★天城越ゆ春の夕日の杉間より 正子
車で天城越えをされたのでしょうか。春うららかな夕日が走りゆく天城の杉の間より差し込み流れ、旅のうれしいひとときです。 (祝恵子)
○今日の俳句
筆塚や膨らむ梅の初初し/祝恵子
筆塚は、学問の神様の天神様の境内にでもあるのだろう。膨らんできた梅の初々しさ。これからの開花がいっそう楽しみ。(高橋正子)
○ヒヤシンス(風信子)
★一筋の縄ひきてありヒヤシンス/高浜虚子
★敷く雪の中に春置くヒヤシンス/水原秋桜子
ヒアシンスともいう。小アジア原産。草丈20センチほど。色は白・黄・桃色・紫紺・赤など。香りが高い。ヒヤシンスの名は、ギリシャ神話の美青年ヒュアキントスに由来する。彼は愛する医学の神アポロンと一緒に円盤投げに興じていた。その楽しそうな様子を見ていた西風の神ゼピュロスは、やきもちを焼いて、意地悪な風を起こした。その風によってアポロンが投げた円盤の軌道が変わり、ヒュアキントスの額を直撃してしまった。アポロンは医学の神の力をもって懸命に治療するが、その甲斐なくヒュアキントスは大量の血を流して死んでしまった。ヒヤシンスはこの時に流れた大量の血から生まれたとされる。
ヒヤシンスは花茎がまっすぐで意外と頼もしい。しかし優艶。こんなところからか、特に青い花を見ていると美青年が髣髴される。
ヒヤシンスを植えたところは踏まれないように縄を一筋張って置く。縄を張るなんていかにも昭和らしい。今日2月29日は朝から粉雪が舞い、2センチほど積もっている。春の雪が敷く花壇にヒヤシンスが咲けば、そこだけ「春」が置かれたようになる。虚子、秋桜子と対照的な句だが、ヒヤシンスの姿をよく表わしている。わが家では、年末水栽培のヒヤシンスを買い、早も咲いていたのだが、花の匂いを楽しんだ。水栽培で子どもたちでも楽しめる。
★ヒヤシンスの香り水より立つごとし/高橋正子
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)
神奈川宿
★梅の香を息に吸い込みあるきけり 正子
冬も終わりやっと咲き始めた梅。その梅のふくよかな香りが仄かに漂って来る。自然に息一杯に空気を吸い込みたくなる。梅の咲く辺りの空気とそして身体全体に春到来の喜びをかみしめながら歩いておられる爽やかさが伝わって参ります。 (佃 康水)
○今日の俳句
牛鳴いてサイロの丘に草萌ゆる/佃 康水
サイロのある丘に草が萌え、牛の鳴き声ものどかに聞こえる。あかるい風景がのびやかに詠まれている。(高橋正子)
○浅蜊
★浅蜊に水いっぱい張って熟睡す/菖蒲あや
淡水の多少混じった砂泥の浅海に埋没して棲息する二枚貝。潮干狩の最たる獲物である。川が流れ込む砂浜で、浅蜊はよく取れる。今は春に限らず、養殖の浅蜊が手に入り、砂出しの必要もないものが多くなった。我が家でもよく食べる貝で、一番好きなのは浅蜊のお汁。食べた後の殻はきれいに洗って乾かし、小布でくるんで遊んだことがある。中学生のときに、多摩美大から教生の先生が来られて、貝殻をデザインする授業だったが、熱心に描いた。教頭先生のご子息で、詰襟姿で教壇に立たれたが、本当の美術って、こんなのかなと中学生に思わせてくれた。
小学2,3年の頃だったと思う。近所の人たちが数キロ先に浮かぶ無人島に浅蜊掘りに行くのに誘われた。この島は源平合戦のとき、義経が矢を放って浮き流れているのを射とめてその位置にとどまったという島で「矢の島」と呼ばれて、お椀を伏せたようなごく小さい島である。無人島なので、もちろん桟橋や舟着き場などない。小舟を砂浜に寄せて海水を歩いて島に上がる。子供の私には浅蜊はほとんど採れなかったと思うが、それはまだよい。帰るときその島に独りおいてきぼりにされかかったのだ。誰かが気付いて舟に乗せてくれた。海の水の緑ふかい青さと島の緑が異様に恐ろしく思えた。
松山にいたころは、海辺に出かけて何気なく砂を掘ると小さな浅蜊を見つけることがあった。少し拾って、夜は申し訳程度の浅蜊汁にしたが、けっこう楽しいことである。
