9月4日(水)

晴れ
咲きだして朝顔の花青ばかり    正子
法師蝉まぶしき朝日鳴き残す    正子
新涼の畳たいらに風流す      正子
●今朝は涼しく部屋のなかは27度。北風が吹いている。
●昨日、今日、電話で連絡することが多くて、疲れ気味。することはあるが、あきらめて、お菓子の材料を買いに東急の富澤へ。ガラス繊維のオーブンシートが見つかったので2枚セットを買った。そのあと丸善へ。今日からだろう日記帳や暦が並んでいた。ポケット日記帳を見つけたので、来年は句帖代わり買うつもり。「俳句界9月号」の評論(やまだようこ著)が気になっている内容だったので、買った。
●夕方URの団地を散歩を散歩していたところ、そろそろ暗くなっていたが、植え込みからネズミらしい動物がちょろり。すぐ草の中に入ったが又出て来たので、ネズミだと確信をもった。ドブネズミなんだろう。

9月3日(火)

曇りのち雨、また曇り。

朝ごとに朝顔剪りて仏前に      正子
りんどうの丈切り分けてガラス器に  正子
りんどうを埋めて菊の花束は     正子
●髪のカットの予約をネットで入れた。予約がスムーズに取れてほっとしたものの、5分もしないうちに、予約した時間が1時間後になっているのに気づいた。美容室は電車で2分のところ。駅までと、駅からの時間の方がかかる。無事予約時間には間に合ったが、どうしてんだろうね。

美容室の前が丸善。帰りに丸善で3枚入りの絵のある葉書きを買った。この3枚と言う数が私にはちょうどいい。今日のは滲んだような葡萄に蜻蛉止まっている絵だが、次の季節になるころにちょうど3枚が無くなる。ふうせん葛の絵もいいと思ったが、さびしそうな感じなので、葡萄の絵にした。

●句美子誕生日。メールで「ハッピー・バースデー」とだけ送った。
●晃さんの『俳句の杜2024』10冊を受け取る。
●角川の俳句年鑑の原稿、「結社動向」の依頼がまだ届いていないので、締め切りは9月13日のはず。編集部に電話すると、手違いなので、すぐ送るとのこと。

9月2日(月)

晴れ

つゆ草の露のとうめいガラスより  正子
朝顔の青き二輪を仏前に      正子
どこからも青松虫の強き声     正子

●台風が熱帯低気圧になり、まだ注意がいるらしいが、空は晴れた。家の中に吊るしていた洗濯物をベランダに干しに出て、目を瞠った。向かいのマンションから、幼稚園に出かける親子が眩しい朝日のなかに出て来た。母親の着ているTシャツが、一目でわかるローゼンタールの花柄。クリスマスが来たら、自分へのプレゼントにローゼンタールのカップと皿のセットを買おうと今から思っているその柄。

ローゼンタール(Rosenthal )はドイツの陶磁器やガラス器のメーカーだが、そこのクリスマスのオーナメントのガラスボールわが家にある。フランクフルトの俳句や生け花をたしなむホルトスさんからの贈り物で、それ一つでクリスマスの雰囲気ができあがる。ローゼンタールは「薔薇の谷」の意味。Thalは現代語ではTalと書くが、昔風にThalとなっていて、日本で言えば旧字体「谿」かぁ、と思ってしまう。「薔薇の谿」。

●角川年鑑の自選5句と住所録への返信。

9月1日(日)

曇り、雨
初咲きの朝顔は青厄日すぎ     正子
朝顔の青一輪より咲き始じむ    正子
竹やぶに来て台風の雨はげし    正子

●昨夜大雨警報が出ていたが、ここは雨があまり降らなかった。今朝、窓からベランダを見ると、青い朝顔が一輪咲いていた。今年初めての小ぶりな花に、眼を疑ったが、すがすがしい青。蕾がたくさん育っているので、秋半ばまで咲きそうだ。

大雨警報は夕方になってもずっと出ている。雨が止んでいるので散歩に5丁目の丘へ向かったが、坂を上り始めるころから、雨が降り始め、傘を取り出しすとますますひどくなったので、引き返した。

