晴れ
クローバーその乳色の密生す 正子
保育園のフェンスを囲み立葵 正子
四十雀しっぽまだなく雛であり 正子
●一日8000歩になりそうなコースを歩いてみた。家を出て、URの団地を周り、家の前を通り過ぎて5丁目の丘へ行って帰った。1000歩ほど足りないので、夕方に団地をまた少し歩いたら、結局10000歩を超えた。歩いていて、クローバーがあまりにもびっしりと咲いていたので、クローバーの季語は初夏だったかと思い違えそうになった。クローバは春より初夏が似合うような気がしてきた。夏の始まりの花をたくさん見た。立葵、紫陽花、カルミア、未央柳、栴檀の花、月見草、ハルジオンなど。
5丁目の丘へ上ったときには、住宅の植木に四十雀の雛らしい小鳥がいた。尻尾がなくて、小さく鳴いて、枝にかくれてじっとしている。ピピピと鳴くだけ。「ふわふわ」を表す英語に「フラッフィ」があるが、その音(おん)の表す印象そっくりな姿。
●引き出しを整理していて、元希が学校で絞り染めをした空色の布をくれていたのが出て来た。近所のおじさんが学校に染料を持ってきてくれたので、染めることになったらしい。周りにレースをつけてハンカチに仕立てようと思っていたから、今日縫うことにした。正方形に整えて手縫いで四方を纏った。レースは編んでつけるつもりだったが、布の目が詰まっているので、レース針が通らない。レースは買って縁取ることにした。
晴れ
●夕方仏壇にお参りしたら、遺骨を置いていた場所に置いた芍薬が白い羽を散らしたように崩れ散っていた。まるごと白い鳩を抱えるような感じで、崩れた花を取り除こうとしたら、もう一つも砕けて散った。二輪の芍薬が姿を消した。花瓶を片付けて、もう何もなくなった。
●ハート内科の定期受診。先生の「運動してますか」の問に、「一日7000歩を目標に歩いていますが、達成できている日は3分の2ぐらいです。」と答えると「1日8000歩にしてください。」と言われた。この「1日8000歩」は医学的に意味があるらしい。明日から実行しようと思うが、見て、歩いて、楽しい場所なら、歩くのが苦になることはないけど。もう、たいていのところは歩いている。毎日海を見に行くとか、田んぼや畑の周りを歩くとかがあれば、いい。こういう場所は、空も風も、景色も日々刻刻変化するから歩ける。
●診察の待ち時間本屋へ。ChatGTP に関する本2冊を読み比べる。一冊買おうか迷う。多分近いうちに買う。今、いい加減嫌になって、ChatGTPに助けてもらいたいことがあるので。
●『リスボンへの夜行列車』(パスカル・メルシエ著/浅井晶子訳)を昨日80ページほど読んだ。哲学教授の作家が書いた本。80ページというのは導入部で、物語が始まりかけたところ。この本を今読まなくても、という気になったので、『わが心の故郷 アルプス南麓の村』(ヘルマン・ヘッセ著/V.ミヒェルス編・岡田朝雄訳)に替えて読み始めた。
「年を取っての趣味として読書はいい」と言うことを、つい一か月ほど前に何かで読んだばかり。たしかに最近何かやる覇気もなくなっているし、でも外は見たいしなので、それを実感している。
曇り
●朝顔の双葉がちょうど10本芽生えた。茎にほんのり花の色が出ているが、白以外はまだよくわからない。一つの鉢に2本植えるつもり。あとは垣根のように仕立てる。今年は入谷の朝顔市は行ってみたいと思っている。朝顔市は7月6日(土)。
●一周忌の法事と納骨から一夜明けた。今日最初にすることは、信之先生が父親から譲り受けた数珠を直してもらうこと。日吉の仏具店に行く。慶大の日吉キャンパスに沿う街道の坂道を下ったところが仏具店。歩いてキャンパス沿いを行くと、並木の欅の幹に明るい緑色の苔がついている。街道沿いというのに緑道のように苔がしっとりしている。
数珠は元々16珠。ラグビーボールのような珠に、それぞれ違う仏様が、円かながらエッジが効いて彫られている。一つ珠がはずれて、それでも結んで輪にしているので、奇数なので親珠の水晶が横にきている。京都の数珠店で直すので5週間かかる。直ってきたら息子の元に渡す。
