曇り
麦の芽を思えば古き良き時代 正子
二十日大根洗えば水のかがやきぬ 正子
冬鶺鴒はっと飛び来てすぐ歩く 正子
●松山の労研饅頭が冷凍で届く。40個も。ふるさと納税の品を句美子がまわしてくれた。これは、なにかと便利。食事替わりに、お八つに、ほんのお返しに。酵母発酵の生地が膨らみ過ぎずに、いい具合。
晴れ
●定期受診。今日は2時の予約。肺炎球菌のワクチンを打ってもらう。コロナワクチンは3月以降になるんだろう。
●ドンガの海底火山の噴火、火山灰で通信ができないらしい。飲み水が汚れていて飲めないらしい。ニュージーランドや、オーストラリアの哨戒機が様子を見に飛び立ったようだが、災害地の様子はどうなんだろう。なんの報道もない。
通信は衛星通信という。それで思い出した。尾瀬に泊まった時、家へ電話するのは、宿の電話から衛星通信だった。
晴れ
均一に切りし大根煮てあまし 正子
冬満月こよい大根甘く煮て 正子
震災の夜が来て満月凍てはじむ 正子
●寒の土用入り。夕方から、部屋が冷え込んできた。外に出ると、なおさら冷たい。月は満月らしい。
●電燈のスイッチをゴミに捨ててしまっていた。いくら探しも見つからないので、もしやとひらめいた。ゴミ籠にスイッチが落ちていたのに気づかず、捨てたのではと思った。一度口を結んだゴミ袋を開けてみると、スイッチが入っていた。信之先生からは「これからは、自分の部屋は自分で掃除する。」と言われる。家に数あるスイッチが時々見えなくなる。たいていはすぐ見つかるが、どうしたものか。
●Facebookは、会社に対して疑い深い気分になっていたので、全然使っていない。けれど、今日開いてみると、1月3日が誕生日だったので、大勢から心の籠ったメッセージを頂いていた。
曇り
●夜中1時半を過ぎていたか、スマホの災害アラームがけたたましく鳴った。トンガ沖の海底火山の噴火による津波の注意警報だった。日本には津波の心配はないという気象庁の予報だった。急に津波が日本に押し寄せた。空気の振動によって起こった津波とかで、今までとは違う津波の起こり方らしい。主には奄美大島、それから徐々に、宮崎、高知 静岡、茨城、三陸、北海道へ。湾は、相模湾、三浦湾、そして東京湾へと広がった。津波の高さは3mと言うが、実際は1,2mから0,9mあたり。これくらいと思うが、津波の映像を見て、凄みに驚いた。津波で漁船が転覆したり、壊れたり、沖へ流されたりしている。
●修さんと、智久さんに電話。自由な投句箱と、月例句会への投句案内と、俳誌花冠への投句についてお願いする。多分、参加されると思う。人は自分の置かれている立場というのが、意外とわかりづらい。列車の背中押しではないが、そんな具合に強気と強引さで押してゆかねば、人のためにならない。
晴れ
●正月の花で残っているのは千両と白い葉牡丹。千両の葉を鋏でチョキチョキ切って小ぶりに、葉牡丹の枯れた葉はどんどん毟って、合わせて、緑のガラスの花瓶に活けた。白い葉牡丹は薔薇のように、千両はかわいらしい別物に。千両の実は蒔くつもり。
●PTAの古紙回収の日。8時半に段ボールを出しに行ったら、回収は終わっていた。持ち帰って月曜日の通常回収日までベランダに置く。俳句の受贈誌は保存したいのがやまやまだが、どんどん増えてわが家が圧迫される。そこで遅まきながら、ルールをつくる。一昨年分は古紙回収に、昨年分は保管。それぞれ主宰の一句を花冠に掲載してそれで放免願うことにする。
●領収書や本を整理していて、思ったこと。高齢になってくると、世の中の動く方向が感じられる。「先」はあきらかに人々の意図が集約されて、既定路線のところが多い。下らないといえば、下らないが、若い時には「先」は不透明でわけのわからない、不安な、望みうすい未来でしかなかった。
晴れ
●鏡開き。鏡餅を開く。プラスチックの鏡餅の底を開いて、中の角餅を出す。これで一応、鏡開き。とは、いうものの、世の鏡開きはとうに済んでいる。年のせいとは言いたくないが、今日が鏡開きと思い込んでいた。14日は、故郷では、ちょっと名物のどんど祭があって、その日に鏡餅を割ったのをとんどの火にかざして、黒く焼けこげた餅を食べた。麦の芽を踏んで、畑にも刈り株だらけの田んぼにも入り込んで、桜の花や五色のテープで飾ったどんどを青年が担ぎ、どんどの中に乗った人が太鼓で囃す。そのどんど祭が体にしみ込んでいる。
少し日が永くなった。冬至をすぎてから、一日1,2分昼間が長くなるらしい。3週間になるので、20分から30分長くなったのだろう。それでも、気分が明るくなる。
晴れ
