10月21日(月)

曇り
晴ればれと秋雲焼けて朝の空   正子
菊切って手に束ねればよく香る  正子
白菊も黄菊も仏華として香る   正子

●今日は一日気温が低い。椅子にすわっていると曇りのうえ、冷えびえとしているので、朝から眠くなる。循環器の定期健診に行った。「やっと落ち着きましたね。」、つまりいろんな検査の結果が普通になったことを言われた。わが尼寺的生活も板についてきたせいかもしれない。
病院の待ち時間に『神さまの話』二話を読んだ。時間をつぶさなくてはいけないからだ。病院にはテレビはなく、壁の液晶画面には、お知らせが次々映り、真空管みたいなところから高音質の音楽が流れているだけ。花は箱に詰められたインテリアの花。スマホを見るか、本を読むか、何もしないかなのだ。あるいは、抜け出して近くの書店で立ち読みをするか、スターバックスで一杯だけコーヒーを飲むかとなる。

●「リルケと俳句について」書き始めたのが9月7日。書かなかった日のあるが、一応、ケリがついたのが10月19日。この間の文章を印刷したら、原稿用紙50枚ほどになった。整理したらもっと短くなるか、説明の補足が必要になって長くなるかだが、一つの章ぐらいになりそうだ。

10月20日(日)

曇り、ときどき晴れ

●夕方句美子たちの家へ。目黒線に乗るのだが、今日は濃紺の車両がきた。どこの鉄道会社の車両だろうと思いつつ句美子に聞くと、相鉄線の車両だと言う。去年から入線しているのだから、見慣れないというのもおかしいが、たしかに駅の雰囲気が違っている。走行距離の長い電車が入ると、学生街の小さい駅も、旅心が湧くようになった。12年前、東京メトロ副都心線が走るようになったときは、それほどでもなかった。去年は、西へは新横浜線が新しくでき、相鉄線が乗り入れ、ずいぶんにぎやかになった。東も埼玉まで繋がっている。

●10月も20日になったので、そろそろ花冠の1月号(No.372)の原稿を整理し。まとめなくてはいけない。まだまだと思っていたが、すぐに年末が来そうな感じになった。印刷所が年末休暇に入るので、油断できない。
●「俳壇」11月号に「歳時記の世界」という特集がある。橋本直氏によると、大歳時記の起源は昭和八年に改造社から出た「俳諧歳時記」であり、「大歳時記」と名乗らなかったが、収録季語一万五千という。それまでの歳時記とは比べ物にならないとのこと。角川から『新版 角川俳句大歳時記』が2022年から刊行されている。15年ぶりの改訂とのこと。ここ15年間の結社誌や句集などからこれまでの『角川俳句大歳時記』の句に追加されるいう。これに信之先生と、正子の句を載せるが、作者にまちがいないかの確認の書面がとどいた。掲載される句は、15年間に発表された句となっているが、私の場合は20年前の句集の句であるから、その説明には首をかしげる。新しい季語でもない。
この新版の大歳時記には1万八千の季語が掲載されると言う。これほどの季語が必要であるのかと思わないでもない。まだ、自分の句が載っている歳時記を確認していない。

10月19日(土)