●夕方、ベランダに出ると月に色が付き始めていた。寝る前、窓に鍵をかけようと空を見たときには、満月になりかけた月が透き通ってやさしかった。ふと、昨日納骨した墓地の事が思い浮かんだ。昨日の夜は少し雨で、今夜は月がやさしくて、曖昧な空のようだけど、薔薇も咲いていたし、亡くなった皆も墓地にはいるし、桜の実も熟れていたし。昨日の読経してくれた尼さんも青葉の明るさに驚いていたし。わが家の遺骨を置いていたところには存在の力が圧倒的になった芍薬の白い花が満開になっている。
曇り、夜雨
老鶯のどこかに鳴いて納骨す 正子
桜の実の熟れている墓地納骨す 正子
青葉して尼僧の読経の一周忌 正子
●信之先生の納骨と一周忌の法事。夏日の予報だったが、曇りでちょうどよい気温。今日のお経は尼さんがあげてくれた。尼さんのお経は初めてだったが、句美子は尼さんの方がいいと言っている。石鎚山に修行でのぼることもあると言う話だった。納骨と法要は40分ほどで終わった。墓所には次を待つ二家族ほどがいた。田舎では考えられないこと。
昼食は私以外は若い人たちなので、麻布十番に本店があるレストランで西洋料理。始めに出されたオニオンスープが美味しかったので、後もおいしいのではと期待したら、その通り。元が車で往復してくれた。帰宅すると、お骨を置いていた場所に今朝白い芍薬を置いたが、満開になって部屋中いい匂いがしていた。正月でもないのに、納骨と一周忌の法事が終わり年を取った感じがする。
晴れ
●図書館の本の返却日。熱心に読んだのは『人間ゲーテ』だけ。一度読み終えてすぐ2度目を読んだ。それでようやくこの本の意図が分かった。ゲーテの入門書だったが、『ファウスト』の一部、二部を曲りなりにでも読んでいて、2回目読んだときはずいぶん納得する箇所が多くて、手元にこの本を置きたくなった。
世界でいちばん美しい抒情詩の一つと言われるゲーテの詩「旅人の夜の歌」(2)が紹介されていた。言葉として、その音を書き留めておきたい気持ち。「この詩には深い意味がある。どこにあるかと言えば表面にある。」とホーフマンスタールが言ったそうだが、それは「色即是空」ではないの、と言いたくなる。そしてゲーテの自然の把握は、峰から梢へと移っている。間違えても梢から峰へ、ではない。この自然の把握も私的には俳句の場合もそうだと言いたい。
Wanderers Nachtlied
Über allen Gipfeln
Ist Ruh,
In allen Wipfeln
Spürest du
Kaum einen Hauch;
Die Vögelein schweigen im Walde.
Warte nur, balde
Ruhest du auch.
旅人の夜の歌
すべての峰に
憩いあり、
すべての梢に
そよ風の
動きもなし、
森には小鳥の歌もやみぬ。
待てよかし、やがて
汝も憩わん。
(訳:小栗浩)
※この詩を理解するために生成AIのCopilotに質問した。①前置詞のあとの格について。?韻を踏むためにスペルの追加があるかどうか、③Walde とWald の違い、balde とbald の違いの3点。AIの答えは、Über allen GipfelnとIn allen Wipfelnはともに3格であること。韻を踏むためにbald ではなく古語・詩語のはbaldeが使われていること。Waldeはbalde 同様、古語・詩語だということだった。
これが正解かどうかわからないが、勘ではAIの答えは正解だと思う。
小雨
●19日の信之先生の一周忌の法事の準備、実際準備してみれば抜けていることがあって、買い物。19日は暑くなりそう。27度の予報が出ている。
●ネット短信No.415を14日に送信したが、受信の確認が取れない人が半数以上。月例ネット句会の反応も速いとは言えない。多分、日常的にはスマホを使い、PCのメールは見ていないのかもしれない。こう思いつき判断するまで、時間がかかったが、No.415に続いて、ネット短信No.416でスマホにメールを送ってほしい人はアドレスを知らせるように連絡した。早速、美知子さんと秀之さんから連絡が来た。
晴れ
街中の古家にほんのり枇杷熟れる 正子
アゲハ蝶飛翔のときは浅葱色 正子
櫟林の山路は昏し卯の花も 正子
●いつも通り目が覚めたと思ったら、まだ4時半。この時間は日差しを気にする必要がないし、鳥も鳴いているだろうと、5丁目の丘へ出かけた。朝靄で、直観でしか見えない富士山の雪嶺が浮いていた。鳥は四十雀がたまに鳴く程度。鳥たちは山に帰っているのか、どうなのか。
