★キツネノカミソリ秋の初めの木下闇 正子
木下闇の中にキツネノカミソリの明るい朱色にはっとさせられます。色彩のコントラストに1枚の絵画を見ているように感じました。キツネノカミソリ(狐の剃刀)とは、葉の形が剃刀に似ていることから、山の中で狐が使う剃刀と連想されて名付けられたたようです。咲く時に葉が無いのは彼岸花と似ています。同じヒガンバナ科なのですね。(後藤あゆみ)
○今日の俳句
無花果の数多なれるもまだ青かり/後藤あゆみ
暑さがようやく一段落するころ、無花果の葉がくれに青い実が驚くほどたくさん生る。青くて固い実に初秋の空気が感じられる。下五の「青かり」は、文語破調の問題を残すが、よしとした。(高橋正子)
○藤袴
藤袴山野の空の曇り来し 正子
藤袴を教えていただいたのは、高校の国語の時間で、武士が兜を着けるとき、頭が蒸れるので、藤袴を摘んで頭に載せてよい香りをさせていたということだが、ふるさとの山野では、藤袴を見たことはなかった。俳句をするようになって、どこかの家の庭先で見たのがはじめて。それから、山などへ、吟行すると、自分でも見つけたりして、その古武士的な色と、香りを楽しんだりする。女郎花に比べ、地味な花であるが、香りは、やはり日本の香りだ。
◇生活する花たち「桔梗・ポーチュカ・ブルーベリー」(横浜日吉本町)

★水に触れ水に映りて蜻蛉飛ぶ 正子
池畔を吹く風に乗り、翅を光らせて自在に飛ぶ蜻蛉。すいと水面に近づいたかと思うと、空の青さと池の辺のみどりを湛えた水にそっと触れ、薄く透明な翅を広げている。その軽やかで涼しげな水に映った姿を見ていると、心洗われるようです。爽やかな風が胸の奥まで吹きわたります。蜻蛉の一瞬の動きを鮮やかに捉えられ、澄明な詩の世界が広がっています。句のリズムもよく自然と口ずさみたくなります。 (柳原美知子)
○今日の俳句
秋茄子の不ぞろいなるも強靭に/多田有花
真夏の暑さが去り、朝夕が涼しくなってくると、茄子が生き生きとして美味しい実をつけるが、皮が傷んだようなのも、曲ったのも様々。「不ぞろいなるも強靭」なのである。(高橋正子)
○ ブルーベリー
ブルーベリー残暑の日矢に七色に 正子
ブルーベリーは、この夏は、わが家でも実をつけるはずだった。コープに注文して、花のついたブルーベリーの苗木が一本届いたからだ。2本以上あると実がつきやすいと聞いていたが、ベランダで育てるので1本にした。ところが、花が散ってしまって、実は全然つかなかった。近所の花屋でブルーベリーの実がついたものを1800円で売っていたので、これを見て、残念であった。1600円で買ったのに、貧相な苗。今年はあきらめ、来年を待つことに。
ある日、近所の畑の茂みを何気なしに見ていたら、その茂みはブルーベリーの茂みで、目をこらすと、沢山実がついている。別に売るためでもなさそうだし、採っている様子もない。散歩をしていれば、住宅の庭さきに小さいブルーベリーの木があり、実がついている。熟れるまでの実の色が、とりどりで、これもまた、かわいい。
最近は、ヨーグルトにかけるソースもブルーベリー、ジャムもブルーベリー、苺かブルーベリーか迷った時もブルーベリー、という具合に、よく食べる。冷凍のブルーベリーにグラニュー糖と水少々とレモン汁を入れて煮れば、あっという間にジャムに。
◇生活する花たち「萩①・萩②・つゆ草」(横浜日吉本町)
★梨の実に白雲の空広がれる 正子
実を結ぶ梨の上、見上げる白雲の空に心も澄みわたるようです。みずみずしい秋果の季節を迎えた喜びが、美しい秋空のもと清々しく伝わります。(藤田洋子)
○今日の俳句
秋涼し仏花の束を風に解き/藤田洋子
仏様に花を供えようと花束をほどくと涼しい風が吹く。花束にはリンドウなど秋の花もあってそれも嬉しい。「風に解き」で、いっそうさわやかな句となった。(高橋正子)
○生活する花たち
「生活する花たち」の写真をブログの俳句日記に載せている。わざわざ、きれいな花の写真を撮りに遠くまで出掛けなくても、生活するという重要なことからみれば、どこに咲いたって、それなりにきれいに咲いている。ま、よいところがあれば、写真に収めている。
