ぞろいなるも強靭に/多田有花
真夏の暑さが去り、朝夕が涼しくなってくると、茄子が生き生きとして美味しい実をつけるが、皮が傷んだようなのも、曲ったのも様々。「不ぞろいなるも強靭」なのである。(高橋正子)
○むらさきしきぶ
式部の実色づき初めしに空晴るる 正子
今朝、ワイシャツをクリーニング屋の持っていく道で、今は廃屋になっている家に、むらさきしきぶが色づき初めていた。近所には、むらさきしきぶを植えている家はたくさんあるが、色づきはじめているのは、だれも住んでいない家。この実は、小鳥が大好きで、小鳥が食べれるものなら、人間も食べれるのではと、食べたことがあるが、棗や未熟なリンゴのような味がする。砥部の家にもひと株大きなのがあった。ヒヨドリをはじめ小鳥たちの恰好の餌で寒い季節が来てもまだ残っている。この実がある間、庭は小鳥でにぎやかになった。最後には、葉がからからと数枚残り、枝だけになり、たまに雪を冠ることもあった。黄葉もきれいだ。
★一椀の汁に絞りきる酢橘 正子
○今日の俳句
さみどりの稲穂のそよぎ湖近し/黒谷光子
ゆたかな湖をそばに、さみどりの稲穂のそよぎがやさしい。広くゆったりと、そしてこまやかなな詠みに、句が美しく仕上がった。(高橋正子)
○パスポート
パスポートを受け取りに、川崎駅西口からまっすぐに七分ほど歩いたところあるソリッドスクエアビル内のパスポートセンターに行った。一週間前に交付申請に行った日は、日傘が必携のお天気だったが、今日は雨傘を持って出かけた。台風でもないのに、中国、四国から東海にかけて大雨の様子。異常天候ではなく、温暖化によって引き起こされた天気とのこと。こういうのが日常の天気。西口を出ると雨は小雨で、蝉が並木の桜の木でまだまだ鳴いている。インターネット俳句センターが昨夕アクセス百万回を達成したので、そのお祝いをどこかでするといって、信之先生も一緒に来た。申請から、受け取りまでの一週間、急に涼しくなった日もあったし、蒸し暑い日、夕立や雷雨の日もあった。海外で家族が事故にあって、パスポートがない人はどうするんだろうとか、思ったりした。
前のパスポートは、1990年に家族でドイツ旅行をしたときもので、95年で期限が切れている。それから一度も海外に行っていないことになるが、この古いパスポートを申請時に持っていたら、係員の女性が三人も珍しそうに見に来た。第一、身長を記入している。第二、小学生の元と句美子と私と親子三人が一緒に一枚の写真に写っている。今は、身長は書かないし、写真は、赤ん坊でも一人で写すとのこと。ICチップが組み込まれ、サイズも小型化されている。古いのを見て句美子が笑う。偽物がすぐ作られてしまいそう、と。しかし、一番違うのは、写真に写っているわれわれ親子三人だろう。二十一年の歳月が流れている。十歳だった元は三十を越え、六歳だった句美子は二十七歳になっているのだ。十年用の収入印紙を貼って、係員の質問に答えて、すぐに交付してもらえた。私が十年先に必要とするかどうかだが。
そして、100万回のお祝だが、蒸し暑くて、あまり食べる気にもならない。パスポートセンターのビル内の食事どころを見て歩いて、結局、ドトールのコーヒーとミラノサンドイッチということになった。私はアイス、信之先生はアメリカン。お祝は夜にワインと鯛のお刺身で、ということにして帰った。