★浅蜊貝模様さまざま波に似て/高橋正子
◇生活する花たち「椿・梅の落花・モモザ」(横浜日吉本町)

★梅林の影あわあわと草にあり 正子
梅の花の咲き様は、例えば桜と比べてあまり濃密ではなく、その地の影も幽かです。地も草が萌えたばかり。梅林のぼんやりとした姿と若草の真新しい色合いが溶け合って、見る目にやさしく映ります。(小西 宏)
○今日の俳句
蝋梅の向こう甍とひかる海/小西 宏
蝋梅越しに、甍と光る海が見える景色。海辺の景色だが、甍があることによって句が絵画的になった。(高橋正子)
○クロッカス
★サフランや雪解雫の音戸樋に/星野立子
アヤメ科クロッカス属の総称。耐寒性があり、早春開花するのは花サフランの類で、松葉の形をした細長い葉を3,4枚出した間から花茎を抽出しその先に蕾がつく。匂いのいい華麗な六弁花は白、黄、紫、絞りなどで地上すれすれに咲く。日中は咲いて夕方しぼむ。アルプス原産。ただし、薬用サフランは秋に咲く。
早春、庭を歩くと、植えっぱなしにしていたクロッカスの松葉のような葉が地面に出て、踏みつけそうになる。実際はその前に勘が働いてか、気付いて踏んだことはないが、葉が出れば、花が待ち遠しい。地面すれすれに、日がさせばふっくらとした花が開く。春の日差しに輝くように咲く花は可憐とも華麗とも。原産地はアルプス。黄色い花と、白・紫は種類が違うそうだ。
晩秋に咲くサフランは、生家の日当たりのよい裏の段丘にあって、その赤い蕊を丹念に摘み取り、庭の縁台で新聞紙に広げて乾かした。祖母と私たちの仕事であったが、ほんのわずかしかとれなかった。これは、風邪薬となったようだ。サフランの花に入ったあの筋はなんだろうとずっと思っていたが、「アヤメ科」と知ってなるほどと思った。
★クロッカス塊り咲けば日が集う/高橋正子
★紫の白のクロッカスアイガーに/高橋正子
◇生活する花たち「山茱萸(さんしゅゆ)①・山茱萸②・満作」(横浜四季の森公園)

★さきがけて咲く菜の花が風のまま 正子
○今日の俳句
猫柳水の光りを纏いけり/黒谷光子
川べりの猫柳であろう。川の水のきらめきを受けて、猫柳の銀色の蕾が水の玉と見まがうように輝く。こころの弾む早春の景。(高橋正子)
○第7回きがるに句会入賞発表
ご挨拶
正月から始めた「きがるに句会」も第7回を迎えました。おとといは、本当に春が来たような日差しが溢れて暖かでほっとしたものでした。今日は雨模様で少し寒さが戻っていますが、皆様の句に、弾んだ気持ちやしなやかな感性の句がたくさんあって、この冬の寒さともそろそろお別れかな、と思いました。ご投句と選、コメントをありがとうございました。特別招待選者の皆様、選とコメントをありがとうございました。次回は第8回です。ご投句をお待ちしています。これで第7回句会を終わります。(主宰 高橋正子)
【最優秀/2句】
★たんぽぽの野に散らばれる低さかな/津本けい
「低さかな」は、言えそうでなかなか言えない。野に咲くたんぽぽは、まだ風も冷たいせいか、丈が低く野にへばりつくように咲いている。野に咲くたんぽぽの景色を平易な言葉でうまく表現した。(高橋正子)
★バケツありて男の汲める水温む/川名ますみ(信之添削)
男が汲んだバケツは、頼もしい男の腕でなみなみと汲んだ水がはいっているバケツ。この水を見ていると、やわらかで、光がまじり、「水温む」を実感させてくれる。あかるい心境が詠まれて、読み手にも明るさが与えられる。(高橋正子)
【高橋正子特選/5句】
★乙訓は風吹く丘ぞ菜花咲く/桑本栄太郎
乙訓は、長岡京があったところとして知られるが、丘に菜花が咲きやわらかな起伏を彩っている。風もやわらかに菜花をなでてゆく。「乙訓」がよく効いている。(高橋正子)
★カットする鏡に淡きチューリップ/祝恵子
