★海に向き伊豆の椿の紅きなり 正子
早春の伊豆、今は穏やかな海面も、一年、いえ一日の間でさえ、様々な姿を見せることでしょう。動くことなく「海に向き」、煌めく青岬も暗い冬波も間近に望み、そして鮮やかに咲いた椿。その一点に伊豆の海辺が凝縮されたように、紅き色が胸に染みます。(川名ますみ)
○今日の俳句
水温む男の汲みしバケツあり/川名ますみ
男が汲んだバケツは、頼もしい男の腕でなみなみと汲んだ水がはいっているバケツ。この水を見ていると、やわらかで、光がまじり、「水温む」を実感させてくれる。あかるい心境が詠まれて、読み手にも明るさが与えられる。(高橋正子)
○シクラメン
★シクラメン花のうれひを葉にわかち/久保田万太郎
★恋文は短きがよしシクラメン/成瀬桜桃子
シクラメンはサクラソウ科シクラメン属に属する多年草。学名 Cyclamen persicum Mill. 地中海地方原産で、花期は秋から春。冬の花として有名だが、俳句歳時記では春の季語。和名は「豚の饅頭(ブタノマンジュウ)」と「篝火草(カガリビバナ)」の二種類がある。前者の『豚の饅頭』は、植物学者大久保三郎[1]がシクラメンの英名:sow bread(雌豚のパン=シクラメンの球根が豚の餌になることから命名)を日本語に翻訳した名である。後者の『篝火花』のはシクラメンを見たある日本の貴婦人(九条武子だといわれている)が「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた牧野富太郎が名づけた。前者は球根を、後者は花を見て名づけている。今ではシクラメンに対しては滅多に和名を用いる事が無い。
売られているシクラメンは温室育ちがほとんどだろう。クリスマスシーズンになるとポインセチアと並んでシクラメンの花が店頭を占める。クリスマスごろよく歌われた歌謡曲にもあったので、シクラメンは冬の花と思いがちだが、俳句の季語では春となっている。クリスマスプレゼントにシクラメンの花鉢をもらったこもあるし、母や妹たちにお歳暮に贈ったこともある。花屋からというより、栽培者から直接だった。一鉢もらうと部屋が華やぐ。最近はガーデンシクラメンという小型の花が花壇やプランターに植えられてかわいらしく、目を楽しませてくれる。これなどは、春の花という感じがする。
★花丈のそろい真白なシクラメン/高橋正子
★跳躍の真紅の花のシクラメン/高橋正子
◇生活する花たち「梅①・梅②・蝋梅」(横浜日吉本町)

★春の雪解けし水田に水光る 正子
雪に覆われていた水田は広がる雪原の一部でありました。漸く春となり雪解けが始まると、水田が現れて陽光が水を光らせます。土が見え水が流れる風景は、北国に住む方々には春からの活動の始まり、気持ちも体も力と喜びが満ちる時でもあると感じました。(津本けい)
○今日の俳句
たんぽぽの野に散らばれる低さかな/津本けい
「低さかな」は、言えそうでなかなか言えない。野に咲くたんぽぽは、まだ風も冷たいせいか、丈が低く野にへばりつくように咲いている。野に咲くたんぽぽの景色を平易な言葉でうまく表現した。(高橋正子)
○ネットテレビのインタビユーとビデオ撮影
午前、俳句総合誌「月刊俳句界」編集顧問の大井恒行さんとネットテレビ事業部の石橋尚彦さん来宅。「俳句におけるインターネット活用術(仮タイトル)」の取材と撮影である。軽い昼食を済ませ、お帰りになった。
取材の大筋は、以下のアドレスに書かれたもので、「花冠」次号(5月号)の原稿でもある。
http://kakan.info/km/2012/05/10.doc
ビデオ撮影は予定通り1時間で終了。大井さんは終始にこやかで、ときどきご自分のカメラで写真を撮られる。石橋さんは手際よくカメラとインタビューの両方をこなされた。今日の予定が終わったので、玄関に飾ってあった篠原梵の「早春の椿の葉がみな銀になる」をお見せしたら、これは句集に入ってない句かもしれないなどおっしゃって、カメラに収められた。「みな銀になる」が梵らしいと言われた。私もそうだと思う。これは、失敗か成功かわからないけれど、インタビューも撮影も終わったと思って、予定になかったユネスコのウェブサイトの詩のディレクトリーに日本で唯一採り上げられたこと、富士山頂で俳句リーディングをしたこと、NATOのクロアチア空爆のときは、新聞報道される前に現地から英語で空爆の俳句が届いたこと、それにネットで使う言葉はどうするか熱心に研究したことなどを余談で話した。ところが、カメラが回っていたのです。どうしましょうです。石橋さんよろしく!
