曇り、雨は降ったり、止んだり、線状降水帯が小田原辺りにある
秋澄んで山々近く寄り来る 正子
かりんの実林檎ほどなり熟れはじめ 正子
つゆ草の露ためている花の青 正子
●白いダリアの花のようなキノコを路側帯の萱のなかに二本見つける。毒キノコに違いないが、秋になっている。
●パウル・ツェランを知ったのは、4月に図書館から借りた『ドイツの詩を読む』(野村修著)だった。そこに「死のフーガ」が読み解かれていた。これはフランクルの『夜と霧』を思い起させる詩である。今手元に『人と思想 ツェラーン』(森治著/清水書院)があって、読んでいる途中だが、ホロコーストと広島・長崎の原爆を経験した20世紀において、この詩人の詩を読まずには済ませられない気になるが、解説無しでは私にはわからない。ツェランのユダヤ人として経験せざるを得なかった歴史的背景が、あまりにも複雑で、また、多民族が入り混じり国が動く東欧の状況も日本人の私にはなかなかわかりづらい。多くの言語を習得していることから高い言語感覚を持っているとも思える。彼の詩が難解である別な原因として、彼が難解な状況を生きたと言うことにあるのだろうと思う。
また別の本の『パウル・ツェラン詩集』(飯吉光夫・編訳/小沢書店)の「詩論・解説」の章にペーター・ゾンティという人がツェランのある詩について解説した訳が載っている。これが興味深い。
ツェランの最晩年の詩集『雪の区域』のなかの題名はないが、仮に「エデンの園」と名付けられる詩がある。この詩には原稿の段階で(1967年12月22/23日)と日付が書き込まれている。この12月22日/23日が大事だというのだ。つまり、この詩が出来た現場の解説がある。ツェランがベルリンにやって来て、エデンという名前のホテルに宿泊し、クリスマス近い夜に書いた詩ということ。エデンと言うホテルは、うっそうと大木が立つベルリン動物園の近くにあったということ。ホテルの食事にはクリスマスの雰囲気のあるものが当然あったということ。この現場から詩人は実際を通して詩を紡ぎ出した。
ドイツへ家族旅行をした際、5年生だった息子がベルリンに行きたいというので、他へ行く予定を止めて、フランクフルトから小さい飛行機でベルリンへ行った。ベルリンの壁は前年に壊されてはいたが、まだ一部が残っていたし、それを見には行った。壁から向こうに立つ東の質実な、いや、貧しそうなアパート群も見た。それからベルリン動物園に行ったが、これがツェランの詩にある通りの印象だった。動物園は大木でうっそうとして、ライオンに陽があっていないのでは、と思うほどだった。動物園前の広場の空は今にも降りそうで高く広かった。あまりにも寂しく人さらいでもいそうな感じだったのは、広場に警察と書かれた小さい車両が数台いて、5マルク(当時はユーロではなくマルク)のピザを晩ご飯にする人の列があって、子どもがポーランド人を見て「ポーリッシュ」と卑しんで言うのを聞いたりしたからだ。ベルリンはそういうところだった。
ベルリンのこの情景を思い出し、難しいと言われながらも、ひとつずつ糸をほぐしていけば、意外にも親しい詩であることが感じられた。わかるわからないに拘わらず、読んだ方がよい詩だと思った。ヘッセやリルケよりずっとわれわれにより密接な世代の詩人と言えるのだろう。
雨
秋雨に電車の窓のみどりめく 正子
台風の雨に鏡のごとき鋪路 正子
雨に落ち青柿道に砕けたり 正子
●雨が上がったので、4時ごろ散歩に出ようとしたが、帽子が要りそうなので、部屋に取りに戻った。いざ、玄関に出ると、降り出した。かまわず散歩に出たが、300mほど歩くと雨があがった。信号を待っている間にすぐまた降り出した。雨は霧雨のように細い。5時過ぎからはずっと降っている。遠いところの台風のせいだが、台風は四国を横切るらしい。
●ネット短信No.422を発信。No.421は7月21日に発信しているから、一か月すぎてしまった。晃さんの『俳句の杜2025』の案内。自由な投句箱の再開、愛媛新聞の花冠No.371(7月号)の紹介記事のこと、の三点。
