1月16日(木)

曇り

●妹から大きい封筒が届いた。用事のものの他に、昨年11月の帰省のとき、妹の出席する講座を一緒に受講し、そこで出会った同級生から預かった写真がたくさん入っていた。去年の春、20人ばかりで食事会をした写真だそうだ。裏に旧姓で名前が書かれていた。初め、その名前に気づかなかったので、本当にちんぷんかんぷんだった。60年ぶりにみんなを見た。わかったのは、講座で出会った彼女と、男子で、彼に違いないという一人が見つかった。それに、私と似ていて、時に間違えられることがあった彼女かな、と思う人。精一杯のところそこまでだった。

裏に書いている旧姓に気づいて見直すと、一番変わっていないのは「眼差し」。つぎに「少し笑った口もと」かな。彼のあの眼差しは、今は刑事ものの人みたいに渋くなったんだとか、彼はいつもこんな感じで、教室の後ろの席からみんなを見ていたとか。紅顔の少年がこんなに彫り深い顔になって眼鏡をかけているとか。おきゃんな彼女は口もとが、今にも笑い出してしゃべりだしそうで、大人ぽかった彼女は着物を着て来たんだとか。目もと、口もと、変わってないわ。全員の名前と顔が一致した。男子は制服のなかに細い体が入っているような感じだったが、今はそんなことはない。温厚な体が十分服を満たしている。写真を見てすぐ、「みんなきれい」と思った。ちょっとうらやましかったが、それぞれいい人生を歩んできたのだと思えた。誰も不幸になっていない感じで、よかった。彼女の住所は書いてなく、電話番号を書いたメモが入っていた。

花冠の1月号の髙橋正子の俳句日記に彼女に出会ったことを書いたので、1月号を送るつもりでいた。住所がわからなく、年明けの講座で妹に連絡先を聞いてきてもらおうと思っていたところだった。お互いの意が通じたか。

1月15日(水)

曇りのち晴れ
あまやかな色に剥かれて冬林檎  正子
水を撒いてしずめて工事の寒埃  正子
昼の匂い寒中豆を炊きいれば   正子

●リルケの「時祷集」の「貧困と死の巻」(1903)からは、何の思いとどまり、考え込むことなく、わからないということなく読めた。貧困について人生ずっと長く考えざるを得なかったからかもしれない。人生を不安に陥れる貧困は人間が純粋であるために必要なのだ。
「なぜなら貧困は内部(うち)からの大きな響きなのだから」これたった1行の詩。
●引き続き「ピエタ」を読む。このピエタは聖母マリアではなくマグラダのマリア。なぜ聖母マリアではなく、マグラタのマリアを登場させたのか、私なりに思うに、マグラダのマリアノ方がより人間的なので、内面の感情を深く、また新しい視点から掘り下げることができるからではという気がした。

●リルケ「新詩集」の「早期のアポロ」は西脇順三郎の詩を思い出させるので、本棚に西脇の詩集を探した。あったと思うが見つからない。ギリシャ神話のようなイメージがあり帆船の白い帆が海を行く光景だったと思う、その詩を探したかった。西脇の詩集の代わりに『立原道造・堀辰雄翻訳集ー林檎みのる頃・窓』(岩波文庫)と『立原道造詩集』(ハルキ文庫)がみつかり、開いて見た。開いたものの落ち着かなくてすぐ閉じた。これらの本がある事が確認できた。

●今日はモーツァルトのピアノソナタ全曲を聞いて、やはりモーツァルトのバイオリンとピアノのソナタ全曲を聞いた。締めはベートーベンの7番をイヴァン・フィッシャーの指揮、コンセルトヘボウで2回聞いた。大きな抱擁のような分厚い感じの音。結構情熱的だった。

1月14日(火)

晴れ
わが下る坂に風出づ寒夕焼     正子
正月のあけて初めて山路越ゆ    正子
暖房の書肆に鬼の画のはがき    正子

●今日一番驚いたのは、産経新聞のネット記事に大きく載っていた環境問題記者某氏。書いてある情報から私の知る某氏に違いない。不意に現れた感じで、目を疑った。新聞の写真では学生時代の感じが目に残っている。一度何だったか忘れたが、信之先生に手紙をくれたことがある。草葉の陰で信之先生はどんな気分か。