○クィーン・ネックレス
夕涼に行き遭うクィーン・ネックレス 正子
「クィーン・ネックレス」という花がある。「女王様の首飾り」。女王様は、エリザベス女王以外には考えられない。わざわざ「クィーン」がつくところが、メルヘン的。この花のピンクが英国女王に似合っているようにも思う。蔓性の花らしく、案外丈夫で、いったん咲いて、剪定して、また咲いてを、しばらく繰り返しているようだ。ちょうど角の家にあるし、ピンクの小花がネックレスのように10センチほど連なっていて、珍しいので、通る人がよく名前を尋ねるらしい。本当の名前、学名は、なんとからしいが、覚えない。
◇生活する花たち「芙蓉・クィーンネクレス・風船かずら」(横浜日吉本町)

★梨の実に白雲の空広がれる 正子
○今日の俳句
さざめける稲穂の風の中に居る/桑本栄太郎
稲穂の上を風が渡ると、稲穂はさざめくような、快い音を立てる。吹く風も稲穂のさざめく音も、自然体で受け止められている。(高橋正子)
○風船かずら
風船かずらの丸い空気が風を待つ 正子
風船かずら。風船のように真ん丸く膨らんで、中に丸い種がある。この風船様の実をつぶしてパチンといわせたい衝動に駆られるのは、私だけではあるまい。見つけるとうれしく、実を玄関などに転がして置く。その小さい白い花も可憐なのだ。いつも、風に吹かれるのを待っているようだ。
○新聞を読む
今日の日経朝刊第1面に「新しい日本へ 復興の道筋を聞く(5)」と題して、セールスフォース・ドットコム会長のマーク・ベニオフ氏の意見が載った。昨日の、ビル・エモット(英エコノミスト元編集長)と同じように、「信頼」を取り上げていた。ベニオフ氏は、「信頼」を保証する「透明性」を求めた。
我々、海外の企業が日本で事業を展開するには、国家の信頼と透明性が必須だ。その意味では日本政府の原発事故への対応は不明瞭だったと言わざるを得ない。情報開示も遅れがちで透明性にも欠けていた。フィルターが掛かっていない生のデータをどんどん開示すべきだった。国民や企業も積極的に政府に情報開示を求め、得た情報をネットで広く世界に発信してほしい。
新しい日本は、信頼の上に築かれなければならない。自国の国民や企業に加え、他国や外資系企業の信頼を取り戻す必要がある。ネットを通じて世界の人々が瞬時に意見を交わせるソーシャルの時代だからこそ、信頼を最重視すべきだ。政府がSNSなどを使って必要な情報を開示すれば、信頼関係を取り戻すことにつながる。
※マーク・ベニオフ氏は、 1999年に米セールスフォース・ドットコム設立、企業向け「クラウドコンピューティング」専業の世界最大手に育てた。46歳。
○昨日の英エコノミスト元編集長、ビル・エモット氏の記事の文中に「経済学とは、単に統計や方程式を扱う学問ではなく、根本的には人間の行動を研究する学問である。そして人間の行動では、心理的な要素が重要な役割を果たす。」とあった。
ノーベル経済学賞をとった人の論文を、いつだったか、新聞紙上で読んだことがある。よくわからないにしても、日本の経済学者が言うこととは、全く違うと感じた。経済学も人間の幸福のためにある。人間とはなにかを根本で問題としている感じを受けた。日本の経済学者のいうことが、あまりにも非人間的で、金中心主義的である感じを受ている。が、世界では、そうではないことを知った。経済学も、人間への深い研究なしには成り立たない。
俳句だって、東洋的自然観、人間への深い洞察がなくして、本物と言えるか、だ。
○ビル・エモット氏の記事、「日本で政治が混迷しているのは、このコンセンサスと共同体の連帯感の欠如が原因である。理想をいえば政治家がそうしたコンセンサスの醸成を主導すべきだが、彼らの行動には、有権者のほか、メディアや実業界など影響力をもつ集団の意見や態度が反映される。いままさに政治家はコンセンサスと共同体の連帯感の欠如を反映している。」
