曇り
●家にいてばかりでは、いけないと思い、曇り空で寒そうではあるが、矢上川の放水門あたりの水はゆたかなプランクトンでなみなみとして、鴨やかもめも元気かもしれない、と出かけた。
昼前、寒空を見上げつつ鶴見川と矢上川の合流するあたりの鴨はどうなっているか見に行った。綱島街道の箕輪舟下のバス停までは家から3駅。ここまでバスで行き、そこから矢上川に向かって歩く。歩いているうち、この前来た街にきた。バス停前のたばこ屋に見覚えがある。となると、鶴見川はすぐそこになる。矢上川でなく、鶴見川にでる。川の土手に上る小さい階段にすぐ行きつくと川が見えた。オオバンが30羽以上いる。ヒドリ鴨も同じぐらいが混在して泳いで、陸にも上がって餌を食べている。土手を降りると鴨たちの黒い糞だらけ。よく見ると黒ではなく緑がかった黒。踏まないように気を付けて歩く。
アオサギ、ハクセキレイがいる。だれも来ないので、川風は寒いが座って、鴨やオオバンの様子を眺めた。オオバンが時々鳴く。鴨たちはこちらに気づいているようでもあるが、陸で餌を無心に漁っている。
しばらく座っていると向こうからリハビリで歩いているのか、老人がこちらに来た。近所の人らしいので、川の様子を聞きたいので「こんにちは。リハビリですか。」と挨拶をすると、返事を返してくれた。自分は板橋を自転車で渡っていて、橋がバウンドして自転車ごと転び、自転車にしがみついたばかりに、サドルに座ったままだったので、お尻の骨を骨折して3か月寝たきりだったと言う。「歩けるようになってよかったですね。この川、オオバンや鴨がいていいですね。」と言うと、「よく知ってるなあ。」と。「俳句を作っているので、少しは知ってますので。」「そうか。わしの家の近所に野鳥の会の会長がいるんで、オオバンだのコバンだの教えてくれる。いつも首にカメラを提げているがなあ。」もしや、その人は鶴見川近くで、チョウゲンボウや、オオタカ、ノスリがいると案内していた人ではと思った。
矢上川と鶴見川の合流地点まで老人と歩くと大きな裸木がある。「いい形の木ですが、なんの木ですか。」と聞くと「胡桃」だと言う。「じゃあ、秋になったら実がなるので来ますよ。」と言うと、いや「夏においでなさい。いい木陰ができるから。」と。行きどまりなので、土手から上がるところがないか見ていると、「あなたに、詩吟を一つ歌ってあげよう。」「ベンセイ シュクシュク ヨル カワヲ ワタル しか知りませんけど。」と言うと、しばらく川を見ていたが、「意味がわからんとなあ。」と言って「山川草木」をうたってくれると言う。寒風の中で歌う声に「山川草木」と「風なまぐさし」が耳に残った。年期を積んだ歌い方のように思えた。台湾で戦が終わって休むときにその隊に詩人がいて作った歌だという。
帰宅してネットでしらべたら、乃木希典の漢詩で、詩吟では知られているようだ。台湾の戦の話ではなく、大連の南山の日露激戦の地での話。
詩吟を行きずりに歌ってくれるとは、あまりにも不思議な体験。
金州城 乃木希典作
山川草木 転荒涼
十里風腥し 新戦場
征馬前まず 人語らず
金州城外 斜陽に立つ
きんしゅうじょう のぎまれすけ・さく
さんせんそうもく うたたこうりょう
じゅうりかぜなまくざし しんせんじょう
せいばすすまず ひとかたらず
きんしゅうじょうがい しゃようにたつ
詩の意味
山も川も草も木も砲弾の跡が生々しく、見渡すかぎり荒れ果てた光景になっている。戦いがすんだ今もなお血生臭い風が吹いている。
私が乗る軍馬は進もうとせず、兵士もまた黙して語らない。夕陽が傾く金州城外にしばらく茫然とたたずんでいた。
鑑賞
金州城外の無惨な戦場の跡
本題は「金州城下の作」といいます。金州の南山は日露両軍が死闘をくりかえした激戦地で、山野は血で染まったのです。乃木将軍の長男勝典(かつすけ)もここで戦死する。将軍は南山に登り、山上より戦死兵の墓標が林立する地を望み、夕日をあびて万感の思いで茫然と立っていた。日本軍はここから南下して旅順を攻撃したのです。
晴れ
●「前書きのある俳句」について俳壇より原稿依頼。2月14日締め切り。