●目を使い過ぎたかもしれないので、パソコンも本もほとんど見ないようにして、一日過ごした。夕方は目の調子が良くなった気がしないでもない。
曇り、ときどき急に雨
梨剥けばきらいな蟻がすぐに来る 正子
ふりかかる雨にまっすぐ女郎花 正子
いつみても黄色澄みたり女郎花 正子
●台風10号の進路が不確実で、あす大雨の予報。図書館の本を返却期日があすなので、今日返却。あたらしく4冊借りた。『パウル・ツェラーン詩集』、『パウル・ツェラーン』、『リルケ』、『窓から逃げた100歳老人』。パウル・ツェランはユダヤ人で、母は収容所で銃殺され、父は病死か銃殺か不明。最後はセーヌ川に身を投じた。ライン川に身を投じたユダヤ人の詩人もいた。『窓から逃げた・・』は、ずっと前に注目された本と覚えていて、書棚の一番下にあったが目に付いたので借りた。2週間でこれらの本が読めるわけはないので、今日は4冊をぱらぱらと何度か捲り、写真や地図や年表を先に見たりした。
●『郷愁』(ヘルマン・ヘッセ著)を読み終えたが、アルプスの小さい花々が出てきて、風景をすがすがしく印象付けている。なかには日本でも見られる花がある。「ヤグルマソウのような青い空」の形容もあった。丁寧に花の名を挙げると面白いかもしれない。ヘッセの他の文章にも小さい花々がよく出て来る。
ドイツ語に高地ドイツ語と呼ばれる言葉があるが、この意味がよくわからなかったが、『郷愁』を読んでだいたいのことが分かった。
主人公のペーター・カーメンチントはニミコン村から街に出て、新聞に書評書くような人間になったが、終生、田舎の人間であるのがどうしようもなく、これは身に沁みて思える。ヘッセもそうではなかったかと思う。
●『郷愁』に出て来た花、木、動物
桜草、水仙、巴旦杏の花 バラ、ダリア、モクセイソウ、アカマツ、リンドウ、ユキノシタ、ミヤマウスユキソウ、シャクナゲ、レモン、ケシ、ナデシコ、フウリンソウ、ブドウ、ヤグルマソウ(のような青い空)、チサ、キャベツ、ジャガイモ、カプラ、
ヤマキチョウ、ヤギ、バク、象、チョウチョ、
※正確ではないが、ほぼ上記のようなもの。植物からはアルプスの自然の一部を知ることができるのではないか。
曇り
台風の遠きにありて萱靡く 正子
秋暑し雲に力のまだありぬ 正子
梨下げてまた新しき梨供う 正子
●クララ・ヴュルツのモーツアルトピアノソナタ全集を聞く。繊細で感情豊かな演奏。ずっと聞いていられる。「繊細で感情豊か」なことは詩人や演奏家には必須条件かも知れないし、また、詩人や演奏家では平凡なことかもしれないが、普通の者が聞くには、このことに尽きると思う。素晴らしい技巧とか深い音楽とか、素人にはそこまででなくてもいい。
●夕飯のお米をしっかり浸水させて電気釜で炊いたのだが、途中で蓋が開いたままになって、どんでもないご飯が出来た。出来たご飯にラップをかけてレンジで温めてみたが、煮えたのもあるが、煮えてない米粒があるようで食べるのを止めた。「パンがないならブリオッシュを」ではなく、現況の店頭から米が消えてるからではなく、家には米がありがながら「米がないならパンを」になった。今日は三食、パン食。
曇り、ときどき晴れ、急に雨
秋の雨わが行く前を縦に降る 正子
朝顔のつぼみ育ちぬみどり濃く 正子
秋の夕降水帯の空にあり 正子
●台風10号が奄美大島の辺りに居るが、東海地方に線状降水帯があって、新幹線が運休したり、遅延したりしている。今朝、散歩に出たが、帰り家の近くに来て、急な雨にシャツの肩をびっしょり濡らしてしまった。急に降ったり、上がったりを繰り返している。
●美知子さんが昨日、8月7日漬けの愛媛新聞の俳誌紹介の記事を送ってくれた。「卯月野やジャズ漏れきたる丸太小屋/小口泰與」「沢蟹を腕いっぱいに獲ちりし夏/友田修」「すず鳴らし八十八夜の家路かな/弓削和人」の3人の句が紹介された。取り上げてくれたのは、若い記者のかたで、「花冠を楽しみながら、句を抜いてくれた」ことが、選んだ句から窺える。そう思うと、花冠の面白さ、良さを分かってくれている人はどこかに居ると思えるので、励ましになる。
