6月30日(火)


曇りときどき雨。

●自由な投句箱6月23日~29日までの秀句を選び、コメントをつける。現代語の俳句を標榜しているが、投句には、古い平安時代の古典語を使っているのもあって、なかなかどうして。

●昨日俳壇の黒部さんから電話。アンソロジーの話。23日に返信したのを昨日確認されたとのこと。どこで滞っていたのだろう。知名度なしなので、見逃されたか、とひがむ。

●ポスト新型コロナで、花冠がこれまで細く長くやってきたことが、力を発揮してきているような兆候を感じる。新生活様式で花冠方式も捨てたものじゃないと。早く進み過ぎていたのかも。

●腰痛緩和をめざして、きき湯の入浴剤を入れて朝風呂。コルセットで筋肉を補助し、血行を良くすることが肝心なのだろう。徐々に楽になっているが、完全ではない。

6月28日(日)


雨、午後曇り。

●ここ数日腰痛で、気分悪く、ネットの仕事や家事はかどらず、本も読めず、なぜか疲労困憊という感じなのだ。特に右足があがらない。靴をはくときは、手て脚を持ち上げて靴を履く有様。歩くと足が緊張してしまう。かなりひどい。外科に行く前にできることをやろうと、入浴剤の「きき湯」を買って来て、以前腰をねんざしたとき整形外科で作ったコルセットを使ってみた。1日目に、ずっと楽になった。2日目、かなり楽になったので味をしめ、きき湯を入れて朝風呂。コルセットをほとんど一日つけている。しかし、まだまだ。3日目の今日、徐々に楽になっているが、歩くと右足がつっぱる。

●夕方、数か月ぶりで句美子が訪ねて来る。午後、腰痛を気にしながら、スコーンとジャムを作る。プレーンスコーンだが、サックサックにできた。出来上がりに清潔感があって、頬がうっすら日焼けしたように焼けた。5月23日の新聞の切り抜きレシピに頼ったのだ。ポイントは、薄力粉、強力粉を半々に混ぜることらしい。なおよかったのは、無塩のエシルバターがあったこと。サワークリームは前々から買っていて冷蔵庫にあったこと。BPは、200gの粉に大匙1で、多め。そして砂糖は粉砂糖。句美子は、なにもつけない方がおいしいといっていた。エシルバターのせいじゃないとも。たしかに、いままでで、一番おいしかった。

6月23日(火)


晴れ。

昨日は雨、今日は晴れて、信之先生の病院へ付き添い。「今日はどこが悪いのか」と。「特に悪くはないですが、薬がなくなったので。」診療所前のやまももの実が熟れてたくさん落ちていた。昔なら、子供は喜んで食べたのに。先週JAの直売所でやまももを1バック380円で売っていた。買おうかな、と思ったが、さくらんぼにした。ちょっと食べてみたい気がする。梅雨に濡れたやまもも。梅雨の山のしたたりなど思い出す。

6月22日(月)


曇り。

●6月月例ネット句会の終わりの挨拶を書く。
https://blog.goo.ne.jp/kakan02d/

●句美子がメールで、白金台の自然教育植物園にノカンゾウ、アサザ、クサフジ、イヌヌマトラノオが咲いていると知らせてきた。土曜に出かけたとのこと。この辺でもノカンゾウが咲いている。去年はアサザのある池でトンボが孵ったばかりのところを見た。翅を乾かしていた。

6月21日(日)夏至


曇り。

夏至の朝光あまねく白みたり      正子
夏至はしずか父の日はまたしずか    正子
よく匂う青紫蘇握り飯に巻き      正子
コーヒーに暖を取るべく夏至の夜    正子

●今日は夏至。今朝の「音楽の泉」は、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲。バイオリンは、アンネ・ゾフィー・ムッター。その途中、横浜、神奈川に大雨注意報。穏やかな曇り空の朝に、信じられない予報。夜干したままの洗濯物を取り込む。

バイオリン協奏曲のあと、「真夏の夜の夢」。
シュークスピアの「真夏の夜の夢」を思い起こしたが、この「真夏」は、いつのことを指すか、私はいまだ頭が混乱している。真夏の夜は夏至の前日なのか、五月祭の前日なのか。「夏の夜の夢」と訳した作品もある。「真夏の夜の夢」と最初に訳したのは坪内逍遥。いま、この訳を擁護する人が出てきている。メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」を聞くと、夏の明るい白んだ空気感に包まれる。一番いい季節の明るさが想われて夏のヨーロッパに行きたくなる。

●ラジオ「朗読の時間」で『二十四の瞳』が放送されて、今日三十五回で終わり。ラジオをつけたとき放送されていれば聞く程度だったが、大石先生が戦後教師として復職したからの物語は、忘れてしまっていた。たぶん、復職してからは、大人の話。機微がよくわからなかったのだろうと。思えば、大いなる反戦物語である。戦後、夫に戦死され、青柿を食べた末の女の子も、母親も亡くし、復職して出会った小学一年生たちは、ちょうど私と同い年ではないかと思った。書かれていることは、リアル。私の村でもあった。戦後の庶民の悲劇や苦難が、友達や親や近所の人たちの様子がありありと思い出される。思い出して沈みこんでしまった。

物語は、復職した大石先生の歓迎会で、海の見える窓に寄りかかって荒城の月を歌う女子に、教師となった女子が背中にしがみついて泣くところで終わる。戦後7,8年経ったときのこと。アルマイトの百合の絵の弁当箱が印象に残るが、これは、私もあこがれた弁当箱。百合の絵の弁当箱は持つことはなかった。今わが家に四十になる息子が幼稚園のとき使ったアルミの弁当箱がある。プラスチックもあったのに、アルミのが少し高いが欲しくて買った。ドナルドダックの絵。まだ新しい感じもあって、使わないのに捨てがたいのは、二十四の瞳のせいかもしれない。

6月20日(土)


晴れ、午後曇り。

●朝5時半ごろまでは、小鳥がよく鳴く。

●全身が筋肉痛で、それに眠くて仕方がない。それに左目がアレルギーでかゆいので、目薬ではたよりなく、軟膏を塗る。仕事はいろいろあるが、目をつむって、土曜日に免じて休養日に。

●昨日JAの直売所で買った野菜を、夕食には、精進揚げに。大根おろしと、青紫蘇、いんげんが納得の味。
青紫蘇は、やわらかくて、匂いがいい。おにぎりに巻きたいくらい。昨日買った野菜は、山芋、いんげん、大根、胡瓜、茄子、トマト、ミニトマト、人参、青紫蘇、それにさくらんぼ。からし漬けのもと。今朝句美子に半分くらいを送った。今日の夕方には届く。さくらんぼは、山形の佐藤錦だったが、昨日より熟れていた。

6月19日(金)


雨。

山清水魂冷ゆるまで掬びけり  亜浪
「俳壇7月号」で見つけた句。

●口語と文語がミックスした文体が許容されていることを「俳壇7月号」で知る。許容ではないかもしれないが、、どちらかに統一すべきという意見ではない。亜浪の句にも、口語と文語がミックスした句があったと思う。