8月21日(水)

曇り、のち晴れ、夕方ひと時雨
皿洗う湯のあたたかし秋はじめ   正子
秋茄子を漬ける重しを水とする   正子
秋の夜ヘッセを読めばヘッセと居る 正子
●今日から月末まで「自由な投句箱」を夏休みにする。その間は、2005年発行の『現代俳句一日一句鑑賞』から日々の句を掲載することにした。
「自由な投句箱」の一年に一回だけある休みなので、私も休みと思われるだろうが、むしろ忙しいので、夏休みにしている。その間に俳句年鑑の原稿などを書いて提出しなければいけない。いろいろ調べて書くので時間がかかる。それに編集中の英訳俳句が暑さに負けて頓挫している。
●句集『水の音』(高橋透水著/北辰社銀漢叢書)を恵送いただいた。無名俳人の私になぜ、と思いながら著者略歴を見ると1947年、新潟生まれの同じ年。今年喜寿とのこと。これが句集を送ってくださった主な理由かと思う。
五月ごろだった、句集『雪解』(大島幸男著/青磁社)を送ってくださった大島さんも1947年、新潟生まれ。同級生というのは、会ったこともないのに、同じ時代を生きてきた。それだけで親しみがもて、元気で過ごされていることを、単純にうれしく思う。
好きな句
吉野へと人語近づき山桜
田水入れ越後の山を引き寄する
草餅や故郷焦がす網の上
冬鳥の羽落としゆく堅田かな
雪吊に闇の重さの加はりぬ
地吹雪や津軽の電車浮いて来し
老鶯やミサへ急ぎの漁師妻
雪解けの水音屋根に始まりぬ
春光を縦糸とし杼(ひ)の走る
水鳥の水一枚を分け合へり
●整形外科の定期検査。腰椎と大腿骨の骨粗鬆症の検査。ビタミンDの薬が処方された。筋肉が痛くなるような運動をするようにと。坂や階段を上るなど。
昨日、100円ショップで買った麻とレーヨンの糸ひと巻でコースターを4枚が編めた。デザインは編み始め半分は本の通り、あとは自己流。水をよく吸って、シミが付きにくそうなのだ。

8月20日(火)

曇り、のち晴れ
 今年はじめてひぐらしを聞く
ひぐらしの鳴けば木立の奥深く    正子
山裾をゆくときひぐらし頭上より   正子
生えるまま姥百合咲けりマンションに 正子

●循環器内科へ10時過ぎ定期検査に。検査の数値は一つを覗いて、高くも低くもない。だんだんと粗食になっているからだと、自分では思っている。検査数値の高い「BNPってなんですか」と、薬をもらうとき薬剤師さんに聞いた。「心臓に病気があると高い数値がでるのだ」と。「心筋梗塞とか、心臓麻痺で死ぬってことですか」、とも聞いたが黙っていた。BNPについては、前にお医者さんに聞いたがすぐ忘れている。

病院から帰ると疲れていたので、いつものように座布団2枚に枕と布団を持ちだして昼寝。枕元に本を置き、シューベルトの5番をパソコンに流した。すぐに寝落ちたのか、またも自分が死んでいる夢を見た。「自分の死に満足して」、ヨーロッパの墓地のようなところに夕日に照らされて横になっている。中世の女の人が着る、足が隠れるような服を着ているのだ。この前の夢のように、「死んだばかりだから、まだ生きている」と言う感覚ではなかった。音楽は、シューベルトを聞いた記憶はなく、夢うつつの中にアルビノーニのオルガンの曲が流れていた。それから IT’s time to say good-by のビオラに変わり、目がはっきり覚めた時は Danny Boy  のさびた歌声が聞こえていた。いい死にようだったなあ。

●今、読んでいる『ヘッセ 魂の手紙』は、ヘッセ研究者の間では、重要な本らしい。手紙や日記は、それ自体は実用のものだが、実用とだけ言い切れないことを、最近つくづく思っている。

8月19日(月)

曇り
夏痩せて烏夕焼け空を見る     正子
青柿に葉の幾重にも盛りあがる   正子
鉦叩たたき急ぐな夜は長い     正子

●今日は曇りだが、日傘の人ばかりが家の前を通りすぎていく。夕方のウォーキングから帰って、30分ほどして本降りの雨に。

●重曹水を作ってフローリングを拭いた。2%の重曹水なら拭いた後の水拭きがいらないというので、ほぼその濃さで作った。拭いたあとは、床があか抜けた感じになった。気をよくして壁紙にも吹きかけて拭いたが、効果はいまいち。もっと濃い方がいいのかもしれない。

