11月30日(土)

快晴
冬の瀬戸青く見えたり父祖の墓  正子
石蕗の花先祖の塚に源だれかし  正子
先祖墓に源義家石蕗咲けり    正子
鳥渡る空にかたちを正しつつ   正子

●未明、自由な投句箱の5日分の句に★印。秀句を選び、コメントを書く。5日分を一度にすると、気づくことがある。皆さんは、日々いろいろ考えて、私が思う以上に、よく勉強しているということ。目には見えないが、心境が格段にレベルアップしているということ。

●ますみさんの『音楽のしっぽ』の初校の確認。読点に気を付けて、訂正を入れる。

●帰省中の俳句を作った。俳句を作り始めてから59年になり、学生時代から何度も帰省しているが、今日作ったような句はこれまで、作らなかった。できなかったのだろう。と言うことは、どういうことか、と。

●帰省中に「ままかりの酢漬け」を妹が料理してくれた。名産として売っているものは、生のままかりを酢漬けにしている。「まま(ご飯)を隣から借りるほどおいしい魚」と言う意味の「ままかり」。実は一番おいしいのは、炭火で焼いて、焼けるとすぐ三杯酢に漬けたもの。香ばしさがたまらずおいしい。私にとっては、これがほんとの「ままかりの酢漬け」である。地元では「ままかり」ではなく「もうかり」と呼んでいた。小さい魚を一匹一匹焼くのは、めんどうだが、七輪の傍に座り込んで焼くのがいい。これが妙においしい。

●真ん中の妹からは地元の柿が一箱と世羅の新米や山椒の実や葉唐辛子の佃煮など手作り瓶詰が届いた。取り分けて、私の土産と一緒に子どもたちに送った。

11月29日(金)

曇り
揖斐川に始まり寒き川越ゆる   正子
浜名湖の水あおあおと明るき冬  正子 
冬夕日いま冠雪の嶺にのみ    正子
天竜の水青きなり冬の河     正子
●家を空けている間、ネットの仕事が心配だったが、帰宅してチェックすると、全く問題はなかったので、ほっとした。迷惑メールも思ったほどではなかった。自由な投句箱はむしろ、わたしが留守の方が活発。

●予定を早めて、13時41分福山発ののぞみで帰った。帰りは自由席にしたのだが、デッキや通路に人が立つほどの混雑だった。座れたが、京都で席が空いたので、左窓側に移動した。こんな時間に、左の窓側に乗るのは初めてかもしれない。昼間の左側の景色がよく見えた。木曽三川や、海のように青い浜名湖、真っ青な天竜川、夕日に薄く染まった富士山の全容、を見た。渡鳥のV字の群を見た。家に着いたのはちょうど夕方の6時。妹が持たせてくれたもち麦おにぎりに海苔を巻いて夕飯にした。
●生家に居る間、墓参。墓所からは瀬戸になった海が見える。玄関の硝子戸の掃除、庭掃除、家まわりの落葉掻き。妹の話では、何年か前に、夜中猪が庭に来て、芝生を鼻で一面掘り返し、蚯蚓を食べたという。そのご猟友会の人たちが退治してくれたらしく、今は来ないという。
少しは、正月準備に役立ったか。田舎の家なのですることに終わりがない。お風呂付、上げ膳、据え膳だったのは初めてのこと。

11月28日(木)

曇り
ひとつ撞く鐘に目覚めり冬の朝    正子
西空へ枝の柘榴の割れいたり     正子
井戸廻り掃き清めたり冬の朝     正子

●朝、お寺の鐘で目が覚めた。生家の隣の少し小高いところがお寺なので、鐘を撞く音がはっきり聞こえる。散歩の人が、毎朝一つ撞いて帰るそうだ。普段は無住寺になっているが、子どものころは木魚の音や鐘をグァーンと叩く音が聞こえていた。
妹は本堂の花の水を替える当番だというので、一緒にお寺の本堂に入り、先祖の位牌などを見た。妹が本堂の花に水を差しているのを見て、イギリス旅行のとき、バースの教会でやはり女性が花の水を差し終えて階段をおりて来るのを見た。同じことをしている。