わが家にはどきときテレビカメラが入る。NHK、民放とも。時流にのって今日のネットテレビ。我が家ではないが、お寺で花祭り子ども句会をしたときは、NHKの全国放送にもなった。照明の熱で火災報知機が鳴って、管理人さんに事情をいってとめてもらったこともあった。国連主導で「世界詩の日」の3月21日に全世界300箇所近く(日本では松山と東京2箇所)で朗読会をしたときは、愛媛大学の工学部の学生がネットでストリーミング(動画)を流してくれたが、まさか、今日ネットテレビに出演するとは思わなかった。
▼マスメディアに紹介された、俳句雑誌「花冠」の29年の歩み:
http://kakan.info/index2.htm
◇生活する花たち「椿・梅の落花・モモザ」(横浜日吉本町)

★枯れしもの沈め春水透き通る 正子
池などを覗き込むと昨年の落葉や倒れた草、古い小枝などが底に透けて見えます。よく見ると、その中になにやら小さな虫のようなものが蠢いていることもあります。「春水透き通る」が「枯れしもの」を浄化しています。(小西 宏)
○今日の俳句
雨止んで白木蓮の芽のあまた/小西 宏
句意のよく通る句。雨が止んだばかりの空にぞくぞくと白木蓮の芽が見える。尖った花芽からはやがて鮮やかな白木蓮が咲くだろうと、楽しみにする気持ちが読める。(高橋正子)
○新聞を読む「豊かな日本語に感銘」(日経3/6付朝刊)
千葉市の印章店モリシタ主人の森下恒博(もりした・つねひろ)氏の「豊かな日本語に感銘」を読む。日本語は、漢字とひらかな(およびカタカナ)があって表記の上でも豊かといえるが、その豊かさをうまく利用して豊かで高度な言葉遊びのセンスが養われているのではと思った。以下に引用している文にある「小鳥遊」を「たかなし」と読ませる例など、「鷹がいないので小鳥が空を自由に遊ぶ」ということだろうが、ユーモアのセンスに拍手を送る。「大海原」を「わたのはら」と読ませるのは、海をわたという古語から来ていることも、古典の教養が見えてなかなかである。改めて豊かな日本語を大切に使わなければと思った。
以下は新聞からの引用。
四月朔日、父母、蘭……。これらは人の名字(姓)だが、どう読むかおわかりになるだろうか。答えは「わたぬき」「ふも・ふぼ・たらち(ね)」「あららぎ」さん。
印鑑の販売を手掛けて約60年。珍しい名字のハンコをそろえ続け、気がつけば在庫数は10万種類を超えた。冒頭に挙げた名字は、実際にハンコが売れた珍名さんだ。ほかに狼(おおかみ)さん、煙草(たばこ)さんといったハンコも売れた。
その中には当然、読めない名字が多数あった。たとえば漢字1文字で「一」「九」「十」さん。一は二の前にあるから「にのまえ」さん、あるいは「よこいち」さん。姓も名も「一」の「にのまえはじめ」さんという方が実際におられる。
九は「1文字のく」だから「いちじく」さん。十はひとつ、ふたつ、みっつ……ここのつ、と数えていくと、「つ」がつかなくなるから「つなし」さんという具合。
「日本苗字(みょうじ)大辞典」には約29万の名字が収録されているが、私は同大辞典に記載のない名字を70ほど見つけて報告してきた。さらに外国人の帰化や改名により、平均すると毎年100個くらいの新しい名字が増えているという。
これまでに10万種をそろえたが、そのほとんどは売れない“不良在庫”だ。家人には「もう置き場所がないから増やすな」とあきれられる。それでも、小鳥遊(たかなし)さん、大海原(わたのはら)さんといった珍しい名字を見ると、日本語の豊かさやユーモアのセンスの高さにほれぼれとする。珍名さんを求める旅に終わりはない。
