4月30日(火)

曇り
花いばら看取りし夜のありありと  正子
おがたまの花の一樹に風薫る    正子
立葵夫を立たせて撮りし写真    正子

●「俳壇5月号」の「名句のしくみと条件/⑰草田男の名句」(坂口昌弘著)
を読んで思ったこと。
蟾蜍長子家去る由もなし  草田男
の句について、秋櫻子が「真面目でも意味のわからない俳句は困る」と言ったという。

鰯雲人に告ぐべきことならず 楸邨
楸邨は人間探求派という名前が生まれるきっかけとなった座談会で、それまで、俳句の方向性から、生活からの声を表現する技術をもっていなかったことを背景に「現在の自分が、自分の生活から出てくるもので捨てかねて居るやうなものを出す時に、わかりにくいところが出るかも知れないが現代に活かしてみたい」と発言している、と言ったこと。

季語と季語以外の言葉が切れている場合は難解となる。草田男と楸邨の句で、切れているのか、切れていないのかよくわからないと、坂口氏は言う。

昨今は、季語の孤立、「切れ」が「切れ」ているほど良いと言う傾向がある。それを「飛躍」という。難解な句が高次の句とは納得できないが、どうもそうらしく、そこに面白みや現代性を見る。しかし、短い俳句では、飛躍がありすぎると、難解というより、解釈がどこまでも恣意的になるのではないだろうか、と思う。作者はみんなの解釈をなにやら「ほくそ笑んで」聞いている格好だ。人が悪いと思う。まるでメフィスト。

また、楸邨の言葉、「わかりにくいところが出るかも知れないが現代に活かしてみたい」は、実験の段階、チャレンジと思える。それが名句となって、解釈がいろいろできるということ。実験は成功したのか。

草田男の場合は、寓意的と読める。この寓意はゲーテのようでもあるような気がする。

●私は、季語と季語以外の間には不即不離の関係がなければならない、と教わった。季語が孤立してはいけない、と言うこと。切れすぎてはいけないということ。要するに、今どうすべきか。多々ある考えから、今の自分のスタイルを貫くしかない。そのスタイルにむしろ人間性が出ると考えて、おのおの良きように、ってことか。

4月29日(月)

曇り
  A氏のFBから連絡があり見ると、たくさんの桜貝
てのひらにのせてあまたのさくら貝  正子
昭和の日弾けないギターをつま弾けり 正子
昭和の日家居のわれにシャボンの香  正子

●辞書など置いている本棚の整理。子供たちが使った同じような辞書が何冊もある。一種類ずつ残す。この本棚から落款用の彫刻刀と石とスタンプができてきた。これも探していたもののひとつ。信之先生がドイツに行く時に持っていった住所を書いた小さい手帖もでてきた。ウィーンやフランクフルトやミュンヘンに住んでいる人たちの住所。しかし、肝心の信之先生の大連の写真がでてこない。

●『ファウスト』二部、難解だと言われているが、あまり考えないで読んでいる。ほかの人はどんな風に読んでいるのか知りたくなって、ネットで探すと壮大な西洋古典をよく読んでいる方のブログがあった。あらすじと感想が書いてある。ファウストと同じような年齢の方のようで、あらすじがよくまとめられていて、読むのに助かる。

世界がファウストとグレートヒェンだけなら、グレートヒェンは子殺しをしなくて済んだだろう。このことは、宇宙へ人間が行くようになっているのに、全然解決されていない。何を進歩と言ってるんだろう。

4月28日(日)

晴れ
朝掘りの竹の子たっぷり散らし寿司   正子
竹の子寿司だれも居ぬのにたっぷりと  正子
人形の服を洗えば春暑し        正子

●この前の朝掘り竹の子。それを竹の子寿司にして句美子に持たせる予定だったのに、句美子は風邪。「冷凍にしておいて」というので、すこし冷めたところで冷凍。竹の子をもう一度買って、今度は木の芽焼きと木の芽和。

毎年竹の子を何より楽しみにしている。子供のころの楽しみは、春は家の藪でとれる竹の子と、秋は家の山でとれる松茸だった。竹の子は藪に掘りに行く父について行ったが、松茸は山なので、現場にいったことはないが、籠にシダを敷かれて持ち帰られた松茸を見ると、子供心にもうれしかった。母が濡れ新聞紙に包んでかまどの熾火で焼いてくれる。それが一番おいしかった。

●ぬいぐるのうさぎ二匹と子熊を中性洗剤をぬるま湯で薄めて拭いてみた。あまりきれいにはならなかったが、少しさっぱりした。洗った洋服を着せて身近に置いておくことにした。リシーちゃん(Lissi)人形はホルトスさんのプレゼントで、30年以上たっているのに、白いレースのエプロンも水色の洋服もきれい。グレーがかった金髪の髪はカールがとれかかっているが、細くてたっぷり。櫛を入れてとりあえず、ポニーテールに結った。ドイツのリシーちゃんはふっくらした青い目の女の子の眠り人形。