小雨ときどき曇り
新米を朝の仏のために炊く     正子
新米を小さく盛って仏前に     正子
秋の夜黒糖かりんとカリッと噛む  正子
●新幹線の時刻表と運賃を調べる。しばらく新幹線に乗らなかった間に、運賃が安くなったのか、ほどんど変わらないのかという印象だ。それとも単に往復運賃を片道運賃として記憶していたのかもしれないが。もう、そのことはわからないが。601㎞からは往復で買えば、片道ずつ1割引きになる。これにしよう。早朝出発か、8時代出発かのどちらにするかが残った。
(十七)リルケと俳句について
「リルケと俳句について」の考察が一段落した、と思ったが、リルケについて思い違いがないか、不安がよぎった。手元にある『世紀末ウィーンの文化評論集』(ヘルマン・バール著/西村雅樹編訳)に何か載っているかも知れないと読み返したが、リルケの名前は出て来なかった。
リルケはオーストリア人となっているが、彼は現代の吟遊詩人といわれるほど一所不在の生活をしていたから、言及されなかったのか。それとも個人的すぎたのか。リルケがハイカイに出会ったのが1920年なので、彼が、小さすぎる詩ハイカイやフランス語の短い詩を作っていたことが知られていなかったのか。
ジャポニスムの影響を受けた文学者として、「日本展」の章でドイツの詩人ゲオルゲ派(ホーフマンスタールなど)やクヌート・ハムスン、ペーター・アルテンベルクに言及があった。ハムスンもアルテンベルクも私は知らないので何とも言えないのだが。ゲオルゲは1868年~1933年、リルケは1875年から1926年。ヘルマン・バール は1863年~1934年。
●リルケとは関係ない話だが、この評論集の「日本展」で、バールは日本文化について分析し、浮世絵など日本文化に対する深い理解を示し、西洋人にとって新しい視点を提供していている。日本人の私も、新しく日本文化の本質を知らされるところだ。
脱俗の人間の一人として蕪村のエピソードもある。日本人から見ると落語のネタのような話で、風流や脱俗をいうのに、無風流な話である。それもそのはず。カタログの説明からの引用というのだらか無理もないのだが、異文化の理解というのは本当にむずかしい。
「蕪村はある晩横になって寝ていたが、またすぐに目を覚まし、その晩、月が照っているのを思い出した。そのとき、すぐにも月の光を見たいという気持ちにかりかてられたので、蕪村はろうそくに火を灯し。その火で住まいの屋根に穴をあけ、この穴から空を眺めた。その結果、街の半分が炎に包まれ焼け失せてしまった。」

バールは日本文化や芸術を讃えながらも、すぐに、明治時代の日本が早も西洋文化に汚染され、日本の良いものを失くしかけていると指摘しているのは、鋭い。彼はドイツ文学とは違うオーストリア文学を強調している。

10月18日(金)

曇り、夜雨
臭木咲く崖よりボール跳ね落ちる  正子
臭木の実名にも似合わず藍つぶら  正子
栃の葉の虫くいだらけ秋の暮    正子
きのうは、激しい運動とか、何にもしないのに、心臓がおかしい感じがしたが、早く就寝することしか思いつかなかった。それで馬鹿みたいに早く寝たら、今朝はすっきり。何事もなかった。
夕方散歩に出て帰るときには汗をかいてしまった。寒暖差がありすぎる。
Essay
(十六)リルケと俳句について
リルケがハイカイに出会って以後に作ったフランス語の24の短い詩篇が俳句の影響を受けていることについて、「リルケの俳句世界」(柴田依子著)で詳しく述べられている。
日本の思想がヨーロッパの思想に深く影響をあたえており、単に日本趣味に終わっていないのである。そのことに注意したい。次に「リルケの俳句世界」を参考にしながら、その影響をかいつまんで述べる。
(一)
リルケは短い詩篇「薔薇(たち)」で、彼のテーマとしている「生と死の統一体」)を詠むことを忘れず、それを中心に据え、俳句の定義である「短い驚き」と「我々の心に眠っている何かの印象を目覚めさせてくれる」に応えて詠んでいる。四行ずつの二連(二つのかたまり)からできている。

「生と死の統一体」を少し詳しく述べると、リルケは、生と死を対立するものとしてではなく、ひとつの連続した世界と考えていて、生の中に死が含まれており、死もまた生の一部であるという視点をもっている。例えばリルケの詩では、花が咲いて枯れる過程が生と死の連続として描かれている。これは、日常の中にある変化や移ろい、そして死もすべて自然の一部であると考える俳句の精神に通じている。

詩篇I(薔薇)
(第1連)
おまえの爽やかさがこんなにも私たちを驚かせることがあるのは
幸福な薔薇よ、
おまえ自身の内で、内部で、
花びらを花びらに重ねて、おまえが休んでいるから(柴田依子訳)

(Les Roses)
Si ta fraicheur parfois nous etonne tant.
heureuse rose,
c'est qu'en toi-meme, en dedans,
petale contre petale,tu te reposes.

