曇り
●「オリーブ」No.15を恵送いただく。年4回発行された「オリーブ」はNo.15で終刊となる。淋しがられている。お礼状を出す。
わが身を振り返ると、臥風先生が俳句雑誌について、これは信之先生にだが、「ガリ版印刷でよいから出しなさい。」と言われていた。「花冠」は臥風先生の言葉を守っている状態で、その言葉を励みにそれでいいんだと、発行している。手作りの合同句集『泉』も他結社からエールをいただいたし、評価もいただいたと判断している。花冠会員の皆さんにも納得いただいてる。花冠会員が納得しているのが何よりだ。
「ガリ版」とは古いが、これを知っている人はどのくらいいるだろう。小中学校のテストや文集はガリ版印刷だった。それも、ザラ紙、藁半紙(わらばんし)と呼んだ。
●URの団地の緑地を歩くと、「アーカンサス」の花が咲いている。ギリシャ彫刻やヨーロッパの画には「アーカンサス」がデザインされて、よく見る植物。ところが、一年に一回咲くこの「アーカンサス」の名前が思いだせない。思い出すのに何日かかかった。「ジギタリス」という名前しか思いつかない。こんな時は脳内がかゆくなりそう。しかし、ポプラの花を見つけてそのかゆみが収まった。ポプラの花は緑の葉にうすい黄緑の、ねごじゃらしの太いような花を咲かせる。葉と花の色合いが涼しげ。
曇り、どきとき雨
夕暮れは老鶯遠くより啼けり 正子
洗われて赤みずみずし新甘藷 正子
新甘藷よく実入れども淡き味 正子
●花冠No.371の編集。4月、5月と句集をよく頂いたので、句集の紹介をしないといけない。紙面の都合で5句~7句になりそう。一日編集に集中するが、時に「今、私は何歳でしょうかね?」など、雑念が浮かんでくる。余計なことを考えないようにシューベルトを聞いたりしていると、「菩提樹」は「冬の旅」に入っているんだったかと、これはこれで別の雑念が浮かんでくる。やらなければ、終わらないのは承知なので、なんとか頑張った一日だった。
曇り
待宵草寺への径に月のいろ 正子
●今日の大事な仕事は銀行のアプリをダウンロードして登録することだった。無事登録できたが、アプリは、パソコンではなく、スマホにダウンロードした。大事なことはパソコンで、万一紛失しても大過ないことはスマホと分けていたが、今後は、性能のいいスマホにして、スマホに働いてもらわないといけないかとも思った。今のところ、スマホよりパソコンのキーボードのほうが断然文章は速く書けるし、花冠会員の方のやりとりもパソコンの方がやりやすい。コロナ以降、世の中変わったのは事実だが、パソコン派からスマホ派へ移るのは難しそう。
生成AIが役所などでもずいぶん使われている。ここ6か月間マイクロソフトの生成AICopilotを使ってみた。生成AIに質問することをプロンプトと言うらしいが、実際質問をしてみると、的を具体的に絞り、質問を繰り返すと、かなり深堀りでき、まともな回答が返ってくるように思った。質問の仕方次第である。それでも回答がまともかどうかは、質問者が判断しなければいけないので、知らないで使うのは大変危険だと思われる。生兵法はケガのもと、危険ということ。情報学者の西垣通先生が、最近『デジタル社会の罠 生成AIは日本をどう変えるか』(毎日新聞社/1980円)を出されたようだ。
●ひさしぶりに興禅寺まで歩いた。今朝は誰もいなくて、菩提樹の葉をよくよく見た。ハート型の葉を選んで2枚、この前より少し大きくなった実の房を2つもらった。ヨーロッパに菩提樹があるところは・・と、「すっとぼけたこと」を思っていたら、「ウンター・デン・リンデン」がそうじゃない、と思いあたった。「菩提樹の下」通り。実際、ブランデンブルグ門の辺りをぶらついて、この並木を少し歩いて、後はタクシーで通り抜けたのだ。あのとき、よく葉っぱを見て「菩提樹」を確認しておけばよかったと思ったが、小学生の子供を連れての旅行なので、そういう心の余裕はなかった。旅は一度行ったところへもう一度行きたい性分なので。チャンスがあれば、など思って。
●句集『忘筌』(室 達朗著/北斗書房)を「櫟俳句会」より贈っていただく。昨日夕刻届いた。著者は愛媛大学工学部の土木工学の名誉教授で、京都市生まれ、京都市在住。今日、お礼状を出した。
好きな句
人足に踏まれてかをる夏蓬
地の果てに月光のみの暮しあり
若者の歩幅で過ぎる賀茂祭
長旅のあふひの萎れ検非違使
秋出水海の中まで吉野川
サモア
椰子の実の座や初潮の潮溜
盆踊り海より暮れてきたりけり
落鮎の川は力を抜きにけり
ダム現場飯場に届く青蜜柑
化野の墓ことごとく精霊火
秋の叙勲や一生の透きとほり
馬の目に正しく映る夏の山
かいつぶり群青の水抜けてくる
春水のひかりも影もきらきらと
