6月7日(金)

曇り

●最近句集を送ってくださった方が、「髙橋正子の俳句日記」のブログに行き当たったと丁寧にも葉書を下さった。花冠は主にネットで活動しているので、表紙にアドレスを書いてある最新号「花冠2月号」と合同句集『泉』を今日お送りした。願いは、花冠の俳句を一人でも多くの方に読んでもらいたいため。

●去年2月から今日までのデジカメの写真をパソコンで編集。スマホとデジカメと両方にあるので、写真はなるべくデジカメで撮るようにする。スマホの写真はパソコンに送って編集の予定。写真を写真店で印刷してもらうか、思案中。
これはロマンスの話ではなく、ヘッセが模範的と思っている老人ニーナ。薪で煤がこびりついた薬缶にコーヒーの粉を入れて沸かし、黒いコーヒーを客人に飲ませる。暖炉の火に唾を吐く。猫と暮らし、膝に滑り込む猫を抱く。骨ばった彫りの深い顔に皺がより、手に箱を持てば、手が震える。背の高い立ち姿は幽霊のよう。目は確かに何かを見る。帰ろうとすると1時間はもっといるように言うような人。決して清潔とは言えない老人の暮らしに、人生の意味を見ている。こう読むとデューラーの描いたリアルすぎるほどの晩年の母の画。ゴッホのドローイングの「悲しみ」の女性。その画を見ていると、だんだん画が自分に引き付けられて、美しいと思うようになる。そんな詩とエッセイだった。

6月6日(木)

くもり
蛍火の十ほど飛べり蛍狩     正子
さしのべし手に止まらむと蛍かな 正子
夏蛙川の闇こそ深かりし     正子
●ネット短信No.419の配信。「愛媛若葉」5月号と6月号で紹介いただいた。他結社が合同句集を大々的に紹介するのは前代未聞。大変ありがたく思って、紹介されたみんなの句をWordのファイルにし、添付した。返信に感想をお願いしたので、それが楽しみ。
●家から1キロ半のところにある興禅寺に行った。何日か前公園で会った人から、興禅寺に行くように薦められていた。道を教えてもらったが、「ずっと行って、坂を下って、ずっと行くとありますよ」の案内に従うが、それらしきものはなかった。今朝は興禅寺に散歩に行く老夫婦の後を付いて行った。簡単に言うと高田小学校の隣。天台宗の古刹で境内は大木が茂り、横浜市指定の名木が幾本かある。菩提樹の花が咲いていた。これは西洋菩提樹。例のシューベルトの歌曲の菩提樹。木ささげと言う名木にも花が咲いていた。ささげ豆に似た細長い実がついている。門前に芭蕉の句碑「清瀧の波に塵なき夏の月」がある。
●だんだん忙しくなってきた。新しい電子レンジのアースを繋ぎ、説明書を読みながらコーヒーを適温に温める。お盆法会の申し込み、なんだかんだの更新、2通手紙を書くこと、梅仕事に裾直しの裁縫がある、レースは編みかけ、本は読みかけ。

6月5日(水)

晴れ
菖蒲田は花の色より暮れなずむ   正子
暮れなずむ菖蒲むらさき・うす紫  正子
白菖蒲まばらに咲けば水光る    正子

●梅雨入り前の晴れが今週は続くらしい。布団を干し、布団カバーなどの洗濯。梅ジュース用の梅の見定めにコープ、スーパー2件を見て、コープに注文。来週届く。梅の季節をのがしたら、来年まで待たないといけない。油断ならない。

●「愛媛若葉」の6月号が届く。毎月贈呈いただいている結社誌だが、5月号、6月号と2回に亘って花冠の合同句集『泉』を紹介いただいた。全員の句を5句から6句ずつ、信之先生の句は18句、正子の句は12句紹介されている。このように結社が他結社の合同句集を誌面を割いて紹介するのはこれまでなかったことで、大変驚き、感謝している。会員の句が評価されたのだと花冠の俳句を誇りに思った。全国的に評価されたわけではないが、わかる人には理解いただけたということなので、何よりも真実に近くうれしい事なのだ。
蛍狩や菖蒲見物に行ったりしたものの、気持ちの底では、気分が落ち込んでいた。今日は、頑張ってきたことが報われたという思いになった。夜になったが、お礼の手紙を書く。