4月27日(土)

曇り

夕暮れを歩くやすけさ若葉時  正子
啄木鳥の鳴く声若葉の奥深く  正子
 郭公の声を砥部の家で一度聞いてそれから聞いていない。そのことを思えば
郭公の声と別れてそれっきり  正子

●これこそ捨ててよさそうなものがある。富士登山をしたとき、五合目で信之先生が買った赤いペンキを塗ったような団扇。本来は渋団扇なのだろうが、昨今のこと渋ではない。お世辞にも上手とは言えない「白い富士山」の絵に、黒く「富士山」と書いた団扇。端が傷んでいるが、筆立に立ててある。多分、今年も捨てない。下手な絵と字、やすっぽいペンキのような赤。このせいで捨てられない。
●『ファウスト』第二部を読んで、飽きたらレース編みをして、どこにも行かない。
夜、天袋の整理。信之先生の書や書の入った額が引っ越しの時のまま出て来た。しまいっぱなしの句美子のぬいぐるみや人形の洋服を洗濯。探していたクリスマス飾りが見つかる。

4月26日(金)

曇り、ときどき晴れ

新緑の大いなる木が鳥を抱き    正子
仰ぎ見て花アカシアは白き翳     正子
新緑の暮れて灯れるログハウス    正子

●今詠んでいる句に、夏の季語が混じってきた。アカシアの花は夏の季語。それなのに立夏の前に散ってしまいそうだ。新緑も若葉も夏の季語。

●『枯野』(伊藤強一著/俳句アトラス出版)を俳句アトラスより贈呈いただく。お礼の葉書きを林誠二さん宛てに出す。
永き日や遠く聞こえるかくれんぼ
節分や早く帰りて鬼の役
秋の蚊の残りの命賭けて来る
七十路の妻の陰翳白日傘
何となく斜めなりしや秋簾
ごしごしと敬老の日の眼鏡拭く
●図書館で借りた『アーサー王と聖杯の物語』は、読み終えて、すぐまた二度目を読み直すと言う始末。二度目を読み終えた。

4月25日(木)

晴れ

●広島で被爆した92歳の方が、いままで一度も語らなかった被爆体験を語り始めた。このごろのガザへの攻撃、ウクライナへの侵攻などあまりにひどい惨状に、突き動かされたからという。そんな気持ちにさせられるのは92歳のこの方だけではないだろう。平凡に暮らす私にも何か腰を浮かしそうになる日々だ。独裁者の忌まわしさを日々感じる。

●今日は7月の気温になる予報が出ている。早朝、5丁目の丘へ。崖っぷちの公園に着くと、雨の後の雲が晴れていくその下に青い山々が見え始めていた。その山の奥が南アルプス。雲が晴れる様子を見ていると、木を叩く音が聞こえる。欅の大木にアオゲラがいて幹を叩いている。下から見ると灰色の鳥に見える。きゅっ、きゅっと鳴く。飛び去った後を見ると幹に丸い穴があけられている。鵯より大きく見えて、くちばしの先が鋭くとがっている。新緑の公園は、つつじ、さつき、満天星(どうだん)つつじが満開で、しずかないい匂いがしている。

公園出てすぐの林を見ると、アカシアの白い花が咲いている。仰ぐと白い花房が垂れている。見逃してしまうところだった。

鴬も四十雀もオナガまでもが鳴く。先日四季の森で出会った植物や野鳥に詳しい人は、アオゲラの姿はなかなか見れないと言っていた。今朝は、アオゲラが飛び去り、また舞い戻るところ、木を叩くところ、枝に横向きに止まっているところなど、まるごと観察できた。外に出ると、いつもなにか新しいことが一つは見つかる。広葉樹の森は魅力でいっぱい。

いつも何気なく見ている垣根からいい匂いがするので、見るとおがたまの花。
「おがたま」は、あの小ささで学名にマグノリアが入っている。小さい花びらの質感はマグノリア。古い言葉で、「おがたま」は「小さい花」と言う意味らしい。広島や愛媛でおがたまの花は見たことがない。また、白れんはよく見たが、辛夷は見たことがなかった。こちらでは、辛夷はいたるところにあるが、白れんはほどんと見ない。ここは、北の国の印象で、淋しいではないか。

4月24日(水)

小雨
若葉してみな雨の木となっており   正子
若葉して広場がらんと空をみせ   正子
雨の朴白き蕾を一花のみ      正子

●夕方、「俳壇年鑑2024年版」が届いた。俳壇5月号増刊号となっている。
「全国実力作家350人の秀句」と「諸家自選2200句」の二本立て。花冠からは、「諸家自選2200句」に、川名ますみさん、多田有花さん、髙橋句美子さん、
髙橋正子、髙橋秀之さん、柳原美知子さんの句が掲載される。
祝恵子さん、桑本栄太郎さん、藤田洋子さんについては、出句したかどうか不明。