●角川年鑑の原稿依頼が届いているので、これを締め切り期日までに出さなければいけない。普通郵便に日にちがかかりすぎていることを考慮しなくてはいけない。。愛媛から横浜に郵便物が届くのに5日かかっている。水曜日の消印の封書が月曜日に届いた。金曜日に届いてよさそうなものだが。
われわれ俳句など文芸をたしなむものには、郵便は大きな役目を果たしている。表面に書かれた文字面だけでなく、書かれた便箋やはがきも伝えたいことの一部なのだ。また、消印も大事なのだ。運ばれるのにどのくらいの日数が必要だったか、運ばれる間に、手紙の思いが膨らんでいることもある。はやく、読んで、と言っている手紙もある。素敵な文章の手紙なら、「文章の上質感」を、美しい布が手に触れるように感じているのだから、郵便はまだ必要なのだ。
晴れたり、曇ったり
●夏が終わろうとするのに、暦の上ではもう秋だが、朝顔に蕾が付いているのに気づいた。数えると5個あった。ハイポネックスをやって4日ぐらいなのだが、これが効いたのだろうか。そうは思えない。夏が暑すぎたのだろう。暑さが少し落ち着いて、今がちょうど昔のような夏なのかもしれない。それにしても、蔓を抜いてしまわないでよかった。
●歯科検診。午後からの歯科検診が気になって、済むまで仕事が手につかなかった。治療の必要が無くて今日で済んだ。
●『郷愁』を読んでいる。ヘッセの出世作となった27歳の時の小説だが、若い時は気づかなったが、文章が上等なのだ。ヘッセが後にもらったノーベル賞の授賞理由に「人間の古典的博愛精神と、上質な文章の例示」があげられている。高橋健二の翻訳のすばらしさもあるが、真似のできようのない文章の上手さだ。「上手」というのではなく、やはり「上質」と言わなければいけないのだろう。
『郷愁』の原題は主人公の名前の『ペーター・カーメンチント』。それを『郷愁』と訳して問題はないくらい内容に合っている。老年の今この書を読むと、青春の事柄が、疵がヒリッとするように思い出される。
60年が早もすぎている田舎の高校の級友のこと。級友は男子生徒だが、隣町から通ってきている、初めて出会った子だった。医者の家の子で、軽い小児麻痺を患って、教室を移動するのに、両サイドの机に両手を着き、両腕を支えに足をうかしてスイと移動していた。ふざけてもいたが、小柄で痩せていて、母親の顔立ちを彷彿させる、色の白い美しい顔をしていた。いつも体に少し余った制服をきれいに着ていた。一言も話したことはないが、気づくと目が合い、目が合うと彼はいつも目を逸らした。その横顔は青白くそばかすが浮いて、静かすぎた。一言声をかけ、何かを聞いてあげればよかったと、今思う。今ならそうするだろうが、全く未熟な固い果実そのままの女生徒だった。学年の人数も少ないから、彼の名前はK・Kと覚えている。
曇ったり、晴れたり
くろぐろと銀杏並木に秋すでに 正子
秋灯に靴屋の靴の片方ずつ 正子
閉店を急ぎ秋灯またたかす 正子
●台風10号の接近で、一日蒸し暑かった。夕食後に丸善へ。日吉駅から慶大の銀杏並木を見ると黒々とすっかり夜になっている。菓子の本を1冊買いたくて、この前から探しているが、決め手がなく迷う。文庫本『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/新潮社)と『郷愁』(高橋健二訳/新潮社)を買った。その後、東急の店をいろいろ見ていたら、1時間もいないのに閉店のアナウンスがあってあわてた。
『ヘッセ詩集』は訳者は同じだが、今図書館から借りている『ヘッセ詩集』とは収録している詩に少し違いがある。順番も少し入れ替わっている。「シュワルツワルト」は好きな詩だが、文庫に入っていない。今日は句美子が来ないので、一日が長い感じがした。愛媛の「ぽつんと一軒家」を見ながら、『郷愁』を読むが、目が疲れやすくていけない。コーヒーを飲みながら、チョコパイを食べたのだ。そして、早々に就寝。
晴れ、どきどき曇り
初秋の空の眺めのうすねずみ 正子
つゆ草につづき草々露まとう 正子
ベランダに葉の影重なる秋はじめ 正子