●忘れな草を植えていたあとに、花の芽らしいものが育っていた。てっきり忘れな草だろうと思っていたら、けさ、紫色のペチュニアが咲いた。3本ある。去年植えて種が落ちたもののようだが、得した気分。

8月18日(日)

曇り、ときどき晴れ
朝の蝉ミニカーきのうと同じ向き  正子
十階の団地の裾は虫の野に     正子
団地の灯きらきら秋のはじまりに  正子

●朝夕は暑さが少し収まったので、ウォーキングを始める。しばらくは、1日5000歩ぐらいにして、楽に歩くつもりだ。近所のURや民間のマンションがある団地の中を歩いている。平たんで、風が心地よく、いろんな草木があって蚊がいない。人や交通も安全。ベンチがあって休めることなどがありがたい。

●「日々を生きぬくこと」(『ヘッセ 魂の手紙』第2章)は、一般には重いテーマが含まれている。手紙を「魂の」と形容しなければいけないというほどに。 

ヘッセの創作活動と、その創作活動と共にある2度の戦争との闘争と、三度の結婚生活が手紙からうかがえるものである。最初の妻との困難な結婚生活、二度目の妻、スイスの女流作家の娘で若いソプラノ歌手との別居の結婚生活、3度目の妻との死までの落ち着いた30年の生活と創作活動の関係は、ほぼ理解できる。

想像し難いのは、戦争との闘争である。私にとって、わかりやすい印象的な事例が二つあった。ケープタウンに住む読者からの1936年2月25日付のヘッセへの手紙の文脈である。ヘッセはヘレーネ・ヴェルティ宛ての手紙にその手紙を同封して知らせている。その文脈は、公開をためらうほど、強烈にヘッセを批判するものである。

また、もう一つは、トーマス・マンの長男の小説家で時事評論化のクラウス・マンへ宛てた、1938年7月21日の手紙で伝えていることである。1938年のヘッセは、妻のニノンがオーストリア出身のため、彼女の親戚や友人の運命や苦難がヘッセにも重くのしかかり、家にも亡命者をかくまっていた。ヘッセは第1次大戦中、強度の近視のため兵役にはつかず、フランスの捕虜収容所のドイツ人捕虜たちに本などを送る役目にあたっていた 。そのとき捕虜から叱られた話である。

「あのころの私(正子注:ヘッセ)は戦争捕虜に自分の編集したちっぽけな雑誌や読み物を、それに楽譜や楽器、大学生向けの教科書などを供給しました。かつて、捕虜収容所文庫として、フランスのある強制労働収容所への一箱に、ホフマンの小さな廉価版の『黄金の壺』を入れたことがあります。するとそれを受け取ったものからひどく叱られたのです。ドイツの捕虜や兵隊は、ひい爺さんの時代のそんな子供じみたロマンティックな代物など相手にするつもりはない。今日の問題や、半端でない今の生活と接点のある読み物、たどえば、ルードルフ・ヘルツォークの作品を求めている、」(『ヘッセ 魂の手紙』p.140)と。

これらたった二通の手紙からさえ、民衆は一度戦争の方向に向くと、幼いころの純真な心や正義や愛や落ち着きをすっかり失くすということである。

翻って、俳句も今は一つの方向を向いている。国家に近いところからの賞や、同調しやすい民衆や、時流にいる俳人の賞賛があって、一つの方向へどんどんと行っている。ほかにもある価値観を忘れているのではないだろうか。
この問題はこれでで終わりにする。

8月17日(土)

晴れ、台風一過
つくつくほうしミニカー三つ忘れられ 正子
つくつくほうし日暮れの雲の金色に  正子
百日紅日暮れがはやも枝に来て   正子
●お盆の仏具をしまう。入っていた箱に収めるのはまるでパズル。
●猛烈に暑い。今年は、朝顔の蔓はよく伸びて、一部屋の前は陰ができて少し涼しかったが、まだ花が咲かない。夜が明るすぎる、暑すぎる、蔓が伸びすぎる、とかの理由か。たぶん、もう咲かないだろう。この夏いちばんに楽しみにしていたのに、1年生でも咲かせることのできる花が咲かない。それでも最近植えたアメリカンブルーの青い花がつぎつぎ咲くので、少しは慰めになる。

