12月31日(土)



★大年の山河も晴れを賜りし  正子
大年のこの日にあって、恵まれた晴天が、この上なく清々しく晴れやかに感じられます。明るく輝かしい自然の大らかさに、一年の末日の深い感慨とともに、来たる年への明るい希望もあふれます。(藤田洋子)

○今日の俳句
★年の瀬の遮断機上り街動く/藤田洋子
遮断機が上ると一斉に車が忙しく動き出す。年の瀬の街の風景をよい視点でとらえた。

○大晦日/大年、大つごもり、大三十日
★大年の日落ち流水尚見ゆる/中村草田男
終わりのない自然の営みを見た。自然の生命を読み取った。(高橋信之)

★ここでも子等笑う大晦日の湯舟/高橋信之
松山市内に住んでいたころ、まだ銭湯があちこちにあった時代の句。「ここでも」は、「銭湯でも」である。昼間元気に笑いころげて遊び、大晦日はなおさらのこと、子どもたちはお湯をかけあったり、顔を湯にくぐらせたり、屈託なく笑う。そういう明るいにぎやかさが楽しい。(高橋正子)

○樋口一葉作「大つごもり」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000064/files/388_15295.html
映画「にごりえ」は、樋口一葉の短編小説『十三夜』『大つごもり』『にごりえ』を原作とするオムニバス映画で、キネマ旬報日本映画ベスト・ワン、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞などを受賞した。

○除夜/年の夜
★年の夜やめざめて仰ぐ星ひとつ/石田波郷
波郷は、子規と同じ病に臥し、その生涯を送った。その一生は、すぐれた句を残し、ただ俳句のために生まれ来たかのようであった。(高橋信之)

○金蔵寺/除夜の鐘
★除夜の鐘闇はむかしにかへりたる/五十嵐播水


梵鐘は、江戸幕府初代と二代将軍である徳川家康・秀忠父子により寄進されたものである。大晦日の夜、12時近くなると百八の鐘が鳴り響く。

詳細はここをクリックしてご覧ください。

◇生活する花たち「侘助・水仙・万両」(横浜日吉本町・金蔵寺)

12月30日(金)

★枯れ道の白くかがやく固さ踏む  正子
作者身辺のささやかな行為ではあるが、そこに日常生活の力強さがある。作者内面の強さを評価したい。(高橋信之)

○今日の俳句
大雪の朝の光と鳥の声と/矢野文彦
生き生きとして、かがやきのある句。目に大雪の朝のまぶしい光、耳に鳥のはずんだ声。こういった世界が目の前にあるよろこび。

○年逝く/年の瀬
ゆく年の硯を洗ふ厨(くりや)かな/三好達治
年賀状など書くのに使った硯であろうか。日常的にも筆がまだ使われていた時代である。私も、硯をどこで洗おうかと思うと、厨となるのだが、硯を洗ってさっぱりとして年をゆかし、新年を迎える。そういう心持が読み取れる。

年の瀬の遮断機上り街動く/藤田洋子
遮断機が上ると一斉に車が忙しく動き出す。年の瀬の街の風景をよい視点でとらえた。(高橋正子)

年逝かす蘭の華やぐ丈見上げ/高橋正子
一日一日と慌しくなる年の瀬ですが、花茎を高く上げて咲く見事な蘭の花々に、心和み明るくなります。その華やかな存在感に、過ぎ行く年の感慨と、来る年を迎える新たな喜びも感じられます。(藤田洋子)

○29日に、ブログを読んでくださる皆様へ、年末のご挨拶を済ませたので、正月が来るまでの30日、31日は、まるでこの世を辞して、千里を走る靴をはいて、あの世へいったような気持ちとなっている。また、正月には帰ってきますが、なかなか快適な年の瀬です。
昨日信之先生が、白万両、南天の実ばかりの小束、満開のヒアシンス、それに水仙、千両、ひめ南天の花束を買ってきて、狭い部屋を満たしている。シクラメンの鉢も取り込んで咲くのを待つばかりとなっている。

