5月5日(木)子供の日 立夏

玄関に立夏のアロマよく匂い     正子
薔薇活けてざっくりと敷く白リネン  正子
更地の畑きぬさや豌豆すずなりに   正子
●今年はアブラムシが全然いない。こんなに全然いない年は経験したことがない。逆に、大丈夫かなとも思う。薄暑といいながらも、空気がひんやりしている。わが家のミニミニ薔薇がよく咲くのはいいけれど。
●You Tubeに『バカの壁』の養老孟司先生の「生活の知恵」と言う講演を切り取ったような話が出現したので、数話聞いた。禅問答のような話もあるが、つい聞いてしまう。口癖は、「そうでしょ」。これで同意し、納得させられているのかも。それに落ちとして「虫」が出て来る。
●髪が落ち着かないので、カットしてもらう。前のカットからちょうど1か月。正直な髪の伸び具合。出かけたついでに、暑くなりそうなので、無印でTシャツを1枚買った。あまり似合っているとは言えないが、いいことにして。太番手の木綿の少しざっくりした生地。

5月4日(水)みどりの日

晴れ
●日吉東急にあったヤマダ電機がなくなって、エディオンが新しく離れたところにできた。午後、ひとり、店の見物に出かけた。もっぱら2階のデジタル製品だけ2時間ほど見た。電子ピアノ、ステレオ、パソコン、カメラなど。
目新しいデジタル製品がある。電子メモ、クーピーのデジタルペン、リングライト、双眼鏡、面白いデジタルカメラ、ピントが自動で合う老眼鏡。いろいろ見ると、デジタル化に体が追いついていない、取り残されている感じがだんだん強まってきた。電子ピアノやキーボードが楽器店ではなく、電器店で売られている。ステレオがそうだから、それもそうかもしれないが。
電子ピアノに楽譜が置かれていたので、どんな音か弾いて見た。「エディオンマーチ」の楽譜だった。外に出ると広い駐車場、そしてすぐには高架を東横線が走っている。高架を潜り、徒歩でバス通りに沿って帰る。歩いているうち、デジタルの世界から少し解き放たれた感じになった。バス通りは家並みの若葉や花が輝いている。煉瓦造りのアパートが建設中。わが家のあたりはどの家も薔薇が満開。
●菖蒲を買ってきたので、今日菖蒲湯を立てる。

5月3日(火)憲法記念日

晴れ
薔薇咲いて改憲論の処々に湧き    正子
ばら剪りぬ真新しき軍手はめ     正子
薔薇咲いてとろとろ煮えるカレー鍋  正子
●まだ「ウィーン」が頭に残っていて、なんとなくgoogleのヨーロッパの地図を開いた。ウィーンは私が思うよりいつも東にある。ウィーンの位置がなかなかインプットされない。ドナウ河が流れ、東欧はすぐ。
●松野苑子第3句集『遠い船』を読み、礼状を認めた。苑子さんは1947年山口生まれ。
「身体感覚が詩的に浄化され一句となっているのが目立つ。自分のある一線を崩さず詠みっきっているのは素晴らしい。母を亡くしたり、乳がんの手術を受けたりと、沈みこんだ時を時の経過とともに尊さが増してきている。」
『遠き船』より好きな句(15句)
小鳥屋の百の扉や冬日中
摘草のときどき横の姉を見て
夜は星吹き出してゐる葱畑
夏蒲団と私の体との隙間
海底に沈みゆくごと髪洗ふ
春の日や歩きて遠き船を抜く
風鈴や山に山影ぶつかりて
指入れて指長くなる泉かな
草笛に草の味してまだ鳴らず
見舞ふたび命減りゆく母や春
息せねば母は骸や夏の月
父母亡くてこの世よく晴れ蒲団干す
桜ふぶき人のかたちを消してゆく
礼状に桃描く桃の香の中に
菜の花の大地の起伏光りあふ

5月2日(月)八十八夜

曇、ときどき晴れ
かしわ葉のやや朽ち色に柏餅       正子
透きとおるまでわらび餅火を入れて    正子
花あけびいつも斜め上にあり       正子
●ネット短信No.379を発信。
5月月例ネット句会の案内、花冠7月号の投句依頼。
●奥の細道むすびの地記念館『共鳴』4月号(星野勝選出)より
落葉掻く匂いを立たせ園丁ら    髙橋正子
雲雀鳴く空広く町つつましき    小川軽舟(鷹)
天窓に日の射し来る七日粥     名村早智子(玉梓)
人来るたび榾を足しゐる除夜焚火  伊藤政美(菜の花)
春渚一歩に波の転げきて      和田順子(繪硝子)
みちのくや雪に寝る夜の雪の夢   名和未知男(草の花)

5月1日(日)

くもり
若葉冷ゆラジオにリート流れいて  正子
ベランダにミニばら溢るを幸として 正子
薔薇を食う青虫小さし憎まれず   正子
●青葉が冷えている。今朝のラジオの音楽の泉は、シューマンの「詩人の恋」。今日から5月ということで、シューマンの歌曲が選ばれたのかなとも思った。夕べから、ネットサーフィンで曲を付けられた詩をいろいろ見ていた。偶然とは言え、5月はそんな月なのか。ロマン派の詩に舞い上がっては俳句ができない気がして、ほどほどでサーフィンは中断。根本的に違うんだ。

4月30日(土)

