雨のち晴れ
三椏の開きし花の真あたらし 正子
きらめいて節分草の密に咲く 正子
影が飛びすぐにもすぐにも笹鳴きす 正子
枯草を目覚めさせては犬ふぐり 正子
仏の座あかむらさきが野のいのち 正子
初音してすぐにも声は谷渡り 正子
桜芽木途切れてすぐに杉匂う 正子
林間にサッカー場見え春の坂 正子
鶯の鳴いてくれたり雨の後 正子
翡翠も水浴びすなり春の池 正子
●今朝、5時44分、弱い地震で目が覚めた。すぐに玄関のドアを開け、外を見た。雨だった。家で過ごすことにして、ルーティーンの仕事やクリムトの画集を見ながら、モーツルアルトのピアノ協奏曲を1番から10番まで聞いた。聞き終わるころ外を見ると青空が見えた。
●人に会わないことは、平気だが、それはよくないのではと思い、きのう行った徳生公園へ今日も鴨を見に行こうと昼前でかけた。今日は、おにぎりと砂糖を入れた紅茶を持って電車に乗った。降りるのは北山田駅。電車に乗ったとたん、四季の森の方がいいのではと思い始めた。電車が北山田駅に停まったとき、降りようという気にもなったが、1分の停車を我慢して、そのまま乗っていた。電車が動きだしたので、四季の森へ行くしかなくなった。
今日は、プロムナードは通らないで、丘のバスの通る道を取って、途中で下の道へ下りた。大木に紅梅がいい匂いをさせていた。梅畑の白梅も清らかな咲き具合。仏の座、おおいぬのふぐりが捨て畑に。四季の森に入ると、里山花壇の節分草の咲くあたりへ真っすぐ行く。節分草の立札のあたりには一花もなかったが、それからずれて、たくさんの節分草が咲いていた。ありすぎるほどたくさんの花に嬉しくなる。林縁に沿って歩くと、蓮池の岸に猫柳、山側に山茱萸、万作。池の翡翠は、魚を捕るのではなく、水に軽く頭を突っ込んで羽ばたき、そばの石に止まる。それを2回ほど繰り返した。水浴びのようだった。そばにいる白鷺が魚を捕まえて、くちばしに光らせている。
奥へ行くとまた、万作、山茱萸、川のそばに三椏の花が咲いている。万作は花びらがまつ毛を開くようにひと花も枯れずに開き、山茱萸の開いた花は水が澄んだような真実の黄色。三椏の蕾は銀鼠色、開いた花はビロードのような黄色の内側を見せて、三分は開いて、まだ、まん丸ではない。これから咲こうとする三椏の花のみずみずしい幸福感に、見れば見るほど涙が滲んできた。信之先生の写真をもってきて、見せてあげればよかったと思った。スマホに写真が残っているのを思い出して、スマホを取り出した。去年の3月27日の桜の花を金蔵寺に見に行った時の写真。ちょっと三椏とは視線があっていないが、よかろうと。
葦原の縁を奥へ歩くと、林の奥を見ているカメラを提げた二人の男性に遭った。小鳥を撮影しているのかと、そっと歩くと、そうではない。すると、笹薮から笹鳴が聞こえた。男性に、「笹鳴きですよね。」と言って、相づちをもとめたつもりでだったが、「ここには鶯はおらん。」とそっけない。そう言い終わるか終わらないうちに「ホーホケキョ」と鳴く声。きれいに「ホーホケキョ」。また奥へ歩く、ここにも鶯の声。縄張りがあるのに、二羽いる。早くも谷渡りをする声。山裾のピクニック広場に行き着いたので、丸木でできた階段を山頂へと上った。途中管理人に出会ったので、鶯のことを聞くと、今日が初鳴きだそうだ。
山頂に着くと、実は山頂ではなく、そこは広場で、光りが丘団地が広がっていた。四季の森公園西口の看板。幸い地図があったのでたしかめ、右手に行く大きい道路を取った。ひかりが丘小学校があるが、廃校になっているのかと思われる。桜の並木が続き、それが終わると杉林があり、鋭いほどの森の匂い。大きい椎などは道路にせり出す枝が切られている。大きい道を誰も通らない。下り坂となっている。とにかく歩く。左下に木々の間から、かなり広いサッカー場が見えて、周囲がトラックになっている。看板から神奈川大学のものとわかった。どこへ行くのか、頭の中の地図を歩いている。今度は野球場があり、高校生がトンボで整地している。アンツーカーなのに整地がいるのか。