○千両
花束の中より散らばる実千両/平田弘

千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両を一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。

◇生活する花たち「南天・ヒアシンス・白万両」(横浜日吉本町)

12月29日(木)

★オーバーの肩の落ちしが身に安し  正子
ゆったりとしたオーバーが暖かく身体を包んでくれます。寒い冬も心はほかほかしてきて安らぎます。(井上治代)

○今日の俳句
花束の中より散らばる実千両/平田弘
正月用の花束であろう。実千両も束のなかに。その花束より千両の実がこぼれて散った。その驚きと、その可憐な実の鮮やかさが印象的で、心が軽い。

○2011年回顧
▼高橋信之先生(花冠創刊者)喜寿お祝/5月28日
http://blog.goo.ne.jp/kakan115/
▼インターネット俳句センターアクセス百万回達成/8月24日
http://kakan.info/km/2011/11/10.doc
▼イギリス俳句の旅/9月19日~26日
http://kakan.info/01/c/eng2011/
▼花冠俳句フェスティバル2011in大阪/11月26日~27日
http://blog.goo.ne.jp/haiku_festival

○高橋正子の俳句日記をお読みいただき、ありがとうございます。このブログが連続ランク入りを果たすほど多くの皆さまお訪ねいただき、感謝しています。「生活する花たち」にも、「花に表情があって、きれいだ」とおほめいただきました。花の表情をとらえることが、花を撮るたのしみとなっています。来年もいろいろと歩いて花を見つけたいと思います。

今年は、花冠では、ツイッターとフェイスブック句会を開始し、5月には信之先生の傘寿のお祝いがあり、8月24日には、インターネット俳句センターアクセス百万回を達成した。

私的には、震災の翌日長男の結婚式があった。9月には句美子とイギリスへ出かけ、11月には琵琶湖、大阪へと出掛けた。12月には、東海道53次の戸塚藤沢間10キロを歩いた。ブログに載せる「生活する花たち」もカメラを新しくして、少し写すコツがわかってきた。クリスマスには、iPad2をプレゼントされたが、これが前進の一歩かもしれないと楽しみにしている。

皆さま、よいお年をお迎えください。

○百両
冬になると、赤い実をつけた植物が多くなる。庭にあるものでは、万両、千両、百両、十両、と揃って見られることもある。こういう我が家の庭(四国に住んでいたころのことだが)にこれらが全部そろっていた。十両はやぶこうじのことで、木の下の苔が生えているところに植えていた。もとは、山に出かけてとってきたものを植えたが、丈が低くて、地面に近くに実を付ける。普段着感覚の実物で冬の庭が楽しくなる。
横浜当たりの山には、万両がよく生えている。千両は山で見かけたことはない。百両もない。万両、千両、十両があれば、あとは、百両があればそろえたいという人情に駆られて、植木屋さんにもってきてもらった。

◇生活する花たち「百両・石蕗の花・白万両」(横浜日吉本町)

謹賀新年2012年元旦

俳誌花冠 高橋正子

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★初明りしたまいて慈母観音像/川本臥風
「初明り」という美しい言葉で新年の清らかさを教えてくれています。また「寒清し床に白磁の観世音」という句もあって臥風先生の心の向かう先が念仏の世界で、これは先生の身ほとりにある世界のことでした。(高橋正子)

★年頭躍筆墨条のみの白馬の図/中村草田男
正月の床を飾るに相応しく、健康で、力強い句である。俳句の短い詩形、それに白と黒の単純さを生かした。俳句のよさである。(高橋信之)

★せせらぎの砂に日差してお元日/高橋正子
浅瀬の水際に佇み、迎える新年。流れゆく水はもちろん、その岸の砂、一粒一粒に日が差していることに、慶びを感じます。見るもの全てがあらたまり、清らかに想われるお元日です。(川名ますみ)

