NEW9月6日(土)

晴れ
●台風が去って午前中までは涼しかったが、午後いつも通り暑くなった。朝顔に黄色い葉が目立ち、花の色も薄く、形も小さくなってきたので、蔓を上げようと思う。百日草は仏壇のお花にいつも新しく切って供えることができた。丈は伸びすぎているが、もう少し置いておくことにした。

●二、三日前から電子レンジが温まらなくなった。まだ新しいのに買い替えなければならないかとヒヤッとした。「初期化」が頭に浮かんで、電源を切ってみた。一度はうまく行ったが、そのあとは電源を切ってもダメ。やっぱり買い帰るのがいいだろうと、ネットでレンジを探していた。何気なく立ち上がって、扉を開閉してみた。? 傍に立てかけていたオーブン用の金網が1mmほど扉を押していた。これが原因のようだ。

●悠仁様の成年式の様子をYoutubeで見た。すべて古式に則っているのではないだろうが、儀式で述べる挨拶が、全く必要なことだけ。天皇陛下からの冠を受け取ったお礼として「冠を賜りありがとうございした」。朝見の儀のときもそうであった。緩やかに進む儀式ではあったが簡素いう言葉が似あう。

●リルケの「ヴァレの四行詩」を今晩も2篇便箋に書き写す。自分が自分に寄り添っていることがわかる時間だ。誰かが寄り添ってくれているわけではない。リルケが寄り添ってくれているとは思えない。が、精神が落ち着くことは確かだ。

9月5日(金)

雨 夕方上がる
吾亦紅を夫に供えて帰りけり    正子
赤の色に入れてあげるよ吾亦紅   正子
あおあおと酢橘・青柚子売られけり 正子

●晃さんに角川自選5句のことで朝10時半ごろ電話。台風15号の事を聞くと、もう通り過ぎたとのことだった。ここは雨が降っているがひどくはない。夕方には台風が通り過ぎ雨があがった。肌寒いくらいの気温。

●角川年鑑2026年版自選5句、句美子、正子分を投函。
句美子
すきとおる新茶を淹れる益子焼  句美子
更衣小さな服の袖洗う      句美子
色鳥をそっと爪先立ちて見る   句美子
冬夕焼け真っ白な壁に影二人   句美子
冬星の神話語りにうとうとと   句美子

正子
葉桜の影を踏みゆく墓所までを  正子
あめんぼう水速ければ流れゆき  正子
早苗田の水を響かせ雷去りぬ   正子
遺されしセーター一折して被る  正子
睡蓮をしずめて平ら冬の水    正子

●「ヴァレの四行詩」(六)より
(詩返)きよらかな太初や夏の葡萄園  正子
(第1行)無言の土地 これについて預言者たちも語らない。
・・・・
(最終行)お前の堅い子音の中へ置く!
●この年で思うが、自分の本来のミッションが何かを分からなくされていた気がする。人より繊細なために、却って都合のよいようにされてきたのではないか。そうならばひどいことだが、幸いこのところ体調不良で外出をほとんどしなかったために、自分のミッションをはっきりさせることができた。

 

9月4日(木)

曇り、夕方小雨

●台風が四国に来ている。四国を横断して紀伊半島から明日はこちらに向かう。
●「八月尽」を調べるために「新日本大歳時記」(講談社/1999年)を本棚から取り出した。当時40代だろうと思われる著名俳人たちも季語を解説している。その年齢が感じるであろう感覚で季節をつかんで解説しているのが面白い。当時60代前後の俳人の解説とは違っているのである。季語の伝統的解釈がすこしずつ変わっているのに気づいた。それが良いか悪いかわからないが、季語も時代と共に変遷していると言わないといけないだろう。
秋めくとすぐ咲く花に山の風  飯田龍太
日のさしてをりて秋めく庭の草 深見けん二

●死ぬ十年ぐらい前だったろうか、信之先生がふと漏らしたことがある。クーラーからは風が吹き出ていた。その下に来て私のすぐそばに立って腕組みをして言ったことがある。それを聞き、私は息が止まりそうなるほど驚き、体の真ん中を氷水が落ちる感覚になった。私は息をつめて時が過ぎるの待った。そして信之先生がひと言聞いて来た。それに「はい」と言った。信之先生は「ふうん」と答えてそのことは終わった。花冠の発送準備で封筒に宛名シールをは貼っていたときのことなのだ。そのときに言われたことが本当かどうか、いまだに確かめられないでいる。忘れてしまえばいいが、どきどきはっきりと浮かんできて、やはりそれが本当かどうか確かめたくなるのである。そうだったとすればあまりに切ない。確かめる方法はあるが、そんな確かめかたでよいのか。どうすればいいのだろう。それが本当かどうか、文学として書いて確かめるしかないのか、と思っている。そうすることが文学の使命なのかと、老年の今になって初めて気づいた。そのことを書かねばならないのだろう。ゆっくり書こうと。とにかく書くべきだ。しかし、なんて遅くになって気づいたのだろう。