●「俳壇」四月号への原稿依頼。信之先生と相談して、五名を決める。午後、電話で返事を聞いて、くわしい情報をメールする。
●「松の花」(一月号)(松尾隆信主宰)に句美子の「俳壇11月号」掲載の
<コスモスのはじめの花の一二輪 句美子>の解説が掲載され、その号が送られて来る。
現代俳句管見ーー俳誌より (俳壇11月号より)
コスモスのはじめの花の一二輪 髙橋句美子
「コスモス」というと無数の花が咲き満ちている景が浮かぶが、「はじめ」には桜の開花などと同じように魁となるものが存在する。その「一二輪」を詠んでいる。(松尾清隆)
このごろ、私の句と、句美子の句が、ぽつぽつ取り上げられるので、そのたびお礼の返事は出しているものの、混乱しそうになる。
快晴
●はがきをポストに入れるために駅前まで。快晴の青空を見て、家に引き返すのはもったいなくなった。家を出て来たその足で、手ぶらの不用心な形で、今日の富士山はどんな様子が見に上る。何ももたない身が軽い。思えば、子どものころ遊びに行くときは何も持っていなかった。そんな感覚が蘇った。いつもの林に今日は鵯さえ啼いていない。ときどき緑の葉の塊から浮き立つように小鳥が飛び立つ。目白だろう。無患子の大振りの実が青空にくっきり。藪椿が控えめに咲く。
林をあとにして西へ道をゆくと富士山が見える。頂上は、厳格に雪を冠り、山襞が尖っている。今日の快晴はすばらしい。みなとみらいの小さい塔や煙突、ビルがこまごまおもちゃを置いたように見える。山もはるかまで、小さい山がぽつぽつあるのまで。富士山の手前の山は丹沢かもしれない。全展開の眺めだ。
●今日は郵便が遅い。夕方近くなって、「俳壇」から原稿依頼。4月号の企画「春を寿ぐーー四字熟語」。花冠に割り当てられたのは、五名一人一句で「落花流水」をモチーフに詠む。五名を候補に挙げてみた。四名は揺らがないだろう。あと一名が揺れる。重要な選択になった。今日はおく。
●敬二さんからの年賀状が届く。住所に3丁目を書き落としたために、もどって来たそうだ。敬二さんと奥さんの写真。敬二さんは脳こうそくの治療と合わせて食事療法をされたのか、顔だちがすっきりとしている。言語脳の損傷で、言葉が出にいとのことだったが、自力で頑張って俳句を書かれている。「俳句と合唱ははなさない。」と、New Year's Resolution.
雨
●パソコンを置いている机の上に、パソコンの脇に「俳壇」(9月号2021年)がある。花冠の「結社の声」が4ページにわたって掲載されている号。この記事をコピーして、元花冠会員からの年賀の返信に入れたが、仕舞わずにいる。
何気なく繰ると口絵の「ものがたりのある俳句 青木克人」
「朝顔や濁り初めたる市の空 杉田久女」が青い朝顔の写真と掲載されている。追って68ページにこの句の解説がある。ほんの一言、リアルに掘り下げて欲しいと思った個所がある。「濁り初めたる」空は、なぜ濁り初めたかということ。煮炊きの煙か。現実には八幡製鉄所の煙突は見えないが、煙突の吐く煙ではないだろうかと思う。清水哲男氏の鑑賞は詩人らしくこの句の美しさを読み取っている。
●清水哲男氏とあらきみほ氏の鑑賞がある。以下に引用。
①清水哲男
久女の代表作。昭和2年11月ホトトギス入選
小倉 既に二女の母だった三十八歳(1927)の作である。「市(いち)」は、彼女が暮らしていた小倉の街だ。このころの久女は、女学校に図画と国語を教えにいったり、手芸やフランス刺繍の講習会の講師を勤めるなど、 充実した日々を送っていた。そうした生活が反映されて、まことに格調高く凛とした一句となった。今朝も庭に咲いた可憐な朝顔の花。空を見上げると小倉の街は、はやくも家々の竃(かまど)からの煙で、うっすらと濁りはじめている。朝顔の静けさと市の活気との対照が、極めてスケール大きく対比されており、活者としての喜びが素直に伝わってくる。
朝顔は夏に咲く花だけれど、伝統的には秋の花とされてきた。ついでに言えば「ひるがお科」の花である。久女は虚子門であり当然季題には厳しく、秋が立ってから詠んだはずで、濁り初めたる市の空」にはすずやかな風の気配もあっただろう。まだスモッグなど発生しなかった時代の都会の空は、濁り初めても、かくのごとくに美しかった。
●あらきみほ
(あらきみほのはいくノートより)
句意を考えてみよう。庭に丹精している朝顔を眺めている久女。朝顔の咲く早朝というのは朝曇りの濁った空の色である。「市の空」は小倉の町の空であり、久女は、わが庭から小倉の町の空まで、心遥かに眺めやっていたのであろう。