5月8日(水)


晴れ。

夕薔薇に青空いまだ高かりき   正子
金属が金属打つ音薫風裡     正子
えごの花蜜蜂花の数ほどに    正子
赤花も白花もえごの花盛り    正子
夕薔薇の風に吹かれて勤務終ゆ  正子

『俳壇5月号』10冊届く。正子の句「青を踏む」の7句が掲載される。会員の皆さんに贈るため。
(購読者4名は除く。)

5月6日(月)


晴れ。
薔薇さわがす夕風がわが顔をも吹きぬ  正子
庭薔薇のさまざま咲きて妻病むらし   正子
薔薇垣の中のポピーが赤極め      正子
桜鯛粗の鱗もいきいきと        正子

魚を買いに。めぼしい魚がなかったが、活きのよい鯛の粗があった。買戻ってパックを開くと二匹分。粗煮に。蕗もまた二把買って、先日の残り汁そのままで、また伽羅蕗風に煮る。美味しいものやご馳走をそんなに食べたいとは思わないが、おいしくないのはどうも。自分流のこんなおかずがいい。

5月5日(日)


晴れ。

バスタブの長さに菖蒲の葉が真直ぐ    正子
菖蒲の葉束といえども五本なり      正子
菖蒲のは根元の赤がよく香り       正子
豆飯の緑をせめてと子に持たす      正子
新緑の東京ちょこちょこ歩き来ぬ     正子
ポピーの丘空に触れんと伸びており    正子
セザンヌの『くぼ地のポピー』も赤なりき 正子

句美子来る。豆ごはんを持たす。
豌豆をたくさん入れた豆ごはんを炊こうと思ったが、手ひらの窪ほどが、299円。そら豆の一袋が400円。皮をむけば20個ほどだろう。そら豆ひと粒50円なんて、馬鹿な。そら豆は買わず。庶民の季節の楽しみに高い値段を付けるとは。コスト高ということなのだろう。レタス、トマト、キュウリ、ナス、キュウリを年中食べさせられては、たまったものではない。嘆かわしい。自分で豌豆豆を育てたくなった。

近所の八百屋で山の蕗があったので、二把買って、伽羅蕗風に煮た。美味しくできて、瓶詰に。小葱入り卵焼きも焼く。卵焼きは我が家のが一番だと子供は褒める。長年弁当に入れたものなぁ。

5月4日(土)


うす曇り。

朴の花傾げる花の蕊が見ゆ   正子
朴の花山のさびしさ一身に   正子
朴の花雨糸通しいたるなり   正子
竹の秋川のなき橋渡りけり   正子
丘陵のポピーに風の強さ見ゆ  正子

午後1時から旭区にある里山ガーデンへ信之先生と出かける。

中山駅前から横浜動物園ズーラシア北門行のバスに乗り終点下車。ズーラシアが近づくと欅の若葉が空を隠すほど茂り、緑のアーチをなし、木陰が美しい。終点よりプロムナードを5分ほど歩いて、里山ガーデン広場へ。キッチンカーでココナツミルク入りのカレーとコーヒーを買い、まず昼食。カレーの容器は蓋付きの紙パック。スプーンは木。

昼食後、ガーデンへ。孟宗竹の半分ぐらい高さに掛かる板橋を渡り、ガーデン内へ。板橋の脇に朴の花が咲いていた。遠くに水木の白い花を見る。園内は、青、水色、紫が基調らしく、赤系のポピーが丘陵に花盛り。30分もしないうちに、霧のような雨。帰ることにし、園内のバス停へ。バスを待つうちに本降りに。家には4時に帰った。正味3時間の外出。

夕方、ニュースを見ていたら。大和市、多摩地方や国立、府中あたりは大きな雹が降ったという。天気の急変に注意ということだったらしい。

5月3日(金)

憲法記念日。
10連休はなんのためにあったのだったっけ?改元祝いを長々とやって、憲法9条を改正しようなんて。

朝、金蔵寺へ信之先生と散歩に。白雲朴の花が咲く。見頃。藤は終わりかけ

風明るし憲法記念日の今日も     正子
日当たることなくて白雲朴の花    正子
菖蒲の葉買いきてバケツの水に立て  正子
この空にあの空に鳴きしじゅうがら  正子
若葉の山その裾匂いておりにけり   正子

NHKテキスト「高校生から始める現代英語」と「英会話楽学」の5月号2冊を買ってきた。なんのためでもないのだが、聞いていると前を前を、横を横をと軽く考えられる。この効能がいい。

5月2日(木)


昨日は本降りの雨だったが、今朝は薄日が差す。
銀座で天皇制反対の学生主導のデモがあったニュース。反対と賛成ありは、自然のこと。
祝賀ムードが盛り上がるのはいいが、いつも逆を思う。こうして戦争へとムードが高まったのでは、ないだろうかと。

換気に窓を開けたら、近所に建設中のマンションの工事音。完成が近づくにつれ、金属音やアスファルトの匂い。これ不快なり。

工事音隔つ五月の玻璃が透く 正子

5月1日(水)


今日、零時から元号が令和と変わる。新元号を祝って、大いににぎわっているようだ。
明け方のラジオのニュース解説を寝床で聞いていて、電波がぶれたものだから、小型ラジオをベッドの傍の窓に置きなおした。しばらくして、ラジオが顔面へどかっと落ちて、顎のところを打って、歯茎から出血。かくして令和が不機嫌の内に始まった。多分、ねぼけ眼でいい加減に置いたせいだろう。とても令和を祝う気になれない今朝なのだ。

朝日の今朝の朝刊、古井由吉氏が、平成はどうもぼやけている時代だったと寄稿していた。周囲もそういう感想だと。私もそうだ。インターネットが普及した時代でもあった。纏まった思想がいくつかあったのだろうか、と思い返す。てんでんに物を言った時代ではなかったか。俳壇からつぶされないように、気を付けて、私は私で、「花冠の目指すところに拠って」、俳句を作ろうっと。

若葉燃え令和ひえびえ始まりぬ 正子

 自然教育園(白金台)
夫を撮る若葉の空の雲を入れ   正子
草草の反射に光りあやめ立つ   正子
憩うとき垣根通などをよくよく見 正子