8月11日(火)


晴れ。朝6時の室温30℃。下弦の月は明日。

初秋の朝の下弦の月の白    正子
朝顔の揺れてひらくと紅澄みぬ 正子

●神宮歴を見る。旧盆は9月2日。十五夜は10月1日。十三夜は10月29日。二百十日は8月31日。二百十日が8月で、ちょっと勘が狂う。

●ふうせんかずら、蔓がどんどん伸びるが、いっこうに実がならない。花は五弁で、3個ずつ。

●山本健吉著『ことばの歳時記』の「夜の秋」のところを読む。
<「夜の秋は、明治以来の季語だと書いたら、大野林火氏から、それは何に拠るのか、明治時代の主な句集に見当たらない言って、大正八年の
 尿(いばり)やるまもねむる児や夜の秋 飯田蛇笏
以下の句をあげ、大正以来とすべきかと言った。私は、明治以降の近代俳人が言い出した季語だという意味で、かならずしも明治に始まったと言ったつもりではなかったが、こう開き直られると、も少し古い用例はないか、という気持ちになった。
 楠本憲吉君が探し出してくれた古い例句は、
 粥すゝる杣が胃の腑や夜の秋 石鼎
という、大正二年の例である。明治にもう一歩である。楠本君はいろいろ博くさがしたらしく、これを初出とすべきか、と言っている。>

「明治以降の近代俳人が言い出した季語」の「明治以降」というのは、林火でなくても、私でもちょっと乱暴と思う。俳句の近代化のなかの大正という時代もあるでしょうし。

8月10日(月)


曇。山の日。

●8月月例ネット句会の入賞発表。いつもは、当日の夜、入賞発表するが、今回は、予定の正午発表の少し前の発表になった。昨日の夜に発表をするには思考回路停止状態で、
疲れ過ぎていた。

●ネット句会に「炎昼の街に日章旗立ててあり」の句があった。炎昼に日章旗を立てるのは、なんの国民の祝日かと考え込んでしまった。炎昼の祝日は、7月20日の海の日、8月10日の山の日なのだが、広島や、長崎の原爆の日にも立てる人がいるのかと、疑問に思った。「日章旗と言えば戦争」の図式だけでいいのか。前に国連の企画で山の日の山頂リーディングを富士山で行ったとき、海外駐在が長い花冠同人が日の丸を持ってきてくれた。私は思いつかなかったが、それは、「日本」をアピールする、日本の目印だった。平和的だと思う。

8月9日(日)


曇り。

●8月月例ネット句会。
https://blog.goo.ne.jp/kakan02d/

【投句】
28.立秋の風に高々雲動く/高橋正子
今年の立秋は良く晴れていた。 雲も白く浮かんでいた。この様な空の動きを良く捕らえている。 (廣田洋一)
29.萩を吹く風に出でけり試歩のため/高橋正子
「萩を吹く風」の表現が気持ちよく、秋が来たことを優しく教えてくれている。季節の変わり目を肌に感じ、歩いてみようとする前向きの気持ちになったのであろう。季節の移り変わり、特に秋への移りは人の心をそうさせてくれるのだろう。 (吉田晃)
30.みんみんの中の蜩水のごと

●脚がかなりよくなった。はじめそろりと歩いた2丁目だが、今朝は、気になるところまで足を延ばした。山裾にあるお屋敷。農家のお屋敷が4件ほどある。こんもり茂った庭もよく手入れされ涼しそうだが、前にある畑が面白い。帚木がまばらに生えて、むらさきつゆ草が思い出したかのように一本咲いていたり、野菜があったり、植えられてない土が明るかったり。お盆の畑らしく、のんびりしていて、どこか秋めいている。

8月8日(土)


曇。

シャーベットひやひや匙に秋立つ日   正子
逃がしやるみんみん蝉の羽ばたく真似  正子
黄金虫みどり美し死ののちも      正子

●お茶を買いに日吉東急へ。「荒茶」というのがあったので買ってみた。ついでに天一書房により、山本健吉の『ことばの歳時記』を買う。文春文庫から1983年刊行されているが、今日買ったのは、角川ソフィア文庫平成28年初版、令和2年4版発行のもの。昭和を感じる。「国語と国土」がテーマのようだ。