俳句では、個人(有権者)の本当によいと思う句ではなく、メディアや団体の集団の好む(金銭的利害をたぶんに含むが)ものが反映されて俳句の混迷と衰退を招いている、と置き換えて考えられる。
◇生活する花たち「蔓花なすび・花トラノオ・秋海棠」(横浜日吉本町)

★きらきらと秋のポプラとなりいたり 正子
○今日の俳句
蓮は実を青々掲げそよぎおり/黒谷光子
蓮が実を青々とつけるころは、新涼。蓮の実の青さが新鮮に目を捉える。涼しい風も吹き始め、「そよぎおり」と動きもたのしませてくれる。(高橋正子)
○新聞を読む
今日の日経朝刊を読む。特集「経済教室」は、ビル・エモット(英エコノミスト元編集長)によるもので、いい記事であった。
「ニッポン再興の時 信頼感と連帯感取り戻せ」がそのタイトルであった。日本そして日本人のキーワードは、「信頼感」と「連帯感」である。そして<ポイント>として揚げられた三つは、
○日本で今後重要なのは企業や家計の信頼感
○政治混迷は社会的合意と連帯感の欠如原因
○製造業はいまや現代的でも日本的でもない
「信頼感」と「連帯感」に加えて、「現代的でもない」ことと「日本的でもない」ことが取り上げられた。
この記事は、日本の俳句、そして俳句作家にとってもありがたい提言だと思った。メデイアで取り上げられる著名作家達の俳句を読むと俳句に対する「信頼感」に欠け、俳句に関わる者たちの「連帯感」の欠如は、俳句結社・俳句雑誌の衰退に見られる。
外国人の眼は、日本の真実を見ているのではないか。本当のことを知ろうと思えば、少し離れて見ればよいのであろう。イギリスのビル・エモット氏の提言の「まこと」は、経済界のみならず、俳句に関わる日本人にとっても時期を得た意見であろう。
◇生活する花たち「洋種ヤマゴボウ・キツネノカミソリ・ミズキの実」(横浜四季の森公園)
★いつよりか燕無き空青澄める 正子
季節の移ろいによる喪失の寂しさ。しかしまた、新しいものとの出会いでもあるのです。ふと燕のいない空に気づいたとき、澄む秋の青を一層しみじみと感じます。(小西 宏)
○今日の俳句
球追えば芝に群れなす赤とんぼ/小西 宏
あおあおとした芝に球を追うと、そこは、秋が来ている。芝生に低く飛ぶ赤とんぼに、さわやかな風が立つ。イメージが鮮明で、句に力がある。(高橋正子)
○ツイッターとフェイスブックとブログとの連携
花冠同人のすべてがツイッターとブログに登録し、フェイスブックにもいく人かは登録した。ツイッターとフェイスブックは、きずなや友達を求め、広い意味でのSNS(Social Network Service/社会的ネットワーク)の1つといわれることもあるが、花冠では、それらの<連携>を重視する。私は、<ツイッター>、あなたは、<フェイスブック>ということではなく、一人の個人が<ツイッター>と<フェイスブック>との双方に登録し、その連携によって効果を増す。
▼ツイッター
http://twitter.com/about
▼フェイスブック
http://f-navigation.jp/about
▼花冠同人ブログ集
http://suien.ne.jp/0003/blog/haikublog.htm
◇生活する花たち「桔梗・女郎花・青栗」(横浜市緑区北八朔)

★葛の花匂わすほどの風が起き 正子
縦横に延び広がる葛の野に湧きあがる風。葉裏を白く見せながら音をたてる広葉の間に、美しい紅紫色の葛の花が瑞々しい野趣を漂わせている。葛の花の意外なほどの芳香が胸を満たし、秋の訪れが実感され、嬉しく清々しい野歩きのひとときです。(柳原美知子)
○今日の俳句
雲流る空を降りくる赤とんぼ/柳原美知子
「雲流る」、「空を降りくる」に横と縦の繊細な動きが詠まれています。牧歌的な秋雲と、そこから降りてくる赤とんぼは、なにかを伝えに降りてくるようです。(高橋正子)
○凌霄(のうぜん)
凌霄花咲いて隣家の華やげる 高橋信之
凌霄の朝(あした)の花と目が合いぬ 高橋正子