●一日雨で少し寒い。小雨のなか、傘をさして階段(60段ほどと思っていた階段は、今日数えると百段ほどあった)を上り、日吉の丘公園へ。20メートルをこえる新緑の木々に雨が降っている。「レインツリー」「雨の木」と呼びたい木々。森の縁の笹を刈ったあたりに金蘭が10株以上咲いている。まさかという思いが、これまた、まさか妖精がいるのではないかという思いに。これは夕べ読んだ『アーサー王と聖杯の物語』が頭に頑なに残っている証拠。

金蘭はかつては、ごく普通に里山にあったという。金蘭と銀蘭がある里山は良い里山とのこと。四季の森公園には銀蘭、金蘭がある。日吉の丘公園には金蘭だけ。よい里山にはもう一歩。

帰り、おととい下りてみようかと思った階段がある。どこに通じているかわからないが、降りた。途中、朴の花の白い蕾をひとつ見つけた。木々が覆う、幅が1メートルもない階段は、下りていても心細い。奥まっているところに自然食レストランがあった。蕗やシャガで斜面が覆われている。レストランは開店しているのか、いないのか。途中の家は丘の地形を工夫して、面白い暮らし方をしている。下りて来た道は赤門坂の大きなマンションの横に通じていた。

4月23日(火)

曇り
白藤の白かがやかす曇り空    正子
おがたまの垣根と知りぬ花匂い  正子
花みかん匂いて数々思いだす   正子

●朝4時近く目が覚めたので、そのまま起きて、10センチほどの小さいドイリーを編んだ。フランスの古いレース編みを製図に書き起こした本から。きれいなのだが微妙に難しく、編み方が頻繁に変わる。眠くなる前にできあがった。糸はマンセルのレース糸30番。

●今日、新しく見た花は、おがたまの花、白藤、みかんの花。おがたまの花は、学名がマグノリア・コンプレッサというように、マグノリアの名前がついていて、いい匂いがする。みかんの花は農家の畑に、白藤は農家の屋敷林にからんで、今が真っ盛り。

●植えたばかりなのに、百日草と撫子が切り花にできるほど背丈が伸びた。切って仏前に供えた。買ってきた花とは少し違う雰囲気。

●『アーサー王と聖杯の物語』(サトクリフ・オリジナル2)を読む。騎士道とか話が面白いというものではなくて、ケルト的とか、キリスト教的とか、精霊的とか、そういう世界が魅力。

4月22日(月)

小雨、のち曇り
大樹みな若葉となりて暗がりに  正子
きんらんの黄が目をうばう春の森   正子
金髪の母と子若葉に遊びたる   正子

●住んでいる日吉3丁目の東の突き当りは60段ほどの急な階段があり、日吉の丘公園に続いている。きょうはこの階段をのぼり、日吉の丘公園へ出た。雨の後の公園は地面はしっかり湿り、コナラやクヌギ、ムクの大木の新緑が上からかぶささるようにふさふさと葉を増やしてうす暗い。桜は葉桜になっているが、種類は御衣黄、大島桜、一葉、山桜など。一葉は葉桜となっても花をつけ、花は手で触るとすぐ散る。


はじめ、十羽ばかりの烏がコナラの若葉に集まって鳴いているだけだったが、そのうち、母と子供二人、みんな金髪の親子が来た。何語が話していたが、英語でもフランス語でもなく、ほかの言葉に聞こえた。帰りに女の子のそばを通ったので、「ハロー」と声をかけると、にこにこして「ハロー、コンニチハ」と返してくれた。「この公園がすきなの?」と聞くと好きだという。母親が「コンニチワ」と遠くから手を振ってくれる。これと言った遊びをしているわけではないが、木の中を走ったり、隠れたり。帰り道、入口辺りに、「金蘭」を見つけた。まさかと思ったが、間違いない。もとは里山なので、こういった植物が残っている。

4月21日(日)

曇り、夕方雨

●早く目が覚めたので、ベランダを洗っていると、雀と四十雀が競って鳴いている。向こうでは烏も負けじと鳴く。5時から6時頃は鳥の時間のようだ。

●ゲーテの言葉にこんなのがあった。
「年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。」

●夕ご飯は、たけのこと蕗と揚げを炊いた一番平凡なお菜で。新ジャガイモはマッシュにしないで胡瓜とサラダ。

●町内会の班長の当番が4月で終わるので、早めに次の人に引継ぎをした。1年間は長い。前は半年だったのに、1年に変更された。この1年は信之先生が亡くなったり、花冠の40周年の合同句集の発行があったり、重なるときは重なるとは世の常らしいが、その通りになった。終わってほっとしている。