晴
6月23日(木)沖縄慰霊の日
曇り。
●自由な投句箱6月19日~22日分の秀句を選び、コメント。みなさん、いろんなところへ出かけられたり、よく勉強されて、知らないことがたくさん出て来る。ネットで検索して調べることは欠かせない。ネットが無ければ、とても間に合わない。ネットから情報を選び出すのも技術と思えるが、ついついネットサーフィンをして、長読みしてしまう。
●自由な投句箱の秀句とコメントをアップしたあと、信之先生とURの緑地を歩く。広場で子供たちが大勢フリスビーで遊んでいた。アガパンサス、萱草、浜木綿など夏らしい花が咲く。穂絮となった草があるのか、チクチクと腕などがかゆい。長袖にすべきだった。
●夜、花冠7月号編集。
6月22日(水)
曇
●整形外科へ。きのう寝方がわるかったのか、それとも、疲れすぎか、体が固くなって動くのがつらいほど。ちょうど整形外科の受診だったので、ロキソニンテープをもらう。帰ってすぐ体中にはると、効き目がないようで、よく効いているらしい。
●今日は一日休むことにした。編集も、自由な投句箱も、掃除もしない。そして、無駄にしゃべらないように。
6月21日(火)夏至
曇り
●午後内科の受診。句美子が午後休暇をとって留守番に来てくれた。安心して病院に行って、ゆっくりして来るようにと言ってくれたので、病院の帰り髪をカットできた。お土産にポンパドールでパンを買う。杏のデニッシュと、パイナップルのデニッシュ、バターロール、チーズパン。
●このところ夏なのに血圧が上がりっぱなし。ドクターからは、あなたの血圧の管理は難しいねえ、と言われる。薬を少し増やせば下がりすぎて腎臓に負荷がかかるし、減らせばすぐに血圧が上がるとのこと。私的には血圧は半分気分ですと言いたいところ。
●ここ1か月あまり、いろいろあったので、疲れた気がする。これ以上頑張るとどこか具合が悪くなりそう。
6月20日(月)
晴
●俳句四季から句美子に原稿依頼の封書。明日、渡すことに。
●花冠の編集。
●「櫟」同人の種谷良一さんから句評のお礼の葉書。花冠の出発が愛媛ということをご存じないようだった。種谷さんは、もしかして警視庁の偉い方かも。
6月19日(日)
晴
●久しぶりに晴れた。今日は、花冠の編集に集中。
●今日は父の日。それを忘れていたら句美子が昼過ぎお菓子をプレゼントに持ってきてくれた。
せっかく来てくれたので、花冠の保存本を、半分に減らしてもらった。3時間ぐらいかかった。花冠の過去号が欲しいといって来られる人がいなくなったので、保存している花冠を半分に減らしても問題がないだろうから。
●おやつに杏仁豆腐もどきを作る。キウイを飾りに浮かす。
寒天4g。水400ml。牛乳200ml。砂糖70g。キウイ1個。
シロップ適宜。キウイがさわやかで美味。
6月18日(土)
曇
●中断していた「花冠」の編集を始める。
●午後信之先生とセンター北へ信之先生の帽子を買いにいく予定。ところが、出かけようとして買い物バッグを開けたら、そこに失くしたと思った帽子が入っていた。まさかの場所なのだ。出かけたおり、忘れてはいけないとバッグに入れ、それを忘れた訳。この忘却、私もあやしい。
出かける支度をしていたので、そのまま出かけた。アカデミアで『星座と神話大じてん』(成美堂出版、これは出たばかり)と『まっぷる四国』(昭文社)を買った。星座と神話の本は野尻抱影のがいまだに売られている。こちらは息子が好きでよく読んでいた本。30年前のが少しバージョンが変わっているだけ。
