晴れ
竹林に乾きし音を春の鳩 正子
竹林のみどりに染まず落椿 正子
平らかに椿の花の空を受け 正子
●日吉駅まで歩く。山道の端から普通部のグランドに出て、2丁目の初めての道を通ると慶大の西キャンパスに出た。西キャンパスを此処と知る。珍しい花を売る花屋に立ち止まり、多分東へ直進。駅前の中央通りに出た。なるほど。
●俳壇4月号が届く。「お題は春の四字熟語」で、20の結社の競詠作品が掲載。花冠の5名も参加。数ある結社の中からの20結社。花冠の歴史が尊重されたかもしれない。
お題「落花流水」
ぼんぼりの連なる川へ桜散る 髙橋句美子
花筏日差しを載せて浮かびおり 多田有花
峡を行くバスの車窓に花吹雪く 柳原美知子
山桜ダム湖を満たしゆくい水に 吉田 晃
桜ちる夕日に影となりながら 髙橋正子
●歯の悪い人が林檎をどうしたら美味しく食べれるか、試行錯誤している。いろいろ試すが、生のりんごの美味しさにはかなわない。生で食べるにはその切り方しかない。今日、決定打が出た。四つ割りにしたものを8等分に切ると、シャキシャキ噛めて、十分ジューシー。32等分に切ることを初めて思いついた。
晴れ
晴れ
空に散る桜蕾のはや眩し 正子
白もくれん濁れる空もやや白し 正子
遅れ来て土筆を摘めば胞子飛ぶ 正子
●白モクレンが開き始める。土筆をひと握り摘んできた。杉菜も数本。
●お昼を終えてすぐ、センター北の書店、アカデミアへ行った。本屋で2時間過ごすつもりで出かけた。学習まんがの本を頼まれていたのでそれを見つけるのが第一。「日本の歴史」の本が7社ぐらいから出版されている。集英社、小学館、角川、成美堂、世界文化社、講談社、学研。置いてある子ども用の椅子を拝借して、しばらく読む。手にもって馴染む、子供が好きそうな漫画の絵、絵や文がすっきりしている。結局、感覚で選ぶことになった。角川を選んだ。科学まんがは、朝日出版の「ジャングルのサバイバルシリーズ」。夕方お菓子や果物とゆうパックで送る。
晴れ
●きのうは冬のような天気だったが、きょうは暖かくなった。雨は来週らしい。
曇り
ウクライナ
戦争の報道昼夜ミモザ咲き 正子
避難バス母も子もみな着ぶくれて 正子
雪道を解かして避難バス続き 正子
●暖かくなりかけたかと思うが、今日は一日曇りで、寒さが戻っている。
●復本一郎著『芭蕉の読み方』を読みかえす。丁寧な説明でわかりやすい。
これを読むと、俳句甲子園の句は、談林俳句ではないかと思えて来る。俳句甲子園出身者が育っていないという結果をどう見るか。
晴れ
●「自由な投句箱」を本日をもって閉鎖する。問題が起きたため。
晴れ
●丘に行く。いつも楽しみに見ていた屋敷林がばっさり切られていた。住む人には大きく茂った木は問題だけれど、小鳥たちが止まる木がなくなった。四十雀、鵯、オナガ、鴬、鴉、雀、目白に小綬鶏までいた。
●五島高資氏からいただいた『芭蕉百句』、復本一郎氏の『芭蕉の読み方』、安東次男の『芭蕉百五十句』の三冊を手元に置いて、必要なとき繰りながら読む。
安東次男の『芭蕉百五十句』は、「俳言」の副題がついている。買ったばかりのときは、これを見逃していた。今改めて思う。『芭蕉百五十句』は、詩人安東次男らしく、俳言の論とは言え、詩情のある芭蕉の句が選ばれ、「俳言」は、新しみにも通じて面白い。ネットで仁平勝氏の「新しみ」の考察も合わせて見る。そして、いわゆる平句と俳言、現代俳句の新しみの関係は、面白い論争が出来そう。
五島氏のは作句年代順で芭蕉の思想遍歴が分かりやすい。
復本氏の『芭蕉の読み方』は、芭蕉について疑問に思ったことに応えてくれる。芭蕉において「切れ」はどうだったかとか。
俳句評論に学者でなく、俳人の評論も多いが、本当に信用していいのだろうか、と不安になる。俳句評論賞も、研究者が加わって決めているようにも見れない。粗いと思うこともある。いい評論を選んで安心して読めるのは難しいとつくづく思う。
●蓬が芽生えたのを見たとたん、蓬を摘みたいと思った。そう思うだけ。蓬の粉を買ってこよう。蓬は諦めてURの団地に土筆が生えるところがあるので、行って見た。先日暖かくなった日に伸びたと思われる土筆がたくさんあったが、興ざめした。下草がきれいに刈られて土筆はからからの地面から伸びていた。
URの沈丁花が開き初め、さんしゅの黄色い蕾が膨らんでいた。蝋梅はそろそろ終わり、万作は今満開。
●母校の小学校、中学校がこの3月末で閉校になると妹からメールが届いた。閉校式の様子はMicrosoft Teamsで配信されるそうだ。小学校は149年の歴史、中学校は、1947年戦後創立。小学校の閉校はありうると思ったが、中学校までがと驚く。ホームページの紹介では、岬の小学校と紹介されていた。
私が通った学校は岬の小学校だったんだと今はじめて認識した。「崖のうえのぽにょ」の舞台になった岬がある。その岬は切り立って、海の色は青みどり。岩が落ち込んで、いそぎんちゃくが揺れて、そこから竜宮に行けそうな色で、ぽにょが泳いできたところ。