●『人間ゲーテ』(小栗浩著)の小さい本を読んでいるが、250年以上前の文豪ゲーテに我々が学ぶところは何かと言う本。この本自体が30年前の本だが、気づかされることが多い。四章に分けられている。3章「ヴァイマル」、4章「詩人としてのゲーテ」よりも、2章「わが存在のピラミッド」はゲーテの本質的なことのようなので、からっぽの頭では理解が難しいが、おぼろげながらわかる。
ゲーテの人間形成に恋愛は大きく影響している。「少女を見、この少女を愛することによって、美しいもの、すぐれたものの世界が開かれたのであった。」(『詩と真実』)「わが存在」のために「ピラミッド」を築く、高みを求め続ける精神が、「高み」への理想主義的希求が重なる恋愛を体験させたのだと思えた。
それよりもゲーテの詩「五月の歌」は、明るくのびやかで好きな詩であるが、これがフリーデリーケとの恋愛で生まれ、「ゼーゼンハイムの絶唱」と呼ばれていることをはじめて知った。高揚した精神で自然を見ればこのような詩が生まれるのか、興味深い。内面的な俳句は内面が触発されることによってできることはわかっている。精神の高みのある状態で自然を見ればどうなるか。「高み」は、「深み」とは反対でもなさそうだ。
ゲーテはマイン河畔のフランクフルトで生まれているが、ゲーテが最初に学んだライプチッヒ大学のあるライプチッヒに比べて言葉が粗野で悩むこともあったようだ。しかし、ゲーテはフランクルトの言葉を愛していたという。フランクフルト読みの発音で韻を踏む詩を作っている。こういう詩を読んでいると、詩は息でできているとさえ思える。
家族のドイツ旅行の時、フランクフルトのゲーテの生家を訪ねた。ゲーテの部屋にも入ったが、写真で見るのと同じ様子だった。家はマイン川のピンクがかったうすい紫色の砂岩でできていて、階段は観光客が踏むためか、擦りへってくぼんでいた。中庭のある生家を訪ねたことはなにがしかゲーテの理解を助けてくれている。
ゲーテの本と一緒にシラーの本も借りて来た。ベートーベンの第九「歓喜の歌」はシラーの詩の大部分が使われているが、「歓喜の歌」はこれまでドイツ語で聞くのに慣れてしまって、シラーの日本語訳の詩がどうしても痩せて思えた。「メーリケ」の詩の翻訳もシラー同様にどうしても痩せて思える。ゲーテの詩は翻訳でもそれほど痩せた印象がない。これはどういうことか。ゲーテは小説ならトーマス・マンに、詩ならリルケに比べれば、その構成、また言葉にゆるさがあるという。これもまた面白いところ。
晴れ
踏み入りし青葉の寺の奥深し 正子
夫の忌も母の忌日も聖五月 正子
梅の実の葉蔭に緑濃く太る 正子
●ネット短信No.415を出す。No.414がちょうど2か月前の3月14日。花冠No.371号への雑詠投句依頼。信之忌ネット句会の案内、大垣全国俳句大会の案内の件。
●クリーニング屋へ行く途中、金蔵寺へ寄る。境内に入ると桜の季節とうって変わって、青葉が寺に輝いている。色はなくひたすら青葉ばかり。めずらしくお参りの人が誰もいない。青梅が太っている。柏葉紫陽花が白と言えず、うす緑に咲いている。
雨
青葉陰小川に添えば水が鳴る 正子
青嵐巣箱のかかる樫の木に 正子
おとといのバラが散りたりこの部屋も 正子
●午前9時過ぎ、五月月例ネット句会の入賞発表。
●夕方、郵便物がどっさり届く。中に「芭蕉蛤塚忌全国俳句大会」実行委員会からの案内があって、力が入っている。「奥の細道むすびの地「大垣」」の主催。普段は全国からの結社誌から主宰の句を一句ずつ紹介したリーフレットを送ってくれる。普段から地道な活動をされていて、大会の時だけではないので協力したい。明日、花冠会員に投句用紙などを送る予定。
●昨日はネット句会で忙しかったが、今日は朝から雨で、今日が日曜日の感じがする。ネット句会の合間に朝顔の種を蒔いたが、今日の雨がかかって芽生えを助けてくれそう。深く蒔き過ぎた気がする。今年は垣根のように仕立てるつもり。支柱はたくさんある。今年はアブラムシが全然来ないし、ミニ薔薇の葉も病気にならないので、それが不思議。ベランダ花壇は順調に育っている。紫蘇も買わなくてよいほどに育った。