1月21日(日)

雨、午後曇り
冬の夜ロールキャベツにトマト色  正子
寒水を流し続けてキャベツ剥ぐ   正子
●ロールキャベツを作る。キャベツが充実の育ちなのか、葉を剥ぐのに苦戦。はじめ水で剥がしていたが、手が凍りそう。あとは、40℃のお湯を流しながら?がした。王道のロールキャベツを目指したが、巻きが少し緩かった。ロールキャベツに合うご飯は、結局ピラフ。冷凍していたヤリイカのカレーピラフ。夕方句美子が来たので持たせる。
●仏壇にお参りしていた句美子が、「まだ、アルカイダが・・」と言うのが聞こえた。「?アルカイダ?テロ組織?」 実はお供えしているモロゾフの「アルカディア」のクッキーのことだった。話しはじめたころ、「たまご」を「たがも」と言い、「たまご」を「かまぼこ」と言うこともあった。この言語感覚は、誰かに似ている。音が分けられて、シャッフルされ、別の音のまとまりになって出てくる。

1月20日(土)大寒

曇り、小雨
●パソコンで作業していると、It’stime to say good by の曲が聞こえた。何気なく聞いていたが、歌声もないし、曲だけ。それがサッカーのカイザーと呼ばれたベッケンバウアーの追悼式の式典で流れていると分かったのは、大統領のスピーチが聞こえてから。ベッケンバウアーが亡くなったことを知らなかったが、1月7日78歳で亡くなったそうだ。彼は1945年ミュンヘンの近くで生まれている。この年に生まれたことには偶然ながら意味がありそう。大統領のスピーチの終わりにDanke für Beckenbauer , Danke für Allesが耳に残ったが、Danke für Allesは日本語にどう訳すのだろう。よく言われることみたいだけど。

1月19日(金)

晴れ
 一月十四日
成人の日はあす祖母の葬は今日   正子
 祖母
サフラン摘み日向へ廻りまた摘めり 正子
サフランの蕊干す新聞紙が日焼け  正子
●愛媛新聞の文化部から電話。『合同句集 泉』を簡単だが、紙面に紹介するので、内容確認とのこと。No.369号の次の号が出ていないが、どうなのかの問い合わせも。合同句集を12月発行したため、そのためにひと月発行が遅れているというと、「出来たら送ってください。」と。新聞社が関心をもってくれているのは、ありがたい。
●今日の運気は暦では◎。実際はどうだったか。電話がよく来た。5人から。
●お昼に焼き芋を焼く。オーブンの温度は230℃。この温度にすれば、意外に早く焼けることを発見。前は220℃で焼いていた。これはまだか、まだかというほど時間がかかった。10℃の違いでここまで違うかと驚いた。なぜ220℃で焼いていたかと言えば、スーパーの焼芋屋さんの温度が220℃だったから。
●角川「俳句」1月号の「日常」と「俳句」のことについて自分の理解のために1月16日の日記に重点を書き出したが、実作者の私にはよくわからない。「けり」をつけるため、少し思うところを書く。
「旅」ついての捉え方。伝統的な日本の「旅」は、日常のなかにあり、日常は旅。旅を「非日常」と考えるのは現代の捉え方であるが、日常を詠む軽舟の俳句にも「日常に旅」がある、と言っているのではないか、と言う解釈がよぎる。軽舟氏の俳句を批判しているようだが、ひいき目に、少し強引に芭蕉へと位置付けているようにも感じられる。
実作者としてみれば、軽舟氏の俳句の作り方は、大方の俳人と変わりないと思う。ただ、その言語運用が特異。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
「渡り鳥」に「鳩」を持ってくるのは意外性がある。それも「近所の」がつく。鳩の気負いなさ、自分の気負いなさを言うためであろう。これが、読み手の私には歯がゆい。これを日常性と言うのか。季語は「渡り鳥」でありながら、テーマは「(自分の)気負いなさ」が眼目となっているのではないか。
もう一点気になるが、「季語・渡り鳥」と「鳩(自分)」との交じり合う点はどこなのか。交じり合っていない?自然との融合性を感じない?季題趣味ではないからそうだ、と言う意味とは違うと思う。よくわからないが、堀切先生は軽舟氏の俳句「俳句の正道」の俳句作句方法だと言っておられる、と解釈した。
「旅」の思想については、よく考えないといけない。生きている時代背景、社会背景が全く違ってくれば、旅の意味も変わる。「旅の思想」は、今現在は個人によってかなり違いがあるのではないかという思いがする。「旅の思想」は、多様性の社会や、格差社会、そこの住む人の生き方とともに一言では語れない複雑さをもって来たと思う。「旅の思想」こそが俳人の考える命題とも思える。