「前書き」について『俳句 現代俳句辞典』(角川書店/昭和52年9月16日発行・編集人鈴木豊一)で調べる。「前書き」の項は草間時彦が担当。必要なところ、ほとんどだが、ノートに抜き書きした。これを踏まえて俳句を作る。
この辞典はよくできていて、俳句の疑問によく答えてくれる。鈴木豊一氏が編集人。名編集長と言われた方なので、それだけの値打ちのあっていつもずいぶん助けられている。『俳句編集ノート』(鈴木豊一著/柘榴社刊2011年)はいつかどこかで読んで、非常にいい本だと驚いたことがある。これが欲しくてネットで探すが、品切れで見つからない。もう、手に入れるのは無理かもしれない。西垣脩のところを読んだのだと記憶しているが、実際生身の人物と会っているので、人物に肉薄していて、著書や資料だけでは、とても敵わないという思いがした。
晴れ
●朝、ラジオを聞いていると目白の田中邸が火事になったと言うニュースが入った。あの目白御殿が、と思ったが、真紀子氏が線香をあげて、そのあとガラスが割れる音に火事と気づいたと言っておられた。仏壇からの火事かもしれない。
毎日仏壇に火を灯しているが、気をつけなければいけない。蝋燭は線香をつけたらすぐ消してLEDの蝋燭にしているが、「線香をあげて」というのが、「仏壇にお参りをして」の意味なのかもしれないが、文字通り線香となると、線香もよほど気をつけないといけない。線香もLEDのがあるがそこまでしてとも思う。
●昭和の象徴でもあった、田中邸の焼失は、貴重なものもいろいろあったのだろうと思うが、時代の瓦解を目の当たりにしたような気持になった。
晴れ
●動く成人の日。以前は1月15日が成人の日だった。それからいろいろ変わったが、今年は今日が成人の日。
●夕方句美子が来る。友達から東大寺二月堂名物行法味噌をもらったと、持ってきた。東大寺に古くから伝わるおかず味噌とのこと。ごぼうや大豆などが入った赤みそ風の甘いもの。毎朝ご飯に載せて食べると一日の活力になるらしい。
友達と都庁に行ったので、地方のパンフレットをもらってきたと、『久万高原アソビ』と『とべ陶街道をゆく』を持ってきてくれた。どこも日常的によく行った場所なので、今、松山か砥部にいるような感覚になった。
曇り
●七草。七草粥はこれまで七草が揃わなくても芹だけの粥でも炊いてきたが、今年はパス。胃腸の調子がよくなくて、なにをする元気もない。薬を飲んで治った気がするが、なんとなく不調。
●2024年はAIによって世の中どう変わるか、と言う話を聞いた。AIが作ったものとそうでないかを判断するのもAIがするだろうという結論で終わった。
俳句の評価と添削をネット上で毎日毎日しているが、これこそ生成AIにやってもらいたい。ちなみに人間の先生が俳句を添削すると、一般には3句千円と言う相場が出ている。毎日3句なら、一日千円。一月3万円。一年36万円。AIに頼めば、おそらくこのくらいの額を要求されるであろうが、これに文句は言わないだろう。なぜなら、AIは人間ではないから、平等で、客観的で、多くの「場合」を持っているから。人間なら、東京大学を出て(京都大学には悪いが)、著名な賞を受け、ある程度の見目の良さを持ち合わせていなければ、なかなか人はお金は払わない。そういうステータスを求める人たちには、生成AIで十分だと思う。こうなれば、俳句もちょっと面白い。
晴れ
文鳥の淡きくれない冬ぬくし 正子
梅咲いて光のなかの花となる 正子
●昨日、5丁目の丘を登ったおかげが、ほぼ腰痛がなおる。今日は、二丁目の丘の尾根を歩く。尾根のURのサンヴァリエに辿り着いた。尾根の町は見晴らしがよくて、別の町の雰囲気。実際日吉本町から下田町になっているが。ずいぶん歩いた気がしたが、実際は、いつもより、千歩多い程度。帰る途中、小鳥小屋があって鳴き声が聞こえる。文鳥だけが一羽別の籠に入っている。ここは2,3度通った記憶がある。梅が咲いている家があって、道筋もよくわからず歩いて帰宅。
●1月に長谷寺へ行こうと思ったが、今年の水仙はきれいだと思うので、水仙を見に行こうか、と調べる。宝戒寺はと思うが、鎌倉の賑わいに近すぎる。もう少し奥へ。二階堂の瑞泉寺がよさそう。ほぼ、ここに決める。
晴れ