●幸水のシーズン。そのままが一番だが、歯の悪い人用に、昨日はコンポートを作った。思いのほかおいしくできた。梨を切ってスチーム用のタッパーに入れ、はちみつとレモン汁をかけて、電子レンジにかける。梨大1個で500w10分。出来上がりの様子を見ようと蓋を開けたとたん、暑い蒸気が手首に。危ないところだったが、すぐに水道水を流して手首を冷やして無事。

コンポートの残りの蜜と梨一個でシャーベットに。それだけでは甘すぎるので水とレモン汁を加え、できあがり。さっぱり感は夢の中のよう。

8月7日(金)立秋


晴れ。

からまりて風のままなり風船かずら    正子
空蝉は耳にさびしき音であり       正子
空蝉の止まる萩の葉おもしろし      正子
老眼にはっきりもせず白芙蓉       正子      

●朝、7時半。日は暑そうだが、URの緑地を歩く。木陰が多く風がよく吹く。景色が秋めいた感じなので、もしや立秋と思ったら、その通り。熊蝉を今年初めて聞く。空蝉、萩、百日紅、芙蓉、槿、柘榴の実を見る。

8月6日(木)


晴れ。原爆の日。

晴るる空けれど濁れる原爆忌     正子
皆午睡遠き蝉音を聞き集む      正子
 昔ライン川で 
空耳に蝉音湧きくるラインべり    正子

●今日の歩きは、URのコンフォール南日吉の中。芙蓉、槿、萩、紫式部の花がよく咲く。

●ちょっと頑張る癖があるようで、反省。「年寄りの冷や水」という諺があったなあ。
ほぼ同じ世代ながら、引っ越して来て原爆を知らない日本人に何人かであった。広島県生まれには、信じられないことだ。よその県ではどんな教育がされてきたのだろう。被爆二世の身ではあるが、原爆のことで落ち込むのはもうやめよう。数日前父のいた広島の被服廠の記事が朝日に載っていた。

8月5日(水)


曇りのち晴れ。

ほおずきの朱をくくりて盆の品    正子
一日の熱にトマトの真っ赤なる    正子
日の温みまだあるトマト一籠に    正子

●今夜は満月のようだった。

●生協の配達、葡萄、梨が不出来な感じ。産地変更とある。雨が多すぎたようだ。
尾花沢の西瓜は、お盆が近いだけあって、これまでで一番おいしい。暑くて果物に頼りがち。

●リハビリに行くが、今週、月火水金が病院とは。友人に子供のころのおけいこ通いみたいと言われる。歩くのは休み。

8月4日(火)


晴れ。

百合ひらく花粉の汚れひとつなく    正子
遠巻きの蝉音に耳の鋭く澄めり     正子
朝顔のくれいない白き雲が浮き     正子 

●すかし百合が咲く。今朝は5時半から2丁目を歩く。きっかり30分。6時ごろ日が昇った。

8月3日(月)


曇。8月1日に晴れたのが、梅雨明け。

●今朝の朝顔は大きめ。2丁目を歩く。このごろ予定時間がぴたりと合う。これには、信之先生も感心するくらい。そもそもはじめから少し余分に、途中とろとろしてもいいように時間をとって仕事なり、外出なりしている。最後を整えるためには、ゆるみや遊びが必要と思うようになった。

●昨日のラジオで「伝統文化ジャーナリスト」と呼ばれるジャーナリストがいることを初めて知った。東山文化についての講演だが、その中で、「伝統は引き継がれなければ伝統にならない。」と言っていた。それはそうだ。引き継ぐための苦労がある。伝統は古いとおもうかもしれないが、新しくしていかないと引き継がれない。それに、勝手な自論だが、伝統はらせん状に繋ぐべし。螺旋ということは、坪田譲治も言っていたと思う。

●花火について。今年はコロナのせいで、花火大会が中止になっている。花火の季語はもとは「秋」。送り火と関係している。私の「遠花火草に座り子供らと」の句評に洋子さんが、「初秋の・・云々」と書いてくれた。花火にある幾分の寂寥感は、やはり秋のものと思う。彼女の句評をうれしく思った。

●「緑さす」について。ものが緑がかってみえたり、単に感覚的にそう思えたりすることがある。外の木陰もそうであるが、家の中にいても外の緑を感じることがある。木々が周囲にしげっている昔ながらの家。昔の家でなくてもいいが。風が通り抜ければ、緑がさす感じになる。「笊にあげ緑さしたる冷そうめん」の有花さんの句評は、家内にさす緑であった。同じような経験をされたのかと思う。これもうれしい句評である。