ようやく民家やマンションが見え始めた。しかし坂はまだ続く。「台村」とある。聞いたことがない。反対側にバス停があるが、相鉄バスか、市営バスのようだ。森の台小学校があった。まだ、坂を下る。坂をのぼってくる人たち。主婦らしい人もいるが、鞄を提げコートをきた営業マンらしい人も通る。
小ざっぱりした小さい農家がある。ふかふかと耕された何も植えていない畑は、傾斜してゆるやかにうねり、その景色に添えるように紅梅が咲き誇り、紅梅から小鳥が勢いよく飛び立った。
信号を渡ってくる女子高生に遭った。道を聞くと教えてくれた。そんなに難しい経路ではない。しかし、行けど行けど駅に着かない。この辺りではと、通行人に聞くと、自分も駅に行くという。その人の後を付いてゆくが、私はここで、とどこかへ消えた。道は平たんになった。駅はすぐなんだろうと思って歩くと、駅前のロータリーに来た。
おにぎりをもって出かけたが、食べるチャンスもなく、ずっと歩いてきた。歩数計を見ると三キロ近く歩いている。信之先生と来たときは、帰りにいつも駅前のパン屋でパンを買って帰っていたので、今日も買った。信之先生にあんぱん、自分にクイニーアマンの二つ。三時間ほど出かけていたことになる。暖冬のお陰で、早春の花が咲き揃っている。幸福な日だった。
曇り
堰あれば水音生まれ春の川 正子
落葉しずめ落葉流して春の川 正子
五羽いれば二羽が睦みて春の鴨 正子
春の岸鴨がくしゅくしゅ水を呑む 正子
羽ばたいて鴨がその身を十文字に 正子
榛の実も花も焦げ色うす曇り 正子
連れ立ちて岸にあがりぬ春の鴨 正子
顔を水につけてばかりや春の鴨 正子
春の池波が木影を畳みけり 正子
●2月29日を「閏日(うるうび)」と言うらしい。
●午後「ふじやとの道」へ出かけた。北山田で下車。そこから「ふじやとの道」という緑道を池がある徳生公園まで歩いた。2.5キロ。軽く歩ける。幅が50センチもないような小川が、水底に落葉を敷いて、流れの際まで落葉が寄せて、やわらかそうな水が流れている。芹がところどころに育って、小鳥が二三羽ずついる。キセキレイ、椋鳥、四十雀がいる、徳生公園には鴨が3種、20羽ほど泳いでいた。人は数人。気に入っている場所は、イギリスの田舎の水があまり動かない、木々が映っている川のような池の部分。
徳生公園を出るとき、櫟のどんぐり、ハンノキの実、ポプラの実を拾った。
鴨の種類は、カルガモ、キンクロハジロ、あと一種類がわかないが羽はグレー、くちばしは青い鴨。
●徳生公園を出て道沿いに、北山田駅から一駅になるセンター北駅へ歩く。坂道をのぼっていると、目の大きな東南アジア系の、5.6年生ぐらいの少年が自転車で降りて来た。手に子供用のスマホをもって「ちょっと聞いてもいいですか」と言う。「いいよ。」というと、機関銃のように何語かわからない言葉をしゃべり始めた。一通り、聞いて、「どこかに行きたいの」というと、「はい。」といい、しばらくして「もういいです。」と言って坂を下っていった。見ると友達らしい子が十メートルほど先でこちらを向いて待っていた。彼はなにを聞きたかったのだろう。聞いてあげれず、かわいそうなことをした。
外国語と言えば英語が手っ取り早いが、普段全く話すことはない。ビジネスは別として、東南アジア人がこれだけ日本にたくさんいるのだから、東南アジアの言葉の簡単な一つ二つを勉強したほうがいい。もう、英語、英語と言うのはやめよう。
