★夜は軒陰に白菜星をほしいまま 正子
白菜が軒陰に並べて干されています。夜になればそこに月光、星あかりが差します。まるでその光を楽しみながら白菜たちが眠っているように思えます。(多田有花)
○今日の俳句
一樹立つおのが落葉に囲まれて/多田有花
樹は動かないから、自分の落した落葉に囲まれることになる。その落葉のあたたかさの中にすっく立つのも本来の樹の姿に違いない。
★枯蓮となりつつ水に傾ぎゆき 正子
蓮が枯れ、大きな葉の重みに耐えかねて傾いてゆきます。やがて茎が折れるように曲がり、水面に接するようになります。そんな季節の移り変わりがスローモーションのように思い浮かびます。(小西 宏)
○今日の俳句
欅立つ落葉きらめく陽の中に/小西 宏
情景がよく整理されている。陽を受けてきらめきながら散る落葉。その中心に黄葉した大きな欅の存在が示されている。
+ + + + + + + + +
帰り咲く
高橋正子
あかるさは林檎の花の帰り咲く
草分けて柚子の熟るるを撮りにゆく
柚子の木の柚子にいびつな柚子ばかり
レモンの香飛べば灯ちらつけり
うす桃の菊の日差しも写し撮る
慶大グランド
サッカーの練習熱帯ぶ野菊咲き
咲き残る紫苑寄り合い傾き立つ
りんどうに日矢が斜めに差し来たり
白樫の落葉多かり里山は
菊の香に座りていまだ死が見えず
+ + + + + + + + +
★冬はじめ富士の裾野の長く長き 正子
富士裾野、「長く長き」のたたみかけに、より美しい裾野の広がりが強調され、初冬の富士の秀麗な山容を感じさせてくれます。その悠然たる富士の全景に、心澄み、心広がる冬のはじまりです。(藤田洋子)
○今日の俳句
しんとある鵜船の河畔冬初め/藤田洋子
「しんと」の擬態語がこの句のよさ。鵜飼の季節を終えた鵜舟が置かれている河畔の風景に、初冬に対する作者の気持ちが良く出ている。
○山茶花
山茶花が咲き始めると、もう、冬が近いんだぞと思う。冬物の服を早めに出したり、炬燵は、ストーブは、と冬支度が始まる。焚火の煙がうすうすと上って匂ってきたりすると、暖かいところが恋しくなる。椿と山茶花の違いはとよく効かれるが、山茶花は花弁が一枚一枚分かれて、咲き終わると散る。赤や白だけでなく、ほんのりピンクがかったものから、また八重のものまでいろんな花があるようだ。椿ほど改まってなくて、親しみやすい花だ。山茶花の垣根からいい匂いがこぼれると、そこを通るのがうれしい。
★冷たさも露けさもスライスオニオン 正子
○今日の俳句
コスモスの故郷は山ばかりなり/足立 弘
コスモスが咲く故郷は、言ってみれば、「山ばかり」。山ばかりの故郷に咲くコスモスへのいとおしさが、素直に詠まれている。
○第3回フェイスブック日曜句会選句開始
http://on.fb.me/t5taLk
★紺碧の天と対いて刈田あり 正子
秋が深まると空は紺碧に澄みわたり、見上げていると気が遠くなるようです。向き合って広がる刈田はただ静かで他に何もありません。簡潔で透明な風景に詠者の心境を見る想いがいたしました。(津本けい)
○今日の俳句
入りくる霧閉じ込めて列車発つ/津本けい
霧の深い朝であろうか。濃い霧が列車の中にまで入り込む。その霧も閉じ込めたまま列車が発車する。幻想的な霧の風景が映画のシーンのようだ。
○中山まつり
昨日、11月3日の文化の日、朝9時半すぎ、緑区の中山四季の森公園に出かけた。中山は緑区の区役所があり、緑区の中心。グリーンラインの中山駅を出たとたん、駅前広場がごった返して何事かと思うと、間もなくアナウンスで、「みなさんもご一緒に歌ってください。」いう。吹奏楽団が駅前に陣どって、唱歌「ふるさと」のイントロが演奏され、バリトンだろうか、朗々と「ふるさと」を歌いはじめた。中山まつりとのことで知らずに来て出くわしたわけだ。聞いてると、歌と楽団とが微妙にずれいる。楽団が遅れ気味だが、地元、ふるさとのまつりだけに、みんなの胸にはじんときたでろう。「ふるさと」は、プロの方はわれわれが思っているよりアップテンポで歌われるのは、日ごろ感じているところ。情感を込めすぎるのはよくないからであろうとは思うが。
