雨。
もっこうばら花びら雨に暈けうるむ 正子
カーラーの強き白さを老眼に 正子
眼科をネットで探す。日吉商店街の中央通りをまっすぐ行ったところのみのり眼科の口コミ評判がいい。電話するが通じない。知らないところへ行くのも不安なので、雨の中ながら、実際行ってみた。中央通りが尽きて慶大の西別館の傍だったが、シャッターが下りて休診。無理して行くこともないかなと思い帰った。帰り、日吉東急に寄ろうと思うと、シャッターが閉まっている。あとで閉店理由を友人に聞くと、従業員に新型コロナウィルスに感染した人がでたので、閉店したそうだ。ちょっと便利が悪いな。
快晴。夕方から雨。
透き通ることが愛され葛まんじゅう 正子
●柿若葉やほかの木々の若葉が燃えるように湧き上がっている。
●一番近いスーパーに行くと入場制限があって入れない。やむなく、少し先の、鯛ケ崎入口のまいばすけっとへ。八幡浜のじゃこ天を見つける。一袋3枚入りを試しに買うが、たしかに八幡浜のじゃこ天だ。苺も買ったが、品物がきれい。結構吟味して仕入れているんだと思った。
●きれいに晴れて風も心地よく洗濯日和。布団干し、シーツ、カバーを洗濯。洗濯機を4回回す。とにかく洗って、干せるところを見つけて干せるだけ干す。ついでに、掃除。
2011年の内田樹研究室のブログから印刷した「ネット上の発言の劣化」「歩哨的資質について」というのがでてきた。
それから、イギリス旅行の時のバースの教会の絵葉書も。教会の見物は無料だったと思うが、出口に献金箱があったので、少々献金した記憶がある。バースの街は自由時間に歩いて回った。書店の一番目立つところに、詩集がずらりと並んでいた。観光客目当てでもなさそうだし、さすが詩の国イギリスと思ったことだった。
それから、澤の野口雄さんと言う方の、「窓 俳句ホームページを読む インターネット俳句センター」(澤第2巻第1号 2001年1月1日)のコピーが出てきた。わざわざ野口さんが送ってくださったので、主宰に水煙に転載してよろしいかとお伺いしたら、返事がなかったので、貴重な資料が水煙に掲載できなかった。かくして資料は散逸することになる。自分のホームページの紹介なので、転載しても問題はないと思うんだけれど、よくわからん。
夜おそくから雨。家の中の仕事ながら、疲れた。
雨。夕方晴れ。雷。
春落葉てらてら散らし風雨止む 正子
金雀枝の花に見えたる月の色 正子
春嵐止みて浅黄の夕空に 正子
雷が来て去る雨の八重桜 正子
●自由な投句箱の選とコメント、12日~17日まで、6日分を済ませた。コメントを書いている間は下手に集中するので、首の付け根がぴりぴりして来る。そしたら休憩か、止め時。ちょっと油断、あるいは、ちょっと考え出すことがあると、5,6日分は溜まる。そう言いいながらも、今日で、4158日。投句があればこその継続。わが俳句日記は、4214日。
●新型コロナウィルスの流行で、カミュの『ペスト』が15万部?とか売れているそうだ。我が家の世界文学全集にカミュがあるかと見たが、カフカはあったが、カミュはなかった。
新型コロナウィルスがどんなに感染を拡大し、収束をするか、ペストの流行の事例に重ねて想定したいのだと思う。
●かかりつけの眼科、新型コロナウィスル感染予防のため、休診となっていた。今日から10日。ほかの眼科を探すが、土、日はどこも休診。
薄曇り。
花殻を摘む手に届く春朝日 正子
●ラジオ深夜便で桜守の話があった。今朝は伊那谷の桜守の話。伊那谷と聞いて思い出すのが、花冠同人だった歯科医の河野斉さんは伊那にお住まいだあった。いつの年だったか、2月にしばらく投句がないので、電話で連絡したら、亡くなられたとのことだった。一度、小諸・東京の花冠大会のときお会いしたが体躯のいいかたで亡くなりそうな方ではなかった。斉さんの俳句に興味をもったお孫さんたちも花冠に投句するようになった。家族ぐるみで俳句を楽しまれた。小諸で話をするうち、ご次男だったかのお嫁さんが、私の郷里から来られて、一度行ったことがある、とのことだった。インターネットで花冠に投句されるようになったとは言え、ご縁が深いと感じた。亡くなられた秋、箱いっぱいの林檎が届いた。斉さんが、お孫さんたちのために、林檎の木を買っておられ、その実がなったからとご遺族からお送りいただいた。そんなことをつらつら思いながら桜守の方の話を聞いた。今頃は南アルプスをバックに八重桜が咲いているのだろうかと想像してみた。5丁目の丘からは、富士山の右手はるかに南アルプスが見える。
