晴れ
春の日の無音の日差し満ちみちて 正子
あか詰草しろ詰草がおなじ野に 正子
たけのこと花苗を買う直売所 正子
●JAの直売所へ朝掘りたけのこを買いにでかける。今年は筍が豊作なので、店舗前でたくさん売っている。午後になると値段を下げて売るのがJAらしいが、断然、朝掘ったばかりのものがいい。お昼を食べながら、大鍋で2時間ほど茹でる。一晩ゆで汁に浸けたらできあがり。
●『ファウスト』(池内紀訳/集英社)は、大ゲーテ著と言うので敬遠していたが、年を取って読むと身につまされるところもある。意味もなく手にしたが、登場人物の語りが、初めて聞くことではなく、むしろよく聞いたようなことなので、面白く読めた。先師の臥風先生はゲーテの研究者であったので、自然と、ゲーテの言うようなことが、仲間内で共有されていて、私まで伝わったのかもしれない。また、ひとつには訳文のお陰かも知れない。
箱根湿性花園
晴れ
筍の竹に育ちて雨通す 正子
茅花の穂光れば辺りみな茅花 正子
茅花野を行きつつ「リリー・マルレーン」 正子
●昼間暑いぐらいなのに、朝夕は寒い。
●「テネシーワルツ」は覚えるぐらい聞いた。テネシー州の州歌5曲入っているらしい。そのままの歌詞で州歌なら驚くが、この曲、すぐ歌えそうで、歌うとむずしい。はじまりが3拍目の弱音、低い音で歌いはじめないと、一気にオクターブ飛ぶから声がでない。真面目人にはスウィングがむずかしい。
曇り、夕方小雨
花水木司書のブラウス白であり 正子
あちこちに白き紙あり春の夜 正子
春の真夜四国南端震度6 正子
●梅雨の走りのような天気。昨日美知子さんの電話で珈琲屋さんはお元気だと知る。数年前、ずいぶん具合が悪いと聞いていたので、美知子さんも私も珈琲屋さんは亡くなられたと思っていた。存命と知り嬉しく思った。文化の重みが残る安心感がある。「花冠」2023年9月号(信之先生追悼号)と2024年2月号を送る。信之先生が亡くなったことが松山の昔仲間に知られて、話に上っていると聞いた。
珈琲屋さんは、松山の文学サロン的だった。今では老舗と呼ばれるらしいが、思い出せば、昔も老舗の雰囲気だった。二番町の地下のお店には地上から下りていく。お店の大きな円卓は新聞や文芸雑誌などが雑然と置かれていた。マスターの作る出来立て食パンが懐かしいが、帰りに買うときは2斤買っていた。西村先生の『世紀末ウィーンの・・』では、ウィーンのカフェが文化人に重要な役をはたしていたことが知れる。
今流行っているカフェは、パソコンを持ち込んで一人で勉強をするのが流行っている。それはそうと、本の「黙読」は、グーテンベルクが印刷機を発明し、大量に本が印刷されるようになったからだと、『はじめて学ぶドイツ文学史』で読んだ。ずっと昔は、識字率が低かったから、声にだして演劇のように伝えることが大事だったのだろうから、「黙読」という行為は面白い現象かもしれない。
●図書館で『ファウスト』(一部・二部)と『迷宮の将軍』(ガブリエル=マルケス)など4冊借りる。図書館のあるセンター南の駅前のナチュラルガーデンの花がよく咲いて、フランネル・フラワーが白いネルのような感じ。白いネルは戦後のこと、母が寝間着に仕立ててくれていたので感触が記憶に残っている。駅前広場は面白い構造で街が下にある。波打ったような坂が上り下りしている街なので歩道から街が眺められる。この街、気に入っている。
曇り, 夕方雨
たけのこに雨大粒に降り出しぬ 正子
筍の切っ先明るい緑なり 正子
藤房の揺れつぎつぎと伝わりぬ 正子
自転車の子らに躑躅の赤く燃え 正子
●今朝、目が覚めるや、「言語をこえる」という言葉を、早とちりをしていたと気づいた。50年前のことなので、50年間ずっとそう思っていたのだから、粗忽者もいいところ。恥ずかしさを通り越して、笑うしかない。