12月28日(水)

★年逝かす蘭の華やぐ丈見上げ  正子
一日一日と慌しくなる年の瀬ですが、花茎を高く上げて咲く見事な蘭の花々に、心和み明るくなります。その華やかな存在感に、過ぎ行く年の感慨と、来る年を迎える新たな喜びも感じられます。(藤田洋子)

○今日の俳句
一しきり霰の音を硝子戸に/藤田洋子
急な冷え込みに、霰が一しきり降り、硝子戸を叩く。家居の静かさを驚かす天気の荒れに、冬の緊張がある。「一しきり」が詩情を生んだ。

○花冠ネット句会の15年(1997年~2011年)
俳句雑誌「花冠」の前身である「水煙」がホームページを立ち上げたのは、平成8年(1996年)11月27日で、花冠ブログ句会の前身の俳句掲示板を開設したのは、その1年後の平成9年(1997年)11月7日である。花冠ブログ句会は、前身の俳句掲示板開設以来、足掛け15年、満14年を超える歳月の殆ど毎日を俳句勉強の場とし、日々の精進を重ねてきた。これらの業績は、俳誌「花冠」の仲間が誇りとするところである。花冠の歴史は、ネット時代の15年とそれ以前の歳月を加えると30年近くのなる。花冠創刊以来の発行所の仕事、花冠の編集、会計などを一貫して引き受けてきたが、花冠が今あることを私の誇りに思っている。
http://suien.ne.jp/0003/dk/

俳句がNHKをはじめ、マスコミに大いに取り扱われている現状で、よくもここまで来れた、そして、おそらく、まだ続けていけるだろうと思って今年の年の瀬を迎えている。

○はなかんざし
先日友人に花冠をあげたら、お返しに「はなかんざし」の鉢植えをくれた。「これ何の花かわかる?」というので、「はなかんざしでしょ。」というと、「よく知ってるね。」と驚かれた。もらったときは、蕾だったが、ようやく開き始めた。寒いせいか、なかなか開かない。手でさわっておどろいたのだが、花びらは、麦わら草のようにカラカラなのだ。見ているかぎり柔らそうな花びらなのに。プラスティックの鉢をアルミホイルでくるみ、さらに包装紙でくるんでリボン結んで、テーブルに置いている。

花鉢を抱えて出れば冬の星 正子

◇生活する花たち「野菊・落椿・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月27日(火)

★水仙の香を吸いながら活けており  正子
水仙はややうつむき加減の清楚なたたずまいとともに、あの香りが素晴らしいですね。それをいっぱいに浴びながら活けておられる、水仙のような心持を思います。(多田有花)

○今日の俳句
雲がゆく冬田に大き影落とし/多田有花
秋に刈り取られた田は、ひつじなどもすっかり枯れて、寒風が吹き過ぎる冬田となった。大きな雲が影を落として行くこともある。冬田に見た大きな雲の影が心象ふかく刻まれる。

○数え日 
数へ日の白雲とゐて山仕事/友岡子郷

俳句の季語に「数え日」がある。冬の季語で、年の暮れに残る日数が少なくなることをいう。年末のあわただしさがあるが、一年を振り返って、人それぞれの感慨を抱く。

いよいよ年末となった。昨日は、田作りを作り、黒豆を煮はじめた。田作りは、醤油、砂糖、清酒のこれだけで味を付ける。みりんも水あめも入れない。黒豆は、砂糖、醤油、重層で煮る。醤油を少々入れることで、ほかの料理から甘さが浮き離れない。塩かずのこの塩抜きは、明日の予定。今年は長男夫婦もトルコに旅行して来ないので、この三肴と、なにか好きなもので済ませる。こういう正月は、はじめてである。