今年は、第30回の祭りで中山商店街協同組合の主催。昭和57年に始まったそうで、当時は23店舗、現在は140店舗が組合に参加しているとパンフレットに書いてある。商店街の道には、電気自動車や新車が展示されたり、消防自動車、パトカーの展示まである。ショベルカーの付いた消防車もある。パトカーは子どもの試乗会で列ができている。たこやきや、くじ引き、おでん、洋服にいたるまで、工夫を凝らしてにぎわっている。四季の森公園を散策して、帰りは正午近くであったが、元気な小学生のソーラン節と踊りが盛り上がっていた。
http://blog.livedoor.jp/cosmic_c/archives/51121742.html
四季の森公園へ行った目的は、木の実と山茶花が目当て。公園の中でも「ふるさとの森」へは、まだ一度も行っていない。駅前からバスにのり北口までゆく予定であったが、中山まつりの交通規制のため、やむなく徒歩で、四季の森公園の「ふるさとの森」行った。中山中学校の前へ出る道を辿ると、山茶花があちこちに咲いている。白の八重、一重、赤の一重、八重。りんごの帰り花まで咲いていた。ふるさとの森は、ただの山で谷戸となっているところまでは、白樫の落葉がたくさん降っている。谷戸には、水田が残り、小学校の体験田として使われている。田の土は黒っぽいが、あまりよい土ではない印象だ。はずれに、ワークセンターがあり、昔の農具などが展示されているようである。「ふるさとの森」は、「ふつうの山」で取り立てて何もない。こんな森を歩くと、よいことか、悪いことかわからないが、いろんな想念が湧く。ふるさとの森を出れば、すぐ中原街道に出る。長坂陸橋をすぎ、「中山中学校入口」のバス停から、中山駅前までバスで帰った。
http://www.kanagawaparks.com/shikinomori/
★霧に育ち大根くゆりと葉を反らす 正子
大根が美味しいのは何といっても寒い時期です。霧の出る日が多い今の季節に土の中では大根が日々育っていることでしょう。地上では日ごとに色を深める葉が重なり合うほどの勢いです。「くゆりと葉を反らす」に鋭い観察眼とやさしい眼差しを感じました。(後藤あゆみ)
○今日の俳句
底抜けに明るい空よ鵯(ひよ)が鳴く/後藤あゆみ
「底抜けに明るい」とそこまで言ってしまう心境。抑えたものをふっ切る気持ちがそう言わせるのだろう。青空に筒抜ける鵯の声に気持ちが託されている。
○山茶花
山茶花が咲き始めると、もう、冬が近いんだぞと思う。冬物の服を早めに出したり、炬燵は、ストーブは、と冬支度が始まる。焚火の煙がうすうすと上って匂ってきたりすると、暖かいところが恋しくなる。椿と山茶花の違いはとよく効かれるが、山茶花は花弁が一枚一枚分かれて、咲き終わると散る。赤や白だけでなく、ほんのりピンクがかったものから、また八重のものまでいろんな花があるようだ。椿ほど改まってなくて、親しみやすい花だ。山茶花の垣根からいい匂いがこぼれると、そこを通るのがうれしい。
★秋海は青より銀に由比ヶ浜 正子
秋の深まりと共に海の色は空の青さを映し、更に一層青く映えて来ます。その上、秋の陽射しを照り返し水平線はまばゆいばかりの銀色に映えてきます。遥かなる水平線と、何処までも寂しいほどにつづく由比ガ浜海岸は、秋の叙情が一杯です。爽やかな秋の海と、海岸の広がりが想われ素敵です。(桑本栄太郎)
○今日の俳句
秋澄むや新築現場の杉の香に/桑本栄太郎
新築の現場に行くと、新材の匂いがする。そのなかでも杉の香りが高くしていると、辺りが澄む感じとなる。「秋澄む」である。
○竜胆
野生の竜胆を初めて出会ったのは阿蘇の外輪山の草原であった。二十代のころ九州旅行の途中、阿蘇の外輪山の宿に泊まることがあった。露がかわいたばかりの草原を歩くうちに足元に竜胆が咲いているのが目に入った。天近き草原である。まさかと目を疑ったが確かに竜胆である。その後も松山市から三十キロほどの久万高原町のふるさと村の崖で見た。ひょろりとした茎に紫紺の花が付いている。竜胆もいろいろ種類があるようだ。ある日、PTAの美術クラブで、買ってきた園芸種の竜胆を描こうとして、絵の先生に注意を受けたことがある。作り物はいけない、自然の花のいのちを描けよ、ということだったのだろう。確かに園芸種とは全く違う姿風情。この注意も、野生の竜胆に出会っていたので、本意が多少ともわかったと思う。可憐で色の深さは、誰をも魅了するのだろう。好きな花のひとつである。