★春浅し立ちたる草の鳴りづめに 正子
早春の野原や山には未だ冬枯れした萱の様なやや長めの草が立ったままに残っています。
カサカサと軽い音をたて東風に靡き続けている景を想い浮べます。その音は新芽を促がす音の様にも思われます。枯れ草の根元から青々とした新芽が出て一面青い野原になるのも間近いことでしょう。場所によっては野焼きが行われるのもこの頃でしょうか。(佃 康水)
○芹
★薄曇る水動かずよ芹の中/芥川龍之介
俳句の季語では、春の芹と新年七草の芹とは、別である。芹は、水田や、小川のほとりや湿地などいたるところに生えている。また食用のためにも栽培される。葉茎ともに特殊の香気がある。
先日、朝食のみそ汁に芹を入れた。豆腐と芹の単純なみそ汁だが、まだよく目が覚めない家族のひとりが「この三つ葉はおいしいね。」と。よく目が覚めている家族のひとりが「この芹はうまいなあ。」という。三つ葉と言った家族には、芹と訂正し、芹は今が一番おいしい時と説明した。
子どものころは、まだ川の水がきれいで、水は手を切るように冷たかったが、子供たちも遊びながら芹を摘んだ。芹が食用に栽培される時代ではなかったので、本格的に芹を食べるときは、大人の出番で、大人が摘んできた。うどんにもすき焼きにも芹が入っていた。早春のかぐわしい食べ物で子どもにもその香気がうれしかった。
○今日の俳句
包み紙少し濡れいて蕗の薹/佃 康水
蕗の薹を包んでいる紙がうっすらと濡れている。朝早く採られた蕗の薹だろうか。蕗の薹の息吹であろうか。しっとりとした命の、春みずみずしさがある。(高橋正子)
◇生活する花たち「クリスマスローズ・椿・へくそかずら」(横浜日吉本町)

★花丈の揃い真白なシクラメン 正子
シクラメン、そういえば花の丈がそろっています。白い花であればそれがいかにも清楚で美しく感じられます。 (多田有花)
○今日の俳句
紅白を見せて膨らむ梅花芽/多田有花
梅の花芽が、はや膨らんで花の色が見えている。それに白と紅があって、咲いたときの華やぎを待つ楽しみの心がいい。(高橋正子)
○三椏の花
三椏は、蕾の期間が長いようだ。初詣に行けば神社の境内に蕾の三椏を見つけることがある。私は長い間、この蕾を花と思い違っていた。去年修善寺の梅林を訪ねたときに、それは二月下旬だったが、梅林の入口のバス停の近くに三椏の花が咲いていた。蕾がはじけて山吹色が内側に見えて、毬のように咲いていた。大変可憐な花である。横浜の四季の森公園のせせらぎ沿いに植えられているのが、いま最も身近にある三椏である。
三椏の花でもっとも印象に残っているのは、四国八十八か所のお寺出石寺の山門の脇に咲いていたものである。ふもとからバスで山道をうねうねと登ると雲海の上に寺がある。雲海が寄せてくるところの三椏の花は、それが和紙の原料であるということも考えれば、生活の花として別の意味合いやイメージが湧いてくる。事実ふもとの大洲市は和紙の産地である。
◇生活する花たち「パンジー①・パンジー②・蝋梅」(横浜日吉本町)

★梅の花遠きに咲きて白さ満つ 正子
遠くに見える白梅は満開だったのでしょう。遠くから見る方が白さが際立つのでしょう。香りも漂ってくるようです。(黒谷光子)
○今日の俳句
拝観を終え紅梅に集まれり/黒谷光子
集ってお参りに出かけた。拝観を済ませたものが順次、誰彼となく、紅梅のもとに集まった。うららかな日の紅梅の見事さ、和む人の心がおのずと知れる。(高橋正子)
○土筆
まま事の飯もおさいも土筆かな/星野立子
土筆はトクサ科の植物。たしかにトクサに似ている。茎に筋があり、袴と普通呼んでいる節のようなところも似ている。土手や野原で土筆が見つかると、どんなに風が冷たくても春が来たと実感する。子どものころ、土筆を見つけるのは容易ではなかった。野原に出ても、土筆が出そうな場所が見当もつかない。もっと大きい子や大人に連れて行ってもらって、土筆がでそうなところがわかるのだろうと思う。ところが、大人になってみると雑事に追われて、近所にも土筆が出そうなところがあるとわかっても、あっという間に杉菜になっている。残念至極である。数年前、町田市の里山にでかけたおり、山から田んぼに出たところに、土筆が刈り取れるほどたくさん生えていた。日当たりのよい至るところに見つけられる土筆であるが、里山がよく保存されている環境では、たくさんの土筆が野に見つけられた。
土筆を摘んで食べることだが、シーズンになると四国ではスーパーに土筆が売られていたが、買わなくても一握りも摘めばば、梅干しを入れて卵とじによくした。梅干しで土筆の茎の色が紅色になる。胞子の緑がかったねず色と卵の黄色で春らしい一品になる。また、凝った人は、妹などはよく作って送ってくれていたが、土筆の砂糖煮というものもある。お茶うけにする。
◇生活する花たち「椿・苺・桜花芽」(横浜日吉本町)