●図書館から借りた本の貸出期限が明日。『コレラの時代の愛』(ガブリエル=マルケス著)『ぼくのドイツ文学講義』(池内紀著)『ドイツの詩を読む』(野村修著)『はじめて学ぶドイツ文学史』(柴田翔編著)の4冊。『はじめて学ぶドイツ文学史』は、ドイツ文学はよく知らない、おまけに文学史ほど嫌なものはない私が、読んでみて、これほど面白い「文学史」はこれまでなかったと思ったのだ。
文学史で面白かったのは、ノヴァーリスの『青い花』の原題は『ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン』だとか、グリム童話の「ヘンデルとグレーデル」の解題とか、1701年~1789年の時代思潮として、「ガリレオやニュートン以来、自然科学は人間理性に対する信頼を着実に高めていた。だが、知識が、それどころか人間が進歩すると言う考え方は、伝統的世界観と矛盾する。その世界観に従えば、人間世界がより良いものへ進歩することはありえなかったからだ。人間を救済するのは神の役目だった。この神と理性の対立をどう調停するかが、18世紀精神の最初に直面する大きな課題だった。」と書いてあった。人間はよりよく進歩するものと考えられていると思っていたから。
「はじめて学ぶ」の題が冠されているのは、有名な初歩の作品があげられているため。本質的な重要なことは解説されている。例えば、マンなら、『ヴェッチアに死す』、グリムなら「ヘンゼルとグレーテル」、ゲーテなら『ファウスト』のはじめのところ、など。
『コレラの時代の愛』は500ページの長編の割には2日で読み終えた。とても骨太の作家と思った。ストーリーは少々が違ったとしても、現実には無い話のようで、実は現実にある話と思えた。
●夕方、鯛ヶ崎へ行った。躑躅や皐月、藤、モッコウバラが満開。数日鯛ヶ崎に来なかっただけなのにこの変わりよう。竹林に筍は30本以上は出ていているかもしれない。小学生の子たちが山の階段を自転車で降りて来る。これはすごい。
晴れ
若葉して銀杏並木の坂なせる 正子
ふさふさと欅若葉が空を刷き 正子
●早朝からオナガがよく鳴いている。循環器の定期診療の日。ようやく検査数値が落ち着いた。 自分に合った生活ができるようになっている結果らしい。
●待ち時間、くまざわ書店に寄る。『戦後思想の到達点』(NHK出版)を立ち読み。柄谷行人と見田宗介のそれぞれに大澤真幸がインタビューした本。見田宗介の方に親近感をもつし、見ている世界が馴染みやすい。戦後、日本の思想はどうなって、どこまで行っているのか、はっきりと知りたいところ。
●三日見ぬ間に、とはよく言うが、本当にあたりが一度に若葉になった。慶大の銀杏並木が若葉色に染まり、欅もふさふさと若葉をそよがせている。新入生が真新しい制服でがやがやと駅へ集まってくる。三日前には気づかなかったこと。
晴れ
樹木葬墓地
葉桜となりつつ花びら風に散り 正子
墓地の桜いまだ小さし葉桜に 正子
寺の事務所
テーブルに黒き艶あり花おわる 正子
●午前に、4月月例ネット句会の金・銀・銅賞の6句にコメントを書いて、入賞発表。
●午後1時過ぎ、町田・鶴川の墓地の様子を見に行く。その後、お寺の事務所で一周忌と納骨式の打ち合わせをしたが、15分もかからなかった。運よく墓地から駅までの直通バスに間に合い、鶴川駅まで帰れた。乗ったのは私ひとりだけ。四月にしては暑いぐらいの日だったので、帰宅したときにはずいぶん疲れていた。
晴れ
●4月月例ネット句会
桜の佳句が多く、句会が充実している印象。
投句
蝶にして花散る谷を飛ぶはやさ 正子