凌霄の字義は、霄(そら)を凌ぐである。霄を凌ぐほどに天空高く咲き昇る花ということだろう。古名の「のせう」が変化して「のうぜん」になったとも、「凌霄」の音読みの「りょうしょう」が変じて「のしょう」になったとも言われる。華やかでロマンティックな花の雰囲気から、現代になって渡来したものかと思ったが、日本には平安時代の九世紀頃に中国から渡来したという。
「秋刀魚の歌」などで知られている文学者の佐藤春夫は「不老不逞でわが文学の象徴」とまで言い、戒名を「凌霄院殿詞誉紀精春日大居士」とするほど好んでいる。
さて、この凌霄の花に私が初めて出会ったのは、四〇年ほど前になる。俳句を始めて一年ほど経ったときのことである。汗をかきながら高台にあるお寺に登ってきて、涼風にほっと一息ついて見上げると、オレンジ色の華やかな花が空にあった。一緒にいた人に聞いて「のうぜんかずら」と教わった。場所は、広島県三次市。このとき、私は学生で俳句会に所属していたが、独文学者で宗教者でもあられた川本臥風先生が主宰されていた俳句の結社にも参加し、投句していた。ちょうど夏休みであったので、その結社の方がいる三次での吟行句会に参加させてもらっていた。そのとき以来、三次には一度も行っていないので、当時とはずいぶん変わっているだろうし、凌霄の花のあったお寺の名前も、泊まった宿の名前も今では、確かめることもできない。
三次は島根県に注ぐ江の川の流れる盆地で、鵜飼で有名な中国山地の小京都である。二〇歳代の経験することは大方がはじめてのことで、このときも生まれ育った瀬戸内から中国山地の街へ行くのは初めてであった。沿線の真夏の木々の緑の美しさに心を奪われ、わが郷土の高原の美しさを誇りに思いながら三次まで行った。
四国松山から来た人たちと、福山から福塩線で三次に着き、近くに住む同じ学生俳句会の友人(彼女は若いときにすでに故人となったが)と出会い、その日泊まる旅館にみんなで案内された。夕食は鮎ずくめの料理であり、蓼酢のすっぱさと混じる塩焼きの鮎の味が忘れられない宿であった。薬湯の入っているらしい風呂場を見て、細い階段をあがり広間に行った。そこに荷物を置いて、早速吟行に案内された。
まず、先はどの凌霄の花の咲くお寺に行った。涼風の抜けるお寺に通され、座敷から明るい三次の街を眺めた。青い山々に囲まれ、川が流れる盆地の風景に、文学的気分を味わった。それからお寺を下りて、公園らしいところへ道を辿った。夏草の茂る道端に、小さなキリシタン墓があった。そのいわれの説明を受けたと思うが、一つだけの道端の墓をあわれに思いながら、川に架かる橋を渡った。橋を渡ると薄く日光が差し込んで、ひぐらしが「カナカナカナカナ、カナカナカナカナ」と水の中を思わせるように鳴いている林に入った。この林が近道だとかで、三次人形という土人形の窯元に出た。色あざやかな天神様の人形が並んでいた。こんな三次の街の風景とともに私は凌霄の花に出会ったのである。
もう一つは、焼き物の里砥部町に百坪少しの敷地の家に往んでいたころ、庭には椿や樫、松や槙、百日紅などの庭木のほかに瑠璃柳や、白萩、白やまぶきなどをところ狭しと植えていた。ある日植木屋さんから、凌霄の花の苗をもらったが、わが家の庭は一つの雰囲気ができあがって、凌霄の花が似合いそうでなかったので、お隣にその苗を差し上げたら、苗は立派に育って玄関に見事に花を咲かせた。それをまたわが家のお向かいの方が欲しがって、その花の脇から育った苗を、お隣の方がお向かいの方に差し上げて、それがまた見事に育って、洋館風な家の玄関を飾ることになった。こうして、わが家では、向かいと隣の家の凌霄の花を、夏の間中、朝夕楽しんでいたのだ。その家も今では手放してマンション暮らしなので、懐かしい思い出になっている。
◇生活する花たち「百合・女郎花・睡蓮」(横浜・都筑中央公園)

★白桃の無疵を少女に剥き与う 正子
正にこれから食べようとしているのでしょう。傷のないきれいな白桃を少女に剥き与うというところに母性の温かさを感じます。(高橋秀之)
○今日の俳句
数本の摘みしコスモス母に出し/高橋秀之
