★年逝かす蘭の華やぐ丈見上げ 正子
一日一日と慌しくなる年の瀬ですが、花茎を高く上げて咲く見事な蘭の花々に、心和み明るくなります。その華やかな存在感に、過ぎ行く年の感慨と、来る年を迎える新たな喜びも感じられます。(藤田洋子)
○今日の俳句
一しきり霰の音を硝子戸に/藤田洋子
急な冷え込みに、霰が一しきり降り、硝子戸を叩く。家居の静かさを驚かす天気の荒れに、冬の緊張がある。「一しきり」が詩情を生んだ。
○花冠ネット句会の15年(1997年~2011年)
俳句雑誌「花冠」の前身である「水煙」がホームページを立ち上げたのは、平成8年(1996年)11月27日で、花冠ブログ句会の前身の俳句掲示板を開設したのは、その1年後の平成9年(1997年)11月7日である。花冠ブログ句会は、前身の俳句掲示板開設以来、足掛け15年、満14年を超える歳月の殆ど毎日を俳句勉強の場とし、日々の精進を重ねてきた。これらの業績は、俳誌「花冠」の仲間が誇りとするところである。花冠の歴史は、ネット時代の15年とそれ以前の歳月を加えると30年近くのなる。花冠創刊以来の発行所の仕事、花冠の編集、会計などを一貫して引き受けてきたが、花冠が今あることを私の誇りに思っている。
http://suien.ne.jp/0003/dk/
俳句がNHKをはじめ、マスコミに大いに取り扱われている現状で、よくもここまで来れた、そして、おそらく、まだ続けていけるだろうと思って今年の年の瀬を迎えている。
○はなかんざし
先日友人に花冠をあげたら、お返しに「はなかんざし」の鉢植えをくれた。「これ何の花かわかる?」というので、「はなかんざしでしょ。」というと、「よく知ってるね。」と驚かれた。もらったときは、蕾だったが、ようやく開き始めた。寒いせいか、なかなか開かない。手でさわっておどろいたのだが、花びらは、麦わら草のようにカラカラなのだ。見ているかぎり柔らそうな花びらなのに。プラスティックの鉢をアルミホイルでくるみ、さらに包装紙でくるんでリボン結んで、テーブルに置いている。
花鉢を抱えて出れば冬の星 正子
◇生活する花たち「野菊・落椿・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

★水仙の香を吸いながら活けており 正子
水仙はややうつむき加減の清楚なたたずまいとともに、あの香りが素晴らしいですね。それをいっぱいに浴びながら活けておられる、水仙のような心持を思います。(多田有花)
○今日の俳句
雲がゆく冬田に大き影落とし/多田有花
秋に刈り取られた田は、ひつじなどもすっかり枯れて、寒風が吹き過ぎる冬田となった。大きな雲が影を落として行くこともある。冬田に見た大きな雲の影が心象ふかく刻まれる。
○数え日
数へ日の白雲とゐて山仕事/友岡子郷
俳句の季語に「数え日」がある。冬の季語で、年の暮れに残る日数が少なくなることをいう。年末のあわただしさがあるが、一年を振り返って、人それぞれの感慨を抱く。
いよいよ年末となった。昨日は、田作りを作り、黒豆を煮はじめた。田作りは、醤油、砂糖、清酒のこれだけで味を付ける。みりんも水あめも入れない。黒豆は、砂糖、醤油、重層で煮る。醤油を少々入れることで、ほかの料理から甘さが浮き離れない。塩かずのこの塩抜きは、明日の予定。今年は長男夫婦もトルコに旅行して来ないので、この三肴と、なにか好きなもので済ませる。こういう正月は、はじめてである。
友岡子郷の句にある数え日の山仕事で、思い出すことがある。年末になると、正月に使う裏白を山へ採りに行く。松と梅の枝を切ってくる。神仏に立てる榊を切ってくる。これらは父が主にしていた。付いていくこともあったが、どっさりと切って来られたこれらを見て、正月が来るんだと子ども心にも思った。年末の山は、特別の大風が吹かない限り暖かいのだ。木に風が遮られて、松葉や落葉があって、寒いことは寒いがほっこりとしている。年末のこういう山が好きであった。
◇生活する花たち「椿・水仙・野ぶどう」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