●句美子が電子レンジを宅急便で送ってくれた。配達の人がずいぶん重そうに運んでくれたので、まさかと思いながら、実際運んでみてびっくりした。何キロあるんだろう。重いので、ダンボール箱の四隅を切って取り出した。これまでのより奥行が2センチ長い。元の場所にほぼほぼの状態で収まった。今日はアルコールで拭いて、取り扱い説明書を読んだだけ。

●パソコンの電源コートが知らぬうちに外れていた。新しく買ってちょうど1年になる。電源を入れてもつかないので、故障したと思って気がふさいでいた。外れるはずはないのに。思い当たるのはお掃除ロボのルンバがコードを引きずったかも。

6月4日(火)

晴れ、夜雷

●納骨後はじめて墓参。納骨の時立てた花は枯れて取り除かれていた。すぐ近くに水道があるので、花立をきれいに洗って菊の花を立てた。24日の月命日にはまたお参りするから、今日は菊ばかり。月命日のお花は、樒があればいいけど、なかなか花屋にはない。いつも水が流れている御影石の花立てには、墓地の紫陽花が活けてあった。墓地には何度も行っているが、バスの乗継がなかなかスムーズにいかないので、ずいぶん時間がかかった。墓参というのはそういうものだろう。

●夕方晴美さんと四季の森公園に蛍を見に行く約束をしていた。暮れてから里山である四季の森公園に一人で出かけるにはよほど勇気がいる。それで連れ立っていくことにした。

夕方6時頃の電車で出かけた。四季の森公園に着いた時はまだ明るいので、菖蒲園を散策した。暮れかけた菖蒲の花はめったに見られない風情で佇んでいる。鑑賞用の板橋がカギ形に掛けられていて、10センチほどの段差がついている。段差を上る行きはよかった。帰り、下るときは10センチの段差があぶない。先を行く晴美さんが足を踏み外して菖蒲田にはまってしまった。私が先を行っていたなら、私が足を踏み外すところだった。泥はついたものの、大事にならなかった。やはり、夕方は危ない。菖蒲田を離れ、矢車草の畑の傍のベンチに荷物を置いて腰かけているとそばの川に蛍が灯るようになった。風にふわりと浮いたり、木の間に家の明かりのような感じで見えたり、10匹ばかりが飛び始めた。暮れるにつれて蛍も増えて、蛍を見に来た家族やきっと俳人だろうと言うような人も増えてきた。蛙の声も聞こえて今日の蛍鑑賞会は十分だと二人で言い合った。

すると一瞬稲光がして、軽雷。晴美さんが「昨日のようなひどい雨と雷になってはいけないので帰りましょう」というので、空を走る雷鳴と競うように駅へ向かった。幸い今夜は雷雨とならないで済んだ。日吉本町駅に電車が着いたのは午後8時半。家までは5分かからない。晴美さんも自転車で10分ほど。今度は洗足池と等々力渓谷に一緒に行こうということになった。

6月3日(月)

曇り、夕方、雨と雷
青葦をひたし流るる川みどり    正子
はやばやと寝しに雷雨の真上より  正子
雷の空駆く音の空巡り       正子
●鶴見川へ行く。家からずっと歩いて、河口から7,8キロのこれまで何回か来た土手に着いた。たくさんの椋鳥が葦と葛の生い茂るところを塒にしていた。椋鳥の塒はこんなところにあるのだと驚く。川の水はみどり色で湖水のようで、満々と流れるともなく流れていた。向こう岸の木と葦の作る茂みで鴬が鳴いている。白蝶が葦の繁りをひらひら飛んでいるのが幾箇所もある。矢上川と鶴見川の出合の小さい広場に胡桃の木が一本低く葉を広げて茂っている。もし、自分の家に広い芝生があればこの胡桃の木を植えたいと思うほど形がいい。この冬、この木にそばで私に吟詠をして、「夏に来なさい。胡桃の木が茂って涼しい木陰になるから。」と言った老人のことを思いだした。そのとおりに胡桃の木は茂っていたが、近くまでは行かなかった。曇り空で川を見るにはいい天気だったので、木陰を求める必要はなかったから。魚を釣る人が一人川に立ったままいた。20センチくらいの魚がたびたび川から飛び上がる。5mほどくぐっては、また飛び上がる。それが一匹ではない。かなり、ジャンプするのだ。何をしているのだろう。飛び魚ほど飛び上がる。
鶴見川からの帰りは川から近い「南日吉住宅」バス停から日吉駅東口行に乗った。ここまでで歩数計は11000歩。帰ってすぐ図書館の本の返却日だったことを思い出し、3時ごろ図書館へ返却に。借りたヘッセの本を読んでいると眠くなる。少し読んでは眠っている。つまらないと言うことではないのに、眠くなるので、『わが心の故郷アルプス南麓の村』を読み切れていない。それで再度借りた。花冠の編集があるので、たくさんは借りれないが、新しく『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘッセ著/岡田朝雄訳)を借りた。