濁したる棚田の水や田草取
晴れ、のち曇り
●曇りか雨の予報が一転、今日はよく晴れた。信之先生の月命日。朝一番に仏壇の掃除をして、紫陽花のお香を焚く。丸っこい十字の花びらの形で焚くと青い煙がまっすぐ昇る。少し早いが、七夕の涼しそうな星の菓子が売られていたので供えた。朝顔がべランの高さまで伸びた。これ以上はどうするか、と。
●約束の人と日吉の友人と三人で蒲田の椿屋で会って食事。美味と評判のカレーライスを注文。ビーフカレーにサフランライスがついて来た。約束の方は思っていた通りといってもいいが、少し背が高く、少しやせ型の人だった。最近軽井沢に行かれたとのことで、薔薇の柄のシースルーのシルクのソックスと、薔薇の柄の葉書を挟むものを軽井沢レイクガーデンのお土産に頂いた。あれこれ話し、二人は苺のかき氷と黒蜜ときな粉のかき氷を、私はあん蜜を頼んだ。4時間ばかり話しただろうか。(私など、軽井沢は乗り換えで降りただけで、全然知らないが、軽井沢のレイク・ガーデンはマナーハウスのような薔薇園があって、植物園らしい。)
多摩川線には、「矢口渡」という駅がある。いまだに渡しの跡が残っているとのことで、いつか行ってみようと思う。川崎には六郷の渡しがあるが、ここには信之先生と来たことがある。明治の東京遷都のとき、明治天皇の御輿が通れるよう舟を並べて橋がわりにしたという画が六郷の渡しの袂に残っている。東海道を通るなら、多摩川をわたらなければ東京へ行けない。明治遷都は150年以上前のこと。
雨、午後曇り、時々雨
●朝5時は雨。10時ごろ止むもときどき雨がぱらつく。都筑阪急とJAの直売所へ野菜の買い出しに。おいしい野菜が手に入ると、うれしくなって、おおげさではなく、未来まで明るいように思えてくる。充実したトマトと、熟れ具合がちょうどいい茄子に喜び、梅雨で冷えているので、新じゃがと鶏肉の甘辛煮の煮ものを作った。
●夕方句美子が来る。手編みのベストを一枚持ってきて洗ってほしいと。「これからは手洗いはお母さんに任せて、日吉の家で保管してもらう」と言う。「じゃあ、来週持っておいで。」ということになった。クリーニング代は高いぞ!
●会社のレポート100頁ができたので、残業からやっと解放された。お母さんにはわからないだろうけれど、レポ-トをメールで送っておくと言う。兄にも送ると言っていた。自信作なのだろうが、親は残業で殺されないように願うばかりだ。
晴れ、夕方から曇り
飛び出していのちのままの飛蝗かな 正子
夏芝は夫の墓なり飛蝗来ぬ 正子
夏菊に水のあふるる供花の筒 正子
●納骨してから3度目の墓参。朝7時半に出かけ、帰宅したのは12時すぎ。墓地に入ると涼しい風が吹いて老鶯の声。雄鶏の鳴き声が下のほうから聞こえて来る。信之先生の墓所は桜の葉蔭になって、供花も少しは長持ちしそうな感じだった。前回はお水を供える湯飲みを忘れたが、今回はぬかりなく。線香が燃え尽き、バスが来るまで1時間半ぐらい墓地に居た。待っている間墓苑を散策すると、丈の短い草にバッタが何匹も飛んでいて、供花にはベニシジミ蝶が来て蜜を吸っていた。梅雨入りしたばかりなのに、墓苑はお盆が近い感じがした。
●昨夜は、正子俳句6か月分を選びながら眠ってしまった。目が覚めたときは、12時を回って今日になったばかり。空を見ると、煙った丸い大きな月が少し西に傾いていた。目が覚めてしまったので、まず、お礼の手紙を書き、だらだら作った400句ほどある自分の句を選び、マシと思う句を推敲した。
曇りのち雨
●関東地方、梅雨入り。朝早くは曇っていたが、通勤時間には大雨になり午後4時ごろ小降りになった。明日は晴れの予報なので墓参。朝早く出かけたいので、日吉に出たついでにお花を買った。花屋の店先の花はどれも雨にぬれている。その中から、菊をいろいろとスターチスの仏花があったので2束買った。雨のせいか、一日ひんやりとしていた。
●「火神」(No.80(熊本/師系鍵和田柚子))を恵送いただく。永田満徳さんが新主宰として2号目とのこと。信之先生の仏前に供える。信之先生との縁は、俳句大学を作るとき、信之先生が永田さんを学長に、五島高資生さんを副学長に押したこともあるが、五島さんはインターネット俳句協会やインターネット俳句コンテスト(第19回まで実施)、永田さんはインターネット俳句コンテストからのお付き合い。信之先生が亡くなった今も私宛に著作物を送ってくださるので、仏前にすぐ供えている。そういうことだと思っている。
火神80号から好きな句2句。
★ぱつぱつと水輪を散らすあめんぼう 満徳
この句では「ぱつぱつ」が抜群におもしろいが、「水輪を散らす」に注目。「五七五」のリズムの乗りで詠んでしまうと「水輪散らして」となるが、これが下手の部類に入ると認識した。