It must have been about ten years before his death. One day, Nobuyuki sensei let something slip. The air conditioner was blowing softly, and he stepped beneath it, stood close beside me, arms folded, and said something.
When I heard it, I was so shocked I nearly stopped breathing. It felt as if ice water had been poured down the center of my body. I held my breath and waited for time to pass. Then  Nobuyuki snsei asked me a single question. I answered, “Yes.”
He replied, “Hmm,” and that was the end of it.
It happened while I was preparing to send out haiku magazine Kakan, affixing address labels to envelopes.
To this day, I still don’t know whether what he said was true. I wish I could forget it, but now and then it rises vividly to the surface, and I find myself wanting to know—was it true? If it was, it’s unbearably sad.
There is a way to find out. But is that really the right way to confirm it? What should I do?
Perhaps the only way to know whether it was true is to write it—as literature.
Only now, in old age, have I realized that this may be the very mission of literature. I suppose I must write about it. Slowly, deliberately. At the very least, I must write. But how late I was to realize it.

9月3日(水)

晴れ、午後曇り
朝顔の色褪せ保つうす紫 正子

●9月というのに、猛暑はいっこう収まらない。むしろ、いっそうひどくなっているように感じる。ベランダのプランターの朝顔は水が足りなくて枯れたも同然の姿になる。水は如雨露一杯では足りなく、たっぷり2杯、鉢の底に水が溜まるほど注いでいる。半日もすれば水が底をつく。朝顔の色も濃い青だったのが、今朝は色を失って薄紫になっている。いつものように2輪を摘んで今朝の食卓に置いた。

●9月1日の有花さんの投句の「八月尽」ついて自由な投句箱に説明した。私が俳句の問題で説明するのが一番難しいと思っているのは「季語」である。歳時記には、机上で使うもの、吟行などに携帯するもの、さらに詳しい大歳時記と言われるものがある。問題はこの「大歳時記」である。新季語が取り上げられることもあり、著名人がそれを使う場合もある。しかし私から見れば、内容によっては慎重に見極める必要があると感じることもある。著名人の句を批判するのは難しい。俳句を褒めるのは私にとっては、やりやすい。句の問題点を指摘することは、私にとって容易ではない。褒めておけば無難、というわけではない。俳句の問題点は、技術だけでなく、言葉の象徴性や倫理性など、複雑な要素が絡み合っている。季語の範囲があまりに広がり、もはや何でも季語になり得るように感じる。象徴としての季語の働きが弱まっているものもある。季語に触れるには慎重さが求められるが、私自身、慎重さを忘れるというより、つい手を伸ばしてしまう——それもまた、季語の魅力なのかもしれない。季語が「なんでもあり」となれば、逆に季語がないと同様になる。今後、季語はどう変容していくのだろうか。

On September 1st, I offered an explanation in the free submission box regarding Yuka-san’s haiku using the seasonal phrase “End of August.” What I find most difficult when discussing haiku is the matter of kigo—seasonal words. There are various types of saijiki (seasonal word dictionaries): those for desk reference, those carried during ginko (poetic outings), and the more detailed ones known as daisaijiki. The issue lies with this daisaijiki. New seasonal words are sometimes introduced, and prominent figures may choose to use them. Yet from my perspective, depending on the content, I often feel that careful discernment is required.
It is difficult to critique the haiku of well-known individuals. For me, praising a haiku is far easier. Pointing out a poem’s weaknesses is not something I find easy. That said, simply offering praise for safety’s sake is not the answer either. The problems within a haiku are not limited to technique—they involve complex elements such as the symbolic nature of language and ethical considerations.
The scope of kigo has expanded so much that it feels as though anything can now be considered a seasonal word. Some kigo seem to have lost their symbolic power. Engaging with kigo demands caution, yet for myself, it’s not that I forget to be cautious—it’s that I find myself reaching out to them nonetheless. Perhaps that, too, is part of their allure.
If kigo become “anything goes,” then they may as well not exist at all. How will kigo evolve from here?(the translarion by copilot )

9月2日(火)

晴れ
  ゆうまくん二句
秋の蚊のさしあと赤く児がねむる 正子
寝返りがあそびで暑き日が暮れる 正子
秋暑しラッシュアワーに乗合す  正子

●朝の日が少し斜めに差すようになって、秋めいてきた。角川の自選5句のについて、美知子さんからメール。「谷水を啄み鶺鴒水の上/美知子」の句について、好きな句なのだが、すこしもわっとした感覚が残るのはなぜか考えた。「啄み」が説明になっているのだ。「啄む鶺鴒」とすれば鶺鴒のイメージがはっきりする。そこなんだと気づいた。

●かなりリルケに頭が侵されている。夜中、イタリア語講座を見ていた。語学よりも文化的なものを伝えてくれるので面白いから見ていたのだが、講師の男性の一人が髭を生やしたリルケの似顔絵によく似ているのだ。

