
曇り。雨ばらつく。雷。
古き良きおがたまの花香る 正子
雷の走る夜空を胸に寝る 正子
開け放す本堂固めあやめ草 正子
●林誠司さんから『紅の挽歌』(中村猛虎著)が送られた。中村猛虎さんは、60歳。先月だったか、『踝』(近澤有孝著)が著者より送られてきたが、その近澤有孝さんも60歳か61歳ぐらい。この世代の俳人に共通する表現の仕方、表現の癖。
句集の編集からは、作品の読み方が規定される。
ずっと以前は評論的な読み方が流行った。昭和40年代半ばからは、評論的読み方を基礎におきながらも、作品中心の読み方となった。今は、作品だけの読みとなった。作品だけで読ませる句集は、めったにないかもしれない。
●句美子が母の日の花にばらの鉢をくれる。ホワイトピーチオベーション。その付録に花の種、メランポディウムがあったので、播いた。

晴れ。
白く咲いて野茨らしい月の下 正子
●早暁より起こされる。信之先生は、バナナスコーンとコーヒー、オレンジで朝ご飯。私は、夕べのおにぎりとインスタントみそ汁。
●向かいの家にえごの花が咲いている。白雲木も咲いているのではと思い、買い物の帰り、金蔵寺に寄る。白雲木も見ごろ。金蔵寺の講堂が開けられて、ご住職が掃除機をかけていた。金蔵寺の講堂が開かれたのを初めて見たが、コロナの影響で、空気を入れ替えているのかも。金蔵寺はあやめも盛り。
●柏餅をコープに予約注文しているが、明日配達。ちょっとずれているが。柏餅が本当においしいのは、旧暦の5月5日ごろ。山帰来の葉が青々となるころ。少し汗ばむようになって、部屋を開け放ち風を入れて食べる。縁側でも食べる。粒あんではなく、こしあん。

雨のち曇り
四日はや夕べ菖蒲湯を立てり 正子
菖蒲の葉湯浴みのあとも青あおと 正子
風薫る見知らぬ花も良き香り 正子
●昨日の続きにバナナスコーン、チョコクッキーとサブレを焼く。電子レンジのオーブン機能で焼くが、どうもこの機能信用できない。つきっきりで焼く。子供の日のお菓子として宅急便で元希に送る。子供の日は、柏餅、粽と決まっているが、この季節傷んでもいけないし、手作りということで勘弁してもらう。
●近くのマンションの植栽にいい匂いの花がある。山茶花のような葉で、濃い紫の3センチぐらいの花びらが厚い花。名前がわからない。多分、おがたまの木。
晴れ。
太陽と風と憲法記念日と 正子
鯉幟泳がす風のみぎひだり 正子
晴れ。
●「俳壇」から原稿依頼。8月号に5句、「生活の句」とのこと。夏休み、ソーダ水などとある。締め切りは、6月10日。困ったことに、会心の作を一句挙げよと。そんな句は全くない。それができないので、いまだに句を作り続けているわけで。会心の作ができれば、ましな俳人と自負できようが。
●活けたからすのえんどうの茎の先が1センチほど若緑に。伸びている。
晴れ。
●小さい鯉幟が見つかったので、ベランダの物干しに括り付けて泳がせた。今年は、まだ鯉幟を見ないが、前のマンションの子供たちが気付いてくれるだろうか。鯉幟の生産は生まれた県のとなり、岡山県が日本一という。知らなかった。願わくば、紙の鯉幟がいい。風にがさごそと鳴り、夕方降ろして畳むときは、小さい子は鯉幟のお腹に入って異界を楽しむ。そんな昔があった。
●「俳壇」から原稿依頼。8月号に5句、「生活の句」とのこと。夏休み、ソーダ水などとある。締め切りは、6月10日。困ったことに、会心の作を一句挙げよと。そんな句は全くない。それができないので、いまだに句を作り続けているわけで。俳壇の皆々様のようには、作句にテンションがあがらない。
晴れ。
春筍きょうのお菜はそればかり 正子
姫皮のぞうげ色幾重春筍 正子
じゅじゅじゅじゅと雀の声の薫風裡 正子
揚げ雲雀雲に隠れて声ばかり 正子
●今日で4月が終わり。
冷蔵庫の野菜室の掃除をする。ボックスを風呂場で洗う。
冷蔵庫に残り物が増えがち。買っておこうかと思うものは、家族の二人分ではなく、一人分買うようにしているが、増える。テーブルに食べ物は置きたくないが、何かしらある。ないと何かないかと思う。子供たちや人にやたらあげるわけにもいかないし。食べ物に神経を使う。
晴れ。昭和の日。
たんぽぽはまこと日の花は夜は閉じて 正子
からすのえんどう小瓶の水に真すぐ活け 正子
●今は昔、けふはみどりの日、古きは天皇誕生日と言ひき。いろいろ呼び名が変わるなあ。
●仕事に出かける前、家の近くで、からすのえんどうとたんぽぽを一茎ずつ摘んで、瓶に活けた。たんぽぽを低く、からすのえんどうを立てた。からすのえんどうは、透き通ったガラスに似合う。
夜仕事から帰ってみると、たんぽぽは、閉じて眠り、からすのえんどうの赤紫の花はしぼみ、私のいない数時間に野の花は一日をすっかり終えていた。
●有花さんが、26日の投句に磯鵯の句を投句していた。磯鵯、聞いたことがないので、YouTubeで調べる。鵯の名がつくが、ヒタキ科の美しい鳥。青い鳥とも呼ばれているらしい。声は聞きなしできないが、かわいい澄んだ声。磯の岩に居たものらしいが、今では市街地にもいるらしい。こんな小鳥が増えるのは歓迎だ。
晴れ。
●角川「俳句」5月号届く。花冠の広告を掲載しているため、送られてくる。今月号の特別座談会「俳句とは何か」が読めた。読めたというのは、読んで面白かったということ。これまでよく言われていることの話、新しいところは特にないのだが、各人のお考えがその方の俳人格のようで、面白かった。有馬朗人、大輪靖宏、高野ムツオ、西村和子(司会)の座談会。
俳句の選をするとき、いつも「俳句とは何か」が念頭にある。これを外して俳句の選はできない。俳句の添削も結局は、「俳句とは何か」に沿ってされる。永遠の課題であろう。
●きのう「くぢら」にお礼の手紙と花冠30周年記念号を送らせてもらった。
改めて花冠30周年記念号を読み返すと、30年で信之先生がされようとしたことは、完成されていると思った。花冠(水煙)叢書として全50巻がある。十分である。
記念号に私の「尾瀬初秋」と「イギリスの旅」の文がある。若いころは自分の文章を読み返すのは、ぞっとするので嫌であったがこのごろは、愛着がある。愛着は文章にではなく、今となっては、二度と行くことはないであろう旅の記録。「尾瀬初秋」も「イギリスの旅」も一応まとめてはいるが、書きかけなのだ。つまり未完。あとを書くべきかどうか。
晴れ。
ガラス戸の外に春空森閑と 正子
私に紅茶を供し風薫る 正子
夜目遠目もっこう薔薇の暈けており 正子
●鮎が値引して売られていた。養殖鮎の値引とは言えまだ高くて、それに季節が少し早すぎるようで、買う手をひっこめた。読んでいた本で、岐阜では、鮎奉行という役職があったと知った。奉行所の管理のもとに鮎が取引された。主人の母の話では、大洲の肱川では、鮎を救って昼ごはんのお菜にできたと。肱川では、鮎は庶民の魚であったのか。目がちらちらと鮎にゆくようになった。