● 自由な投句箱再開。
「現代俳句一日一句鑑賞」は、鑑賞文を省いて継続して載せる。
●9月月例ネット句会の案内。
●月例ネット句会、自由な投句箱のテンプレート変更。

8月31日(土) 二百十日

曇り、雨は降ったり、止んだり、線状降水帯が小田原辺りにある
秋澄んで山々近く寄り来る     正子
かりんの実林檎ほどなり熟れはじめ 正子
つゆ草の露ためている花の青    正子
●白いダリアの花のようなキノコを路側帯の萱のなかに二本見つける。毒キノコに違いないが、秋になっている。
●パウル・ツェランを知ったのは、4月に図書館から借りた『ドイツの詩を読む』(野村修著)だった。そこに「死のフーガ」が読み解かれていた。これはフランクルの『夜と霧』を思い起させる詩である。今手元に『人と思想 ツェラーン』(森治著/清水書院)があって、読んでいる途中だが、ホロコーストと広島・長崎の原爆を経験した20世紀において、この詩人の詩を読まずには済ませられない気になるが、解説無しでは私にはわからない。ツェランのユダヤ人として経験せざるを得なかった歴史的背景が、あまりにも複雑で、また、多民族が入り混じり国が動く東欧の状況も日本人の私にはなかなかわかりづらい。多くの言語を習得していることから高い言語感覚を持っているとも思える。彼の詩が難解である別な原因として、彼が難解な状況を生きたと言うことにあるのだろうと思う。
また別の本の『パウル・ツェラン詩集』(飯吉光夫・編訳/小沢書店)の「詩論・解説」の章にペーター・ゾンティという人がツェランのある詩について解説した訳が載っている。これが興味深い。
ツェランの最晩年の詩集『雪の区域』のなかの題名はないが、仮に「エデンの園」と名付けられる詩がある。この詩には原稿の段階で(1967年12月22/23日)と日付が書き込まれている。この12月22日/23日が大事だというのだ。つまり、この詩が出来た現場の解説がある。ツェランがベルリンにやって来て、エデンという名前のホテルに宿泊し、クリスマス近い夜に書いた詩ということ。エデンと言うホテルは、うっそうと大木が立つベルリン動物園の近くにあったということ。ホテルの食事にはクリスマスの雰囲気のあるものが当然あったということ。この現場から詩人は実際を通して詩を紡ぎ出した。
ドイツへ家族旅行をした際、5年生だった息子がベルリンに行きたいというので、他へ行く予定を止めて、フランクフルトから小さい飛行機でベルリンへ行った。ベルリンの壁は前年に壊されてはいたが、まだ一部が残っていたし、それを見には行った。壁から向こうに立つ東の質実な、いや、貧しそうなアパート群も見た。それからベルリン動物園に行ったが、これがツェランの詩にある通りの印象だった。動物園は大木でうっそうとして、ライオンに陽があっていないのでは、と思うほどだった。動物園前の広場の空は今にも降りそうで高く広かった。あまりにも寂しく人さらいでもいそうな感じだったのは、広場に警察と書かれた小さい車両が数台いて、5マルク(当時はユーロではなくマルク)のピザを晩ご飯にする人の列があって、子どもがポーランド人を見て「ポーリッシュ」と卑しんで言うのを聞いたりしたからだ。ベルリンはそういうところだった。
ベルリンのこの情景を思い出し、難しいと言われながらも、ひとつずつ糸をほぐしていけば、意外にも親しい詩であることが感じられた。わかるわからないに拘わらず、読んだ方がよい詩だと思った。ヘッセやリルケよりずっとわれわれにより密接な世代の詩人と言えるのだろう。

8月30日(金)