この詩でわかりにくいのは、
「おまえ自身の内で、内部で、(toi-meme, en dedans,)」だが、これは、「薔薇自身のそのものの本質的な姿」、薔薇自身の内面の美しさをいうのであろう。そう考えるとこの詩は、「薔薇の花よ、おまえの爽やかさに、ときにそんなにも驚くのは、花びらを花びらに重ねて安らう薔薇自身のそのものの姿からなのだ。」と解釈できるのではないだろうか。「薔薇そのものの姿」「その存在の形象(姿)」の表現に「おまえ自身の内で、内部で、(toi-meme, en dedans,)」はいかにも私には難しい。第2連に繋がってわかるのだが、薔薇はリルケ自身の内面であり、内部とはリルケ自身の内部ととれるリルケ的表現なのだろう。「爽やかさ」は雰囲気ではなく、「具体的に」薔薇の花びらの重なりを詠むに至っている。「休んでいる」には薔薇の存在感と幸福感を表すのにふさわしく、詩人の感受性の深さが知れる言葉であろう。

これは私の思うところだが、俳句ならば、第1連をもって詠み終わり、第2連は詠まない。第1連でリルケの言う未完のままで終わり、第2連の内容を読み手に要求する。読み手の理解と把握によって俳句は完成するものだと考えている。ここで、俳句の詠み手は、読む者に第2連の内容が導きだせるよう、言葉を用意しておかなければいけない。

(第2連)
すっかり目覚めている全体、その中心は
眠っている、沈黙したその心の
数しれぬ愛のやさしさは、触れ合って
口の端まであふれている。

Ensemble tout eveille., dont le milieu
dort, pendant qu'innombrables, se touchent
les tendresses de ce coeur silencieux
qui aboutissent a l'extreme bouche.

「目覚めている全体」は「花、全体としては目覚めている」
「その中心は眠っている」は、「薔薇の中心は眠っている(ように見える)」
「数しれぬ愛のやさしさ」は「重なりあう花びらが触れ合うのが愛のやさしさ(と見る)」
「口の端まであふれている」は「薔薇の花びらが完全に開き、その美しさがあふれ、まるで口を開いているかのように咲き誇る姿の比喩。薔薇の花の広がりとその豊かさを強調している。」
(二)
また、リルケはクーシュー仏語訳の日本の俳句158句のうち36句に特に注目している。これにより、リルケの関心のありどころが分かる。
①花や月を詠んだ句。
「咲くからに見るからに花の散るからに 鬼貫」
「知る人にあはじあはじと花見かな 去来」
「中々にひとりあればぞ月を友 無村」
?死や無常をさりげなく詠んだ句。
「身にしむや亡き妻の櫛を閨に踏む 蕪村」
「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉」
③一つの世界にある矛盾・対立。
「起きて見つ寝てみつ蚊帳の広さかな 伝千代女」
          (※伝千代女は加賀千代女とは別人江戸中期の俳人)
④ウィットのある句。
「手をついて歌申しあぐる蛙かな 宗鑑」
「追剥を弟子に剃りけり秋の旅 蕪村」
(三)
日本語では、主語が省かれている文は自然であり、また、俳句は主語の「私」は省かれている。英語、ドイツ語、フランス語では普通主語は省かれないが、リルケの詩篇XIV「薔薇(Le Roses)」はほかの詩篇と違って、主語にあたる「私」(je)が省略されている(「リルケの俳句世界」)。これについての柴田氏の言葉を要約すれば、「私」を消し去り、花や月を「友」とする俳人の境地や言語表現に通じているということだ。リルケはフランス語では省略しない主語の「私」を省略し、つまり消し去り、俳人の境地や俳句表現に習ったということだ。そして、またこの詩篇XIVは蕪村の「散りてのち面影に立つぼたんかな」と似通った世界を詠んでいるという。蕪村の句にインスピレーションを得て詩が成ったのだ。
鬼貫の「咲くからに見るからに花の散るからに」には、「甘美で無限の広がり」を感じ取っている。この句の仏訳を通して事物が「眼に見えるもの」から、「眼に見えぬもの」へ変容しているとも言う。これを私は「目の前の具体的な物が、俳句に詠むことによって、精神世界のことになる」と解釈する。
クーシューの仏語訳句や注釈から多くを吸収したが、それに加えリルケ独自の芸術観をもったと言われる。三つが主なものとされる。
①「短い驚き」と呼ばれるが、それにもかかわらずそれに出会う者を長くひきとどめずみはおかない芸術。
?一篇の詩には、言葉や詩節の間のすべてに、現実的な空間が入っている。
③丸薬を作り出す術のように、ばらばらの要素が、出来事が起こす感動によって結びつけられる。(正子注:丸められる。)その感動はすっかり単純なイメージになる必要があるが、眼で見えるものは確かな手でつかまれ、熟した果実のように摘みとられる。しかし、それは少しの重みもなく、手の中におかれるやいなやそれは眼に見えないものを意味せざるを得ない。
③はわれわれが俳句を詠むときのこと、またできた俳句のことを思って見るとよいだろう。いろんなことから感動があり、単純なイメージが浮かび、俳句を作るが、できた俳句は、目の前の物ではなく、物の重みを失くして、精神世界の俳句となっている。
また、リルケは俳句のなかに、西洋の詩には存在しない彼が希求してきた新しい詩芸術の実現を見出していると言われる。リルケは俳句に出会う半年ほど前「言葉の格だけからなっている言語」を求めていたことやクーシューの書を介しての俳句体験が彼の最高傑作と言われる『ドゥイノの悲歌』完成へのインパクトを与えた可能性があると、H・マイヤーが論文で指摘しているということだ。リルケの俳句体験は、リルケが詩人としての使命を果たすのに影響を与え、また、晩年の詩境解明の鍵となるのではないかと、柴田氏は述べている。
このように見て来ると、リルケにとっての俳句は、もともと彼が希求していたことや、彼の世界観に合致したのではないかと思える。そうでないと、これほど深く詩作に吸収できたとは思えないからである。
次は俳句体験をしたリルケが最終的に到達した詩境『ドゥイノの哀歌』を読んでみたいと思っている。今第十哀歌まであるこの詩の第一哀歌を読んだところである。幸い信之先生の遺した本にリルケ作品集の原詩があるので翻訳に頼りながらも、共鳴するところがあれば幸いであろうと、読めることを楽しみにしている。