初富士の空を烏の滑空す 正子
●体が冷えたか、体調悪し。炬燵で昨日から漢字の手習い。出る順パス単2回目。一日50語。気づいたが、例文を先に読みその後単語を見るほうが効率がよい。その後フラ語塾のYou Tube。レース編み。花冠の編集は来週から。
●腰痛がなおらない。暮れから新年、歩いていない。ただ歩くために丘を登る。しかし、腰がつっぱって登れるかと思ったほど。山の小さい小学校ほどの鯛ヶ崎公園の広場には小学生が50人超えて7,80人くらいは居そうで、賑わっていた。
●快晴で雲ひとつないのに、富士山は霞んで山頂が青く見え、山の後ろに白い光が見える。雪が吹きあがっているのかと想像する。
●夜、ますみさんから俳壇年鑑への投句についてのメール。
晴れ
四日の空のどこを見むとて山の昼 正子
夫のなき一月燈明はやばやと 正子
去年居て今年夫なき冬ぬくし 正子
●金蔵寺へ。裏山に登る。初詣の人たちが三々五々。松に結わえられた笹竹が目に付く。
●『かたつぶり』の礼状を暮に出したが、そのお礼の葉書がまた届く。上皇陛下や上皇后や皇室の方々を診ておられる医師と俳句からわかるが、私のことを高名な先生と書いておられる。世に立派なかたはこういう言い方をされるのかと、本当に恐れ入った。
曇り
活けてある水仙花の日々増ゆる 正子
水仙と小さき黄菊のあい馴染み 正子
水仙の花のゆるるは地震なりや 正子
●誕生日。まず、朝風呂。仏壇に燈明と線香とお水、ご飯をあげる。
●自由な投句箱の選とコメント。秀句2句とコメント。
●夕方コーヒー豆を挽いてコーヒーを沸かすが、3口ほど飲んだところで、病気になりそうな気分。すぐ戸締りをし、早々と5時に就寝。布団で静かにしていた。10時ごろ少しよくなったので、起き出して緑茶と、もらったお菓子の飛あゆを食べて、メールとブログをチェック。
晴れ、昼ごろ雨。
●子供たちがお参りに来る。お節をつくらないので、すき焼きにした。「わあ」と喜んで、牛肉いくら買ったか、とか聞いて食べる気満々だったが、結局お肉が結構残ってしまい、来年はお魚にしようと、と言うことになった。押しずしも用意したが、なだ万の高いほうのが残って、安いあっさりしたのが好評だった。なーんだ、なのだ。元希は鮨に目がないようで、何個食べたと自慢する。
そして「おばあちゃんは芭蕉の俳句を知っているか」と聞いてくる。「知ってるよ」と言うと、大晦日から元旦にかけて母親の里の岐阜にいっていたようで、向こうの祖父母や叔母たちと「芭蕉かるた」と言うのをしたと言う。奥の細道結びの地の大垣があるだけに、芭蕉はよく浸透している。
●孫の成長ぶり。半年前の信之先生の葬式のときは、それほど背が高いとは思わなかったが、会ってみると私の背丈を越している。靴は24.5センチ。大人とかわらない靴が玄関に並んで、だれがだれの靴がわからない。句美子が言うには、よく話すようになっている、と。
仏壇に出雲の「若草」を供えていたら、「これ、何?」と持ってきた。食べるてみるというので、外側を少し落として甘くないようにして渡すと、「甘いのがすきだから」と、そのままの方を食べた。大丈夫かなと見ていると、おいしいと言う。抹茶なら甘めをと言う。上用饅頭も平気で食べる。小さい子にしては珍しく和菓子がいける。
●夕食は、句美子と友宏さんの三人で。夕食の席に座ったとたん、スマホを見ていた友宏さんが、羽田でJALの飛行機が燃えて、事故があったと教えてくれる。コメントに正月なのに、と言うのがたくさんあると。
千歳空港からの旅客機と新潟へ地震の支援物資を運ぼうとしていた海上保安庁の飛行機が滑走路で衝突したとのこと。旅客機の方は死傷者なし、海保機は機長が脱出して助かり、あと5人は死亡とのこと。ありえないことが起こる。
●安倍さんが撃たれる前から、安倍さんははいかんなあと思っていたら、年末になって裏金作りに精出す政治家のていたらくが明るみになった。芸能界のスキャンダル以上の暴力。出世と金に目がくらんだ人たちが大勢いる。ふざけすぎる。まともな人も多いが、悪事は千里を走る。権力に阿ったきたテレビも新聞もこれで終わりになるだろう、という気がしてきた。もとにはもどせないよ。時は前へ進む。