秋雨に電車の窓のみどりめく  正子
台風の雨に鏡のごとき鋪路   正子
雨に落ち青柿道に砕けたり   正子
●雨が上がったので、4時ごろ散歩に出ようとしたが、帽子が要りそうなので、部屋に取りに戻った。いざ、玄関に出ると、降り出した。かまわず散歩に出たが、300mほど歩くと雨があがった。信号を待っている間にすぐまた降り出した。雨は霧雨のように細い。5時過ぎからはずっと降っている。遠いところの台風のせいだが、台風は四国を横切るらしい。
●ネット短信No.422を発信。No.421は7月21日に発信しているから、一か月すぎてしまった。晃さんの『俳句の杜2025』の案内。自由な投句箱の再開、愛媛新聞の花冠No.371(7月号)の紹介記事のこと、の三点。
●目を使い過ぎたかもしれないので、パソコンも本もほとんど見ないようにして、一日過ごした。夕方は目の調子が良くなった気がしないでもない。

8月29日(木)

曇り、ときどき急に雨
梨剥けばきらいな蟻がすぐに来る  正子
ふりかかる雨にまっすぐ女郎花   正子
いつみても黄色澄みたり女郎花   正子
●台風10号の進路が不確実で、あす大雨の予報。図書館の本を返却期日があすなので、今日返却。あたらしく4冊借りた。『パウル・ツェラーン詩集』、『パウル・ツェラーン』、『リルケ』、『窓から逃げた100歳老人』。パウル・ツェランはユダヤ人で、母は収容所で銃殺され、父は病死か銃殺か不明。最後はセーヌ川に身を投じた。ライン川に身を投じたユダヤ人の詩人もいた。『窓から逃げた・・』は、ずっと前に注目された本と覚えていて、書棚の一番下にあったが目に付いたので借りた。2週間でこれらの本が読めるわけはないので、今日は4冊をぱらぱらと何度か捲り、写真や地図や年表を先に見たりした。
●『郷愁』(ヘルマン・ヘッセ著)を読み終えたが、アルプスの小さい花々が出てきて、風景をすがすがしく印象付けている。なかには日本でも見られる花がある。「ヤグルマソウのような青い空」の形容もあった。丁寧に花の名を挙げると面白いかもしれない。ヘッセの他の文章にも小さい花々がよく出て来る。
ドイツ語に高地ドイツ語と呼ばれる言葉があるが、この意味がよくわからなかったが、『郷愁』を読んでだいたいのことが分かった。
主人公のペーター・カーメンチントはニミコン村から街に出て、新聞に書評書くような人間になったが、終生、田舎の人間であるのがどうしようもなく、これは身に沁みて思える。ヘッセもそうではなかったかと思う。
●『郷愁』に出て来た花、木、動物
桜草、水仙、巴旦杏の花 バラ、ダリア、モクセイソウ、アカマツ、リンドウ、ユキノシタ、ミヤマウスユキソウ、シャクナゲ、レモン、ケシ、ナデシコ、フウリンソウ、ブドウ、ヤグルマソウ(のような青い空)、チサ、キャベツ、ジャガイモ、カプラ、
ヤマキチョウ、ヤギ、バク、象、チョウチョ、
※正確ではないが、ほぼ上記のようなもの。植物からはアルプスの自然の一部を知ることができるのではないか。

8月28日(水)

曇り
台風の遠きにありて萱靡く    正子
秋暑し雲に力のまだありぬ    正子
梨下げてまた新しき梨供う    正子
●クララ・ヴュルツのモーツアルトピアノソナタ全集を聞く。繊細で感情豊かな演奏。ずっと聞いていられる。「繊細で感情豊か」なことは詩人や演奏家には必須条件かも知れないし、また、詩人や演奏家では平凡なことかもしれないが、普通の者が聞くには、このことに尽きると思う。素晴らしい技巧とか深い音楽とか、素人にはそこまででなくてもいい。
●夕飯のお米をしっかり浸水させて電気釜で炊いたのだが、途中で蓋が開いたままになって、どんでもないご飯が出来た。出来たご飯にラップをかけてレンジで温めてみたが、煮えたのもあるが、煮えてない米粒があるようで食べるのを止めた。「パンがないならブリオッシュを」ではなく、現況の店頭から米が消えてるからではなく、家には米がありがながら「米がないならパンを」になった。今日は三食、パン食。

8月27日(火)