★南天の実も水音もかがやかに 正子
今、どの道を行ってもたわわに実南天が輝いています。この頃の池や川の水は澄んで厳しい冷たさを想像致しますが、それを「水音もかがやかに」と詠まれたことで、南天の実の輝きが更に強調されると同時に愈々お正月が来るんだなと高揚感を覚えます。(佃 康水)
○万両
万両はヤブコウジ科の常緑小低木。林内に生育し、冬に熟す果実が美しいので栽培され、特に名前がめでたいので千両などとともに正月の縁起物とされる。東アジア~インドの温暖な場所に広く分布する。日本では、関東地方以西~四国・九州・沖縄に自生するほか、庭木などとしても植えられている。高さは1mほど。根元から新しい幹を出して株立ちとなる。葉は縁が波打ち互生する。果実は10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで枝に見られる。古典園芸植物のひとつで、江戸時代には多様な品種が栽培された。
横浜日吉本町に住んでいるが、百両を見かけたのは、ご近所では一軒だけで、万両は千両と並んで町内の庭先でよく見かける。数年前、町田市の里山に出かけたが、その山に自生の万両を見た。そして、東海道53次の戸塚を過ぎて、藤沢の遊行寺の近くの遊行坂の山にやはり、自生と思われる万両を見た。生家にもあったが、これを父は実のついた万年青とともに大事にしていた。あまり育たず、増えずの感じだったが、横浜では、いたるところで見かける。四国の砥部の家にも万両があったが、いつの間にか、塀沿いに万両が増えて育っていた。実がこぼれたのであろう。
○今日の俳句
初雪や下校の子等の髪光る/佃 康水
寒いながらも初雪に、はなやぎがある。下校の子どもたちの髪に初雪がちらちらと降りかかって、髪が光って見える。「髪光る」は、観察のよさ。
○クリスマスにiPad2を句美子からプレゼントされた。まずは、カテゴリーからブックを選んで「世界の美術100」をタッチすると、「キリスト教とは」と題して、絵があらわれて絵解きのようになってキリスト教の説明があった。色がきれいで、パステル調か。パソコンとは、少し違う感覚だ。
明け白む窓よ今日はクリスマス 正子
◇生活する花たち「椿・水仙・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)

★柚子の香に頬のほのかに温まる 正子
料理用に絞った柚子の香りから、作者は二,三日前の冬至湯の湯気と香りを想い出された、と解釈しました。温かいのびやかな情趣を感じる御句です。(河野啓一)
○今日の俳句
★ポインセチア赤し街にも我が家にも/河野啓一
ポインセチアは、クリスマスの花として街を飾り、家にも鉢植えなどで飾られて、楽しく明るい雰囲気を醸している。「街にも我が家にも」は、市民的で家庭的であるが、足りている世界。それが読み手に快く伝わる。
○千両
千両はセンリョウ科の常緑小低木。東アジア~インドに分布し、日本では南関東・東海地方~九州・沖縄までの比較的暖かい常緑樹林下に自生している。また冬に赤い果実をつけ美しいので栽培される。高さは50~100cm。葉は対生。花は黄緑色で7~8月頃に咲き、果実は10月頃から赤く熟し、翌年2月頃まで見られる。名前がめでたいので万両などとともに正月の縁起物とされる。
千両は生家にはなくて、砥部の家の玄関脇に赤と黄色を植えていた。植木屋さんの勧めで植えたと思う。万両は日当たりがいらないが、千両はいると聞いている。間違いかもしれない。正月花に赤い千両一枝切って入れたいと思うが、一枝切ると間が抜けたような姿になるので、正月花には花屋で買っていた。先日東海道53次の戸塚から藤沢まで歩いたときには、お寺などに千両をあきるほど見た。こちらのお寺は千両がお好きなようだ。
◇生活する花たち「木瓜・花八つ手・南天の実」(横浜日吉本町)

★山中に鵯鳴きわが身まっ二つ 正子
「まっ二つ」との言葉は鵯のあの鳴声ならではと感じます。甲高く決して聞き惚れるような声ではありませんが、何か魂をゆさぶるようなところがあります。 (多田有花)
○今日の俳句
猪狩を外れし犬と出会いけり/多田有花
猪狩をしてきた犬と山道で出会った。「外れし」が犬をうまく言いえている。猪を追い、山中を駆け回った犬と、今は静かに山を下る犬との対比が読み取れるのである。
○長男夫婦の元、奈津子が来る。葛飾区のNTT社宅に住んでいて、元は、コンピュータが専門職。句美子がブッシュド・ノエルを作ってくれる。句美子は、今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っていて、教室で作ったお菓子を持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。
○水仙
町内のあちこちで水仙が咲き始めた。正月が近い。
水仙について脳裏にある光景がある。昭和30年代前後、家庭では、着物や布団などを洗って仕立て直していた。洗った布は、糊づけして皺を伸ばすために、板張りや針子張り(しんしばり)にしていた。木綿は小麦粉で作った糊を使うが、銘仙など絹ものは、水仙の糊を使っていた。水仙の葉を切ると、滴る水のような透明な液で良い香りがする。この液にひたして、針子張りにした布が、庭いっぱいにゆれていた。それもなぜか、水仙の花が咲いている時期に限られていたように思う。糊に使うだけの水仙が庭に咲いていたとも言えるが。冬ばれのうららかな日と共に思い出す。
◇生活する花たち「水仙」(横浜日吉本町)