10月17日(木)

曇り
白萩のこぼるるつけ砥部の庭   正子
白萩の中の二本が紅の萩     正子
金木犀の匂いただよい木を探す  正子

●行方不明になっていた大学の卒論がでてきた。特別変なところにあったわけではなくて、自分の本を入れる棚にあった。これはよかったが、まだ大事な本が何冊か出てきていない。大事にし過ぎてわからなくなっている本がまだある。信之先生の大連時代の写真も行方不明。あまり大切でないものを大切だと思っているのかもしれないのだ。

1969年の愛媛大学の卒論で私はリルケのフランス語の短詩を紹介した。柴田依子氏によると、ヨーロッパでリルケへの俳句の影響言及されたのが、1961年ヘルマン・マイヤーによってであり、日本でリルケへの俳句の影響が論証されたのは、東大教授の富士川英郎氏によって1980年だと言う。
卒論の事で思い出したが、卒論で使ったアール・マイナーの比較文学の本が行方不明になっている。プリンストン大学から出版された本だが、都立大学の金関寿夫先生に手紙をかいて、紹介いただいた本だ。学生だった私に丁寧な手紙をくださった。大学の教師は学生には本当に丁寧に接してくれる。冬絵不明になっているのは、ハロルド・ヘンダーソンの本もなのだ。大事でないことに引っかき回されていたのだろう。暗澹たる思いだ。

グンデルさんとモニカさんからのドイツ語の手紙も出て来た。高橋ファミリー宛ても、ゲンとクミコ宛もあった。会ったときはフランクフルトのゲーテ大学の学生だった。今は六十歳近くになっているだろうが、彼女たちはゲーテ通りで画廊を経営していた。そこに信之先生の俳句の額や掛軸を展示してもらったが、掛軸はオーストリアの人がわざわざ買いに来てくれたり、展示会のことがフランクフルトの新聞に載ったり、ちょっと評判だった。フライブルグに留学中の森先生も見に来てくれた記憶がある。
●追記:12月22日のテレビの回顧放送で高階秀爾さんが本日亡くならられたことを知ったので、ここに追記する。

10月16日(水)

曇り
真夜の月流れる雲のつぎつぎと  正子
油彩のごと肩張る林檎仏前に   正子
秋なれば多めの茸グラタンに   正子

●昨日の十三夜の月は綺麗だった。もうすこし膨らんでいるイメージがあったが、細い感じがした。洋子さんの返信メールでは、松山は雲間から、栄太郎さんの俳句からは、京都では曇りらしかった。きのうは昼間すこし暑かったせいか、十三夜の月に、樋口一葉の『十三夜』を思い出すこともなかった。十三夜のころは、夜は虫が弱弱しく鳴いて、さびしい感じするのに、そんなこともなかった。