●『リルケ詩集』(富士川英郎訳/新潮社)より「新詩集」(1907-1908)を読む。「早期のアポロ」「愛の歌」「献身」「橄欖園」は「リルケ ノート」に書き込みながら、丁寧に読んだ。「形象集」は日本で言えば立原道造の詩のようだが、新詩集の「毬」「日時計」「盲人」「蛇使い」「薔薇色のあじさい」「読書する人」「林檎園」「子供」は、詠み方はちがうが、この状況を俳句に詠もうとすれば詠める題材である。不思議な感覚を味わった。「新詩集」はリルケがセザンヌの回顧展(1907年)を見たあとなので、ロダンとセザンヌの影響を受けて詩を変えたと考えられる。また、セザンヌは浮世絵を見て画風を変えている。なかなか面白い。

1月13日(月)成人の日

晴れ
●1月ネット句会の入賞発表。正午の発表時間が1時半にずれた。
●モーツァルトのピアノソナタを今日はマリア・ジョアン・ピレシュで聞いた。ピアノの音色がスタンウェイの感じ。最近のピアニストの音色はよく似ている。聞きながらリルケを読むとよく読める。速くではなく深く。聞きながら眠ってはっと目が覚めることが多くなっている。

●夕方日吉の街へ、金蔵寺の横の山路から普通部のグランドを回って歩いて行った。街で用事を済ませ、東急に入るとそろいも揃ってコートを着た青年たちが、二三人グループになって歩いている。卒業式にしては早いのにと思いつつ歩いていて、帰りの坂道で軽い交通事故か、警官が男性に「今日は成人式だからな・・」と話しながらメモを取っている場に遭った。今日は成人の日。
東急では、便箋やはがき、のし袋を色々見たかったので丸善と文具店に行った。丸善で俳句が書けそうな越前和紙の葉書を見つけた。3枚セット。菜の花と桜の紙雛の画が目にはいった。節分の緑の鬼が大口をあけたのとか。何種類か買いたいので次に来た時買うことにした。また、本の補修用のテープと、本当に大げさでなく何十年も探していたぺーパーファスナーという紙を本のように綴じるものを見つけた。こんな簡単なものがこれまでなかったなんて。
アメリカの俳人たちはぺーバーファスナーで綴じた句集を送ってくることも、鋲で留めたものを送ってくることもあった。ごく簡単には籤(ひご)のようなものを穴に通して綴じただけの句集さえあった。彼らの句集ははじめは手作り。何部作るのか知らないが、そんなに多くはないだろう。

とりあえずは、昨日作った「リルケ ノート」を綴じた。5組セットで187円。手ごろな値段なのになぜ今までなかったのかと。パソコンで印刷したものを本の状態にして綴じるのに、しっかりしていて取り外し自由なのでいいのだ。コピー用紙150枚が綴じれる。

1月12日(日)

晴れ

●1月月例ネット句会。13名参加。
投句 寒晴に円すばらしき観覧車      正子
   裸木のあびる光は空のもの    正子
   花苗の生きいき寒のあかるさに  正子

●月例ネット句会の作業中、パソコンのマウスのポイントが完全に動かなくなった。2日ほどまえから、ポイントがどこに行ったのか分からなくなることが多かった。ネット句会の作業を中断しノジマに買いにいった。掴んで手になじむものは赤色しかなかったので、それにした。このメタリックな赤が男の子っぽい。

●わが家の人気おやつはわらび餅。冬でも食べたがる。マウスを買いに出たついでにわらび餅を買って帰った。きょうのは三角に切ってある。お供をしてすぐ友宏さんに句美子と食べるように持って帰ってもらった。

●今日はハンバーグの注文を受けたので、1個150gのを4個作って焼き目だけつけて渡した。食べるときにレンジで完全に仕上げ、熱々が食べれる。ふっくら感は少し減るかもしれないが、家で食べるには十分。