友岡子郷の句にある数え日の山仕事で、思い出すことがある。年末になると、正月に使う裏白を山へ採りに行く。松と梅の枝を切ってくる。神仏に立てる榊を切ってくる。これらは父が主にしていた。付いていくこともあったが、どっさりと切って来られたこれらを見て、正月が来るんだと子ども心にも思った。年末の山は、特別の大風が吹かない限り暖かいのだ。木に風が遮られて、松葉や落葉があって、寒いことは寒いがほっこりとしている。年末のこういう山が好きであった。

◇生活する花たち「椿・水仙・野ぶどう」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月26日(月)

★南天の実も水音もかがやかに  正子
今、どの道を行ってもたわわに実南天が輝いています。この頃の池や川の水は澄んで厳しい冷たさを想像致しますが、それを「水音もかがやかに」と詠まれたことで、南天の実の輝きが更に強調されると同時に愈々お正月が来るんだなと高揚感を覚えます。(佃 康水)

○万両
万両はヤブコウジ科の常緑小低木。林内に生育し、冬に熟す果実が美しいので栽培され、特に名前がめでたいので千両などとともに正月の縁起物とされる。東アジア~インドの温暖な場所に広く分布する。日本では、関東地方以西~四国・九州・沖縄に自生するほか、庭木などとしても植えられている。高さは1mほど。根元から新しい幹を出して株立ちとなる。葉は縁が波打ち互生する。果実は10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで枝に見られる。古典園芸植物のひとつで、江戸時代には多様な品種が栽培された。

横浜日吉本町に住んでいるが、百両を見かけたのは、ご近所では一軒だけで、万両は千両と並んで町内の庭先でよく見かける。数年前、町田市の里山に出かけたが、その山に自生の万両を見た。そして、東海道53次の戸塚を過ぎて、藤沢の遊行寺の近くの遊行坂の山にやはり、自生と思われる万両を見た。生家にもあったが、これを父は実のついた万年青とともに大事にしていた。あまり育たず、増えずの感じだったが、横浜では、いたるところで見かける。四国の砥部の家にも万両があったが、いつの間にか、塀沿いに万両が増えて育っていた。実がこぼれたのであろう。

○今日の俳句
初雪や下校の子等の髪光る/佃 康水
寒いながらも初雪に、はなやぎがある。下校の子どもたちの髪に初雪がちらちらと降りかかって、髪が光って見える。「髪光る」は、観察のよさ。

○クリスマスにiPad2を句美子からプレゼントされた。まずは、カテゴリーからブックを選んで「世界の美術100」をタッチすると、「キリスト教とは」と題して、絵があらわれて絵解きのようになってキリスト教の説明があった。色がきれいで、パステル調か。パソコンとは、少し違う感覚だ。

明け白む窓よ今日はクリスマス 正子

◇生活する花たち「椿・水仙・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

12月25日(日)

★柚子の香に頬のほのかに温まる  正子
料理用に絞った柚子の香りから、作者は二,三日前の冬至湯の湯気と香りを想い出された、と解釈しました。温かいのびやかな情趣を感じる御句です。(河野啓一)

○今日の俳句
★ポインセチア赤し街にも我が家にも/河野啓一
ポインセチアは、クリスマスの花として街を飾り、家にも鉢植えなどで飾られて、楽しく明るい雰囲気を醸している。「街にも我が家にも」は、市民的で家庭的であるが、足りている世界。それが読み手に快く伝わる。

○千両
千両はセンリョウ科の常緑小低木。東アジア~インドに分布し、日本では南関東・東海地方~九州・沖縄までの比較的暖かい常緑樹林下に自生している。また冬に赤い果実をつけ美しいので栽培される。高さは50~100cm。葉は対生。花は黄緑色で7~8月頃に咲き、果実は10月頃から赤く熟し、翌年2月頃まで見られる。名前がめでたいので万両などとともに正月の縁起物とされる。

千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。

◇生活する花たち「木瓜・花八つ手・南天の実」(横浜日吉本町)

12月24日(土)