鎌倉・報国寺
★竹林の千幹二千幹が冬 正子
お寺の境内の竹林。一本、一本の竹のすっきりした姿と数多くの竹が戦ぐ様子がうかがえます。きっぱりとした冬らしい句だと思いました。(井上治代)
○今日の俳句
冬鵙に雲一片もなかりけり/井上治代
一片の雲もなく晴れ渡った空に、けたたましいはずの冬鵙の声が、のびやかに聞こえる。
○今日は、天皇誕生日の祝日なので、句美子はお休み。明日は、長男夫婦の元、奈津子が訪ねてくるので、句美子はブッシュド・ノエルを作ってくれる。今田美奈子先生のお弟子の先生のお菓子教室に通っている。そして作ったお菓子は持って帰ってくれるが、味は洗練されているなあと、いつも感心する。一番喜んでこのお菓子を食べるのは、お酒好きの信之先生である。
○侘助
侘助は原種ではない。ピタールツバキとツバキとの交雑によってウラクツバキが生まれ、そのウラクツバキの子や子孫としてワビスケが誕生したのであろう、といわれている。ウラクツバキやワビスケは、子房に毛があることが多い。
侘助は椿と違って、花が開ききらない咲き方をし、花も小さい。お茶花として人気が高いのは、花の姿に品格があるからであろうと思う。松山の郊外の砥部の家には、肥後、乙女などさまざまな種類の椿をたくさん植えていた。花が満開となるときは、地に積み重なるほど花が落ちた。初冬、庭に「初あらし」という白い椿が咲いた。そうして、すぐ横にある柊の銀色の花が高い香りを放つころになると、ぼつぼつと侘助が咲いた。わが家にあったのは、赤い侘助。備前焼に入れるとよく映る。「助」というのは、小僧っ子らしい。そういうほうから見ると、品格だけではなく、滑稽さも感じないでもない。侘助は、何年たっても大きくならなかった。わが家では、椿もあまり大きくならなかったが、唯一2メートルくらいのは、玄関の戸を開けると見える白い椿。この椿は葉が幾分よじれる癖があった。わが家の裏は遊歩道があって、フェンスの向こうは谷になって、谷底を砥部川が流れていた。その川崖の上のほうに藪椿がよく咲いたので、ちょうど手を伸ばせば花に届いたので、時どき、一枝折って籠に活けたりした。普段、侘助を椿と区別して眺めることはない。
◇生活する花たち「侘助①・侘助②・フランス柊」(横浜日吉本町)

★桜冬芽空にもっともたくましき 正子
12月になり桜の木に冬芽がみられるようになりました。その冬芽の先には空があり、寒さに負けないたくましさが自然が感じられます。(高橋秀之)
○今日の俳句
丸ごとの大根抱えてただいまと/高橋秀之
下五の「ただいまと」がこの句の命であって、作者の思いは、この言葉に尽きる。そう読み取れば、「丸ごとの大根抱えて」も、みずみずしく頼もしい。
○冬至
★広告塔かけのぼる冬至の夜空/川本臥風
冬至の夜空は、早く暮れてすでに真っ暗である。その夜空にネオンサインの広告塔がある。漸次点灯するネオンなので、光が夜空へかけのぼっているように見える。冬至という一年で最も昼間が短い特別な日の夜空であるので、漆黒の夜空に点る広告塔が生きもののようである。(高橋正子)
○柚子風呂
冬至には、かぼちゃを食べて柚子風呂に入る、とういうのが決まった冬至の過ごし方だが、子どものころは、かぼちゃは夏に収穫したものを冬至用にとっておいたのを煮て食べさせられたので、おいしいはずもなかった。柚子風呂は、子どものころの記憶にないが、冬のあいだは、食べた蜜柑の皮を布の袋に入れてお湯に浮かしていた。これでもよい香りがしていた。結婚してからは、柚子を買ってきて柚子風呂をたてている。子どもたちはぷかぷか浮く柚子をボールのようにして面白がったが、私も浮いている柚子をあっちへやったり、こっちへ寄せたりして楽しんでいる。そうすれば、一句浮かぶか、という算段でもある。
○フェイスブック句会
第7回フェイスブック日曜句会を12月11日に開催。最優秀は、
★山茶花や軒端の薪の真新し/古田敬二
山茶花が咲き、軒端には真新しい薪が積み重ねられて、本格的な冬を迎える準備が整った。「薪の真新し」がさっぱりとしている。(高橋正子)
に決定した。次回のフェイスブック句会は、正月3日のフェイスブック新年句会。
http://blog.goo.ne.jp/kakan106
◇生活する花たち「木瓜・ローズマリー・イソギク」(横浜日吉本町)