『二十四の瞳』の小豆島の景色にも似ている。冬の氷が張った朝女の先生が自転車で転んで、しばらく来れなくなった。ピアノが上手なやさしい先生で、みんな心配した。『二十四の瞳』の大石先生に似ているようなことがあったのをを思い出した。
小学校の名前は福山市立能登原小学校。校歌は 「朝だ 光だ そよ風だ 窓にゆれるよ 老松の ときわの緑 いや深く・・」。老松は鎌倉時代の伝説が残り、弓掛松と呼ばれていた。
中学校の名前は福山市立千年中学校。校歌は「藤波の千年のさとは・・」で始まる。通学路の山際に山藤が、若みどりの葉に照り映えて咲き垂れていた。英語の教科書は「Jack and Betty」。「This is a pen. That is a table.」から習った。
今、日本の多くの小中学校の統廃合が進んでいる。閉校になった学校の卒業生はどんな思いだろうか。
晴れ
志一書に込めしか梅開く 正子
ミモザの黄肩に触れんと枝垂れたり 正子
雛の日世に遠かりき玻璃の内 正子
●奥の細道むすびの地記念館から毎月俳句『共鳴』が送られてくる。2月号に
拙句も掲載された。共鳴句の選は、記念館の高木佐知子氏。送付の2月号から私はさらに好きな句を選んでいる。自分の句が少しでも客観的に見れればいいと思ってのこと。
青銀杏雨の落とせる一顆なり 髙橋正子
冬座敷墨伸びやかな碧の軸 栗田やすし
冬たんぽぽひとりに日向ありにけり 雨宮きぬよ
探梅やときをり雲の行方見て 片山由美子
荒星の夜は砂丘の砂動く 白岩敏秀
母がゐる冬菜畑の日溜まりに 名村早智子
注連飾るふたたび母と暮らす家 高橋千草
●現代俳句3月号に「芭蕉、湖水の波に 漂」高野公一氏の文が掲載される。面白く読む。
●五島高資氏へ『芭蕉百句』のお礼を信之先生宛なので急かして書いてもらい、投函。『芭蕉百五十句』(安東次男著)をずいぶん前文春文庫で買ったと思うが、見つからない。『芭蕉百句』を契機に、今増産されている俳句に問題ありと公然と言う人が増えてきそうな予感がする。
●クラフティを初めて作る。ほんとうはさくらんぼらしいが、ブルーベリーで。クレープの材料にフルーツを入れて焼いたようなもの。
曇り
●『芭蕉百句』(五島高資著・風詠社2022年3月3日刊行1650円)が信之先生宛著者より贈られる。英訳と解釈。
俳句の原点、芭蕉が求めた「風雅の誠」を問う。芭蕉百句を通して、俳句本来の詩的創造性に迫る著者の毎日更新のブログからの書。
帯に
<テレビ番組「プレバト!!」や「俳句甲子園」などの影響もあり、俳句に親しむ人は多い。しかし、独りよがりの主観的表現単なる言語遊戯の歪んだ俳句が増産され続け、真に伝統的な俳諧聖戦が危機的状況にある–>とある。
この見解は、「俳句甲子園」が始まったときから、処々から意見が出ていた。「プレバト!!」に関しても、「あれが俳句だと思ってもらっては困る。」という主宰者からの声も聞こえている。「やっかみと思われかねないので、今は声を上げない。」という話も聞こえる。五島高資氏は、勇敢にもはっきりと名指しで言われている。英訳、解釈ともに丁寧に拝読したい。
●秀之さんのアンソロジー出版のお祝いを送る。花冠一同として、15名の名前を書く。
(信之・正子・句美子・友宏・美知子・有花・敬二・晃・栄太郎・泰與・恵子・ますみ・洋一・修・洋子)
●生協に注文していた林檎がひと箱届いた。ひと箱あると便利。まずはそのままで。手土産に持たせてあげて、宅急便の隅に入れて、アップルパイに、りんごのソテーをキャラメリゼして、など。りんご料理のレパートリーを増やしたい。
晴れ
さびしさのしずかに湧きぬ春暖炉 正子
オナガ鳴く三月枇杷の花が咲き 正子
戦ありオデッサ・キエフに春遠し 正子
●秀之さんの参加しているアンソロジー『俳句の宙2021』(本阿弥書店刊)が本阿弥書店から送られてくる。14名参加。参加者のエッセイを読む。秀之さんのは、花冠の目指すところを着実に歩んでおられて、花冠の誇りと思った。
参加者に廣田洋々さんと言う方がおられる。花冠の廣田洋一さんの句と同じものがたくさんあるので、同一人と思える。「波」からの参加。そうであれば、花冠から2名の参加となって、喜ばしいことである。
●ホトトギスの稲畑汀子氏が2月27日に亡くなられた。私はホトトギスを決して信奉するものではないが、汀子氏と前衛の兜太氏との論戦も有名で、マスコミ向けもあって、互いに目の敵と私の目に映った。ホトトギスの主義主張を守るために、伝統俳句協会を設立され会長に就かれたが、戦うに際して、女性である弱みと、伝統へのやっかみが無きにしも在らずと私には思えた。
前衛が飛び抜けて日本の俳句界を代表していたのも不思議だ。多様な俳句表現がある現在、ホトトギスが花鳥諷詠、有季定型を頑なに守っていることは、長所に於いて、貴重な役目を果たしていると思える。子規、虚子、その弟子たち、その孫弟子たちは、私にもわかる。そのひ孫弟子たちは誰がいて、誰がどうだか、もう私にはわからない。好きにやってます、なのか。
稲畑汀子氏のご冥福をお祈りします。
フランクフルトでの日独俳句大会で信之先生もご一緒で、通訳もして、信之先生には楽しい思い出になっている。