○山桜
★鳥影の空はつめたし山桜/原田種茅
★村ほろびいきいきと瀬や山ざくら/宮津昭彦
関東より西部の山地に自生し、また広く栽培されている落葉喬木。東京町田の吟行の時の作を思い出した。
★山桜根方に小さき泉湧き/高橋正子
◇生活する花たち「山茱萸(さんしゅゆ)①・山茱萸②・満作」(横浜四季の森公園)

★花菜の束一つが開き売られたり 正子
売られる花菜の、束の一つの明るい春色が一際目を引くあたたかさです。これから開く花菜の束の鮮やかさに、心ふくらむ思いがします。(藤田洋子)
○今日の俳句
★桃の花馴染みの声の店先に/藤田洋子
桃の花が店に活けてある。店先に馴染みの声が聞こえて、「あら」と思う。桃の花には、気取らない、明るい雰囲気があるので、「馴染みの声の店先に」言ってみるのだ。日常の一こま。(高橋正子)
○猫柳
★猫柳明るき空の下りて来し/稲畑汀子
★城山が見えている風の猫柳/川本臥風
臥風先生の猫柳の句は、旧制松山高校(現愛媛大学付属中学校)の校庭に句碑がある。旧制高校からは、松山市内のほぼ中央にあるこんもりとした城山がよく見える。
山間の渓流のへり、平野河川のほとりに叢生する落葉灌木で、人家等にも植えられる。早春葉の出る前に雌雄異株に花を開き、雄花穂は、その蕾に柔滑絹状の白毛を密生する。これが銀色にかがやいて、雨などに濡れると一層美しく見える。生花などに用いるのは蕾である。私が生まれたところは、これといった野川も、河川も、渓流も住んでいる近くにはなかったが、隣にある分家の池のほとりに猫柳があった。子供たちはよその家の庭でも、「こんにちは。」とか、「通らせて。」とか、なにかしら声をかけて、お構いなしに庭に入り込んだり、通り抜けたりした。一度もそれでしかられたことはなかったので、近所の庭のどこに何の木があるかもよく知っていた。通り抜ける途中にたまたま見ることもある。蕾の猫が膨らんで来ておもしろかった。
★岩に滾る水にかがやく猫柳/高橋正子
◇生活する花たち「山茱萸(さんしゅゆ)・木瓜・三椏の花」(横浜四季の森公園)

★身を固く春雪吹くを帰り来る 正子
春の雪は寒さのぶり返した感じで、特に身を固く震わせます。しかし、「身を固く」と「春雪吹く」とが並べられたとき、そこにはっきりと春到来の喜びが表出されていることに気付きます。俳句の不思議な力です。 (小西 宏)
○今日の俳句
春浅き空にミモザの軽き揺れ/小西 宏
「軽き揺れ」がよい。一句が重くないのだ。上五の「春寒き」を添削したが、ミモザの揺れる「空」には「春浅き」が相応しい。(高橋正子)
○第10回(雛祭)フェイスブック句会入賞発表
【最優秀】
★桃の花下照る道に車椅子/矢野文彦
桃の花が咲くその下も桃の花の色で明るい。「下照る」ところは、小さな桃源郷。そこに車椅子を進めれば、心も明るくやわらかに華やぐ。(高橋正子)
★野の池を空へ飛び発ち鳥雲に/河野啓一
野の池にいた鳥が飛び発ち、雲に入る。なんと広々と自由なことか。雲に入る鳥を見届けた心も遠く、自由だ。(高橋正子)
【高橋正子特選/7句】
★桃の花馴染みの声の店先に/藤田洋子
桃の花が店に活けてある。店先に馴染みの声が聞こえて、「あら」と思う。桃の花には、気取らない、明るい雰囲気があるので、「馴染みの声の店先に」言ってみるのだ。日常の一こま。(高橋正子)
★雨降るよ軒下で抱く桃の花/祝恵子