★水掛けて春水かがやく仏なる 正子
春日が差すような明るい景が目にうかびます。お地蔵様に水を掛けられたのでしょうか。水には古来けがれを洗い流す力があると信じられていたとか。仏様に掛けられた水は、春の光をあびてかがやいていたことと拝察いたします。 (小川和子)
○紅梅
紅梅は白梅よりも晴れた空が似合う。50年以上前のある風景について鮮明に記憶がよみがえる。生家の隣に分家があって、そこに立派な紅梅が咲く。その季節は、分家(分家には慶応3年生まれ、漱石や子規と同い年の百歳のおばあさんが健在であった)の法事があり、遠い親戚の黒衣の人たちまでもがうららかな日差しに出入りする。そいうときの紅梅は、ひときわあでやかに見えた。まだ私は小学校低学年で非常に人見知りであっから、遠くから紅梅を眺めていた。故人の忌日は変わりなく、紅梅の咲く日も変わらない。
紅梅は高くて黒衣まぶしかり/高橋正子
○今日の俳句
二月の陽を反射させつつバス来たる/小川和子
バスを待っていると、向こうから陽を反射させながらバスがやって来た。光は、早くも明るい二月の光。二月の光を連れて来たバスである。(高橋正子)
◇生活する花たち「黄水仙・梅・枝垂れ梅の花芽」(横浜日吉本町・金蔵寺)

東山・法然院
★春寒し木を打ち人を呼び出せり 正子
春寒い季節、京都の鄙びた法然院をお訪ねになったのですね。山門の脇に吊るされた木板を叩いて訪ねた事を知らせるのでしょうか。境内に一歩潜ると深閑として身の引き締まる思いが致しますが、その中にあって木槌で知らせるその木の音の温かさ、それに応え迎え入れてくださる法然院の温かさまで伝わって参ります。春寒い日、法然院での心豊かな一時を楽しまれた事でしょう。 (佃 康水)
○今日の俳句
★野に覚めし淡きみどりや蕗のとう/佃 康水
「野に覚めし」によって、淡い蕗のとうのみどりが目に強く焼きつく。初めて見つけた蕗の董であろう。驚きと嬉しさを隠せない。(高橋正子)
○フェイスブック立春句会入賞発表
ご挨拶
今年は厳しい寒さに見舞われておりますが、それでも立春の名を聞くと、冬から解放される嬉しさがわいてきます。立春句会には、大勢の皆さまにご参加いただき、最近では一番多いご投句がありました。立春らしい明るい俳句に元気が湧いてきました。入賞の皆さまおめでとうございます。いつもながら、信之先生には管理運営を、洋子さんには集計をお願いしました。大変お世話になりありがとうございました。これで、立春句会を終わります。(主宰 高橋正子)
【最優秀】
★雪原の鉄路陽に映え陽に交じる/黒谷光子
雪原に伸びる鉄路を想像するとこうだ。日が散らばる雪原に黒い鉄路が伸び、日に映え、陽に交じってしまうほど輝く。雪原が明るく、春も隣の感が強まる。(高橋正子)
★立春や光と翳と飛ぶ鳥と/矢野文彦
立春となると光がにわかに明るく感じられる。身辺にも光があり翳がある。空を見れば、自由に飛ぶ鳥も。光と翳と自由な鳥が立春の日に明るく詠まれた。(高橋正子)
▼その他の入賞作品は、下記アドレスのブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/kakan106/
◇生活する花たち「椿・苺・桜花芽」(横浜日吉本町)

★春立ちてものの影踏むこと多し 正子
すでに寒中から日差しが力を増してきています。それがいよいよ立春ともなれば、はっきりと「光の春」に入り、すべてのものの影がくっきりとしてきます。そのさまを的確に詠まれています。(多田有花)
○今日の俳句
立春大吉梅の小枝はまっすぐに/多田有花
「立春大吉」は目出たい上に、朗らか。梅のずわいが真っ直ぐ伸びて、躊躇なし。目出たく、朗らかで、躊躇なし。こう行きたい。(高橋正子)
○立春
★立春の米こぼれをり葛西橋/石田波郷
★立春の海よりの風海見えず/桂 信子
陰暦では、1年360日を二十四気七十二候に分けたが、立春はその二十四気の一つで、陽暦では2月4日か5日、節分の翌日に当たる。節分は冬の季語となっている。節分を堺に翌日は春となる。あくまでも暦の上だが、この切り替えがまた、人の心の切り替えにも役立って、立春と聞くと見るもの聞くものが艶めいて感じられる。冬木もいよいよ芽を動かすのだろうと思う。寒禽と呼ばれていた鳥も鳴き声がかわいらしく聞こえる。そういえば、林の木々の枝を渡る小鳥がよく目に入るようになった。今年の寒さはめったに雪の降らない地方にも雪を降らせていて、来週はまたぐっと冷え込むらしい。
★立春の夜道どこからか水の匂い/高橋信之
◇生活する花たち「黄水仙・梅・枝垂れ梅の花芽」(横浜日吉本町・金蔵寺)