コスモスを摘んできたのは、幼い子どもであろうが、小さな手には、数本で溢れるほどである。きれいな花を母に摘んであげる子どもらしい優しさと、それを受け取る母の温かさが滲んでいる句。(高橋正子)
○溝萩
溝萩は、水辺や湿地に育ち、淡紅紫色の小さい花が穂のように咲く。私が生まれた備後南部では、これを「盆花(ぼにばな)と呼んでいた。盆のことを「ぼに」と呼んで「ぼにがくるけん、草を刈らにゃあ。」というように使っていた。瀬戸内海沿岸は、夏、雨が少ないので、讃岐のため池ほどではなくても、多くの田に野井戸があった。稲田の水が池から放流される灌漑用水では足りないときは、この野井戸が役に立っている。この野井戸のほとりや、田んぼの隅に溝萩が、それこそお盆用に植えられていた。お盆が近づくと、溝萩の束を持って、道を戻ってくる人を良く見かけた。その淡紅紫色の花穂が故郷のお盆の色である。
○盂蘭盆(満月)ネット句会
ご挨拶/主宰高橋正子
今日も暑い一日でした。盂蘭盆ネット句会にご参加いただき、ありがとうございました。入賞の皆様、おめでとうございます。
故郷でお盆をお迎えの方、また帰省されたご家族やご親戚を迎えられた方など、さまざまなお盆をお過ごしのことでしょう。お盆のしっとりと心やすらぐ句がたくさんありました。選と、コメントもありがとうございました。しっとりとしたよい盂蘭盆ネット句会となりましたことを、お礼申し上げます。集計は藤田洋子さんに、管理運営は、信之先生にお願いいたしました。暑い中、お疲れでございました。これで、盂蘭盆ネット句会を終わります。次回は、9月12日(月)の十五夜ネット句会です。楽しみにお待ちください。
【金賞】
★溝萩の水辺に咲けば穂の長き/黒谷光子
溝萩は、水辺や湿地に咲いて、お盆の供華に使われるが、淡紅紫の花が、水辺にあって涼しげで、やさしい。水辺の適地を得て、花穂が長くなって、よい育ちで、供華とするにも嬉しいことである。「穂の長き」が句意をよく集約している。(高橋正子)
【銀賞】
★とんぼうの入りくる画廊開かれて/小川和子
画廊にとんぼうは入ってくるのに意外性がある。窓を開け放った小さな画廊であろう。自然に開け放たれ、自然光を入れ、とんぼうも迷い込むようなところで画を鑑賞するのもよいものだ。(高橋正子)
【銅賞2句】
★盆の日の供物すべてが丸々と/古田敬二
お盆の供物といえば、梨や桃、西瓜なども挙げられよう。茄子や胡瓜の馬も丸々としている。「丸々」とにお盆を迎える人の輪の温かさが読める。(高橋正子)
★苧殻焚き残る匂いの土均す/藤田洋子
迎え火の苧殻を焚いて、そのままではなく、焚いた匂いが残る土を、もとのように均しておく。「土均す」と丁寧な行いに、祈りの気持ちがよく汲み取れる。(高橋正子)
▼盂蘭盆ネット句会の詳細は、下記のアドレスをクリックしてご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/kakan15
◇生活する花たち「ウメバチソウ・アケボノソウ・未草」(尾瀬ヶ原)
★淀川の初秋の水の岸濡らす 正子
○今日の俳句
西瓜切る水音たてて俎板に/小川和子
大きな西瓜を切ると、皮の割れる音と共に水の音、水の匂いがする。西瓜のみずみずしさが切った瞬間にあふれ出た句。(高橋正子)
◇生活する花たち「桔梗・金柑の花・萩」(横浜日吉本町)

★ひとつぶのつめたさうましぶどう食ぶ 正子
ぶどうは多汁で甘酸っぱく、手を濡らしつつも一粒ずつ頂けるのがまた嬉しい果実です。上五、中七を全部ひらがなにされたことで、良く冷えたぶどうを一粒ずつ、美味しく味わいながらゆとりの時間を過ごされていらっしゃる様子が窺えます。(佃 康水)
○今日の俳句
露草を今朝の客にと摘みて来る/佃 康水
まだ露草が咲いているうちの来客。すずしい露草の花を摘んで来てもてなす心。主客ともにすずやかな気持ちのひと時が過ごせそうだ。(高橋正子)
◇生活する花たち「洋種ヤマゴボウ・ミズキの実・蒲の穂」(横浜四季の森公園)