8月16日(金)

雨 台風
台風に道路しずまり雨の音     正子
苧殻白し焚かれず盆にのせ置かれ 正子
台風の来ている夜の扇風機     正子
●台風7号は夜に最も接近し、台風らしい台風。いかにも雨や風に台風の匂いがしている。外の道を行く人が、遠くから一人、角から一人出てくる程度なのだ。雨が急に強くなったり、小止みになったりする。一日家に籠り、主には本を読んで過ごす。

●俳句をしていながら、文学について話したり、聞いたりすることがまったく無い日を過ごしている。これを改善することもできないので、現に、私は孤立(solitude)感をむしろ享受しているが、文学について知るには、本を読むしかないのだ現状だ。
そういったわけで、ヘッセに傾倒しているとは言えないが、彼は内面の葛藤を率直に吐露し、魂の彷徨という意味で詩人的な道を辿っていると思うので、丁寧に読んでいる。それらの本が『ヘッセ 魂の手紙』『ヘッセ詩集』だ。『魂の手紙』からは第1章「少年から青年へ、嵐の時代」、第2章「日々生き抜くこと」を読んだ。
●元が朝のうちにお参りに来てくれた。台所周りの用事は何かないかと言いつつ、水道の浄水器を新しく付け替えてくれた。来てくれた機会にお寺から彼岸法会の案内が来ているので相談し、息子を施主にして、午後彼岸法への出席を申し込んだ。お盆が終われば、すぐお彼岸なのだ。夕方には台風の中の送り火。実際は危ないので送り火は焚かなかったが、このような日の送り火に不条理な思いを抱いた。

8月15日(木)

曇り、のち晴れ
すじ雲の刷かれて空は敗戦日   正子
銀翼の雲に入りゆく盆の空    正子
  ガザ攻撃
台風の画面につづき血と瓦礫   正子
●台風7号が明日関東地方に接近しそうだ。図書館の本の返却日が明日になっているので、万一の場合を考えて今日返却に行った。またヘッセを延長して借りた。
ヘッセの小説は評価が高いが、詩はリルケなどに比べると評価が分かれている。ドイツ詩集に入れられてない場合もある。だけれども、ヘッセの詩の内容に、共感するものがある。多分、ヨーロッパの詩を鑑賞する態度ではないかもしれないのだ。ヘッセのSchuwalzwaldを刷りだして読むと、ちゃんと韻を踏んでいるが、こうも私に馴染むというのは、ヨーロッパの詩人の詩と違っているのかもしれない。
●幼子の話(一)
3日前だったか、JAへ野菜を買いに行った。帰りの電車で、私の座る向かいの、車椅子や乳母車用のスペースに若い家族が乳母車を止めた。乳母車の赤ん坊が私の顔を見るのだ。私が手を小さく振ると表情は変えないが、じっと見てくる。それで私は、パーにした左手の指を親指から順番に折り、次に小指から順番にすばやく立てる、なんということない指遊びをした。赤ん坊は表情を変えないでうんうんと顔を上下する。父親が気付いて私の方を振り向いて笑った。「かわいいね、いくつ?」と聞くと電車のゴトゴトいう騒音のなかで、赤ん坊はぐっと力強く腕を突き出して、親指と人差し指で2歳だと示した。降りる間際だったので、小さく手を振って、数の示し方はアメリカ人みたいだと思いながら降りた。電車の騒音で聞き取りにくい私の「いくつ?」の問いを聞き取り、ちゃんと答えたのだ。2歳ですでに他人とコミニュケーションがとれているのは驚きでもあった。
●幼子の話ふたつ(二)
電車で2歳の男の子と小さな関わりをもって、わが息子の2歳のころを思い出した。父親の真似をしたがる時期。息子と父親がふたり横になって、片肘を立て、手に頭を載せて寝転がり、同じ格好でテレビを見ていた。父親が置いてある飲み物をひょいと取って飲んだ。それを真似て息子も横になったまま飲み物をとって飲んだ。息子は頭から顔に、バシャッと飲み物を浴びてしまった。胸元で起こった事態にあわてたのは父親。息子は起きた事態に何が何だかの顔。夕食を作る手に、そこらにあるタオルをもって走った。
2歳の息子が父親を真似たがるものの一つに新聞を読むことがあった。父親が新聞を広げて毎日読む。息子も真似て新聞を広げるが、字が読めるわけではない。当時購読していた夕刊には、月の満ち欠けの絵や、満潮干潮の時刻が載っていた。月の絵ならわかるだろうと、私は「これがきょう出るお月さんだよ」と教えた。それからは、月の満ち欠けの絵が気に入ったか見ていた。ある日、「きょうは、おつきさんがふたつでるよ」とうれしそうに言ってきた。「?」の私だ。新聞をもってきて見せてくれた。月の絵がふたつあった。ああ、「ある日」は土曜日だった。つまり、日曜日は夕刊が休みなので、土曜日の今夜と、日曜日の明日の月の絵がふたつ載っていた。いまだに思い出す。