●鵯や四十雀の声がまた聞かれるようになった。鵯が朝からかまびすしい。暑い夏の間、山に行っていたのか。生協の配達で大洲の里芋が届いた。日曜日に芋炊きをすることに決め、ビニール袋から出して新聞紙に包んで保存。鮮度が良かったので安心。
 
Essay
(十五)リルケと俳句について
人物:①「リルケの俳句世界」の著者の柴田依子氏は、フランス語に基軸を置いた研究者と思われる。
?クーシューについて。フランスの俊秀クーシューが24歳という若さで来日し、日本の文化に接したことは、日本文化にとって幸運なことだったと思われる。
以下が『俳句のジャポニスム』(柴田依子著/角川俳句選書/絶版)の紹介記事からの俳句に該当するクーシューに関する文である。

1903(明治36)年、フランスの俊秀クーシューは24歳で来日し、約9か月間にわたって、みずみずしい感性をもって異質な文化と社会に接している。
クーシューは、まず14首の和歌をフランス語に訳し、つづいて、宗鑑・鬼貫・芭蕉・蕪村など158句の俳句の翻訳と解説をした。これほど多数の俳句がヨーロッパに紹介されたのは初めてで、これに刺激されてリルケも三行短詩を試みるなど、文化交流の上で画期的な役割を果たした。なお、1912年に日本や中国を再訪した。

10月15日(火)十三夜

晴れ
ひろびろと紺の深空の十三夜  正子
道に出て見上げる空に十三夜  正子
自転車の灯が来て止まる十三夜 正子

ネット短信No.424を出す。10月月例ネット句会の入賞発表と、来年度年会費と維持費の案内。   https://blog.goo.ne.jp/kakan02d

●いろんな林檎が出回るようになった。売り場には「お待たせしました。JA青森のりんご入荷。」とポップをついている。サンつがるが終わり,秋映、紅玉、フジ、トキなど。前に松山で水煙大会をしたとき、岩手の会員のかたが、松山城の二の丸庭園の蜜柑をめずらしそうに、しばらく眺めていたが、私なら、岩手行ったら、林檎の木をつくづく眺めるだろう。

(十四)リルケと俳句について
リルケを読むようになったいきさつは最初(一)に書いた。『ドゥイノの哀歌』の第一哀歌を読みつつ思うことだが、十代から今に至るまで俳句を60年間詠んできて、人生のほとんどを俳句に充てて(それしかできなかったのであるが)よかったのかを検証できそうな予感がしてきたのだ。肯定を期待している気持ちが働いているとも言える。しかし、よく読んでみなければわからない。

第一哀歌にある、なぞえの丘の樹、歩いてきた道、犬のように慣れまとわりつく習慣、窓辺から聞こえる提琴(バイオリン)の音色、そして夜。われわれはこれらから委託を受けていると考える。「委託」という考えは、日本人の私からは、逆の発想に思える。が、そうなれば、委託にどう応えるか。私の場合は、それが俳句を作ることなのだろうと、思えるのだ。信じるもの、恃むものからの委託ということになる。

10月14日(月)スポーツの日

晴れ
ほっこりと陽がさす森の木の実雨       正子
風吹けば青き木の実が降ってくる       正子
なんの実か覗けば赤ある檀(まゆみ)の実   正子
●1年ぶりに句美子たちの家にいった。1年以上になるかもしれない。駅前は道路工事を長らくしていたが、工事が済んでからは落ち着いて、街の様子は全然変わっていない。これだけ都会の中であるのに、時が止ったかと言うほどだ。丘のほうに有名な斎場があるので、いつも喪服の人に会う。今日も行きも帰りもだ。乗ったときは、葬儀の帰りかなと思うが、降りたところを見ると、これからお通夜に出かけるのだとわかる。

●句美子のところからの帰りの電車で、『神さまの話』(リルケ著/谷友幸訳)をぱらぱら読んだ。引き込まれて読む話ではないが、つくづく翻訳文のよさを感じた。言葉が少し古くて、やわらくて、品がある。もう、このような文章を書く人はいないだろうと思うと、時代の言葉というものが、貴重に思われてきた。翻訳者はどんな風貌の方だったのだろう。
●元新聞記者の政治の話にあった。「石破さんは突っ張るしかないんですよ。」と。たしかに「突っ走る生き方」がある。この生き方を忘れていた。