●妹の予定に合わせて、市民講座の源氏物語を一緒に受講した。講師の先生は、妹の高校の同級生と言うことで、特別に許可を頂いたと言う。「若紫」の段だった。2時間近い講座で、評判の講師らしく、話が面白かった。

妹のもっている座席表を見ていて、中学、高校の同級生の名前を見つけた。旧姓のままだったのでわかったが、一番前で聞いている。講座の後、私の旧姓を言い声を掛けたが、全然、わからなかったようだ。「ああ、まさこちゃん!」と言ってやっと思い出してくれた。私はすぐに彼女とわかった。私とわかったものだから、才媛の誉れ高い同級生が、癌で10年も苦しんで、2年前に亡くなった話をしてくれた。そして、「残った者勝ちよ、元気で長生きしようね。」などと言う。ここに来て勝ち負けの話。ちょっとかっこよかった男子は脳梗塞で指も動かないし、話もできないという。でも元気な同級生もいるから、私と遭ったことを話すと言っていた。こんな偶然はあり得ない。彼女は活発でしっかりして男子とも平気で話せていた頼もしい人だった。「やっと落ち着けて、こんな講座も受講できるようになった。」と人生を振り返るように言った。

●講座後、福山へ車で行って、県立歴史博物館の「源氏物語の世界展」と隣のふくやま美術館の「ふくやまの仏さま展」を見た。草戸千軒で有名な明王院の秘仏や福山一帯の仏様の展示会。明王院の十一面観音像や、弥勒菩薩像は奈良や京都の仏像に引けを取らないのではと思えるくらいだった。閉館ぎりぎりに見終えた。

11月27日(水)

曇り、ときどき時雨
 松永湾
冬港止水のごとく潮が照り     正子
 井原・平櫛田中美術館
榧の樹が全身紅葉に美術館     正子
暮早し土手を添い来て山坂へ    正子
らんま漏る祖母の灯または冬ともし 正子

●府中の妹のところへ、一番下の妹の車で行く。テレワーク中の姪もいて、家族で昼ご飯をする。普通のお昼ご飯でいいと言っておいたが、銀杏ご飯と、ローストビーフと鯛の焼いたの、鯛のおすまし、里芋とインゲンなどの煮たのと、ピーラーで向いた胡瓜の何かをごちそうしてくれた。
食後時雨が降ったり止んだりするなか、、われわれ三姉妹で、備後吉備津神社と、すぐそばにある生家の氏神の櫻山神社に参った。櫻山神社には桃太郎の昔話の石像が高いところにある。桃太郎は手日差しで遠くを見、肩に雉が止り、足元に犬と猿がいる。櫻山神社に先に参り吉備津神社に参拝して、お守りを買って降りると、櫻山神社に虹がかかった。すぐ下の妹が写真にとって、縁起がいいと喜んで、三姉妹で写真を共有した。

●参拝後、車でしばらく走り、これも先祖にゆかりのある寺。那須与一が屋島の合戦で扇を射抜いた功労でもらった荘園のひとつ。そこにある「永祥寺」へ行った。矢を射るとき邪魔だとちぎった右袖があるという。無住寺となっていて、鐘楼などもあり、草深いところにある。野川が深く流れている。そのあと、井原市内にある平櫛田中美術館へ行った。ちょうど特別展の開催中で、小平市や東京芸大や国立博物館所蔵の田中(でんちゅう)の作品も展示されていた。メインは22年かけて作った「鑑獅子」。

田中は西山禾山に禅の教えを受けている。禾山像の彫刻もある。禾山は私には、別な意味で身近である。禾山の孫の恭子さんは、俳句会の二つ上の先輩なのだが、私の部屋に来たいといい、話し込んで泊まったこともある。私を年下とも思っていないような感じで、お洒落て、けらけら笑う楽しい人だった。
すっかり暮れてしまったので、一番下の妹の車の運転で、40キロほど離れた生家へ芦田川の川土手を走り、鞆の浦を通って、着いたときは、暗くなってしまっていた。