晴。
鯉のぼり夜は平らかに垂れさがり   正子
菖蒲あおあお四年生へ送る荷に    正子
薔薇挿して水のかがやくガラス瓶   正子
●気温は15度ぐらい。ミニミニバラがあふれるように咲いた。棘があるのが難点。ベランダにはこのミニミニ薔薇で十分と思うほど満足させてくれる。今年はアブラムシが来ないので大助かり。アブラムシが来ないのは初めてのことではないか。小さい青虫を2匹取っただけ。
●明日は稲荷ずしと巻きずしを作ることにして粗方準備した。巻きずしはごぼうを入れて田舎巻きにしようと思う。そら豆のシーズンなのでそら豆をなにかに。
●シューマンの「献呈」は、詩人リュッケルトの詩に曲を付けたものと知った。にわかにリュッケルトに興味を持って、ネットにWidmung(献呈)の歌詞があったので、日本語訳を頼りに読んで、そのあと訳を外して読んで見ると、そのドイツ語、私にも理解できる。韻もたしかに踏んでいる。
●"Widmung"
Du meine Seele, du mein Herz,
du meine Wonn', o du mein Schmerz,
du meine Welt, in der ich lebe,
mein Himmel du, darein ich schwebe,
o du mein Grab, in das hinab
ich ewig meinen Kummer gab!

Du bist die Ruh, du bist der Frieden,
du bist vom Himmel mir beschieden.
Daß du mich liebst, macht mich mir wert,
dein Blick hat mich vor mir verklärt,
Du hebst mich liebend über mich,
mein guter Geist, mein bess'res Ich!

4月29日(金)昭和の日

曇、ときどき小雨
●久しぶりに「俳句添削教室」に投句があった。長らく投句がないので、「Timber Room (元俳句添削教室)」と名前を変えて、正子用に使おうとしていたところだった。夕方、投句者から電話があって、いろいろ説明した。

4月28日(木)

くもり、ときどき晴れ。
●松野苑子さんから第3句集『遠き船』(角川書店2022年4月発行)が送られて来る。角川賞受賞作者の句集。370句。
●『ウィーン愛憎』を、読み終わる。この本は読んだことがあると、思い出した。筆者の妻が病気で、2階に住むアメリカ人家族が騒がしいので注意に行った。わかりましたと言ったものの、いっこう騒ぎを止めない。翌日玄関前に、花束とお詫びの手紙があったと言う話を覚えていた。実は息子の誕生日だったのでということだった。
『ウィーン愛憎』は筆者がウィーン大学に留学していたときに遭遇した出来事を文明批評的に書いている。すでに、半世近く前の話で2度も3度も読む話ではない。なのに、「ウィーン」に魅かれて手にした自分をどう見ればいいのだろう。
この本が書かれたころの出来事を思い出した。
ウィーン大学から若いヴィレ先生が東大に来ておられ、愛媛大学に集中講義に来られた。ちょうどそのおり市民会館でコンサートがあり、ヴィレ先生と、信之先生と、私でコンサートに行った。コンサートが終わり、外に出た私はさっさと二人より先を歩いた。ヴィレ先生が慌てて追っかけて来て、私にコートを着せてくれた。そのあとを、信之先生が、オーッと言いながら、慌てて来た。ウィーンでは、夫は妻にコートを着せるのが、今も礼儀と見える。ヴィレ先生はウィーン流を守ったのか、それとも、ウィーンの礼儀や習慣をドイツ語教師の信之先生に教えてくれたのか。帰宅して、信之先生は、「そんなことできるか」と嘯いていた。今も、落ち着かない感覚が肩のあたりに残っている。

4月27日(水)

小雨、曇、のち晴れ
山越えに音さらさらと竹の秋    正子
無患子の実が転がって若葉して   正子
しゃがの花ラグビー場を取り巻きて 正子
●湿気が多くて梅雨の走りのような天気。うすい長袖で過ごす。
●『昭和史下』を読み切っていないのだが、日吉地区センターに返却に行く。
中身が外れかけているので、それを司書に言うと、丁寧に対応してくれた。
書架を一回りして『ウィーン愛憎ーヨーロッパ精神との格闘』(中島義道著/中公新書)を借りて帰った。『ウィーン〇〇』の本は、家にも何冊があるような気がしたし、この本も前に読んだような気がしたが借りた。一つには、著者が私と同学年というのもあって、若い日、ウィーンをどう感じていたのか興味深く思ってのこと。
外国の精神との向きあいには、人間の細胞までちがっているのではないかという恐ろしい格闘もある一方、無いものにたいしての憧れの親和的気分も大いにある。「半分恐れ、半分憧れる」のが、私時代の感覚。3分の1ほど読んだ。
●地区センターは、松の川緑道が始まる手前にある。行きは電車で行ったが、帰りは、緑道を通り、丘を越えて帰った。しばらく緑道を通っていなかったので、すっかり変わっていた。シャガがきらきらと咲き、ムラサキナノハナが茎をよく延ばし、黄色いなにかの花が咲き、流れは草に覆われていた。夏草になる一歩手前のところ。丘の孟宗竹の藪は竹の秋を迎え、筍が2本突き出ていた。坂道には無患子の実が転がっていた。無患子の木はどこかと探すと、藪の端に若葉が伸びて空を透かして聳えていた。薄着で出かけたのだが、帰ったらすぐシャワーを浴びようなどと思う暑さだった。

4月26日(火)

●天気は良くない予報だったのに、晴れている。
●買った苺ひと箱、忘れて傷みかけていた。もったいない。助かった苺をジャムに。小さいカップに入るほど出来た。二人分なら十分。2、3回食べれる。
●花冠7月号の雑詠の投句者あり。