2025年8月5日 11:37
晴れ
朝焼けや山にはあらぬ街空に 正子
炊き上がる飯盒露の草に置く 正子
●今日の歯医者の予約をキャンセル。起きた時から体調不良な感じがする。7月半ばの胃腸炎のときのしんどさがトラウマになって、またあんなことになるのではと思ってしまい、予約をキャンセル。
●『マルテ』の二度目の読書が第二部に入っている。もう読まないでいいのではと思うようになった。二度目を読もうとしたときは意図があったが、その意図も数日もしないうちに薄れてきた。そうは思うものの置いた本をまた手に取った。リルケ、言うじゃないかと。
『マルテの手記』孤独者について(第二部)
そこで彼らは急に手を変えた。最後の手段に訴え、いよいよとっておきの妙策を持ち出すので。すなわち、名声という全く別種の反抗に移るのだ。この狡猾な喧噪にさそわれて、すなわち、孤独者は一人残らずほっと安堵の明るい顔を上げた。っして、心を散らして、もろくも打ち滅ばされてしまうのである。
●去年9月からの今日までの俳句を選ぼうとした。写生からずれている。いつの間にこうなったか。残すべき句がない。年末にみんなに書く俳句葉書きの句がない。もはや、これまでか。
●晴美さんから「俳壇」8月号に載った句の感想の手紙が届いた。好きな句は 「夕泣きの寝落ちしひまを梅雨の月 正子」
正子さんの句は身辺の自然や日常をとても美しく切り取って創られているのがわかりやすく共感できます。長い月日のやはり賜物ですね。うらやましいかぎりです。(晴美)
晴れ
●正子の俳句日記の感想を電話でもらった。「こんな世の中でしょ。日記を読んでほっとする気持ちになった。」これは敬二さんの奥さんから。奥さんは俳句を作っておられない。それでも関心を持って読んでもらってありがたい。
●晃さんよりメール。今日の愛媛新聞に花冠の紹介記事が載り、次の句が採り上げられて
ミニトマト採り来て昼餉の皿豊か 古田 敬二
はつ夏やひめわたすげも風の旅 森下 朋子
老鶯に誘われ参る山の寺 土橋 みよ
●「ヴァレの四行詩」より
(三)
夕日まぶし葡萄畑の金色に 正子
夕翳のワインにありぬ葡萄園 正子
曇りのち晴れ
●今日は朝顔も百日草も咲かなかった。セキチクが一輪土にへばりつくように咲いた。 仏前の百日草がダリアのように咲いて やわらかいオールドピンクになった。種から蒔いた百日草だけに思い入れがある。
●花冠のブログに書き込み。コメント欄にも書き込み。使い勝手をためしてみる。
●午前買い物に日吉東急へ。お礼を送る。午後The Best of Schubert by Halidon を聞く。Halidon の Good Work!シューベルトの最高の音楽と銘打っている。シューベルトのスケルツォを初めて聞いた。5時間ほどのシューベルトの仕舞いはザ・グレート。このごろこればかり聞いている。
●リルケ「『果樹園』付ヴァレの四行詩36篇集」のヴァレの四行詩より
(一)小さな滝つ瀬
滝つ瀬の奔りてすずしき水まとい 正子
滝つ瀬の奔るや草香の春まとい 正子
(二)
中腹に置かれし地や家草若し
2025年8月2日 00:29
曇りのち雨
●花冠のブログは、ホームページとしてまとめられ、それぞれのブログに飛べるようになっている。ITの専門家の友宏さんの弟さんがすべてしてくれたので、大変感謝している。早速、日記から使ってみることにした。
暑中お見舞い申し上げます。
髙橋正子の俳句日記をご愛読いただき、ありがとうございます。
このたびgoo blogサービスの終了にともない、本ブログを移転いたします。移転のため8月1日~8月15日までブログの更新をお休みいたします。
新しいブログのアドレスは改めてお知らせいたしますので、再開をお待ちください。
2025年7月31日
髙橋正子
晴れ
小鳥らに茂みとなりぬ百日草 正子
みんみん蝉窓を開けてから鳴きぬ 正子
盆飾りの牛馬に苧殻の脚がつき 正子
●涼しい風が吹く。百日草が咲く。百日草は、丈が1mばかりに育って、一本に花が咲いた。蕾に色が見えて、つぎつぎ咲きそうだ。
●明日から花冠ブログを夏休みとするための、お知らせを各ブログに書き込む。
●ますみさんから自身のブログ移転が完了したとメールがある。
晴れ