1月18日(木)

晴れどきどき曇り
●予定を組むために、手元の神宮館版の令和6年、今年の暦を見る。めったに見ることのない、九星の易判断を見る。そのなかのこれも初めて気づいたその月の運のいい日、悪いを〇や◎、△、▲、×で示しているのを見る。今日は△。明日は◎。今日は気になる人、つまり、具合を悪くしているんではないかと気になった二人に電話。二人とも留守か、電話に出れないかの様子。
●今日の運勢は△、明日は◎。運勢に従えば、今日は嫌なことはしないで、あす運のいい日にやればよいと、一日を過ごす。落ち込む理由はないのに、落ち込み、気になることばかり増える。

1月17日(水)阪神淡路震災忌

晴れ
●昨日よりは寒さは薄らいだ。
●「意を決して」花冠2月号の編集に取り掛かる。
正月を迎えるために家を片付けたために、編集の資料など、どこかに紛れ込んでしまったものがあり、それを探す。一番大切な信之先生の写真を入れた缶の所在もわからなくなった。3日に誕生日を迎えて、急に「死」が明日か明後日かのもののように思われた。その思いが却って炬燵に入ったまま無為に過ごす時間を多くしている。編集が進まず。

1月16日(火)

晴れ
残りたるラム酒紅茶に凍つる夜    正子
コーヒー豆挽けば寒夜の椅子軋む   正子
闇の夜の空からこぼれ来る寒さ    正子
●さすが、寒中。正午近くなっても冷えこんでいる。
●「俳句」2月号の「俳句」と「日常」ーー小川軽舟の俳風の意義
堀切実(早稲田大名誉教授・国文学者1934年生まれ。)を読む。
堀切実先生は、生年から計算すれば、現在89歳でご健在な様子。小川軽舟氏は、加藤楸邨の弟子藤田湘子の跡を継ぐ「鷹」の主宰。
「俳句」と「日常」と言えば、小川軽舟の作品が思い浮かぶ、ことから論が始まる。軽舟の俳句は「日常性の美学に貫かれている」と堀切。「俳句はそのようにして忘れさっていく日常のなんでもない日の記憶を甦らせてくれるものである。」と規定する軽舟。以下は堀切の論。
 鶏頭や洗濯物の袖雫 軽舟
ここに軽舟俳句の神髄が示されている。その大半が自分の見た周辺を自分の心で素直に表したものであり、対象を客観的に詠じたものだけではない。作者という主体がつねに周辺の状況や景色を支配している。そして、この周辺を私が支配する世界は近代日本の伝統文学として「私小説」につながっている。けれどもそれは私小説の主流の「境涯」を述べたものではない。
もう一つ軽舟の自負する「日常」は、自宅の生活や職場での毎日だけでなく、「散歩」という日常が大きな地位を占めている。「日常」とこの「散歩」を自らの作句姿勢として合わせて認識し、そうした”日常性”に富んだ”風雅の世界”を、芭蕉の”風雅の世界”と対比して位置づけようしてもいるのである。
堀切は、軽舟のこうした俳句観を俳諧史研究者の立場で検証。以下の論点から始まる。
この「日常性」の獲得は、はやく蕉風の連句の世界から始まっていたのである。
 「蕉風連句の時空意識ーー俳諧における日常と非日常」(岩波現代文庫)
にその見解を示すとある。
 蕉風俳諧が究極的にめざしていた、いわゆる「かるみ」の風は、題材における日常性とそれに伴う表現における平明性ーーすわなち「俗談平話」を基調としたものであったといえる。それでは、ここにいう日常性とはなにか、あるいはそうした日常性への着目は蕉風連句にどのような言語空間をもたらすことになったのか、 ーーまず、この問題から筆を起こしたい。
堀切のこの問題意識から軽舟俳句の存在に気付いている。
蕉風の連句における芭蕉、その門下の連衆の手法はなによりも生きた人間を中心に据え、その意識と行為に鋭いまなざしを送りながら、他方ではまた日々の生活を営む人間の織りなす身辺の世界にも光を当ててゆく点に大きな特長がある。しかし、現代俳句でもこれと通じるような「日常生活」への深い観察を、自らの行動の中でなしとげている小川軽舟の存在があることに気づく。