花散るやしずかに息を吐く地球 正子
はちみつのような春の森時間 正子
●句美子夕方6時ごろ来る。『泉』の選句がふたりともまだなので、急がせる。花冠夏号は、秀句を集めて季寄せのようにするのだというと、「企画力ある!」と。
俳句にコメントをつけているとそれにお礼を言われる。本当は、選にお礼を言ってほしいので、ちょっとおかしいことになっているのではないかと思いはじめた。そのことがあるので、夏号は、コメントなしの、季寄せ風にしたいと思っている。「俳句を読む」ことに重点を置きたい。コメントをつけると、俳句が少し良くなって思えるのかもしれないが、本末転倒なのでは、と。
●お寺から信之先生の一周忌が一か月前になったので、確認の電話があった。
●すっかり、暖かくなった。しばらく体調がなんとなく悪い感じだったが、コロナから完全に回復。コロナの型が変わって来て、肺炎にならなくなっていると聞く。熱、喉の痛み、咳はインフルエンザに近い。
●春キャベツが生協から一玉とどいているので、今日も半分を蒸しキャベツにして句美子に持たせる。蒸しキャベツのアイディア、薬膳料理のウィー・ウェン先生に教わる。
晴れ
老年はとろんと落ちる春夕日 正子
濃縮の森の春からドラミング 正子
はちみつのような春の森時間 正子
●自由な投句箱の秀句について、AIがコメントをするとどうなるか、確かめる。
毎日しなければいけないコメントに、私に替わってAIにコメントをしてもらいたい気もする。ある俳句について、これが「平均より上か、中ぐらいか、下か」と質問すると、上質だとか、中程度だと判定する。AIのコメントを読むと、こちらの頭が少々おかしくなりそうだ。AIのコメントは良くても悪くても、読まないのが良い。
●『はじめて学ぶ ドイツ文学史』(柴田翔編著)の中世のなかに、フォーゲルバイデのミンネザングについて抒情詩概説がある。中世にかぎり抒情詩はリューリックではなくミンネザングと呼ばれるとある。ミンネザングはみな一様と思っていたが、フォーゲルバイデは上流貴婦人へのナイト精神からの愛ではなく農民の娘の愛を自然の人間の姿としてうたい新しいのだと言う。しかし言葉はローマ帝国時代から悦楽境をうたう伝統的な言葉、菩提樹、草原、花、草、水辺、小夜鳴鳥を使っている、という。中世よりあとになるが、芭蕉は、和歌の雅な言葉ではなく俗の言葉を使ったこと「俗語をただす」に功績がある。このあたり、面白いと思う。
フォーゲルバイデ(鳥の餌場)の詩はこの文学史にも、『ドイツの詩を読む』にも「リンデの木の下(Under der Linde)/ 「菩提樹の下」(Under der linden)」が引用されているが、経歴については、文学史が詳しい。辺境の宮廷巡りの彼は晩年ヴュルツブルクに土地を与えられ、そこで死に、石棺が墓となっている、とある。私がヴュルツブルクの教会の庭で見たのは、フォーゲルバイデの詩碑と聞いたが、いったい何だったのだろうか。
●文学史の本を読んでいて、2003年発行なので、「インターネット革命」と言う言葉が出て来る。グーテンベルクが印刷機を発明して社会が変わった同じ変化が起きていると、当時情報学者がよく言った。が、この文学史を書いた著者は、技術で社会が変わったわけではないと言う。気になる話。
曇り
初つばめ川面近くを行きゆきて 正子
堰落ちる水を離れず春の鷺 正子
葉桜となりつつ花のまだ白し 正子
●『ドイツの詩を読む』は、ドイツ語の初学者用にドイツ詩の総体がわかるよう源流から現代までに編集されている。それでも主体は20世紀の詩。著者の野村修は1930年生まれで、二次大戦の終結時には高校生だった計算になる。この詩集を読むと、ユダヤ人の詩や死をテーマにした詩が多いと感じることから、強い反戦へのメッセージをこめた詩集と感じた。ドイツ文学を読むとユダヤが問題にならないことはない。