●11時ごろのニュースで津波警報が出ているのを知った。一日中津波のニュース。朝8時ごろ、カムチャッカ半島付近で大きな地震があった。横浜でも30cmの津波が来ている。久慈港で1m30cmだった。海岸線を走る電車も運休、飛行機も欠航便がでている。
●『マルテの手記』が最後の章まで来た。8月中に読もうと計画していたが、読み終えた。だいたい内容が分かったので、またこの夏ゆっくり読めばいいだろう。『果樹園』を読書予定には入れていなかったが、これが入ったので、『マルテ』を読み終えたのは良かったかもしれない。
●「俳壇」8月号を美知子さん、晃さん、秀之さんが買ってくれた。他人の句を買ってまで読んでもらえるのはうれしい。感想をいただいた。
美知子さんから
ほうっと蛍わが吐く息をさらいけり 正子
は、リルケをおもわせて西洋詩のようで、誰も作らない俳句、と。
晃さんは感銘句を3句あげてくれた。
葉隠れに雲にならんと朴の花 正子
手の蛍放せば葦の葉にともる 正子
夕泣きの寝落ちしひまを梅雨の月 正子
晴れ
●歯医者へ。午前中の予約といえど11時45分。日盛りを出かけた。すぐに終わったが、また日盛りを帰った。歯医者に行くということに、えらく神経を使って、一仕事した感じ。
●8月1日からのブログの夏休みに向けて7月31日で書き込みが終わるように気を付けて「自由な投句箱」などの記事を書く。
●暑いので家で『マルテの手記』と『果樹園』を休憩しながら読む。『果樹園』のヴァレの四行詩が心にしみた。リルケにもこんな日があったのだと。休憩に何をしたかというと「刺し子糸」と「刺繍糸」がたくさんあって箱がごちゃごちゃするので、それを三つ編みにして、本の栞を作った。文庫本用とA5の本用の2種類を10本ばかり。滑り落ちないのでいいし、書籍紙に挟むと色が綺麗になるのだ。、また、組み紐も編んだ。組み紐は道具がないので手間取ったが出来は自分用には申し分ない。用途は未定。
晴れ
●朝、まだ涼しいベランダで雀の鳴き声がする。たしかにベランダにいる。窓からのぞくと朝顔が咲いているベランダの手すりに鵯が虫をくわえて止まっている。それでも雀の鳴き声がするので、よく見るとベランダに置いてある椅子に雛がいて、燕のように口をあけている。雀ではなく、鵯の雛が鳴いていたとわかった。ひな鳥はじっとしていたが急に百日草の繁みに飛んだ。そしてまた、今度は椅子の向こう側に止った。30分ぐらいたって、親鳥がまた来た。ベランダには水がないので、洗面器に水を少し入れて置いておいた。どうなったかと2時間ほどしてみるとひな鳥は飛び立っていた。
●『果樹園』を捲ってみる。リルケは彼の二大詩集を書きあげたあと、フランス語のこの短詩集『果樹園』を書いた。リルケがこの詩をフランス語で書いた経緯とでも言うようなことが、あとがきに替えた「ヴァレのリルケ」に書かれていた。リルケが亡くなって、26年経つ1952年に書かれたこの文章には、リルケへの手ざわりが感じられる。詩は現代仮名遣いで書かれている。
『果樹園』から40番の詩を挙げる。
四十(片山敏彦訳)
一羽の白鳥が 水の上を
全く無心の様子で進む、
滑っていく一枚の画面のように、
或る時々には これに似て
愛する人の存在が
動いている一つの空間である。
泳いでいるこの白鳥のように
その存在が 動きのために一つの姿でなくなりながら
当惑しているわれらの魂に近づいて来る・・・
そしてわれらの魂は この存在に
幸福と疑いとのためにふるえる姿を
つけ加える。
この詩からの発想で次の句を昨秋作った。
白鳥のすべる水澄み影二重 正子
Vergers, 40
Un cygne avance sur l’eau
tout entouré de lui-même,
comme un glissant tableau;
ainsi à certains instants
un être que l’on aime
est tout un espace mouvant.
Il se rapproche, doublé,
comme ce cygne qui nage,
sur notre âme troublée…
qui à cet être ajoute
la tremblante image
de bonheur et de doute.