★山中に鵯鳴きわが身まっ二つ  正子
「まっ二つ」との言葉は鵯のあの鳴声ならではと感じます。甲高く決して聞き惚れるような声ではありませんが、何か魂をゆさぶるようなところがあります。 (多田有花)

○今日の俳句
猪狩を外れし犬と出会いけり/多田有花
猪狩をしてきた犬と山道で出会った。「外れし」が犬をうまく言いえている。猪を追い、山中を駆け回った犬と、今は静かに山を下る犬との対比が読み取れるのである。

○長男夫婦の元、奈津子が来る。葛飾区のNTT社宅に住んでいて、元は、コンピュータが専門職。句美子がブッシュド・ノエルを作ってくれる。句美子は、今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っていて、教室で作ったお菓子を持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。

○水仙
町内のあちこちで水仙が咲き始めた。正月が近い。
水仙について脳裏にある光景がある。昭和30年代前後、家庭では、着物や布団などを洗って仕立て直していた。洗った布は、糊づけして皺を伸ばすために、板張りや針子張り(しんしばり)にしていた。木綿は小麦粉で作った糊を使うが、銘仙など絹ものは、水仙の糊を使っていた。水仙の葉を切ると、滴る水のような透明な液で良い香りがする。この液にひたして、針子張りにした布が、庭いっぱいにゆれていた。それもなぜか、水仙の花が咲いている時期に限られていたように思う。糊に使うだけの水仙が庭に咲いていたとも言えるが。冬ばれのうららかな日と共に思い出す。

◇生活する花たち「水仙」(横浜日吉本町)

12月23日(金)/天皇誕生日

 鎌倉・報国寺
★竹林の千幹二千幹が冬  正子
お寺の境内の竹林。一本、一本の竹のすっきりした姿と数多くの竹が戦ぐ様子がうかがえます。きっぱりとした冬らしい句だと思いました。(井上治代)

○今日の俳句
冬鵙に雲一片もなかりけり/井上治代
一片の雲もなく晴れ渡った空に、けたたましいはずの冬鵙の声が、のびやかに聞こえる。

○今日は、天皇誕生日の祝日なので、句美子はお休み。明日は、長男夫婦の元、奈津子が訪ねてくるので、句美子はブッシュド・ノエルを作ってくれる。今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っている。そして作ったお菓子は持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。一番喜んでこのお菓子を食べるのは、お酒好きの信之先生である。

○侘助
侘助は原種ではない。ピタールツバキとツバキとの交雑によってウラクツバキが生まれ、そのウラクツバキの子や子孫としてワビスケが誕生したのであろう、といわれている。ウラクツバキやワビスケは、子房に毛があることが多い。

侘助は椿と違って、花が開ききらない咲き方をし、花も小さい。お茶花として人気が高いのは、花の姿に品格があるからであろうと思う。松山の郊外の砥部の家には、肥後、乙女などさまざまな種類の椿をたくさん植えていた。花が満開となるときは、地に積み重なるほど花が落ちた。初冬、庭に「初あらし」という白い椿が咲いた。そうして、すぐ横にある柊の銀色の花が高い香りを放つころになると、ぼつぼつと侘助が咲いた。わが家にあったのは、赤い侘助。備前焼に入れるとよく映る。「助」というのは、小僧っ子らしい。そういうほうから見ると、品格だけではなく、滑稽さも感じないでもない。侘助は、何年たっても大きくならなかった。わが家では、椿もあまり大きくならなかったが、唯一2メートルくらいのは、玄関の戸を開けると見える白い椿。この椿は葉が幾分よじれる癖があった。わが家の裏は遊歩道があって、フェンスの向こうは谷になって、谷底を砥部川が流れていた。その川崖の上のほうに藪椿がよく咲いたので、ちょうど手を伸ばせば花に届いたので、時どき、一枝折って籠に活けたりした。普段、侘助を椿と区別して眺めることはない。

◇生活する花たち「侘助①・侘助②・フランス柊」(横浜日吉本町)