●句読点の無いパウル・ツェランの「死のフーガ」は、ナチスの強制収容所内の様子だという。この解説がなければ、そういうことだろうと思って読むのと、その場所だと示されて読むのでは理解が違ってくる。
この詩について著者は言う。
「当時のドイツ人がMozartを愛する人殺しだったとすれば、われわれもまた短歌・俳句を愛する人殺しだったのだから、この詩を「他人(ひと)ごと」として読み流すことは、われわれにはできない.」ちなみに、著者はこの本で、読点は使うが、句点ではなく、ピリオドを使っている。
●読む気で読み始めたのではなかったが、詩の紹介という以上に著者のメッセージを感じる詩集で現代の詩人がメインが置かれている。ブレヒト以降の現代詩人はほとんど知らない。フーヘル、ツェラン、フリート、バッハマン、エンツェンスベルガー、ビーアマン。ビーアマのン「励まし」は切実さがある。
●ぼんやりと雲に包まれた夕日が落ちてゆくのを見ながら西へ、鶴見川の支流の早淵川の土手を歩く。川を飛ぶ燕を一羽見た。ふいに草むらから飛び立って宙返り。川の面白さは矢作川や鶴見川のほうが面白い。歩いたのは、往復3.5km。
晴れのち曇り
森をでてすぐに田に鳴く初かわず 正子
うぐいすの声ふるわせば山桜 正子
橋よりは朴の若葉と尖る芽と 正子
●午後里山ガーデンへ。ガーデンフェスティバルの花壇を見てまわる。ビオラとチューリップがメイン。横浜で交配されたチューリップなどが植えられている。今年はの色合いは、地味な印象。花壇を一巡りして山道を下りて田んぼのほうへ。田んぼへ出るとすぐに初蛙の声。蛤のようなまるさで、クルックルッと鳴く。鶯の声、それから、大きな声でひーよひょろひょろと歌う鳥の声。啄木鳥のドラミングが聞こえるが姿は見れない。
●森の端の丘になった斜面の木の根元に小さいビニールシートを広げてお茶にした。『ドイツの詩を読む』をリュックに入れて来たので、取り出して読む。鶯や四十雀、それから歌うように鳴く鳥、啄木鳥のドラミングを聞きながらの読書。「詩型」についてのページはなんと難しい。集中して読めたので、6割ぐらいは飲み込めた感じだ。なんと複雑な。英詩の授業を思い出したが、女子学生ということだったのか、これほど複雑には習わなかった。
4時をすぎ、背中がぞっと冷えてきて、なんとなくあたりが暗い感じになったので帰ろうとすると、元の場所へ帰る門が2か所とも閉められている。フェスティバル期間中は4時閉門らしい。
もとへ帰れないので、すぐ向こうを車が走っているが、帰る道を探して歩いていると、鳥の話をしている男女にあった。ちょうどいいと思い、目の前で歌っている鳥の名前を尋ねると、「ガビチョウ」だという。中国からの外来種だとのこと。目の前に姿を見せてくれたが、男の人がカメラに撮ったカビチョウを見せてくれた。眼に白い隈取があり、茶色の鳥。鳥や植物に詳しい人らしく、この森のドラミングはアオゲラだという。女の人は画像を見せてもらっている間に居なくなっていた。四季の森公園の近くに自宅があるので、そちらへ行くのなら一緒に、と誘ってくれたので、後を付いて行くことにした。歩く道々いろんな情報をくれた。三崎の小網代を教えてくれた。三崎口から歩いても15分くらいらしい。小網代の写真も見せてくれた。
森で読書というのは捨てがたい。午後1時ごろ家を出てから夕方6時前の帰宅まで、私のアリバイはないと言えば、ない。この存在を知られない時間の読書。
●夜ユーチューブのオペラ対訳プロジェクトの『三文オペラ』を聞く、あるいは読む。