●5月20日から今日までほぼ一か月子供たちも巻き込んで信之先生の介護の件でいろいろ介護関係に当たってみる。どれもいまいちで、これまでと全く変わらない。信之先生は年相応に元気でたのしく過ごしているが、91歳になって一人で留守番をするのはあぶないと言うのが、家族の一致した意見。
6月17日(金)
晴
●夜明け前から雑誌類の整理。ときどき整理はしているつもりだが、すぐに増えて積み上がる。2月に整理してその後はそのままだった。
●URの緑地にはやくも槿が咲いていた。それにしても早い。新しく建てられた選挙ポスターの看板で隠されてしまっているのが、隙間から見えた。
●信之先生91歳になるが、介護サービスはこれまで一度も受けていない。週1か週2、サービスを受けて欲しくて、介護関係の人に連絡をとっているが、そんな年ではないと言い全く困っている。
私は編集の仕事に集中できず、朝から晩までYou Tube でなんとなくクラッシクを聞いている。そこでフルトベングラーがベルリンフィルを指揮したモーツアルトのピアノコンチェルト20番に出会った。フルトベングラ―の指揮について面白いことを聞いた。フルトベングラ―の指揮は、指揮棒が微妙に動いていて、どこではじまるのかよくわかないそうだ。例えば、指揮棒の先が第1ボタンのところに来たときが始めだとか、楽団員個人が判断しないといけないらしい。ぴしっと音が揃うという感覚ではないらしい。遅れてもいけない、揃ってもいけない。なんとなく分かる。大勢の個人がいて、それぞれ芸術的考えがあって、揃うのもがおかしいと言えばおかしい。遅れては音楽にならないし。
揃うと言うことに関して思った。句集で、5-7-5、はい次の句5-7-5、はい次の句5-7-5とゆるぎない俳句が続いたら、嫌になるか、笑いそうになる。5-7-5の中に、その人らしいリズムとか息遣いとかがあって、少しリズムが崩れて面白いのだ。それは俳句の韻律の問題で、前衛でも例えば、著名な坪内稔典さんの句も、きっちり5-7-5で新しくないのだ。俳句の韻律の問題の研究が進むといいと思っている。言葉と音は切り離せない。
6月15日(水)
小雨
園児らに咲き上りたり立葵 正子
一線の白き筋あり青き萱 正子
アーカンサス梅雨に立たる花白し 正子
●朝夕2度散歩に信之先生と連れ出す。URの緑地を抜けて綱島街道のバイバスまで。道沿いに青萱、立葵、向日葵が育っている。立葵は上まで花が咲くと梅雨が終わると聞く。あと数花咲けばてっぺんまで咲くことになりそうだが、梅雨はこれから。今日も一日小雨で、気温は低い。
●アーカンサスの花がURの緑地に咲いている。ギリシャ彫刻などに残されている花だが、この名前、この前からどうしても思い出せなかった。暗がりに咲いている花が目に入り、ふっと思い出した。数学の問題でもう少しで解けそうで、解けないくすぐったさにも似ていたが、今日は小暗さが脳を働かせた気がした。
●昨日「俳壇7月号」が届いた。花冠の結社広告掲載誌。また、精選アンソロジー作家作品集に髙橋秀之さんの「巣立つ子」5句が掲載される。今回は『俳句の宙2021』への参加者。
巣立つ子が母に背きぬ三月尽 秀之
父親としては、複雑な気持ちだろう。ここに詠まれた「巣立つ子」が、生まれ、離乳食をたべはじめたときからが秀之さんの句歴となる。
6月14日(火)
霧雨一日中。
●梅雨のせいか、肌寒い。薔薇の花がどれも虫に食われ、丸ぼうず。消毒しても効き目がない。
●近所の緋目高が多分2年目になるんだろうが、深い甕に入れられて元気そうに泳いでいる。ホテイアオイやほかにも水草が沈められている。商店街の新聞店にもプラスチックの大きなボールに金魚が飼われているらしく、配達員がかわるがわる覗きこんでいる。夏のくらしが楽しそう。
●「自由な投句箱」のアクセスが急に上がる。原因はよくわからない。