晴れ。
●きのうまで降り続いた小雨。今朝窓を開けて、ぴかぴかの天気に驚く。なにしろ今夜は十五夜。土曜日は拭き掃除の日としているので、掃除に精を出す。丘に上って月見の花をとってくる。
●昨日、松野さんからお葉書をいただいたので、返事。
●美知子さんからの口語俳句大賞への投稿の句を読む。20句投句、20日締め切りとのこと。
小雨
●朝方、点けっぱなしたテレビからエリザベス女王が亡くなられたと言うニュースが聞こえた。イギリス時間では8日。女王の最期は何げなく気になっていた。6日には新首相の任命をされたばかり。最後まで公務をされていたということになる。子どものころから女王様と言えばエリザベス女王だったので、絵本や童話の理解をどれほど助けてくれたかと思う。ご冥福を。
●涼しくなった。ずっと雨。『日本の思想』(丸山真男著)がまた話題に上っているらしい。1961年に初版が岩波新書から出て2000年印刷のが手元にある。初めて私が読んだのは、50歳を過ぎていた。この本を読んで、私が長年感じ、悩みもした問題は、日本社会の問題から来ているのであって、私のせいではないということを悟らせてくれた貴重な書なのだ。これを高校生の時に読んでいたら、1965年ごろに読んでいたら、悩まずに済んだのに思った。それを信之先生に言ったら、「いや、今でいい。」という返事だった。めんどくさくなりそうでその意味は聞きはしなかったが。
夕べ読んでみようと、あれから25年経っているが、字が霞むようで、頭も老化して、なかなか読めない。鉛筆で印をつけているところを読んで、納得している次第。
曇り、ときどき小雨
●10日の土曜日は十五夜。松山の坊ちゃん団子がコープから届いたので、元希に送る。天一書房をぶらついて『図形の図鑑』(Gakken)が面白そうなので買ってきた。低学年用かもしれないが、18ページが2750円。高いなあと思いつつ、「難しいことばかりやらなくていい、でも質は下げないのがいいんじゃない」と思いつつ買ったた。それも宅急便にいれる。
●また、天一書房で、著名俳人のエッセイ、売れ筋として並んでいた。ぱらっと始めを読む。ああ、またか、と読まなければよかったの感じ。新書コーナーをぶらついて『ハンナ・アーレント』(中公新書)を見つけた。有るとは思わなかったがあった。見つけたときの不思議感。
晴れ
●『現代俳句Ⅰ』をお送りくださった島村氏から、返信。私の礼状に天狼の予志先生や松高俳句会出身の絵馬、梵、脩先生のことを書いたので、懐かしさ一入だったということなどを認められていた。31日に認めておられる。
思うに、私が手紙を送って、向こうに届いて、先方から返信をいただくまで、ずいぶん悠長な時間が流れていると感じた。新しくなった郵便システムのせいなのだが、私の経験した戦後からの時代の範囲を超えて、小説で読んだような手紙のやり取りに掛かる時間のように思えた。このレトロな悠長さ。ある意味優雅である。これは裏時間に違いない。表時間には宅急便が当日配達される。
●「句跨り」について
花冠の俳句、現代俳句の多くでは、句跨りは珍しくないが、俳句の定型である5-7-5をきっちり守っている人たちにとって、このリズムの乱れには違和感を覚えるらしい。
本年の「愛媛若葉9月号」に若葉主宰の鈴木貞雄氏の「句跨り」についての文章があった。いつ書かれたものかわからないが、書きおろしではなさそうだ。その文章から「句跨り」をどのように氏がお考えか、読み返してみた。破調については、韻律論から信之先生が論じておられる。
①芭蕉の「海くれて鴨のこゑほのかに白し」は、句跨りの句であるが、この句についての考察。
<「海くれてほのかに白し鴨のこゑ」と詠めば、整った五七五の句になるが、それを敢えて破調の句跨りで詠んだのは、一句が詩(漢詩)的発想であったからではないかと思われる。句跨りの調べには、五七五の調べとは違うニュアンスが生まれる。>
②夏蜜柑むき緑陰は二人のもの 風生
<一句は「夏蜜柑 むき 緑陰は 二人のもの」と区切って読めるが、意味の上から「夏蜜柑むき」と「緑陰は二人のもの」と句跨りで二分節となる。>