桃の花を買って帰る途中か。雨が降りだした。止むのを待って軒下で雨宿り。桃の花と春先の雨の湿った空気は馴染みがよい。桃の花の咲くころは降ったかと思うと上がり、また降るという雨の降り方が多い。(高橋正子)
★雛飾りなくてわが家のちらし寿司/高橋秀之
男のお子様ばかりのご家庭では確かに雛飾りは無いかも知れませんね。しかし、家族揃ってちらし寿司で雛の日を共にお祝いされている、雛飾りに勝る温かいご家族のお気持ちが伝わって参ります。(佃 康水)
★踏み歩く雪に雪降り解けゆくに/高橋信之
★手にのせて眉目合わせて雛飾る/藤田洋子
★ため池はみどりに春の播磨の野/多田有花
★屋根からの雪解のしずく日に弾む/安藤智久
▼その他の入賞作品
http://blog.goo.ne.jp/kakan106
○土佐みづき
★土佐みづき山茱萸も咲きて黄をきそふ/水原秋桜子
自生は土佐(高知県)だけなのでこの名があり、まんさく科の落葉灌木で庭木として栽培される。
花屋を覗いら、花バケツに桃の花と土佐みづきが入れてあった。桃の花を買う間に、「これは土佐みづきですか。」と話すとうれしそうに「そうですよ。」という返事をもらった。レモンイエローの小さな房様の花が7、8個連なって垂れ下がって咲く。花のときは、葉がない。まだ風の冷たい春先、この黄色はうれしいものだ。
★植木市巡ればすぐに土佐みづき/高橋正子
◇生活する花たち「梅・三椏の花・菜の花」(伊豆修善寺2011)
★雛飾り今宵雛と灯を分かつ 正子
鄙人形を飾って、ぼんぼりを灯し、温かく華やいだ気分の中で桃の節供を祝う。雛人形と一つの明かりを分け合って白酒を舐めるのもいい気分です。何とも言えず風情があります。「鄙と灯を分かつ]という単純素朴な措辞で雛祭りの詩情を描かれた味わい深い御句と思います。 (河野啓一)
○今日の俳句
一枝の桃を活けたりひな祭り/河野啓一
一枝の桃の花で、ひな祭りがずいぶん円かになる。あかるく、あたたかく、かわいらしい桃の花は、やはり、雛の節句に相応しい。(高橋正子)
○花冠4月号発送
今日の正午、花冠4月号の発送をメール便で済ました。
▼ブログ版俳句雑誌「花冠」
http://blog.goo.ne.jp/kakan12/
◇生活する花たち「梅①・梅②・桃の花」(横浜日吉本町)

★手渡されながら花桃散りいたり 正子
手に受け取るそばから散る、柔らかな花桃がありありと目に見えます。こぼれる花桃の実に美しい臨場感に、うららかな春の明るさを感じ取れます。(藤田洋子)
○今日の俳句
桃の花どっと荷降ろし花舗の前/藤田洋子
雛の節句は、桃の節句。花屋には、桃の花が荷となってどっさり運ばれてくる。どっさりと、生き生きした桃の花に目を見張るばかりだ。雛祭りはこうして祝われる。(高橋正子)
○第10回(雛祭)フェイスブック句会投句開始
①花冠会員・同人であれば、どなたでも投句が許されます。花冠会員・同人以外の方は花冠IDをお申し込みの上、取得してください。
②当季雑詠(春)計3句、雛、雛祭、雛あられ、桃の花の句など
③投句期間:2012年3月2日(金)午前0時~3日(土)午後9時
④選句期間:3月3日(土)午後9時~4日(日)午前9時
⑤入賞発表:3月4日(日)午前10時、ブログに発表。
※投句・選句は、フェイスブックですが、投句は、ブログでも可能です。
http://blog.goo.ne.jp/kakan106/
○沈丁花
★沈丁や気おくれしつつ案内乞ふ/星野立子