ちなみに私の実用ドイツ語は、数語。これで押していく。
Hello. Guten Tag. Guten Morgen. Tschüss . Danke shön. Bitte shön. Entshuldigung. Wo ist ~? Ich möchte…
晴れ
●日吉のスタジオ、グリーンヒルに今日午後1時間の利用予約をネットでいれた。行ってみると、予約が取れていない。そんなはずが。店員が「5時から半まで入れましょうか」と言う。考えて、利用することにした。また眼鏡を忘れて、譜面がろくに読めなかったが、少し椅子を引いて離れて読んだ。普段は眼鏡がいらないので、自分の遠視を忘れていた。
●スタジオの待ち時間丸善へ。『クリムト』(東京美術)と『西洋美術史』(新星出版社)を買った。スタジオの受付の女性に、クリムトの「ピアノを弾くシューベルト」を見せると、見たいと言う。私が練習している間、見ていていいと本を渡した。帰るとき、「この本、どんなにして見つけたのですか。ベートーベンもありましたよ。シューベルトも私が思っているのと同じ顔でした。」と興奮気味に言う。知ったかぶりで、クリムトのそれらの画の説明をした。「老女の面目」が立ったかも。
●スタジオに行く前に、ブラームスの交響曲1番を聞いた。カラヤンのウィーンフィルと、1992年の小澤征爾のサイトウ キネン オーケストラ。小澤征爾のブラームスのほうが、熱量が大きいかも。拍手が鳴りやまず、アンコールとなった。
晴れ、強風
苗木市柑橘多く売られけり 正子
苗木市遠き雪嶺の日を返し 正子
苗木市富士の雪嶺が見えており 正子
●昼過ぎから川へ鴨がどうなってるか見に行こうと思ったが、玄関のドアをあけると、突風。思い直して家にいることにした。信之先生の大連時代の写真を探さなくてはいけないが、缶に入っているのは確かだが、家のどこに仕舞ったか、見当がつかない。正月に、元希がおじいちゃんの小さい時の写真が見たいと言わなかったら、探すチャンスもなかったろうに。元希はこういうところがいい子なのだ。まだ、見つかっていない。
●夜8時を過ぎて近所のスーパーへ。スーパーの店員に「今日は遅いじゃないですか。僕はもう帰るよ。」と言われ、「眠りすぎて、一日ずれたのよ。」と軽口をたたきながら、寒さで人の少ない店で、切り餅など買った。一人暮らしになって餅が意外にも便利だとわかった。明日朝、食べるかも。食べても一個だが、きな粉餅、醤油海苔餅、砂糖醤油餅、醤油をつけて焼いた餅、たまにぜんざい。
晴
山に咲く椿の赤のいきいきと 正子
いきいきと風に咲きたる藪椿 正子
わが暮らし春の炬燵を真ん中に 正子
●普通に起きたつもりだったが、3度眠り直したようで、時計は11時半になっていた。そうだ、郵便が来る時間だと思い、郵便受けをみると、はがきが届いていた。いつ出された葉書なんだろうと、消印を確かめた。ああそうかと思いながら、仏前に供えた。
●最近、手書きの手紙がよく届く。これらは私信。男の人も女の人も、きれいな便箋や封筒、はがきを使って、切手までも季節の趣あるもの。一方ならぬ心のこめように、手紙文化の華やかさを思う。この手紙への返事は、手書きとなるが、その筆記用具。黒の水性ボールペンで書いているが、送っていただいた方の礼にかなっていないのではと思い始めて、万年筆を買おうかと思うようになった。安いのは、書き味が悪いだろうし、高いのは、買えないし。どうしようと、本屋や文具店を見て回った。とりあえず、色がグロッシャーブルーの水性ボールペンを一本買った。220円。
雨