曇り、ときどき晴れ、急に雨
秋の雨わが行く前を縦に降る  正子
朝顔のつぼみ育ちぬみどり濃く 正子
秋の夕降水帯の空にあり   正子
●台風10号が奄美大島の辺りに居るが、東海地方に線状降水帯があって、新幹線が運休したり、遅延したりしている。今朝、散歩に出たが、帰り家の近くに来て、急な雨にシャツの肩をびっしょり濡らしてしまった。急に降ったり、上がったりを繰り返している。
●美知子さんが昨日、8月7日漬けの愛媛新聞の俳誌紹介の記事を送ってくれた。「卯月野やジャズ漏れきたる丸太小屋/小口泰與」「沢蟹を腕いっぱいに獲ちりし夏/友田修」「すず鳴らし八十八夜の家路かな/弓削和人」の3人の句が紹介された。取り上げてくれたのは、若い記者のかたで、「花冠を楽しみながら、句を抜いてくれた」ことが、選んだ句から窺える。そう思うと、花冠の面白さ、良さを分かってくれている人はどこかに居ると思えるので、励ましになる。
●角川年鑑の原稿依頼が届いているので、これを締め切り期日までに出さなければいけない。普通郵便に日にちがかかりすぎていることを考慮しなくてはいけない。。愛媛から横浜に郵便物が届くのに5日かかっている。水曜日の消印の封書が月曜日に届いた。金曜日に届いてよさそうなものだが。
われわれ俳句など文芸をたしなむものには、郵便は大きな役目を果たしている。表面に書かれた文字面だけでなく、書かれた便箋やはがきも伝えたいことの一部なのだ。また、消印も大事なのだ。運ばれるのにどのくらいの日数が必要だったか、運ばれる間に、手紙の思いが膨らんでいることもある。はやく、読んで、と言っている手紙もある。素敵な文章の手紙なら、「文章の上質感」を、美しい布が手に触れるように感じているのだから、郵便はまだ必要なのだ。

8月26日(月)

晴れたり、曇ったり
●夏が終わろうとするのに、暦の上ではもう秋だが、朝顔に蕾が付いているのに気づいた。数えると5個あった。ハイポネックスをやって4日ぐらいなのだが、これが効いたのだろうか。そうは思えない。夏が暑すぎたのだろう。暑さが少し落ち着いて、今がちょうど昔のような夏なのかもしれない。それにしても、蔓を抜いてしまわないでよかった。
●歯科検診。午後からの歯科検診が気になって、済むまで仕事が手につかなかった。治療の必要が無くて今日で済んだ。
●『郷愁』を読んでいる。ヘッセの出世作となった27歳の時の小説だが、若い時は気づかなったが、文章が上等なのだ。ヘッセが後にもらったノーベル賞の授賞理由に「人間の古典的博愛精神と、上質な文章の例示」があげられている。高橋健二の翻訳のすばらしさもあるが、真似のできようのない文章の上手さだ。「上手」というのではなく、やはり「上質」と言わなければいけないのだろう。
『郷愁』の原題は主人公の名前の『ペーター・カーメンチント』。それを『郷愁』と訳して問題はないくらい内容に合っている。老年の今この書を読むと、青春の事柄が、疵がヒリッとするように思い出される。
60年が早もすぎている田舎の高校の級友のこと。級友は男子生徒だが、隣町から通ってきている、初めて出会った子だった。医者の家の子で、軽い小児麻痺を患って、教室を移動するのに、両サイドの机に両手を着き、両腕を支えに足をうかしてスイと移動していた。ふざけてもいたが、小柄で痩せていて、母親の顔立ちを彷彿させる、色の白い美しい顔をしていた。いつも体に少し余った制服をきれいに着ていた。一言も話したことはないが、気づくと目が合い、目が合うと彼はいつも目を逸らした。その横顔は青白くそばかすが浮いて、静かすぎた。一言声をかけ、何かを聞いてあげればよかったと、今思う。今ならそうするだろうが、全く未熟な固い果実そのままの女生徒だった。学年の人数も少ないから、彼の名前はK・Kと覚えている。