蕉風俳諧が誕生する史的背景には”詩語”についての貞門・談林以来の日常語に近い「俳言」拡張の主張があったし、さらには当時の蕉風以外の元禄俳諧一般における題材そのものの著しい日常化現象があったことを忘れたはならない。そして、その日常的題材重視を強力に促進したのは、芭蕉の時代から急速に流行しはじめた「前句付」を中心とした「雑俳」と呼ばれる文芸の存在であった。
ここで堀切は、軽舟が芭蕉認識において、「夏草や兵どもが夢の跡」を引いて芭蕉は、「歴史と自然と人間を詠いあげる」俳人と理解しているが、「芭蕉の得意とした連句の世界に光を当てていないようにみえる。芭蕉が晩年にめざした、発句、連句を含めた「かるみ」の俳風を、もう少し吟味している必要があるのではないか。」と言っている。
次に堀切が軽舟の「旅」ついての芭蕉理解に疑問を呈している。
渡り鳥近所の鳩は気負いなし 軽舟
の句について、
芭蕉は奥の細道の冒頭で宣言するように、「日々旅にして旅を栖とす」る生涯の漂白者であり、自分は「近所の鳩」のように、近くを歩き回っているだけだと対比しているが、軽舟の「旅」の理解は、日本人の古くからの旅の系譜からみれば、違っているといっている。
つまり、一般には「日々旅にして旅を栖とす」とは、”永遠の旅人”ともいうべき」芭蕉独自の新しい漂泊観だと理解されているけれども、このような「旅は非日常」ではなく、「旅は日常なり」という世界観ーーすなわち”永遠の旅人”でありたいという芭蕉の願望は、日本人の古来からの旅の系譜の中で、いつの時代にも求められてきたものであり、決して芭蕉独自のものではなかったのである。
「日々旅にして旅を栖とす」という宣言は「旅」を「非日常」と認識する今日われわれの常識とは正反対に、その「非日常」であるはずの「旅」を毎日の日常生活にしてしまおうという、日本人の旅の系譜のなかではある意味で普遍的な真理を示す命題を、強く再確認しているにすぎないともみられるのである。
要するに「日常」と「旅」は、かならずしも全くべつなものではないということであり、軽舟の提言する「日常身辺」の俳句とは、芭蕉も通ってきた「俳句」の「正道」であることを確認したいのである。
以上はあらましであるが、読んで思うことは、私の「旅」の感覚と堀切先生のいう日本古来の旅の感覚がほとんど似ていたということ。方丈記とか、徒然草とか、風姿花伝とか、主に中世の思想が今俳壇をリードしている人たちにどのように引き継がれ、理解されているのか、疑問に思うところだ。軽舟氏は東大出のエリートであるし、教養もおありだ。本人の自覚として、旅を非日常としているが、日常は旅なのだと、あなたは、そうなのだと言っておられる。
私は軽舟作品は誰にでもは作れないし、いいと思う。もう少し世界が広ければ、ゾッコンになるだろう。

1月15日(月)

晴れのち曇り
●1月月例句会入賞発表。正午過ぎ。
発表が済むまでは気が重かったが、終われって、気分がすっきりした。午後は銀行や郵便局の用事で日吉商店街まで電車。花屋で仏壇の花を買う。金盞花が入っていていかにも仏花らしいが、丁寧に「お仏花」と名札がつけられていた。
●ついでに丸善に寄る。俳壇2月号に花冠の西村友宏さんの句が掲載。俳壇は購読していて、おととい届いたのに、気づかなかった。丸善で「角川俳句」1月号を買う。俳句の「日常性」の特集があるため。今年は角川の広告は年鑑だけにしているので、雑誌は送られてこない。必要なときに買う。
●ネット短信No.408の原稿書き。
①1月月例ネット句会入賞発表の知らせ。
?西村友宏さんの俳壇2月号掲載句の紹介と、コメント、感想の依頼。
昨年10月号は祝恵子さん、12月号は川名ますみさん、今年2月号が西村友宏さんと続いた。

1月14日(日)