8月14日(水)

晴れ
なでしこの絵の灯籠のまん丸し   正子
盆二日灯してお膳をあげ下げす   正子
鶏頭の真っ赤な色がスーパーに   正子
●台風7号が発生。あす夜からあさって、関東地方を襲う予報。
●私のこの日記を熱心に読んでくださる読者が一人や二人でないことを最近、よく知った。具体的に顔が思い浮かぶのは数人ぐらい。「読んでいる」と葉書をいただいたり、「面白いと言っては失礼かもしれないが面白い」と電話で話してくれる人がいる。中には私の生活を気遣って毎日のように読んでくれている人もいる。俳句に関心をもって句集を送ってくださった方が一人いる。前には、信之先生が亡くなったと日記で知り、元会員の方からお悔みの電話をいただいた。女の人ばかりではなく、男の人がいることも知った。なかには学者がいることも知った。
私自身も一日の終わりに、いくつかの意味をもって日記を書くことは苦痛ではないし、誰とも話すこともなく終わる日が多いなかの、読者がいることを向こうに見て、ある種の楽しみでもある。少しでも、印象に残る、読みやすい日記を目指そうと思い直して、先日はひとり暮らしのアメリカの作家、メイ・サートンの『独り暮らしの日記』を読んだ。その日記から、日本国憲法の付属法である裁判法の草案をつくったGHQのアルフレッド・オプラ―を知った。ケネディ暗殺時やジョンソンのリアルな話も知った。彼女は講演会にもでかけたり、著名であるようなのだ。そのせいかどうか、共感する部分が少なかったが、書いた日記の一年分でも本になっていることを知った。日本には古くから女性の日記文学もある。それは、なんとなく知っている。
このところ図書館からヘッセの著作を借りて読んでいる。『車輪の下』や『郷愁』などは青春の読書のなかにある。雲を見て暮らした人と知っている。後半生の著作は知らない。老境に入って書かれた『人は成熟するにつれて若くなる』のエッセイを読むと、メイ・サートンよりはるかに私の感じ方や心の陰影のありように重なるところがある。『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)には、ここは違うが後は私の感じ、と思う詩もある。彼はヨーロッパ人だし、私は東洋人のなかの日本人。重なるはずもないだろうが、今、大いに考えさせられる。
『人は成熟するにつれて・・』の中の「小さな煙突掃除屋さん」は妻に外出を誘われて祭のなかに立ったときの気分が書かれている。何か、似ている。続く「復元」は自分の野菜畑や果樹園の趣味であろう庭仕事の話は、生家の畑を思えば、話に共感するのだ。読んで、書き方を習うのもいいかもしれない、と思った。
●『人は成熟するにつれて若くなる』(ヘルマン・ヘッセ著/岡田朝雄訳/草思社刊)の「運動と休止の調和」(『四月の手紙』より)より思うこと。
「春はほとんどの老人にとって、けっしてよい季節ではない。私も春にひどく苦しめられた。(中略)痛みはあちこちにひろがり、ますますひどくなった。(中略)それでも日中は毎日、戸外へ出られるわずかなひとときに、痛みを忘れ、春のすばらしさに没入できる休憩時間を、時には恍惚と天啓の数瞬間をもたらしてくれた。これらひとつひとつの瞬間は、もしも記録することができれば、つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば、どれもそうする価値のあるものばかりであろう。それらは不意にやってきて、数秒間か数分間続く。」
この文は俳句については全く述べてなく、早計に俳句に結び付けるのは問題だが、そうは言っても私の作句経験から見れば、おどろくほど作句の経緯に似ている。また、この文章に続くあとの文章も、長い人生を経ての、回り道をして得られる人生の本質を述べて、これも俳句に通じて、俳句を極めるには歳月がいることを悟らせてくれる。ヘッセの老境に至っての文章であることを考えれば、なお興味深い。
俳句に通じていると感じるのは、私が俳人と言う特性からである。ヘッセがここに「瞬間」と言う言葉を使っていることから、小説ではなく詩の場合を考ええてよいが、ヘッセはこのような瞬間をどうしていたのだろうと思う。「もし記録することができれば」「つまりこれらの驚異や天啓が書きとめられ伝達されるものであれば」と仮定法なのである。俳句を知っていたら、俳句に昇華したかもしれない、と想像するのである。
この瞬間がのちにヘッセに詩を生ませた可能性はあるだろう。それが一つの詩の要素であるなら、そういう特徴にきわめて似ている俳句は詩であるという特徴が明らかになるのではないかと思える。