●気温は下がってきているが、台風10号のせいで、蒸し暑く、疲労感。俳句を読んでいるより、『ヘッセ詩集』(高橋健二訳/小沢書店)を読んでいるほうが、よほど慰みになる。ヘッセは西洋の詩人にしては、自然への親しみが違う。そこが慰みになっている。
●吉田晃さんの『俳句の杜2024』が今日本阿弥書店から届いたと電話。お盆前に本阿弥書店から私用に1冊贈呈されている。近く、会員の皆さんに送っていただけるだろう。
●『ヘッセ 魂の手紙』が最終章に近づいた。終わりに近づくと、この本は「読み切らないといけない」と義務感のような思いになった。
「平和を願って」の章で、第1次大戦中の1915年音楽家で歯科医アルフレート・シュレンカー宛の手紙が興味を引いた。
<(・・・)戦争を理性的に見ている人々は、今ではもうドイツだけのことではなく、だんだんヨーロッパの未来について語るようになっている。それは僕にとってまったく好ましいことではあるのだが、それでも僕は、統一したヨーロッパというものを人類の歴史の前段階としてしか見ていない。方法論を駆使して物を考えるヨーロッパ精神がまず世界を支配するだろう。だが、魂の文化はもっと深い宗教的な価値はロシア人やアジア人にあり、われわれはそれを時とともに再び求めてゆくようになるだろう。>
(ここで私が思うのに、ヘッセがロシア人として想定していたのは、ドストエフスキーなどの作家ではないかと思う。)
晴れ
蝉時雨停車の長き救急車 正子
梨ひとつみずみずしくて供えけり 正子
初秋の夜にぞ流るるセレナーデ 正子
●今朝、窓を開けたらうれしいことにプランター一つが寄せ植えのよう花を咲かせていた。白の日日草、アメリカンブルー、赤い撫子、紫のペチュニアがそれなりの体裁に。昨日近所の人に朝顔が咲かない話をしたら、肥料をやって、少し様子を見たらということだった。けさ、水溶性の肥料をやった。咲くだろうか。
●『ヘッセ 魂の手紙』の第一次世界大戦時の手紙が興味深い。第一次大戦は連合国と中央同盟国との戦争だが、ヘッセは当時中立国のスイスのベルンに住み、ドイツ国籍であった。ベルンに住んでいたことと、健康上の問題で兵役にはついていない。『車輪の下』や『ペーター・カーメンツィント』ですでに有名になっていて、フランスの百か所ばかりのドイツ人捕虜収容所に書籍を送る仕事に携わっていた。ヘッセが中心となり送る図書の選定をしたり、捕虜の読書希望に応じたりしていた。成人教育と慰みの意味があったようだ。捕虜たちに本を送る仕事があったことは、私には驚きである。良い本とはなにかも、問題となっている。
戦争のとき、文化人の果たす意味が問われる。フランスのランス大聖堂’(ノートルダム大聖堂)をドイツが爆撃したとき、オランダ人画家の新聞での非難を擁護している。平和主義を唱えるヘッセは自身も新聞投稿で戦争批判をおこない、激しい非難にさらされていた。敵国の文化財を破壊することは、敵国の精神文化を破壊するのにつながるのは目に見えている。
※2019年に火事がったのは、パリのノートルダム大聖堂で、ドイツの爆撃を受けたのはランスにあるノートルダム大聖堂。名前は同じだが、別の建物。ランス大聖堂では歴代皇帝の戴冠式が行われた。
朝立ち、のち曇り
つゆ草の雨に灯れる花の青 正子
つゆ草や父母名もなく死ににけり 正子
萩の枝すっぱり刈られ処暑迎う 正子
●自由な投句箱を昨日から夏休み。代わりに『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット発行2005年)から毎日の句を掲載したら、訪問者が減るとことを想定したが、それどころか倍になっていた。西垣脩、谷野予志の句が、新鮮に思えたのだと思う。
●句集『水の音』のお礼の手紙を出す。ポストへ行く途中、近所の奥さんにつかまり、立ち話。普段挨拶程度なのだが、今日は若いころ登山が趣味で、尾瀬には20回以上行ったという話をした。1回しか行ったことがない私にはうらやましい話だが、今度高尾山に行こうと誘われた。高尾山には何種類も桜を植えているところがあり、桜のころは、いつ行ってもどれかの桜が咲いているとのこと。まだ先の春のことだから、忘れるかも知れない。