★銀色の椿の蕾となっており 正子
○今日の俳句
輝ける夜空の星や豆を撒く/高橋秀之
「輝ける夜空の星」に託された気持ちが、晴れ晴れとして広い。高く放って撒いた豆は、星屑のなかに散らばってしまいそうだ。(高橋正子)
○節分
★かきけむりけり節分の櫟原/石田波郷
★節分の火の粉を散らす孤独の手/鈴木六林男
昔は四季の移り目をそれぞれ節分といったが、今は立春の前日だけが節分と呼ばれる。冬の節から春の節に移る分岐点。この夜。寺社では悪魔を追い払い、春を迎える意味で追儺が行われる。民間でも豆を撒いたり、鰯の頭や柊を戸口に飾ったりする。
節分の夜の豆まきは、特に幼い子どもたちにとっては楽しい行事。なんしろ、悪い鬼を豆をぶつけてやっつけるのだから。「福は内、鬼は外」の「鬼は外」は、大人には闇にひそむ姿の見えない鬼へ向かっての礫投げ。戸口に飾る鰯の頭、柊も庶民らしい追儺のしつらい。「鰯の頭も信心から」ということわざもあるが、これはどこから出てきたのか。
★節分の豆がひしめく子の拳/高橋信之
◇生活する花たち「パンジー・椿・桜花芽」(横浜日吉本町)

★白木蓮冬芽の銀の日にまぶし 正子
春が近づいていることを感じる御句です。白木蓮の冬芽はひときわ大きく銀色に息づいています。(多田有花)
○今日の俳句
やわらかき色を置きたり寒卵/多田有花
寒卵はきびしい寒さの中で産み落され、白色の厳しさもあるが、それがテーブルなどに置かれると、命あるもののやわらかさ、やわらかき色を呈す。そこをユニークな視点で捉えた。(高橋正子)
○探梅
探梅や天城出て来し水ゆたか/飯田龍太
早梅を探って山野を歩きまわるのが探梅、また探梅行である。今日の午前、信之先生とご近所の金蔵寺へ探梅に出掛けた。二輪の梅は咲いたばかりの瑞々しさがあって美しい。桜の花芽、桃の花芽もカメラに収めた。
◇生活する花たち「梅」(横浜日吉本町・金蔵寺)

★枯木立星のあおさに揺れもせず 正子
冬夜の澄み透るような星のあおさが、枯木立の輪郭をより際立たせてくれます。煌く星の輝きに、惑うことなく凛と佇む姿に、枯木立のいのちの美しさを見る思いがいたします。 (藤田洋子)
○今日の俳句
葦原の枯れ尽くしても水の上/藤田洋子
「枯れ尽くしても水の上」は、意表をついて、新しい発見。蓮や菖蒲などは、枯れると茎や葉が折れて水に浸かってしまう。葦原の葦は、枯れながらもまっすぐに立ち、水には影を落とすのみ。なるほど、枯れ尽くしても水の上ある。(高橋正子)
○河豚
★河豚の皿燈下に何も残らざる/橋本多佳子
河豚は、河豚の刺身、河豚刺で食べるのが一番河豚を食べたらしい。大皿に透き通った河豚の身が花のように並べられる。牡丹の花というのだろう。それを一枚一枚はがしてもみじおろしを添えたポン酢で食べる。さば河豚と呼ばれるものは松山では、スーパーでも売られている。東京に住まうようになった息子が、店に河豚の刺身を売っていないと電話をよこしたことがある。下関に近い松山に住んでいたならばこそ普段さば河豚なら食卓に載せることができた。
河豚の思い出といえば、子供のころ魚釣りの好きな伯父がいて、ときどき海へ釣りにゆくので付いて行った。釣れる魚は、熱帯魚のようなキザミ、キス、それに釣る目的もないらしい河豚。釣りあげられたは河豚ぷうっと膨れている。河豚が膨れるのは危険を感じたときのようだ。釣って帰っても河豚は捨てられる羽目になるのだが、捨てられるまでは、口に麦わらを差し込んで風船のように膨らませて遊んだ。戦後おもちゃなどない時代。膨らんだ河豚は愛嬌がある。
夏海にどこかに河豚がいて釣られ/高橋正子
大皿の藍の透けたる河豚刺身/高橋正子
◇生活する花たち「蝋梅・サンシュの実・冬桜」(横浜四季の森公園)