10月13日(日)

晴れ
甘藷蒸かす大きな蒸し器の時代物   正子
はらはらと塩をかけられ蒸かし藷    正子
紫蘇の実の天ぷら香るひとりの餉   正子
10月月例ネット句会
投句
日にそよぎ日に染められて曼殊沙華(訂正)
星あかり地に棲む小さきものの声
うす紅葉金の御身の九品仏
浄真寺の三品堂に祀られる御仏は全て黄金色で、外のうす紅葉を引き立てる。金の御身が良い。 (廣田洋一)

●世論調査の電話があった。いつもは電話を切るが、今日は参加した。支持政党と投票は誰にするかなど。
ガザの子どもと原爆の子を比べるのは時代が違うとイスラエルが非難。どの時代でも、どこの国でも子供は幸せであるべきなのに、なんということを。

●リルケについて少し知るうちに親しみがもてるようになったが、ここが危ないところなのだろう。一応、リルケの読み方というものがある。それを教えてもらったわけでもなく、もちろん自分の「リルケの読み方」が確立しているわけでもない。一つの本を読み、前の考えを訂正し、また別の本を読み、また訂正し、となって、結局何を知り、何がわかったというのだろう。はじめは、「リルケと俳句」についてだけ知りたかっただけ。だけれど、すべてが過程。落ち込んだのか、迷っているのか、自分ではわからないが、あまり、いい気分ではない。昨日、今日、『神さまの話』(リルケ著/谷友幸訳)を読んでいるせいかも知れない。それでどうしようもないので、ベートーベンの「皇帝」を聞く

10月12日(土)秋祭・宵宮

晴れ
宵宮の御輿据えられよく光り  正子
宵宮の杜の木立に燈が灯り   正子
祭り来とわが家の花に野の花を 正子
●夕方駒林神社の宵宮に行った。五時前だったので、ちょど御輿を据え、準備ができて、町内会の役員たちが一服しながら何か飲んでいるところだった。売店の準備もできていた。やきとり、綿菓子、ポップコーンを試しに作っているところだった。水ふうせん、おおきなボールにカラオケの舞台などがあった。祭りのお囃子を小さく流している。東にある小さい本殿と西にある小さい稲荷社に賽銭をあげて、見るものもないので帰った。賑やかではないが、里祭りのなつかしさがいっぱいだった。
●『神さまの話』(リルケ著・谷友幸訳/新潮社)は初版が昭和28年。平成23年51刷とある。一話だけ読む。それは「闇にきかせた話」で、幼いころ、幼友達のふたりは遠い親戚のお金持ちの人が来るのを待つが、ついに来なかった。大人になって二人の幼なじみは、また会うことになって神を待つが。とうとう神は来なかった。この『神さまの話』は25歳のときの2か月のロシア旅行の成果だそうだ。
花」と言えば、
何の花を思い浮かべるだろうか。AIに5つ挙げてもらった。ぱっと思いうかぶのは3つ目ぐらいまでだろうが、4つ5つ目も「らしさ」がある。
クーシューが「咲くからに見るからに花の散るからに 鬼貫」を注釈するのに、「一瞬の閃きのうちに、万象の途切れることのない流れと、」と言っている花を感じさせるのはどの花か。AIのあげた花を見ても桜以外に考えられない。桜はきわだって特別な花と思える。木の花であること。いっせいに咲くこと。いっせいに散ること。花期が短いこと。ボリュームがあること。日本中にあること、そして重要なの大勢の人が翌年の開花を信じて楽しみに待つこと。
フランス:バラ・リラ・チューリップ・ヒマワリ・スミレ
ドイツ:バラ・ヒナギク・ヒマワリ・バンジー・ゼラニウム
スイス:エーデルワイス・アルペンローズ・リンドウ・アネモネ・カランサス
オーストリア:エーデルワイス・アルペンローズ・リンドウ・マグノリア・ペンステモン
イタリア:ヒマワリ・ポピー・ラベンダー・アイリス・カモミール
イギリス:バラ・ブルーベル・ヒナギク・ポピー・ラベンダー
日本:桜・梅。菊・藤・つつじ