<現代風の軽妙さを出すために口語調の調べを選ばれたからであろう。>
③年木樵る音かつづきてゐしが止む 敏郎
<意味の上からは、「年木樵る音か」「つづきてゐしが止む」の二分節に分かれる。この句の場合も上五ご中七、中七と下五が句跨りである。敏郎先生は旅宿で、遠くの山から聞こえてくる音を聞くともなく聞かれていて「、年木を樵る音ではないかと気づかれたのだ。その訝しげな気持が、句跨りのプツンプツンと切れる調子となって表現されたのである。>
④木の葉降りやまずそぐないそぐなよ 楸邨
<一句は「木の葉降りやまず」「いそぐないそぐなよ」の二分節で、上五から中七にかけてが句跨りである。病中にあった楸邨が木の葉が頻りに降るのを見て、木と自分にたいして焦ることはない呼びかけるようにして詠んだ句である。昂進する心と抑制する心が、自然と句跨りの調べを生んだのである。>
まとめると、
外国文学の韻律からの影響をうけ、ニュアンスを生んだり、現代の時代の軽妙さや、現代人の複雑な気持ちや心情の流動を表すための句跨りや破調が起きている。
当たり前の結論だが、現代社会や現代人の心には、五七五の定型から漏れるものやことがかなり多いなのではと思わざるを得ない。
曇り
寝転べば空から法師蝉の声 正子
秋夕日飛行機雲のはすかいに 正子
●「当日配達」の宅急便を出しに9時に日吉のクロネコヤマトへ。朝10時までに出せば、その日のうちに届くので、句美子へ梨とユーハイムのクッキーを送った。夏の疲れか、高熱が出で、日吉に行けないからと連絡があったため。コロナではなくほっとしたという。4時前には届いたようだ。
曇り
●今日9月3日は、どらえもんの誕生日という。また、今日は句美子の誕生日。また、花冠の誕生月。
●梨をシャーベットにしておいた。だれも食べないまま2週間は過ぎていたが、今朝おきると、シャーベットの入れ物が突然空になってテーブルに。まるごと2個分はあったはず。
●子規新報が届く。相原左義長特集。小西昭夫さんは、左義長さんが豪放磊落というが、実際は神経がこまかい。俳句もそう。豪放磊落は見掛けの体格からで、ほどんどの人がこれにごまかされている。92歳で没。
雨
葛を描く青と赤とで花を描き 正子
小雨ふる夜の家々の虫の声 正子
紫蘇の穂を鯛の刺身に載せるだけ 正子
●夜、部屋の片づけをした。使っていないベッドに腰かけ、捨てる、捨てない、捨てる、捨てないを繰り返す。24色の色鉛筆が、ほとんど使っていないままでてきた。鳩居堂の無地の葉書や、シルクスクリーンの絵入り葉書、それに仮名用の半紙も。
無地の葉書に色鉛筆で垂れている葛の花を模倣で書いた。葛の花の紫色がない。濃い赤で花を点描して上から明るめの青を点描した。遠目には葛の花の色になっている。いい匂いのする花に顔を寄せてみた記憶に従った。青と赤の別々の光が目に残り、絹のような質感が脳裏たまる。
次に葉。葛らしい葉の色が出ない。しょうがない。花がいきいきしていない。花の向く方向と、枝と花の間の空間が狭すぎる。書でも同じだ気づく。
空は白いまま残した。あとで、俳句を書き込む。寝る前に「霧はれて下山のわれに吾亦紅 正子」を書き込む。絵が散らし書きのバランスを助けてくれて、それなりの字配りになった。絵がなくても、いい具合の散らし書きをするにはどうしたらよいか、しばし、白い半紙で試行錯誤。片づけは終わらない。書を習うべきなのだが、習っては中断し、習っては中断している。もやもや感が残る。
小雨
台風の遠くありても強風予報 正子
茣蓙一枚木綿縞に似てさわやか 正子
夜食にす新さつまいもの初々し 正子
●台風11号が太平洋の東から西へまっすぐ、強い風を伴って沖縄地方を襲うらしい。珍しい進路をとっている。その後、北上するかもしれない。
●きょうから「自由な投句箱」再開。投句者5名。再開の知らせはネット上でのみ。それでも、誰も迷わず、淡々と続いている。
●会員の人数を減らすようにしたいきさつを書いたメールがある。信之先生は30名まで減らしたい意向だった。質の向上を目指すため。それには30名以上は信之正子二人で指導できないからと。今、正子がほどんと一人でやっているから半数でよい。そんなようになっている。