桜守の方は、「桜を守るなんておこがましい、桜に守られている気持ちなんです。」確かに、木に守られる、木を恃むことはあることだろうと思う。
草田男の句に、句は不確かだが、父母の亡きあと、榎夏樹を恃むといった句があった。
うす曇り。
蕨飯みどりに混じる濃き茶色 正子
蕨飯みどり冴え冴え炊き上がる 正子
蕨飯狐よろこぶ揚げ刻み 正子
新じゃが芋今年の味のういういし 正子
●読めない鳥の名前があった。漢和辞典のお世話に。「鵤」と言う字。「いかる」と読む。季語ではない。辞書にずらりと並んだ鳥偏の漢字は、魚偏に比べ読めないものが多すぎる。魚偏は寿司屋の湯呑にデザインとして書いてあって親しみやすい。それに比べ、鳥偏の漢字は、とっつきにくい。鳥はよく見ようにも、ぱっと逃げてしまう。焼き鳥屋の暖簾に鳥の漢字を書いてあるのも見たことないし。
●連日の新型コロナウィスル報道。ここで疲れてはと思い、出勤自粛。きのうは働きすぎたの。
うす曇り。
春疾風雲一切を払いたり 正子
青空のしずかな発光春の昼 正子
がまずみの花を縁取る日の光 正子
がまずみの花のほとりの明るさよ 正子
●昨日の青空。よく晴れて、雲は全くない。上空は、昨日と一昨日つよい風が吹いたのは、たしか。だのに、空は真っ青ではない。全体に淡い青。霞がかかっているわけでもない。
●注文していたスニーカーが届く。同じ物を色違いも含めてこれで5足目。学生時代、皿が峰の登山で親指の付け根をいためてから、靴に悩む。後悔先に立たずの外反母趾。
●蒸しきんつばの伊豆土産「山づと」が届く。ぽんと一口だが、割って中に栗餡が入っているのを確かめる。ちょっと渋い。
●外出自粛が続いているが、故郷での子どもころの生活を思えば、次元は全く違うものだが、ずっと外出自粛のような生活だったなあ。本屋もない。本は学校の図書室のもの。朝夕、南の前山を見、向こうにある街を思い、後ろの山裾の墓地の丘にのぼり遠くを見、青く煙る四国山脈を南に見、西の方にある瀬戸内海をゆく船と島を見、夕陽が島の向こう落ちるのを見て一日が終わった。その時間には、風呂を焚く煙の匂いがどこからか漂った。思うのは、いつも山の向こう、海の向こうのこと。日の出、日の入、月と星空。「山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう。」を信じていたか。
晴れ。昨日の雨と風は嘘のように。
がまずみの花が咲きたり空晴るる 正子
がまずみの花と目が合う遊歩道 正子
麦の穂の自由に伸びて都市農園 正子
あおあおと麦の穂ゆれる風の道 正子
●4月月例ネット句会は、入賞発表はしたが、まだ進行中。オフ句会なら数時間で終わり、あとで飲み会となってもその日のうちに終わる。花冠のネット句会は時間をかけている。ネットだから、早く済ませることもできるがそうはしない。「座」ということを大事にしている。花冠の中にもこのことをわかっている人がどれほどいるかなのだが。外を見ても、「座」を気にしている若い人たちがいるかどうか。
●職場の掲示に「会社では、マスクの在庫が逼迫しています。」アルバイトの学生から「逼迫」はなんて読むのと聞かれた。「ひっぱく、かつかつなのよ。もう、あんまりないのよ。」この辺りは、年の功。最近はこんな言葉を使う状況がなかった。
雨。本降り。気温あがらず。夜は強風。仕事から帰る午後10時ごろは、傘がさせないほどだったが、濡れて風邪をひくより、傘が壊れたほうがましと思い、差して帰った。傘はもちこたえた。
●「俳壇」5月号が届く。グラビアを見ると、鴫立庵の23世庵主が本井英さんがなったとのこと。掲載の句をみると、新型コロナウィスルを詠んだ句が主だった作品のなかに9句ある。
おやっと思ったのは、新型コロナウィスルのことを、新型の「菌」と表現していた。ウィルスと菌は科学的に違う。これをいい加減にしていいかどうか。俳句では、よくあるとまでは言わないが、ないことではない。
晴れ。
家の前の通り、人っ子ひとりいない。いつもなら日吉本町駅へ向かう人が絶え間なくいる。
もっこう薔薇人っ子ひとり無き通り 正子
忘れな草長けて水色なお濃かり 正子
ベランダに春日の溜まるほかはなし 正子
●明日のネット句会に備え、印刷機のインクを補充。
●3時過ぎブックオフへ。外出自粛せいだろう、いつもよりお客が多い。5分ほど店内にいて澤田ふじ子を3冊買う。夜、1冊は読み終える。筋を読むより、書画骨董、街並みや人の暮らしの部分に面白さがあって読んでいるかも。『師走狐』の話に、『宗旦狐』の話がダブった。