●モーツァルトのピアノソナタ全曲を今日も通して聞いた。一番落ち着く。いろんなピアニストのを聞いていると、好き嫌いがでてくる。だんだん同じものを聞くようになっている。

1月11日(土)

晴れ
寒晴に動き大きく観覧車    正子
花苗の生きいき寒のあかるさに 正子
裸木の全身光を浴びて立つ   正子

●センター北に行った。JAには、生きのいい明るい花苗が売られていた。欲しい花ばかりだが、植える場所がないので見るだけ。ダイソーと、ユザワヤと阪急を色々見て帰った。

●年末に送った「花冠」1月号・372号のお礼の絵葉書をいただいた。昨日のことなのだが、その画は清水の舞台を下から眺めあげて、雪がしんしんと降っている。私の好きな福田平八郎の画風と似ている画だ。その静けさと色合いが送ってくださった人の印象にそのままだったので、ドキッとするぐらい驚いた。そんなことだから、夜ひとりで音楽と聞いていると、遠くにいるのにその人に昼間会ったかしら、というような錯覚がしたのだ。多分自分がいいと思う、自分の好きな画を私のために心をこめて選んで送ってくれたのだろう。感謝のほかない。

●リルケの「新詩集」より「橄欖園」(富士川英郎訳/新潮社)を読む。リルケの詩を読むための「Rilke Note for reading Rilke」を作った。リルケを読むために注釈を読まなければ解釈できない自分だけれど、それだけでなく、このような本が欲しいので、紙にパンチで穴を開けて自分で作ったのだ。結構かわいいのができた。「橄欖園」を読むのに、B5の用紙にメモが12枚必要だった。そのうちメモが少なくても読めるようになることを願っている。例えば「夜」「天使」「祈り」「盲目」「夢」などはいろいろな場合の象徴となっている。これらのいろいろな場合をまとめて知っておきたいのだ。ただ、「内省的で深い」の説明ばかりでは、さっぱり解釈できないので、弱っている。自分で自分用に作るしかない。

1月10日(金)

晴れ

●今年初めてのネット短信No.434を出す。俳壇2月号に掲載された弓削和人さんの新作6句を紹介。ところが、1月ネット句会の案内を載せるのを忘れた。

●ニトリで仏壇を置くデスクを注文。部屋の模様替えをするため。

●リルケを読んでいると、「詩人」や「詩人の姿」がどいうものを指すのか分かるような気がする。

●リルケを読みながら、リリー・クラウスで「モーツァルトのピアノソナタ」を聞いたが、音が力強い。1から17番まで。なぜか18番がなかった。先日はクラウディオ・アラウで聞いた。

1月9日(木)