★柚子の香に頬のほのかに温まる 正子
お風呂でぽかぽかと、身の回りに柚子を浮かしては手に取り、香りを楽しんでおられます。(祝恵子)
○今日の俳句
わさわさと大きな蕪の一輪車/祝恵子
一輪車をはみ出して「わさわさと」運ばれる蕪の葉がまことに生き生きしている。
○百両
冬になると、赤い実をつけた植物が多くなる。庭にあるものでは、万両、千両、百両、十両、と揃って見られることもある。こういう我が家の庭(四国に住んでいたころのことだが)にこれらが全部そろっていた。十両はやぶこうじのことで、木の下の苔が生えているところに植えていた。もとは、山に出かけてとってきたものを植えたが、丈が低くて、地面に近くに実を付ける。普段着感覚の実物で冬の庭が楽しくなる。
横浜当たりの山には、万両がよく生えている。千両は山で見かけたことはない。百両もない。万両、千両、十両があれば、あとは、百両があればそろえたいという人情に駆られて、植木屋さんにもってきてもらった。
◇生活する花たち「百両・千両・万両」(横浜日吉本町)

★木賊生う地より突き立つ濃き緑 正子
貝原益軒は「草の色みどりにして、目をよろこばしめ、観賞すべし」と言ってますが、緑の茎は80センチぐらいになり、枝分かれせず真っ直ぐに伸びていますね。力強い素敵な句ですね。(小口泰與)
○今日の俳句
朝日浴びわが影冬田越えゆけり/小口泰與
写生句で、特に人を驚かすような句ではないが、作者の素直な感動があって、作者の姿がありありと見えてくる。冬朝日差し来る田園地帯のひろびろとした中で、「わが影」は印象的であり、作者の主体性が強く出た。俳句は、独創性といったことよりも「私」の主体性が重要だ。
○東海道五十三次(日本橋~大磯宿)を歩く/高橋信之
日本橋
春浅き日本橋を渡りけり
品川宿
春旅の気ままさに煎餅を買う
川崎宿
川向うは宿場よ春の雲浮かせ
神奈川宿
銀杏芽木欅芽木立ち吾もここに
保土ヶ谷宿
さわやかに案内され厠を借りる
戸塚宿
歩けば歩けば秋青あおとして高し
藤沢宿
黄葉散る坂下り行けば宿場なる
平塚宿
宿場本陣銀杏黄葉の振りしきる
大磯宿
海が近くにあるらし寒き空を立て
◇生活する花たち「石蕗の花・オウバイモドキ・山茶花」(東海道53次/平塚宿~大磯宿)

藤沢宿
★山茶花の一樹咲き添う古き壁 正子
次第に寒くなる初冬にあって、山茶花には心安らぐ温かみを感じます。「古き壁」にはさまざまな情景を思うことをお許しいただけると思いますが、私は歴史あるお寺の塀を思い浮かべました。白壁を背に一樹いっぱいの紅と緑を思います。(小西 宏)
○今日の俳句
機首上げてプロペラ高し冬木立//小西 宏
句意がはっきりして、軽快な句。機首を上げているプロペラ機に対して、冬木立と空が明るい。
○栴檀の実
松山から横浜に引っ越してきて、ひとつの心配があった。松山でいつも見ているような植物があるだろうか、ということ。栴檀もそのひとつ。古い名前は「樗(おうち)」。薄暑のころ、薄紫の花をつける。松山の石手川添いにあったし、住いの近くの総合公園の山にもあった。道後にも大きな木があるし、松山の城山にもある。黄色くもみじした葉が散ると、金色の実が青空に散らばったようにくっきりと見える。栴檀の実はいつも空にある。
東京で栴檀を見たのは、初夏のころ、世田谷線の太子堂の駅の近く。世田谷線には、駒場の教養部に通う姪が世田谷の松原に住んでいたので様子を見に二、三度乗ったが、栴檀はたしかに太子堂の駅の近くにある。12月15日、東海道53次の戸塚宿から藤沢宿へ徒歩で向かう坂道で、民家の庭先に栴檀の実を見た。坂の上からは、藤沢の宿の空が見渡せる。栴檀の実が空に浮かぶ白い雲の上にあって、徒歩旅がにわかにのどかなものになった。ひっきりなしに走る車は視野の外において、昔の道中を想像しながらのどかさを味わった。
◇生活する花たち「野菊・落椿・栴檀の実」(東海道53次/戸塚宿~藤沢宿)