咲き初めし辛夷は雨に冷たからむ 正子
花ミモザ花粉を今にこぼしそう 正子
花ミモザ鰺の開きを焼き焦がす 正子
●昨日と打って変わって冷たい雨の一日。
●印刷機の不全で、印刷できなくなっていたのを、腰を据えて直す。物理的な故障ではない。眺めていても、どうしようもない。オンラインの故障を直すためのアドバイスに従って作業をし、一応使えるようになったが、完璧でもなさそうだ。
●『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット発行)が、紀伊国屋書店のネットショップにあったので驚いた。実際この本は、20年近く前の本で手元に2冊あるのみ。売ろうにも売ることができないが、著名俳人の句と会員の句を同等に入れ混ぜて365日毎日鑑賞したもの。そのことで、みんなはしゃいでいたことを思い出す。印刷代軽減のために、信之先生と手作りしたもので、売る目的はなく、会員に配布するため。ISBNもついていない。
これとは別だが、20年前の私の句集『花冠』から、角川が歳時記に数句を拾って載せると言う。掲載の許諾を求めて連絡があった。20年の間、正子の俳句と著書はどこをさまよっていたのだろう。この世の話と思えない。
●調べ物をしていて、ゲーテに続くドイツの抒情詩人・メーリケの「祝婚歌」(森孝明訳)と吉野弘の「祝婚歌」を読むことになった。ロマン主義で人間生きて生けるのかとさえ思わざるを得ない気分になった。以前、「私のようなロマン主義者は、理想にたどり着くか、そうならない場合は、死ぬしかない。」と言われた(半ば威しのようでもあるが)ようなことを思い出した。これが、また本当らしくて、実はよくわからない。正子俳句がロマン主義かどうか、わからないが、ロマン主義はすでに通り越してきた時代のものだし。しかし結局、ロマン主義というのは、通奏低音のように人間の底に潜んでいるものなのではないだろうか、とも思う。
晴れ、のち曇り
仕入れて店にあふれる花ミモザ 正子
梅散りし流れや底に映る影 正子
散る梅を真横に流す谷の風 正子
●句美子と大倉山梅園へ行く。きのう、今日と、梅祭り。いつものように、日吉駅のプラットフォームで待ち合わせをするが、電車が遅れ、すこし、ちぐはぐして、日吉ではなく、二駅先の大倉山で落ち合った。昨日雨だったので、これまで見たことのない大勢の人出。大倉山の坂は、人で埋め尽くされている。
途中冠雪の富士山の頭だけが見えた。富士山は、真っ白。梅園の周囲を埋め尽くすほどの屋台。暖冬で梅は盛りをすぎていたが、8割ぐらいは大丈夫。風に散る花びらや、小流れに散りこむ花びらが水底に影を映し、これはこれで風情がある。少し上の道を人が歩く。上からの梅園の眺めも、絵巻物のようだ。句美子がそういう。句美子は、初めて大倉山梅園に来たと言う。そうだったか、と思う。
地元商店街や地元の筝曲や日舞の会、お茶の会などが中心となって梅祭りを運営している。市長の挨拶もあり、横浜市あげての梅祭り。句美子が梅大福を友宏さんのお土産に買い、お茶券を買ってくれたので、お茶席に座る。高校生のお点前。お菓子は梅の焼き印を押した上用。
設営された舞台で、筝曲と尺八の演奏を聞いた。若い女性がきれいな着物をきて、ピン、シャン、シャラリと余興で演奏するのかと思ったが、ベテラン女性や男性による本格的演奏。はじめの2曲は聞き逃したが、「鷹」「篝火」「Kのための斗為巾」を聞く。「斗為巾(といきん)」は、十三弦ある琴の糸の11,12,13番目の糸にたいする名称だそうだ。「鷹」は、「春の海」風の感じで、大空を舞う鷹の様子。「篝火」は、古楽器によるバロックのような曲だった。人類の文明の始まりは「火」からとのメッセージを込めているとのこと。「Kのための・・」は、誕生した自分の娘のための曲。それを聞いて梅園を後にした。