快晴
晴れやかに一木を染め寒入日   正子
寒晴の空の青さを珠といい    正子
ひとりには白菜多すぎざくと切り 正子

●今日はとくによく晴れて、「寒中の快晴の空」となった。寒波が来て、西の広島の奥地も雪だという。炬燵に熱を入れ『リルケ』(星野慎一・小磯仁共著)を読んだ。今日で5,6回は読んだろう。ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」を聞きながら読んだ。「オンブラ・マイ・フ」は何度も繰り返し流れていたが、音楽に助けられた格好で、ようやく『リルケ』が本当に読めた。私は、リルケをはじめは「俳句に関係するものだけ」読もうとしたが、次第にリルケに魅了された。彼の魂がいいと思えた。純粋で崇高な精神が読み取れる。
●『ドゥイノの悲歌』(手塚富雄訳/岩波文庫)の第一悲歌だけをひっくり返しながら、数度読んでいて、「なーんだ、そういうことか」と気づいた。第一悲歌はリルケがこれから詩に歌おうとしていることを書き連ねている。そうなれば、実によくわかる。第一悲歌だけは、信之先生の『リルケ作品集』の原詩で曲がりなりにも読んだ。そんなに気構えることではないのだろう。この解釈は違っているか?
●リルケは結婚し、一人娘が生まれた後、「ヴォルヴスヴェーデの画家」「ロダン論」を書くことになった。都会のパリに放り出された「孤独と不安」が、『マルテ・ラウルリッツ・ブリッゲの手記』を書かせたが、この状態が、人間存在の本質をリルケに問わせたのは自然なことであろう。だが、ここまで身をそぎ落とさなければ本質が見えないという
なら、それを何人ができると言うのか。
●リルケやゲーテがつぎつぎ恋愛をするわけ。
AI:ゲーテとリルケの両者にとって、多くの恋愛経験は彼らの探求に深く関わっています。彼らの恋愛経験は、単なる個人的な出来事にとどまらず、彼らの文学的・哲学的な探求と密接に結びついています。
ゲーテの場合、愛は彼の人間理解の中心にありました。彼の恋愛経験は彼の作品の多くに反映されており、人間の感情や心理を深く掘り下げる助けとなりました。『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』のような作品は、愛とその影響を通じて人間の存在についての洞察を提供しています。
リルケも同様に、愛の経験を通じて自己探求を深めました。彼の詩には、愛の喜びと痛みが織り交ぜられており、それが彼の哲学的な問いと絡み合っています。リルケにとって愛は、存在の意味や人間の孤独、そして超越的なものへの探求において重要なテーマでした。
つまり、彼らの恋愛経験は、彼らが本来探求する人間存在の意味や感情の複雑さを理解するための重要な要素となっていたのです。

1月8日(水)

晴れ
水仙の香が玄関に通るたび   正子
寒晴の空を区切りて屋根と屋根  正子
寒の雲ちぎれちぎれに増えにけり 正子

●気がづけば今日は息子の誕生日。

●リルケの『時祷集』の「僧院生活の巻」をきのう富士川英郎の訳で読んでわかりにくいと思い、原詩にあたった。私がわかりにくさを感じた原因をきのうの段階で述べた。今日、『リルケ』(星野慎一・小磯仁共著/清水書院)の94頁に星野の訳があった。こちらのほうが私の感覚にあう。私は時間に身体性を感じなく、むしろ宇宙的なものを感じるので、富士川訳の再帰代名詞を訳出したかのような「いま時間が身を傾けて」の訳出はわかりにくかった。今日、星野訳を読んで納得した。ほかにもある。星野訳は事物に近く直感でとらえやすい。

星野慎一訳
「時」はかたむき
そうそうと鳴りとよみて われに触れ
官能はおののきふるう われは感ず われなし能う とー
かくて 彫塑の日をつかむなり

富士川英郎訳
いま時間が身を傾けて 私にふれる
明るい 金属的な響きをたてて。
私の感覚はふるえる 私は感じる 私にはできるとー
そして造形的な日をとらえる
私なら星野訳の次の3つを採用したい。
①時(間)に身体性をもたせない。
②「感覚」より「官能」を採る
③「造形」より「彫塑」を採る。
 

1月7日(火)七草

曇りのち晴れ
七草の早や暮れいたり道に出で 正子
切り花の水仙どれも花ひらく  正子
七草となりて硯をよく洗う 正子

●『リルケ詩集』(富士川英郎訳/新潮社S38.R4 69刷)を読む。「新詩集」が一番読みやすいと思った。1907年~1908年作。1907年はリルケはパリで開催のセザンヌの回顧展を見て、感銘を受け、すぐ妻にその感想を送った年である。

「時祷集」はわかりにくいので、原詩にあたってみた。「僧院生活の巻」の冒頭の訳、「いま時間が身を傾けて」とある。「身を傾けて」の訳はわかりにくい。「身」が要るのかと思う。私などは、この「身」に意味を読んでしまう。なければ読まないが。Da neigt sich die Stunde und ruehrt mich an  が題名で、冒頭はこの文で始まっている。再帰代名詞「sich」を訳しているのか。
●上にあげた『リルケ詩集』のネット上に読者コメントがたくさんあって50人分ぐらい読んだが、リルケとキリスト教、聖書について、「リルケはキリスト教と聖書の影響を受けている」とする大方の感想に少し誤解があるのでは思えたが、よく検討しないといけない。