晴れ
●「若竹」の会員のK氏に拙句鑑賞のお礼の葉書きを出す。
●『小西昭夫句集』(ふらんす堂)のお礼の手紙を出す。
●「バガテル」25章(終章)まで書き終える。約5万字、400詰めで125枚。100枚ぐらいにコンパクトにするのが、いいかとも考える。断章の順番、断章の題、削除や挿入箇所の検討、表記の統一が主な仕事として残る。これを11月10日までに行う予定。
●「現代俳句」10月号(No.722)に草田男とデューラーの関係について美術史家の元木幸一氏の評論がある。デューラーは文人によく取り扱われる。その名前も文学に似つかわしい感じがする。デューラーの何がよくて、なのだろうか。以下AIの分析。
文人にとってのデューラーの魅力
• 線の精神性
デューラーの銅版画や木版画には、線の緊張と沈黙が宿っています。これは俳句の「切れ」や「間」に通じるもの。草田男の句にも、言葉の奥に沈黙があるように、デューラーの線には語られぬものが潜んでいます。
• 象徴と寓意の深さ
『メランコリアI』や『騎士と死と悪魔』など、デューラーの作品は象徴に満ちています。文人はその象徴を読み解き、詩的な解釈を重ねることができる。草田男の句における自然や季語もまた、象徴として機能します。
• 名前の響きと文学性
「デューラー」という名には、どこか詩的な響きがあります。硬質でありながら、柔らかく、ドイツ語圏の文芸的な香りを漂わせる。文人がその名に惹かれるのは、音の詩性もあるでしょう。
• 自画像に宿る内省性
デューラーの自画像は、まるで文人の肖像
晴れ
萩咲いて月がぼんやり浮いている 正子
夜目におなじ白き芙蓉と白木槿 正子
●ゆうべの雨が残って、道路が濡れていた。きのうより起床は遅かったが、散歩に出かけた。坂は歩きたくないので、平坦なところを探して歩く。保育園のビオトープに、とちかがみの白い三弁の花が咲いていた。
今朝開いた花は、レースのような透明感がある、2センチもないような花。一日でしぼむらしい。昨日は、雨だったので蕾んでいて、白いビーズのようにしか見えなかった。
紅萩の花は昨日も見たが、今朝の方が開いている。銀杏が数個落ちているが、木には青い実がある。銀杏の実は、葉が青いうちに熟している。これは想像と違う。黄葉して熟すイメージだったが違っている。秋がたしかに進んでいる。
●俳壇より原稿依頼。「編集室の風景」のタイトルで11月10日締め切り。2026年1月号に掲載される。同人会長の有花さんに相談し、承諾することにした。10月になり、周りが動き出して、忙しくなりそう。
●「俳壇」8月号(2025年/本阿弥書店)「梅雨の月」の髙橋正子の俳句が、「若竹」10月号の「一句一会」に掲載されました。
手につつむ蛍のあかり指をこぼれ 髙橋正子
「俳壇」八月号「梅雨の月」より
俳句の調べ、と言うことを考えるとき、やはり五七五のリズムを言葉の意味とどう結びつけるか、ということが勝負なのだろうと思う。そういう意味では掲句は、下五を「指こぼれ」と「を」を抜かして詠んでも意味は
通じるし、五七五にも収まる。しかし、「指をこぼれ」と「を」を入れて
六音にすることで、蛍のあかりが、ふっとこぼれるような、こぼれたあかりを見る作者も、はっと驚いたような、そんなニュアンスを感じさせる。リズムと言葉の関係性の魔法がある。(川嵜昭典)
2025年10月2日 13:21
雨のち曇り
ふるさとの空にあるのみ天の川 正子
天の川辿る記憶の中にのみ 正子
秋雨に白き花をばとちかがみ 正子
●天の川を全然見ていない。記憶の中にしかなくなっている。
妻二タ夜あらず二タ夜の天の川 草田男
妻がいない夜、外に出て空を見上げtら、すばらしい天の川が流れていた。それが二晩続いたのだ。この句は、もっと若いころ、「妻二タ夜あらず」が天の川よりも強く感じられた。上五を強く受け取ってしまっていた。今日改めて読むと「天の川」が強く読めた。おそらく、歳時記で「天の川」を意識してい読んだからだ。
●雨だったが朝のウオーキングに。涼しくなったので、一日7000歩を目指すことにした。ウオーキング中、とちかがみの白い花を発見。保育園にあるビオトープに咲いていた。朝なのか、雨のせいなのかわからないが、花は閉じてまん丸くなっていた。