髪をカットする様子が鏡に映っているが、その鏡に淡い色の、おそらく淡いピンクのチューリップが映っているのだろう。「淡い」と言ってチューリップの色や形を読者にゆだねたところに春らしさが出た。鏡の中に明るくやさしい春がある。(高橋正子)
★沖よりも甍の光り春めけり/多田有花(正子添削)
★陽をまとい子らブランコを宙に漕ぐ/小川和子
★遠汽笛空へ弾ませ風二月/藤田裕子
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◇生活する花たち「山茱萸(さんしゅゆ)・木瓜・三椏の花」(横浜四季の森公園)

伊豆河津
★菜の花に蛇行の川の青かりし 正子
春の川は絵の具を溶かしたように青く、流れはさらさらと歌うよう。蛇行する汀に菜の花が明るく咲く風景を詠われ、春の訪れを実感し浮き浮きと致しました。 (津本けい)
○今日の俳句
たんぽぽの野に散らばれる低さかな/津本けい
「低さかな」は、言えそうでなかなか言えない。野に咲くたんぽぽは、まだ風も冷たいせいか、丈が低く野にへばりつくように咲いている。野に咲くたんぽぽの景色を平易な言葉でうまく表現した。(高橋正子)
○今日の秀句/高橋正子選
きがるに句会に投句された句を秀句の対象とする。
○2月19日
★伐りて来し庭の白梅供花とせり/小口泰與
○2月20日
★たんぽぽの野に散らばれる低さかな/津本けい
「低さかな」は、言えそうでなかなか言えない。野に咲くたんぽぽは、まだ風も冷たいせいか、丈が低く野にへばりつくように咲いている。野に咲くたんぽぽの景色を平易な言葉でうまく表現した。(高橋正子)
○2月21日
★沖よりも甍の光り春めけり/多田有花(正子添削)
○2月22日
★野に山にしるき響きや雪解川/佃 康水
○2月23日
★水温む男の汲みしバケツあり/川名ますみ
男が汲んだバケツは、頼もしい男の腕でなみなみと汲んだ水がはいっているバケツ。この水を見ていると、やわらかで、光がまじり、「水温む」を実感させてくれる。あかるい心境が詠まれて、読み手にも明るさが与えられる。(高橋正子)
○2月24日
★乙訓は風吹く丘ぞ菜花咲く/桑本栄太郎
乙訓は、長岡京があったところとして知られるが、丘に菜花が咲きやわらかな起伏を彩っている。風もやわらかに菜花をなでてゆく。「乙訓」がよく効いている。(高橋正子)
▼きがるに句会のブログ
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◇生活する花たち「山茱萸(さんしゅゆ)①・山茱萸②・満作」(横浜四季の森公園)

★青空の果てしなきこと二月なる 正子
未だ寒い二月ですが、それだけに空はあくまで青く、果てしなく澄みわったています。浅春の冷気と透明感が快く伝わって来る御句です。 (河野啓一)
○今日の俳句
水音して箕面連山春浅し/河野啓一
「水音して・・春浅し」の感覚がいい。箕面連山を行くと、ころころと水音が絶えずしている。自然に身を入れると、確かに春が来ている。(高橋正子)
○海苔
★濡れ岩の乏しき海苔を掻く音す/渡辺水巴
★海苔網を押しあげてゐるうねりかな/斉藤梅子
紅藻類や緑藻類の苔状海藻類の総称。一般には食用紅藻類の甘海苔をさす。天然の海苔の採取は、古くから行われていたが、養殖が始まったのは江戸時代から。秋から春にかけて収穫される。現在でも養殖は盛ん。乾燥させたものが干し海苔。
私の記憶では、春先、寒さが緩み始めると、農家の主婦たちは隣近所を誘って岩場へ海苔掻きに出かけていた。当時母は一時家業としていた備後表の生産で忙しかったので海苔掻きに出かけたことは一度もなかったので、収穫した海苔を醤油と砂糖などで甘辛く煮たものがどんなにおいしいか友人達の話を聞くだけであった。しかし、私の想像癖は、海苔掻きの現場の風景を鮮明に想像することができた。その海の濡れ岩に海苔がへばり付いているのを見ていたし、海水がどの程度ぴたぴたと寄せて揺れるか、またそういう時農家のおばさんたちがどんな話をし、どんな格好をするかなど、知っているからであるが。収穫した海苔は鍋一杯に炊かれてご飯のおかずになったようだ。浅蜊掘りと並んで農家の主婦の楽しみとなっていた。瀬戸内海苔として養殖される海苔粗朶も違う海にあった。海苔粗朶が夕陽にひたと輝く光景は穏やかで美しい。
