晴れ。
夕薔薇に青空いまだ高かりき 正子
金属が金属打つ音薫風裡 正子
えごの花蜜蜂花の数ほどに 正子
赤花も白花もえごの花盛り 正子
夕薔薇の風に吹かれて勤務終ゆ 正子
『俳壇5月号』10冊届く。正子の句「青を踏む」の7句が掲載される。会員の皆さんに贈るため。
(購読者4名は除く。)
晴れ。
夕薔薇に青空いまだ高かりき 正子
金属が金属打つ音薫風裡 正子
えごの花蜜蜂花の数ほどに 正子
赤花も白花もえごの花盛り 正子
夕薔薇の風に吹かれて勤務終ゆ 正子
『俳壇5月号』10冊届く。正子の句「青を踏む」の7句が掲載される。会員の皆さんに贈るため。
(購読者4名は除く。)
晴れ。
薔薇さわがす夕風がわが顔をも吹きぬ 正子
庭薔薇のさまざま咲きて妻病むらし 正子
薔薇垣の中のポピーが赤極め 正子
桜鯛粗の鱗もいきいきと 正子
魚を買いに。めぼしい魚がなかったが、活きのよい鯛の粗があった。買戻ってパックを開くと二匹分。粗煮に。蕗もまた二把買って、先日の残り汁そのままで、また伽羅蕗風に煮る。美味しいものやご馳走をそんなに食べたいとは思わないが、おいしくないのはどうも。自分流のこんなおかずがいい。
晴れ。
バスタブの長さに菖蒲の葉が真直ぐ 正子
菖蒲の葉束といえども五本なり 正子
菖蒲のは根元の赤がよく香り 正子
豆飯の緑をせめてと子に持たす 正子
新緑の東京ちょこちょこ歩き来ぬ 正子
ポピーの丘空に触れんと伸びており 正子
セザンヌの『くぼ地のポピー』も赤なりき 正子
句美子来る。豆ごはんを持たす。
豌豆をたくさん入れた豆ごはんを炊こうと思ったが、手ひらの窪ほどが、299円。そら豆の一袋が400円。皮をむけば20個ほどだろう。そら豆ひと粒50円なんて、馬鹿な。そら豆は買わず。庶民の季節の楽しみに高い値段を付けるとは。コスト高ということなのだろう。レタス、トマト、キュウリ、ナス、キュウリを年中食べさせられては、たまったものではない。嘆かわしい。自分で豌豆豆を育てたくなった。
近所の八百屋で山の蕗があったので、二把買って、伽羅蕗風に煮た。美味しくできて、瓶詰に。小葱入り卵焼きも焼く。卵焼きは我が家のが一番だと子供は褒める。長年弁当に入れたものなぁ。
うす曇り。
朴の花傾げる花の蕊が見ゆ 正子
朴の花山のさびしさ一身に 正子
朴の花雨糸通しいたるなり 正子
竹の秋川のなき橋渡りけり 正子
丘陵のポピーに風の強さ見ゆ 正子
午後1時から旭区にある里山ガーデンへ信之先生と出かける。
中山駅前から横浜動物園ズーラシア北門行のバスに乗り終点下車。ズーラシアが近づくと欅の若葉が空を隠すほど茂り、緑のアーチをなし、木陰が美しい。終点よりプロムナードを5分ほど歩いて、里山ガーデン広場へ。キッチンカーでココナツミルク入りのカレーとコーヒーを買い、まず昼食。カレーの容器は蓋付きの紙パック。スプーンは木。
昼食後、ガーデンへ。孟宗竹の半分ぐらい高さに掛かる板橋を渡り、ガーデン内へ。板橋の脇に朴の花が咲いていた。遠くに水木の白い花を見る。園内は、青、水色、紫が基調らしく、赤系のポピーが丘陵に花盛り。30分もしないうちに、霧のような雨。帰ることにし、園内のバス停へ。バスを待つうちに本降りに。家には4時に帰った。正味3時間の外出。
夕方、ニュースを見ていたら。大和市、多摩地方や国立、府中あたりは大きな雹が降ったという。天気の急変に注意ということだったらしい。
憲法記念日。
10連休はなんのためにあったのだったっけ?改元祝いを長々とやって、憲法9条を改正しようなんて。
朝、金蔵寺へ信之先生と散歩に。白雲朴の花が咲く。見頃。藤は終わりかけ
風明るし憲法記念日の今日も 正子
日当たることなくて白雲朴の花 正子
菖蒲の葉買いきてバケツの水に立て 正子
この空にあの空に鳴きしじゅうがら 正子
若葉の山その裾匂いておりにけり 正子
NHKテキスト「高校生から始める現代英語」と「英会話楽学」の5月号2冊を買ってきた。なんのためでもないのだが、聞いていると前を前を、横を横をと軽く考えられる。この効能がいい。
昨日は本降りの雨だったが、今朝は薄日が差す。
銀座で天皇制反対の学生主導のデモがあったニュース。反対と賛成ありは、自然のこと。
祝賀ムードが盛り上がるのはいいが、いつも逆を思う。こうして戦争へとムードが高まったのでは、ないだろうかと。
換気に窓を開けたら、近所に建設中のマンションの工事音。完成が近づくにつれ、金属音やアスファルトの匂い。これ不快なり。
工事音隔つ五月の玻璃が透く 正子
今日、零時から元号が令和と変わる。新元号を祝って、大いににぎわっているようだ。
明け方のラジオのニュース解説を寝床で聞いていて、電波がぶれたものだから、小型ラジオをベッドの傍の窓に置きなおした。しばらくして、ラジオが顔面へどかっと落ちて、顎のところを打って、歯茎から出血。かくして令和が不機嫌の内に始まった。多分、ねぼけ眼でいい加減に置いたせいだろう。とても令和を祝う気になれない今朝なのだ。
朝日の今朝の朝刊、古井由吉氏が、平成はどうもぼやけている時代だったと寄稿していた。周囲もそういう感想だと。私もそうだ。インターネットが普及した時代でもあった。纏まった思想がいくつかあったのだろうか、と思い返す。てんでんに物を言った時代ではなかったか。俳壇からつぶされないように、気を付けて、私は私で、「花冠の目指すところに拠って」、俳句を作ろうっと。
若葉燃え令和ひえびえ始まりぬ 正子
自然教育園(白金台)
夫を撮る若葉の空の雲を入れ 正子
草草の反射に光りあやめ立つ 正子
憩うとき垣根通などをよくよく見 正子