11月26日(火)

晴れ
山腹に銀杏黄葉の小さき寺    正子
涸河の水の平らに色映す     正子
銀嶺の富士の裾野の張りつめる  正子
銀嶺の山襞ふかぶかと黒し    正子
冬かもめ湖上の空へ出で白し   正子    
冬田それぞれ緑わずかに色違え  正子
降り出せる時雨に京を過ぎ行けり 正子 

●7時48分新横浜発ののぞみで帰省。久しぶりの旅行なので用心して、家を6時半に出た。福山には定刻通り11時3分。妹が迎えに来る。「鯛うずみ」の料理を食べさせてくれる。贅沢が禁止されたとき、海老や鱚などの天ぷらをご飯で隠し、出汁つゆを掛けて食べる料理。天茶漬け風のもの。岡山の祭寿司と同じ考え。

11月25日(月)

晴れ
帰り花吹き分けられし萩の枝    正子
冬あたたか萩咲くことをゆるされし 正子
ピラカンサ熟れいろ薄し目白来ぬ  正子

●日吉に帰省の買い物に出かける。目当てのものがなく、アピタまで歩いた。アピタで買い物をし、ずっと歩いてURの団地の中を抜けて帰った。団地の樹には、目白がたくさんいた。樹から樹へさかんに枝移りしている。

●角川「俳句」12月号に髙橋句美子さんの七句「冬の星」が掲載される。その本が送られたきたので、句美子の家へ送り直した。

●11月25日の自由な投句箱、みんな迷わず投句している。12月月例ネット句会の案内を貼り付ける。パソコンは、迷ったが、持って行かないことにした。

●帰省はまだ先と思っていたら、明日になった。帰省中の天気予報は雨や曇り。洋服を増やすよりはホッカイロを持って行くことにした。カメラの充電、PASMOのチャージ、スマホの充電器、薬。これら忘れそうなものの筆頭。何にも考えずに旅行したいもの。

11月24日(日)

晴れ

●夕方、句美子の家へ。運よく電車の乗継がよくスムーズに行けた。何か、食べたいものはと聞くと、焼き魚とか、鯛めしと言う返事。魚がほしいと。

魚の種類が少なくて、決まった魚しかないので、魚に目が向かなかったのだ。今日はこの魚が上がったとか、小海老がたくさん獲れたとか、活きのいい鱚が獲れたとか、小鰯が安いとかそんなことは全然ない。今日はこんなの野菜が美味しいとか、貝割菜がとれたとか、全然ない。決まった野菜しかない。つまり、商品しかない。人も商品のようになってるのではと心配になる。

●帰りの電車で『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』を相変わらず読んだ。ある事を言うために、細かく言葉を使う。「内へおはいりなさい。」が彼の信条。この細かい言葉使いのために、しがみついて読む格好になってしまっている。独特の感覚があるのだろうと、ついついしがみついて読むことになっている。作家や詩人にしがみつくことは、これまでなかったのだ。妙なことになっている。

11月23日(土)勤労感謝の日

晴れ
●夕方暗くなって、URの団地を歩いた。道に落葉が振り込んでいる。植え込みの萩の枝も栃の葉も寒い風に吹かれて、野辺山の風に吹かれる風情だった。
●一月号を一日編集。「音楽のしっぽ」「散文集」の初校ゲラをそれぞれ筆者にメール。三人から、返信メールあり。
ますみさんの返信に、貴重な朝日新聞の記事を紹介いただいた。
朝日新聞「谷川俊太郎さんと音楽」
https://www.asahi.com/articles/ASSCL7DQ3SCLUCVL01RM.html 
――シューベルトは、朗らかな長調で悲しみの奥底を描いた。レッテルが虚(むな)しくなる。そうした世界は、言葉でも表現できるものか。
 「できるかどうかはわからないけど、目指してはいます。モーツァルトの、僕が大好きな数小節に匹敵する詩が書けたら死んでもいいと思ってる」
 「散文は絶対、音楽には近付けない。詩も、長ければ散文になるからやっぱり近付けない。意味が生まれちゃいけないんだ」
 「意味から一切離れるってことは不可能だから、究極にあるものは、僕は『存在』と呼んでいる。言葉はその存在に一生懸命迫っているわけだけど、存在そのものにはなれない。その場合には、言葉を通して存在の手触りみたいなものに近付くしかないというか。俳句なんて特に、言葉で直接存在に触る世界でしょ」