日本に栽培されているものは中国原産の常緑灌木で、高さい・5メートルに達し、生垣や庭先に植えられたものが多い。花は内面部が白く、外面が紫がかった桃色で、香気が強い。早春まだうそ寒い頃、または淡雪の下、夜気にこの花が匂うのは印象深い。
赤紫色の蕾が弾けると、内側の白い部分が表れて好対照をなす。うそ寒いころの、その香気が好きなために植えられる花であるかもしれない。砥部の庭にも門脇に一本あった。冷たい空気とともに吸うその香りは、肺深く入りこんで、今年も卒業や旅立ちの季節が来たなと思う。田舎の家の庭先にもよく植えられて、子供の間でも沈丁花が咲いたと話題になった。「じんちょうげ」というあの花の位の重さの音が今も耳に残っている。
★沈丁の香の澄む中に新聞取る/高橋正子
★雪解けの雪が氷れる沈丁花/高橋正子
◇生活する花たち「梅・紅椿・白椿」(横浜日吉本町)

★雛菓子の届きてからのうららかさ 正子
雛菓子が届けられ、可愛らしい雛菓子を見るとお雛様の季節を実感出来る幸せな一時です。雛菓子を前にしてあれこれと雛の日を迎える用意もこころ弾む事でしょう。春到来の喜びと共にお雛様の日を大事にされて居るご様子を垣間見る思いが致します。 (佃 康水)
○今日の俳句
和紙皿に軽き音する雛あられ/佃 康水
雛あられを和紙で作られた皿に盛る。あられが和紙の皿と触れあうと、軽い音がする。五色の雛あられが、軽く愛らしい音を立てるのも、雛の節句にふさわしい。(高橋正子)
○桃の花
★伊豆の海紺さすときに桃の花/沢木欣一
★対峙して段丘桃の花の昼/宮津昭彦
中国原産の鑑賞用、および果実湯に広く栽培される落葉喬木。梅の花が終わってまだ桜には早いころの花で、色は淡紅色だが、白、濃紅色、咲分け、重弁、菊咲などの異品がある。
中国原産と言われて、ジュディオングのような愛くるしい「ピーチ・アイ」を連想する。雛の節句には桃の花を飾るが、旧暦ならばちょうど桃の花が咲く。ふくらとした桃色の花は女の子の祭にふさわしい。こちら(東京や横浜あたり)では、新暦で雛祭をするので、昨日の雪が降る前の日、道行く老婦人が持った花包みから桃の花枝が突き出ているのを見た。丸い蕾がほどけ始めていた。桃の蕾は、猫柳のように少し毛羽立ち鼠色がかっている。この鼠色が子どもの私には不思議に思えた。生家の庭先に水蜜桃だろうと思うがあった。桃の花が咲くのが楽しみだった。庭先が明るく華やぎ、日も暖かくなって、桃の花の根もとには、黄水仙やいぬふぐりが咲いたりする。そんな一切合財が桃の花の記憶となっている。やがて堅い実を結び、袋かけをされて、夏の日に熟れるのを待つのだが。
★桃の花雪の予報がまたありて/高橋正子
◇生活する花たち「梅①・梅②・クロッカス」(横浜日吉本町)

★天城越ゆ春の夕日の杉間より 正子
車で天城越えをされたのでしょうか。春うららかな夕日が走りゆく天城の杉の間より差し込み流れ、旅のうれしいひとときです。 (祝恵子)
○今日の俳句
筆塚や膨らむ梅の初初し/祝恵子
筆塚は、学問の神様の天神様の境内にでもあるのだろう。膨らんできた梅の初々しさ。これからの開花がいっそう楽しみ。(高橋正子)
○ヒヤシンス(風信子)
★一筋の縄ひきてありヒヤシンス/高浜虚子
★敷く雪の中に春置くヒヤシンス/水原秋桜子