最近では、髭を蓄えた男性が目につくようになった気がする。私の父親も戦地で軍馬に乗り、髭を生やした姿で写真に収まっていた。これは第二次世界大戦中のこと。最近では、テレビの広告に「どうする?GOする」に出て来る髭の男性も魅力的だし、某企業の社長の髭は文豪の誰かのようだ。某社長は、たまごサンドが外国人に人気なので、これの世界展開を考えていると、一見ミニマムでありながらも世界規模の話を自然な日本語で話した。わたしはてっきり、彼を日本人と思い、「日本人の髭もジェントルマンらしくなった」と感想をもったのだ。ところが、字幕に出た彼の異国人らしい名前に思い込みが外れた。「日本人の」は、行き場を失った。

髭を生やした男性について。私は旧知のある方を若い時しか知らないでいる。ところが最近、ウェブサイトを検索中に、偶然にその方らしい写真をネット上で見て、思わず息を呑むほど驚いたのだった。本当にその方かどうか確認したかったが、二度とそのサイトが出てこなかった。その方の若い時のイメージからは、決して想像できない変化なのだ。その写真は現役時代の講演の時の写真らしかった。夜ねむりながら、その方のイメージを作り直していた。その口髭は、彼の地位を表し、彼の人生の成熟の現れなのか、彼はお洒落を楽しむ余裕があるのかなどを思い、口髭を蓄えたその方を静かに受け入れた。その方の若い時、わが家でみんなで食事した時の楽しそうな会話を思い出した。そうだ、その方にはそういう一面があったのだと思い直した。それは多分、その方の色気というものであろうと。時の流れをまとい、成熟と余裕が滲むような魅力とでも言おうか。

I seem to be quite possessed by Rilke lately.
Late at night, I was watching an Italian language program—not for the language itself, but because it conveyed something more cultural, which I found fascinating. One of the male instructors bore a striking resemblance to a bearded sketch of Rilke.
Recently, I’ve noticed more men with beares catching my eye. My father, too, once rode a warhorse during World War II, and in the photograph from that time, he wore a mustache. These days, even the bearded man in the “Dō suru? GO suru” television commercial seems charming, and the CEO of a certain company sports a full beared reminiscent of a literary giant. That CEO spoke in fluent, natural Japanese about expanding the popularity of egg sandwiches among foreigners—a seemingly modest topic, yet he spoke of global ambitions. I assumed he was Japanese and thought, “Even Japanese beards have become gentlemanly.” But then his foreign-sounding name appeared in the subtitles, and my assumption collapsed. The phrase “Japanese beards” lost its place.
As for bearded men—I’ve only known a certain acquaintance from his youth. But recently, while browsing online, I stumbled upon a photo that seemed to be him. I gasped in surprise. I wanted to confirm it was truly him, but the site never appeared again. The transformation was unimaginable based on my memory of his younger self. The photo seemed to be from a lecture during his professional years. That night, as I drifted to sleep, I began reconstructing his image. I wondered: was that mustache a symbol of his status, a sign of his maturity, or simply an expression of his refined taste? Quietly, I accepted this bearded version of him.
I recalled the cheerful conversation we once shared over dinner at my home in his youth. Yes, he did have that side to him. Perhaps that was his allure—an elegance shaped by time, a charm steeped in maturity and ease.  (the translarion by me and copilot)

●俳句日記を8月1日にWordPressに移転してはじめてUSAからアクセスがあった。
Thank you for visiting and viewing my Haiku Journal. This is the first time someone from the USA has accessed it since I opened the journal on August 1st on WordPress.

9月1日(月)

晴れ
朝の餉に朝顔二輪を摘んで来し   正子
青葡萄供えて厨子のあかるかり   正子
パンと食ぶ葡萄の粒のつゆけくて  正子

●句美子の家へ。梅ジュースが出来たので持って行く用事、句美子の誕生日祝いの焼き菓子を持って行く用事、角川の俳句年鑑の原稿のことを連絡する用事。これらが主な用事なのだが、梅ジュースを持って行くのを忘れた。玄関のチャイムは鳴らさず入ることになっている。なかなか寝ない侑真くんがすぐに起きるから。今日も部屋に入るとぐっすりと気持ちよさそうに眠っている。しばらく見ていると目をこすって欠伸をしてうん?というような顔をして目を覚ました。私の顔を見ている。誰だろうかと思っているふうだが、顔を左右にふったりすると、声を出して笑ってついに完全に目を覚ましてしまった。20分しか寝ていないそうだ。なかなか楽しい子なのだが、遊び飽きると抱っこしてもらいたいらしく、悲しそうな顔をしてぐずる。抱くとすぐにこにこ。現金なというか自由なというか。

6時頃、句美子が暗くなるといけないから帰っていいというので、従う。この時間帯は通勤ラッシュ。新横浜行がきたが満員なので、後の電車に乗ることにした。5分ほどして日吉行が来たが、前の電車より混んでいる。もういいわ、とこれに乗ると徐々に降りる人が増えて座れるまでになった。日吉に着いた時は老女はさすがに疲れた。

●夜は、「リルケの俳句世界」(柴田依子著)の論文を読み直す。可なり読み込んだと思ったが、その時必要のないところを忘れていた。そして「ヴァレの四行詩」18番から数篇書き写す。