晴れ
●1月月例ネット句会
●正子投句
オオバンの群れて黒々冬萌に 正子
鴨流る映れる影も流れけり  正子
鴨の声水にひびきてほのかなり 正子
●暮れからこの正月明けにかけて、鶴見川に3度出かけた。はじめは矢上川に鴨を見に行くだけのつもりが、ついに矢上川と鶴見川の出合まで川沿いに歩いて面白かったので、3度来ることとなった。多分、こんどは河口のほうへ行くと思うが。
合同句集を送って、そのお礼状にいろいろな励ましの言葉をいただいた。これに応えなくてはと思い、鶴見川が面白いし、「鶴見川雑記」を書こうと言う気になった。しかし、夜になり冷え込んで、この意気込みは失せた。
最近、何を読むにも、読み込みに集中力を欠いているのは確か。ついつい読み流す。お礼状も一度はさっと読んでしまうが、文面が目に残っているので、二日後ぐらいに、はっと言葉の本意は違うところだったと気づく。申し訳なくもお礼を書く方向を間違えたという自己嫌悪に陥る。

1月13日(土)

晴れ
●12時45分の、この前と同じバスで鶴見川へ出かける。バス停を降りて歩く道も、綱島北ポンプ場の手前を右に折れて鶴見川の土手に上るのも同じ。送水管のある人道橋があるところから、右手の土手を芭蕉の句碑がある方へ歩く。川にはオオバンもヒドリ鴨もいない。矢上川のほうに行っているのかとも思ったが、今日は芭蕉の句碑まで歩くのが目的なので、そのまま1キロほどあるくと陸にオオバンの群れが餌を啄んでいる。そばを通り過ぎるときよく見ると、ヒドリ鴨が混じって餌を食べている。川の浅瀬らしいところに、その姿が鵜に見える黒い鳥が四羽。四羽そろって川向こうに首を向けている。ハクセキレイも、カモメも飛んでくる。さらに歩くとこの地点は河口から8kmだという鉄の立杭がある。新幹線の鉄橋は土手を横切り、そこより先に行くには土手を下らないといけない。
ここまで来て、空が曇ってきた。天気予報を思い出したが、午後は雨か、雪かと。リュックから傘を取り出す。傘に雨が当たる音がぱらぱらとするが、アスファルトを舗装した土手下の道はそれほども濡れない。
新横浜駅からの新幹線が鉄橋をひっきりなしに通る。新幹線が通るたび見送るが、郷愁のようなさびしさが湧く。遠くへ連れて行ったもらいたいような気持になる。向こうの鉄橋を東横線や相鉄線がことこと渡るのはただそのままの眺めであるのに、新幹線の起こす風の音はなんだというのか。
 新幹線の過ぎし音さえ冬深む  正子
 鴨の声水にびびきてこちらまで 正子
 鷭の群黒ぞろぞろと冬萌に   正子
2キロほど川上へのぼったところに変電所がある。変電所をすぎると、新綱島駅に近い感じだったので、土手を下り、芭蕉句碑を探す。旧家の近くにあると地図で見たが、句碑のありそうなあたりは、道路や調整池の工事中で旧家の近くへはいけない。工事柵から旧家の方を見ると、旧家の門から入ってすぐのところに句碑らしい石碑があり、板の看板がある。遠くからスマホに写真をとって後で拡大して句を読むつもりであったが、読めなかった。これが地図の芭蕉句碑なのだろうと思う。このお屋敷のすぐ近くが新綱島ビルだった。このビルに上がり、下を見ると東急バスが止まっている。すぐ下りて行って乗ったが、発車間際だった。行く先はほとんどが、日吉駅東口。このバスもそうだった。バスは、はじめての通りを通って東口まで。歩数計で歩いた距離をみると3.4キロ。
帰宅してオオバン、ヒドリガモ、鵜についてネットで検索。オオバンは水鶏の仲間で、季語「鷭」は夏。だたし、冬は群れをつくる、とある。この冬見たオオバンは、いつも群れをつくっていた。ならば、群れのオオバンは季感としては冬か。ヒドリガモはシベリアからの冬鳥。他の鳥に混じるらしい。この情報も目で確認している。鵜は河鵜らしく、鵜飼に使われるのは海鵜で、河鵜は数が少ないらしい。
思い出して、この前矢上川沿いの民家の雑木に来たジョウビタキについても調べた。一瞬山雀かと思った鳥だが、羽に白い班があるので、紋付鳥とも呼ばれるジョウビタキに違いない。このところのひとり歩きに、いろんな鳥が舞い込んで楽しみが増えた。