ヒアシンスともいう。小アジア原産。草丈20センチほど。色は白・黄・桃色・紫紺・赤など。香りが高い。ヒヤシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。彼は愛する医学の神アポロンと一緒に円盤投げに興じていた。その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロスは、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒヤシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。
ヒヤシンスは花茎がまっすぐで意外と頼もしい。しかし優艶。こんなところからか、特に青い花を見ていると美青年が髣髴される。
ヒヤシンスを植えたところは踏まれないように縄を一筋張って置く。縄を張るなんていかにも昭和らしい。今日2月29日は朝から粉雪が舞い、2センチほど積もっている。春の雪が敷く花壇にヒヤシンスが咲けば、そこだけ「春」が置かれたようになる。虚子、秋桜子と対照的な句だが、ヒヤシンスの姿をよく表わしている。わが家では、年末水栽培のヒヤシンスを買い、早も咲いていたのだが、花の匂いを楽しんだ。水栽培で子どもたちでも楽しめる。
★ヒヤシンスの香り水より立つごとし/高橋正子
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)
神奈川宿
★梅の香を息に吸い込みあるきけり 正子
冬も終わりやっと咲き始めた梅。その梅のふくよかな香りが仄かに漂って来る。自然に息一杯に空気を吸い込みたくなる。梅の咲く辺りの空気とそして身体全体に春到来の喜びをかみしめながら歩いておられる爽やかさが伝わって参ります。 (佃 康水)
○今日の俳句
牛鳴いてサイロの丘に草萌ゆる/佃 康水
サイロのある丘に草が萌え、牛の鳴き声ものどかに聞こえる。あかるい風景がのびやかに詠まれている。(高橋正子)
○浅蜊
★浅蜊に水いっぱい張って熟睡す/菖蒲あや
淡水の多少混じった砂泥の浅海に埋没して棲息する二枚貝。潮干狩の最たる獲物である。川が流れ込む砂浜で、浅蜊はよく取れる。今は春に限らず、養殖の浅蜊が手に入り、砂出しの必要もないものが多くなった。我が家でもよく食べる貝で、一番好きなのは浅蜊のお汁。食べた後の殻はきれいに洗って乾かし、小布でくるんで遊んだことがある。中学生のときに、多摩美大から教生の先生が来られて、貝殻をデザインする授業だったが、熱心に描いた。教頭先生のご子息で、詰襟姿で教壇に立たれたが、本当の美術って、こんなのかなと中学生に思わせてくれた。
小学2,3年の頃だったと思う。近所の人たちが数キロ先に浮かぶ無人島に浅蜊掘りに行くのに誘われた。この島は源平合戦のとき、義経が矢を放って浮き流れているのを射とめてその位置にとどまったという島で「矢の島」と呼ばれて、お椀を伏せたようなごく小さい島である。無人島なので、もちろん桟橋や舟着き場などない。小舟を砂浜に寄せて海水を歩いて島に上がる。子供の私には浅蜊はほとんど採れなかったと思うが、それはまだよい。帰るときその島に独りおいてきぼりにされかかったのだ。誰かが気付いて舟に乗せてくれた。海の水の緑ふかい青さと島の緑が異様に恐ろしく思えた。
松山にいたころは、海辺に出かけて何気なく砂を掘ると小さな浅蜊を見つけることがあった。少し拾って、夜は申し訳程度の浅蜊汁にしたが、けっこう楽しいことである。
★浅蜊貝模様さまざま波に似て/高橋正子
◇生活する花たち「椿・梅の落花・モモザ」(横浜日吉本町)