★海苔洗う清冽な水に母の指/川名ますみ
★農婦らの海苔掻く声の岩にあり/高橋正子
◇生活する花たち「梅」(横浜大倉山梅林)

★はつらつとまたかがやかにヒアシンス 正子
葉も茎も上に向かって元気はつらつとし、また花がたくさん咲いていい香りを放ちかがやかしく見えます。冬に耐え春になって生命力を発揮するヒアシンスに、愛おしさを覚えました。 (藤田裕子)
○今日の俳句
にぎわいを芽木に残して目白飛ぶ/藤田裕子
目白の季語は、その繁殖期である夏とする歳時記、また秋とする歳時記がある。実際に人里でよく見られるようになるのは秋の終わりごろから。椿のころはよく庭に来る。芽木のころも丁度このころ。チリチリという小さな声ににぎわう芽木は、早春のあかるさに満ちている。(高橋正子)
○豆の花
★そら豆の花の黒き目数知れず/中村草田男
豌豆の花、そら豆の花、スイートピーなどが豆の花に入る。そら豆や豌豆の収穫は初夏となるが、それには春先花が咲かねばならない。草田男のそら豆の句は、まさにそのとおり。うす紫の縞模様の花の中心部が黒い。形が目と見える。散歩していると、そら豆のいくつもの目と合う。
支柱を組んだ豌豆には、白と赤い花が咲き、別の畝にはそら豆の花が咲く畑の光景はなじみのものだ。おびただしい白い花は胡蝶のように軽やかだ。この花は来るべき初夏のために花を咲かす。さや豌豆も実豌豆も初夏の一番いい季節に実を結ぶ。白い飯に緑の水玉が散らばる豆ごはん。翡翠のように豌豆を煮たもの。ちらしずしに混ぜ込んださやえんどうの緑。こういった食の楽しみを提供するべく咲く豆の花は見ても鑑賞できる花だ。
スイートピーは、朝顔の垣を利用して秋に垣の根もとに種を播くと、春には弦が絡まって数知れないのスイートピーの花が西窓を覆った。
★スイートピー眠くなるほど束にする/高橋正子
◇生活する花たち「梅①・梅②・蝋梅」(横浜日吉本町)

伊豆
★わさび田の田毎に春水こぼれ落つ 正子
水がきれいでなければ育たない、と知られるわさび。今、その段畑に流れる春水は、さぞまばゆいことでしょう。田の一枚ごとに、清澄な水が、満ちては「こぼれ落つ」。わさび田の生きている様が響きます。(川名ますみ)
○今日の俳句
梅ひとつ咲いて朝餉の一時間/川名ますみ
ゆっくりと進む朝餉の間、ほのかに香る一輪の梅の花。一輪の梅が咲いたよろこび、心が洗われる気持ち、それが意外にも大きい。(高橋正子)
○八朔
八朔は、晩柑類の代表といってもよかったが、最近は伊予柑におされてあまり人気はないようだ。食べた後、ほんの少し苦みが残るが、果汁が少なめで、果肉がしっかりして手を汚さず食べやすいのが取り柄。
子供のころ庭に一本八朔の木があって、ひと冬、家族、主には子供のおやつとして食べるだけ十分あった。驚くべくたくさんの実がついた。収穫した八朔は、りんご箱にもみ殻を入れたなかに保存し、蔵に入れられた。土蔵の冷暗所に保存されていたわけだ。もみ殻がつかないように、セーターの袖をたくし上げ箱に腕を入れて掴み出す。お菓子がほとんどない時代。(チョコレートは高校生になって友だちにもらって初めて食べたくらいです。)遊んでいる途中、喉がかわくと家に帰って八朔を持ち出し、友達と食べたりした。よその家には伊予柑に似た私たちが「だいだい」と呼んでいた果物があったので、友達が家から持ち出してきて食べた。これはどこの親たちにも内緒のことであったが。ところがある日、あれほど実を付けて元気だったのに、突然にこの八朔の木が枯れた。その一日で枯れたわけではないだろうが、「ある日突然に」という印象だった。根もとから掘り起こされて燃やされたが、家の没落がいよいよ目に見えて始まるかのようだった。八朔の味のように、いまだにかすかな苦さを覚える。