●墓地を管理しているお寺からお盆の案内状が届いた。7月14日(日)、午後3時からわが家の宗旨のお盆供養があるということだった。カレンダーに書き込む。

6月2日(日)

青葉雨しとどに降りて雨匂う    正子
ガラス戸を開けて青紫蘇摘み取りぬ 正子
青紫蘇の下葉は暗し暮れてなお   正子
●小雨の中を歩く。次第に雨が強くなったが、知らない急な坂道を下ると国道の綱島街道に出た。。大きな傘をさしていたのでほとんど濡れなかった。鳩と雀が変わらず鳴いている。鳩のくぐもった声はテレビのアンテナから、雀の声はは電線からこぼれていた。
●その日の気分に合わせて音楽を聞くのがほとんどの日である。しばらく、読むほうがよくて、音楽を聞かないでもよかった日が続いた。また聞き始めるとき、何から聞こうかと迷った。バッハ、モーツアルト、ベートーベン、シューベルトに決まっているが、どれかにするか迷う。いま自分はどの気分なのだろうと思ってみたりしたが、もやっとしてどの気分かよくわからない。迷いつつモーツアルトにした。聞くと気分がほぐされる。聞きながらモーツアルトは多様なのだとよくよく実感した。多様性があいまいな気分を救ってくれる。

6月1日(土)

晴れ
●今朝散歩に出て、いつもの崖っぷちの公園から出て知らぬ道路を歩いた。URの団地へ通じる尾根道でバス通りだった。この道のどこからでも下りるとわが家に近い道に出る。ちょうど下りたところに小鳥小屋があり、餌をやるのに小屋の金網を開けてあった。コザクラインコの番、セキセイインコ、カナリア、文鳥がいた。散歩のとき偶然ここを通ることがあるが、小屋の中が暗くて小鳥は見えなかった。小屋の上にはメダカの餌など雑多に置かれて、温度計、湿度計が貼り付けてある。ここに来るのはイレギュラーな道を選んだときだけ。小鳥たちの羽の色合いが、帰りながらも目に残った。
●朝顔の支柱を組む。物干し竿の三分の一ぐらいを支柱をくくるのに充てる。朝顔が咲いている間は、「朝顔に釣瓶とられてもらい水 千代女」ではなく、「朝顔に竿をとられて老ひとり 正子」となった。垣根のように支柱を組んだ。どんな色の花が咲くか楽しみ。
●きのう。夜も更けて、食器棚の整理。食器棚のガラス戸から見えるようにカップと並べて小さいドイツの絵本を長年飾っている。ドイツへの家族旅行のとき、まだ1年生だった句美子が、欲しがって手に握りしめていた10センチ四方ぐらいの絵本。私は読みもしないで、満開の林檎の花の下のピクニックの写真のところを開いて飾っていた。実は今日初めてそれをよく読んだ。老齢の今にいたるまで開いて読む余裕がなかった。『小さい光線』と題されて名言や詩の数行が書かれている。
「不幸に出会うたびに木を植えなさい。それはやがて木陰を作ってくれてあなたを喜ばせるだろう。」と言うアラビアの格言がはじめにあった。ゲーテやシラーの詩、キルケゴール言葉などが続いている。シューマンが曲をつけたリュッケルトの「Die Rose im Tau」(露の薔薇)の短い詩がある。こう見ると、ここにある言葉はドイツ人に親しまれている言葉なのだろう。この小さい本は、シュヴァルツヴァルトの出版社の本ながら、子供の本どころではなかった。また元に戻して飾った。

5月31日(金)

雨、のち曇り

●今朝起きるや、きのう早朝に崖っぷちの公園で会った人をふと思いだした。初めて出会う人だったが、少し遠くから散歩に来たようだった。ご主人が91歳で老衰で入院中とのことで、いつ何があるかわからないから、外出がままならないと話してくれた。

一緒に帰ることになった道で、「ご主人のことを思い出しますか。」と聞かれた。信之先生が91歳で亡くなったのは、1年と1週間前。「思い出す」ほど遠い話ではない。記憶にもまだなっていない気がする。「思い出すってほどのことはないですけど。」と答えると、その人は「今朝は話して、気持ちがすっとした。」「またお会いできるといいですね。」と言って坂道を下って行ったのだった。
●花冠371号の雑詠の選をはじめる。