日吉に帰り、東急のカフェで昼食。昼食後、信之先生の月命日のお菓子とお花を買って句美子と分かれ、帰宅。今日の仏花はミモザ。なぜなら、花屋は店が埋まるほどミモザを売っていたから。
●確定申告書を郵送。お役所は少しでも間違っていれば突き返すが、不備のないようには市民には無理。不備があれば、なおしてください。これに時間をとられたくない。
●ブルッフと、ベートーベンの「春」をパールマンとアシュケナージュで(1974年)聞く。いままでで、一番いいかも。
雨
●冷え込んでいる。
●最近は、人に会うチャンスをわざわざは作らない。大方はひとりで過ごすことになる。本を読み、音楽を聴いて、なんらかを思う。その思い方が、素養がないものだから、自分勝手な思い方になっているのに気づく。誰に指摘されたり、言われたわけでもないが、おそらく、私のは、勝手な本の読み方、勝手な音楽の聴き方なのだと。おおよそ、世の中、本の読み方も音楽の聴き方も、絵の見方まで、すでに決まっている。おそらく学問のせいだろう。ちょっと寂しいことだと思う。
小雨
老いし手に広げて五色雛あられ 正子
友と遭い友と二人が花菜買う 正子
向こうから来る人ばかり春しぐれ 正子
●『ヒューマニズム考ーー人間であること』(渡辺一夫/講談社文芸文庫1650円)が届いたので、午後丸善に取りに行く。「ヒューマニズム」はずっと、よくわからないでいた。大学者のこの本を読んでみようと思ったのは、ひらがなが多い文章がはじめにあったから。わかりにくいことを、これほど易しそうに書いてくれているのは、それこそ、渡辺一夫先生のヒューマニズム?の精神からではと思った。今日半分ほど読んだが、ヒューマニズムは思想ではなく、人間の心根というものらしい。
●「フーゴ―・ヴォルフの思い出」を読んだ。先入観なく読んだ個人的な感じでは、音に人並はずれて過敏で(神経質とは言いたくないが)、誇り高き男に思える。メーリケの詩による歌曲を通してのヴォルフは、日本での評判とは、違うような気がした。歌手と言えども歌曲はまず詩がわかっていないと、いけないんじゃないかと思った。「隠棲」を老人臭いと言ったり(半ばあっているかもしれない)。
メーリケの詩に作曲した「隠棲」、「春に」、「散歩」など聞いた。メーリケではないが「夏の子守り歌」に安らいだ。
久々に『メーリケ詩集』(森孝明訳/三修社1993年刊)を開いた。メーリケ詩集の訳注に、「隠棲」はヴォルフやR・フランツによって曲をつけられたとある。私は今、この「隠棲」の詩も意味がよくわかる。
「隠棲」メーリケ詩集・森孝明訳 第1節より
放っておいてくれ、ああ世界よ!
愛の贈り物で誘わずに
この歓喜と苦痛
それだけを抱かせてくれ!
曇り、小雨
夫に供う雛のあられの色淡く 正子
むらさきをたっぷり鉢のすみれ咲く 正子
山茱萸に一日かけて雨がふる 正子
●「世界は死からはじまる」
マーゴ・ヤンソン
彼はしずかに落ち着いた
動かなくなってから、
言葉が動き出した
動き回る言葉を
抑えつけていなくてよくなった
当を得た言葉で真実を
言い当てはじめた
●線香が折れたので、細かく削って粉にし、花の形に切った和紙に糊で二枚合わせに貼る。椿の匂いする小さい栞になった。本に挟んだとき、はらりと落ちるとき、どんな感じか。
●フルーツケーキが届いた。コーヒーと。雨の日ながら、いいことがある。
●終日小雨。ヴァイオリンソナタ「雨の歌」を聞く。シェリングとルビンシュタイン。夜はフルトベングラーでマーラー「巨人」と、ヴォルフの歌曲「夏の子守り歌」など。