★八朔を蔵より出せば日が当たる/高橋正子
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)
★賽銭を放りて拝む梅の寺 正子
古くから梅の名所として親しまれているお寺なのでしょう。梅の花咲くあたたかさに、境内の澄んだ空気の中で賽銭の音が軽やかに響き、明るい春を告げてくれるようです。(藤田洋子)
○今日の俳句
街筋の昼月ほっと梅開く/藤田洋子
街筋の空を見上げれば、白く透明感のある昼の月が浮かんでいる。昼月を遠く梅が開いて、昼月と梅との美しい出会いがある。(高橋正子)
○伊予柑
伊予柑は、愛媛県の「宮内」というところに原木があるらしい。正月があけ、蜜柑に酸味が抜けてくるころいわゆる晩柑類が出始める。八朔や伊予柑などがそうであるが、以前はもっと遅く2月の半ばごろから3月にかけて出荷されていたように思うが、今ha
もっと早くなった。柑橘らしいよい香りと果汁がたっぷりある。果汁が多すぎて手を汚すこともしばしばだが、風邪気味のときなど風邪が抜けそうでうれしい。春一番が吹き、戸外はうすら肌寒いが空は明るい。以前は国立大の入試や、卒業式のあったころ。歓喜や落胆、別れ、また祝など悲喜こもごもの、ニュアンスのある季節。料峭の空気感と合わせて食べれば美味しさのニュアンスも増すというもの。
★風吹ける一日伊予柑香らせ食ぶ/高橋正子
◇生活する花たち「梅・三椏の花・菜の花」(伊豆修善寺2011)
★二月はや雛の鼓笛を持たさるる 正子
実にうまいと思います。技巧のすぐれた句は、余韻の無いさ末主義におちいりやすく、ただ興がっただけの、空疎な嫌味の句になりかねないものですが、この句は、そうならない前、ぎりぎりの句のように思えます。(川本臥風)
○第6回きがるに句会
昨日正午、第6回句会入賞発表を済ます。
◆ご挨拶◆
第6回きがるに句会にご参加いただき、ありがとうございます。入賞の皆さまおめでとうございます。特別招待選者の皆さまには、選とコメントをありがとうございました。インフルエンザが猛威をふるっていると今朝の新聞報道にありました。お気をつけください。梅が開くのを待っておりますが、まだちらほらですので、今年はよほど寒いのでしょう。これで、第6回きがるに句会を終わります。次回を楽しみに、ご健吟ください。(主宰/高橋正子)
◆最優秀/2句◆
★春植えの畝の支度や鍬光る/古田敬二
春に植えるものには、じゃがいもなどがあるが、その畝の支度に余念がない。振り上げる鍬も早春の光に光るという耕しの楽しさがある。(高橋正子)
★蝋梅の向こう甍とひかる海/小西 宏
蝋梅越しに、甍と光る海が見える景色。海辺の景色だが、甍があることによって句が絵画的になった。(高橋正子)
▼その他の入賞句:
http://blog.goo.ne.jp/kakan02c/
○いぬふぐり
★いぬふぐりここより野路の視野展け/稲畑汀子
★こんこんと日は恙なし犬ふぐり/森澄雄
野原や路傍などに多いきわめて小さな二年草。早春の陽光あふれる日には小さな花々が太陽に向かっていっせいに歓声をあげているように咲きにぎわう。しかし実際は真冬のうちから他の花に先駆けて少しは咲きだしている。その名は犬のふぐりに似ているところから来ている。「おおいぬのふぐり」。
★青空の青を返して犬ふぐり/渋谷洋介
犬ふぐりは、地に咲く星に例えられたり、その他、いろいろな表現で称えられてきた。この句のよさは、「青を返して」にある。青空の青を映し、その青をまた空へそっくり返す。この力が花の生命力、あるいは生命感というものであろう。(高橋正子)
★少女らの明るく飛んで犬ふぐり/高橋正子
★空のしずくこぼれてここに犬ふぐり/高橋正子
○今日の俳句
池をめぐる樹々それぞれの木の芽張る/矢野文彦
早春の池の水の色と芽木の枝の張りに早春の淡さ、また、緊張感や芽ぐむものの希望が感じられる。(高橋正子)
◇生活する花たち「河津桜」(伊豆河津2011)