5月30日(木)

晴れ

●『星辰』(五島高資著/角川書店2024年5月27日刊)から、好きな句20句。〇は著者の自選十二句に重なる。
水を送るのみの橋あり春の雨
 先師・兜太を悼む
片目にて笑む師のなみだ風光る
 ウクライナ戦争
〇人を撃つ人を撃つ人春うつつ
花に寝て天に近づく瀬音かな
〇春星へかよふ寝息となりにけり
まづ星をうつして代田しづまれり
おほよそは海に雨降る鑑真忌
海坂やひとり泳いで泡立てる
益子なる甕に箒と金魚かな
舟虫を散らせてはまた一人なり
十薬の花や電車に間に合へる
手を洗ひ空を瞠るや長崎忌
〇かなかなや魂のずれととのへる
目交に星の走れる室戸かな
銀漢や腕を回して歩みゆく
坂を下り坂に出でたる漱石忌
冬日入れて雑木林のあらかなる
あららぎに時の谷まる深雪かな
狐火や列車は遅れつつ走る
たまゆらに天を支へて霜柱

●夜、お礼の手紙をパソコンで書く。署名は手書き。思ったことを書こうとすると、どうしてもパソコンになる。思考が手に直接伝わる気がするので、そうなる。お礼を書き終えて、なにかしらほっとした。

5月29日(水)

晴れ
●四季の森公園へ行く。おにぎり二つ、卵焼きと少々のお菜を詰めた弁当と冷たいお茶の水筒、それに句集『星辰』を持って12時を回って出かけた。2時ごろにお昼にすればいいかという予定。花を期待したわけではなく、今日は行くべきと思った。日差しは強いが、からっとしていて、並木の日陰があるので助かる。入口の森ではガビチョウが全山を響かせて啼くせいか、烏も恐れをなして、おとなしく木に潜んでいる。
入ってすぐの蓮池は泥色ながら水は澄んで亀があちこちに浮いている。例の翡翠のいるところに今日もカメラマンがいる。棒杭に黒い鳥が止まっているので、翡翠だろうと思うが聞いてみた。翡翠の雛だという。羽が黒いのは雛は大体黒いが、光が強いと羽が黒くなり、いつもきれいな羽ではないという。めずらしく今日は親子で来ているとのこと。それに番が二組いる。親鳥四羽一緒にいるところをこれまで見たことがない。誰もそうらしい。
小さい橋を渡り、林縁の道に沿うと、山百合に支柱が立てられている。奥へ行くと、一目見て明るい世界が目の前に開けた。花菖蒲が咲き始めている。思っても見なかった。今日来るべきと思ったのは正しかった。花菖蒲園の続きの藤棚の下でお昼にした。おにぎりは一個でよかった。それで十分だったのだ。まだ歩くから身は軽い方がいい。
お昼のあと持ってきた句集『星辰』を読み、今日はこれが仕事なので、好きな句に付箋を貼った。句が内省的になればなるほど、著者は孤独になっている。この十年間は厳しかったのだろうと思った。藤棚の下に座って読んでいるとこの天気なのに山の冷気のせいか体が冷えきた。それでも最後の新年まで付箋をつけた。この中からさらに選ばないといけない。
句集を読んだあと公園をぶらぶら回った。睡蓮が野生化したように、葉がびっしり育ち、その隙間にピンクの花が開き始めているのがなんとかわかる。沼は青葦が風に鳴っているが、まだ丈が伸びそう。そう、入口のところの草苺も熟れていた。四季の森の池沿いの畑は、今年は菜の花ではなく、矢車菊が植えられている。矢車菊は花を残して枯れはじめ、斜めに倒れている。どの畑もピンクとブルーの二色。
矢車菊の青い色が好きで、いつも熟れ麦の景色と一緒に思いだす。私には矢車菊は麦秋の花なのだ。矢車菊の青い色は帝国のブルー(Reichsblau)とか、矢車菊の青(Kornblumenblau)、言ってみれば「麦秋の青」なのだ。矢車菊(Kornblume)はドイツの国花なのだ。もともと麦畑の雑草として咲いてたのが改良されてきたとのこと。どおりで、昭和の昔、麦刈のころ、わが家に矢車菊が咲いていた。おそらく父が植えたものだろう。父と麦秋と矢車菊は合わせて思い出す。