●和人さんの俳壇投稿原稿についてメール交換。晃さん雑詠の一句について、メール交換。
●「正子の日記」の編集。9月まで済む。何を残し、何を削るか、悩ましい。明日で決着をつけたい。その後、リルケに取り掛かる。

11月22日(金)

晴れ
墓地晴れて冬木の桜つやつやと    正子
はらはらと落ちし団栗墓地への坂   正子
櫟大樹空へ黄葉をにぎわわす     正子

●墓参。朝、カレンダーに墓参と書いたことを思い出した。近所の店に花が届くのを待って、花を買って出かけた。思いがけずいい天気だった。墓地には納骨の家族と、墓苑の芝や落葉を掃除するひとがいた。今日はスプレー咲きの薔薇とカーネーションを供えた。風があるのか線香が勢いよく燃える。振り返ると、台湾椿が先月よりも増して花が咲かせている。桜の木はすっかり葉を落としてしまったが、幹が太った感じがする。お墓に祈ることもないので、「元気でいてくださいよ。そのうちいいことがありますよ。」と拝んで、バスの時間があるので線香が燃え残っていたが、墓を後にした。

バス停に着くと二人の客が待っていた。軽く挨拶すると、二人が交互に話しかけてくる。老人の男性が、「植物の霜柱を知っているか」といきなり聞いてた。名前は聞いたことがあるが、見たことはない。スマホに写真を出すと、この写真の花に間違いないという。もう一人は50代ぐらいの女性。女性も珍しがってスマホの写真をのぞき込む。男性は若い時高尾山のガイドをしていたと言って、高尾山の動植物に詳しい。今でも週2,3回が高尾山に行くそうだ。墓地のある鶴川は、小田急が八王子まで走っている。行こうと思えば思いついていける。老人は高尾山と書いた桜の木の杖を持っていた。杖は見れば桜とすぐわかるが、女性は、「どこで桜と見分けるのか」と聞く。桜の樹皮は美しいので、茶筒などに使われている。今の人はこんな茶筒を見たことがないのかな。降りるとき二人とも名残り惜しそうに挨拶した。私は「お元気で」と言った。

11月21日(木)

雨のち曇り
時雨止み電飾星をまたたかす  正子
時雨やみ一番星のただひとつ  正子

●朝は時雨が降っていたが、昼ごろ上がる。E子さんからの喪中はがきに驚くき、すぐお悔みの電話。十一月に入ってご主人が亡くなられたとのこと。まだ日が浅い。

●編集が半分ほどでき、PDFファイル化。晃さんと修さんに電話し、句意のわからない句について聞いて、作者の意図を尊重し、添削しないことにした。問題は自分の原稿。日記とリルケがなかなか苦労。

●リルケを読み始めたのは9月で、読み始めた理由は確かにある、今は別の理由で読んでいる。『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』は繰り返し読んでいるが、根を詰めて真摯に書かれた手紙の根の詰め方が魅力なのだ。人間はここは根を詰め、ここは手を抜く、ことはできないようだ。根を詰める人はすべてに何事にも根を詰める。真摯な人は何にも真摯。詩も手紙もおなじに書いている。

若い詩人に「孤独である必要と内面へ奥深く入っていく」ことをもっぱら説いている。その点が非常に真摯なのである。俳句の仲間を見ていると、「真摯な人」は上達が遅いように見えるが、結局、「忍耐」のあとに上へ抜け出ている。上達の道は一つ、「真摯で忍耐強い」ことしかないと思われる。