★ゐるほどに無音となりぬ瀑布かな 満徳
曇り
●夕べは疲れて早々と床に就いたので、窓のあかりに朝かと目を覚ましたときは、まだ午前1時。時間がいつであろうが、目が覚めたとき起きなければ、編集が進まないのはわかっているが、もう少し布団に居たいためにラジオをつけ薬膳料理の先生の話を聞いた。薬膳の先生は、梅ジュースを作ったとか、体を冷やさないようにするのが大事とかいう話をした。
●編集作業がようやく軌道に乗る。乗ったと思ったら、立て続けにしなければいけないこと出て来た。前々から予想できたことではあったが。歩くことも半ば仕事になって、それに小鳥がさっぱりいなくなったて、つまらなくなった。つまらないにしても、大きな欅や桜の木のなかにあるブランコをちょっと拝借して乗って下りるくらいの楽しみはある。
晴れ
●山開きが近づいたが、富士山への入山規制が行われる。この規制は、山小屋に宿泊する人には適用されないとのこと。今日、規制のためのリハーサルが富士吉田口で県職員によって行われたそうだ。弾丸登山を防いだり、多すぎる入山者を制限したりする。入山できるのは4000人まで。入山はネット予約し、入山に2000円支払う。富士山だけではないが、山が汚れたり、マナーの悪い登山者がいたりするのは、心が痛み残念に思うこと。山はいつもきれいであって欲しい。
●一週間もしないうちに、ずっと私に会いたいと言い続けた人に会うことになった。2、3年前から言っているかもしれない。会う場所は、私の住む日吉ならと言いつつも全然実現しない。会いたい気持ちは薄れているころだろうと思っていたが、そうではないらしい。そう言伝てくれた友人に、「年上の方だし、こちらから出かけます。」と伝えた。それで三人で食事をすることになった。どんな方なのか。手土産を何にしよう。
●花冠の編集をしているが思うほど進まない。きのう、大雨の中を歩いて帰ったので、疲れているのかもしれない。あまり、進まなくてもいいか、と思いつつ仕事をする。編集をしながら思うことだが、自省を含めて、信之先生が亡くなってからの問題は「句の推敲」の問題が大きい。
雨
大雨警報
梅雨入り(ついり)ともならぬ大雨道が照り 正子
青葉雨われを歩かせ濡れもさせ 正子
青葉雨若く死したるシューベルト 正子
●今日は定期受診の日。帰りは待ってもバスが来ないので、本降りの雨の中を歩いて帰った。先月、毎日8000歩歩くように医者から勧められて28日間2日間を除いてほぼ実践した。平均すると一日8600歩。検査数値が改善。運動不足が一番いけないのだと分かる。
●昨日、図書館にヘッセの本を返却。手元に簡単なメモしかないが、面白かったところを書き残す。ヘッセの『人は成熟するにつれて若くなる』は「老いと死」に関するエッセイと詩の本。この本の「ニーナとの再会」のページが面白い。
冬の間数か月間街に暮らしたヘッセが第二の故郷ティスーンに帰って、女友達のニーナに再会する話。おそらく初夏のこと。本文を「」で引用しながら述べると、ニーナは、村の一番辺鄙な丘の村にひとりで暮らしている。ニーナを訪ねるには、夏はシクラメン、冬はクリスマスローズが咲く「難儀な道」を越えなければいけない。ニーナは1927年に生まれの78歳で、「新時代の洗礼をまだ受けていない」。ヘッセは50歳。ヘッセがニーナに会う理由ははっきりしている。ヘッセの目には彼女は模範的老人なのだ。「教会の塀のそばでいつも嗅ぎ煙草を嗅いでいる毅然たる老人の姿の模範なのだ。年齢、痛風、貧困、孤独にしたたかに冗談をとばし、世間にとりいるような馬鹿なまねはしない。卑屈になったりせず、世間など屁とも思わず、最期のときまで、医者や牧師の世話になるつもりのない、という毅然たる老人」の模範。彼女は「石と冷気と煤とコーヒーの匂いと生木の燃える煙の匂いの中にいて、炉に少しばかりの火を燃やす煙のために涙目で、鋭い怜悧な悲しげな」眼をしている。
< ここに出て来る「嗅ぎ煙草」のことはよく知らなかったが、調べると、貴族の間で流行したようで、鼻腔に耳かきほどの煙草の砕いたものを擦り付けてその匂いを嗅いだということだ。ムーミンに出て来る「スナフキン」は嗅ぎ煙草を吸う人という意味とのこと。 スエーデンで始まったらしい。>
ニーナは私にも魅力的だ。彼女の年齢にほぼ同じ私も、彼女ほど腹が座っていないことをよく知った。一時期、世の中をひどく疎ましく思ったとき、「山姥、あれはいいのじゃないか」と思ったことがある。そんなことを思いだした。それから、ひどい雨なので、シューベルトを聞いた。シューベルトを聞く自分は、テスィーンの老女ニーナのように性根が入っていない証拠、と自省しつつ。