8月13日(火)

晴れ
とんぼうの影の過れるバスの窓   正子
井戸水を汲み来て墓の名を洗う   正子
病葉の降り来し音や夫の墓     正子
●墓参。朝8時半の電車で出かけた。小田急線の鶴川駅前からバスに乗ろうとすると、句美子ぐらいの年齢の女性がお花を持って墓参とわかるスタイルで、まごついていた。聞くとおなじ墓地に行くとのことで、墓地まで一緒にいくことになった。
今朝京都を6時15分の新幹線で発って今の時間になったとのこと。母親の墓参に年2回は来て、一泊して帰るという。「今年は、京都は暑かったでしょ。」など言うと、「39度になりました、もう、暑くて。」「私も知り合いの方が京都にいますので、大丈夫かなと思いますよ。」京都の様子をいろいろ話してくれた。事務所の泉心庵で冷たいお茶をいただいて別れた。彼女の母の墓は少し奥のようだった。
信之先生のお墓に着くと、ちょうど桜の葉蔭になって、涼しそうだったので安心した。子供たちは7月にお参りに来たので、この暑さなので、お墓には来ないように言っている。社会状況や会社での仕事の様子をみれば、親が気を付けていなければいけない。
●お墓から帰り、昼寝。覚めてから精進料理を作って供えた。精進料理は夕食に。精進料理を食べながら、仏様になったような気分もしないではなかった。迎え火は、去年はほうろくで焚いたが、火が思ったより大きくあがったので、今年は焚かなかった。代わりに苧殻をお盆にのせて仏壇の脇に置いた。灯籠は日が暮れる前に灯した。
●『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス著)が文庫本になって話題になっている。マルケスの本で読んだのは『コレラの時代の愛』だけ。これも長編だが、こちらは一気に読める。『百年の孤独』は複雑で、読み方支援キットのパンフレットまである。これを本屋でもらったが、読む気にはなっていない。
読書家の話を聞いていると、生涯で肝心な本を読んでいない気がしてくる。大切なことを忘れて来たようなさびしさが漂い始める。

8月12日(月)

晴れ
秋夕焼け赤銅色を燃えたたす      正子
遠台風ここに及んで萱を吹く      正子
撫子を一本くわえ仏華の束       正子
●8月句会の入賞発表。正午過ぎにとりあえず発表。最終的には午後2時正式発表になった。
●入賞発表の原稿作るのに、少々疲れたが、お盆の精霊棚を飾り、明日のお墓参りの準備にお花を買うなどした。
●普段は、夕方6時ごろ散歩に出かけていたが、家に着くころには暗くなっている。今日は少し早めに5時半ごろ出かけた。家に着いたのは7時。夕焼けが消え、月に色がつきはじめるときで、まだ少し明るかった。
●贈呈いただいた文庫本の出版年を調べようと、大事な本を入れている本棚を探した。その本が見つかる前に『ヘルマン・ヘッセ全集5ー物語集Ⅲ』が見えた。家にヘッセがあったのだと、いまさら驚いたが、信岡先生が贈ってくださったものだった。ブルーブラックのインクのかちっとした字で、謹呈 髙橋信之様 信岡資生と書いてあって、二人は故人になったが、インクは全く色褪せていない。出版は京都の臨川書店。リンセンと読むようだ。どんな話か読み始めたが、「愛の犠牲」「恋愛」「ある青年の手紙」まで読んで、目がちらちらして3話で止めた。若い時の物語だからこんな感じなのだ。そういえば、トーマス・マンがない。どこへ行ったんだろ。古書店を家に呼んで本を整理したことが3回ある。その時かも、と思う。家に本はほどんどないのだが、まだ整理が足りない。