★蕗の灰汁つきたる指のきしみがち 正子
蕗のすじを剥くと灰汁に染まりますが、そこを一歩踏み込んで指先が捉えた感覚を「きしみがち」と詠まれたところが観察の鋭さでしょうか。季節の食材を楽しまれ、その生活の中から生まれた句は素敵ですね。(後藤あゆみ)
○今日の俳句
ひたすらに編む独り居の涼しさよ/後藤あゆみ
平明な句に、生活の中の「涼しさ」が快く詠まれている。独り居の静かでたのしい時間を「ひたすら」好きな編み物で過ごす時間は至福の時。その心が「涼しさよ」となった。(高橋正子)
鎌倉街道
★竹林に夏の真青な水打たれ 正子
往時を偲びながら行く街道の道すがら、夏に生長した竹は、一際目を引く青さです。水が打たれ、なお生き生きと輝く竹林に、より一層の清々しい涼気を感じます。(藤田洋子)
○今日の俳句
雨雲の山を離れて合歓の花/藤田洋子
合歓の花を的確に捉えている。愛媛の久万高原などに出かけると、垂れていた雨雲が山を離れていって、合歓の花があきらかに浮かびあがってくるが、このようなところに合歓は自生する。(高橋正子)
○アクセスランキング入り
2011.07.09(土) 650 PV 231 IP 8622 位 / 1606001ブログ
2011.07.08(金) 762 PV 219 IP 6014 位 / 1605691ブログ
IPが、200以上あるのは、大変嬉しいです。文学系で200以上になるのは、むずかしいと聞いた。ご覧いただき、ありがとうございます。
★子が去りしことも静かや夏の歯朶 正子
○今日の俳句
若きらと歩く街かど氷菓食ぶ/黒谷光子
若い人たちと街を歩くのは少々疲れることもあるけれど、アイスクリームなど街角で食べる楽しさに気持ちが若返る。老若あい和して愉し。(高橋正子)
○今日の俳句
松生うる浜辺に立てば夏の霧/河野啓一
浜辺に生える松を夏の霧が幻想的に浮かばせて、夏の浜辺の涼しさが心地よい。(高橋正子)
○全国俳誌協会
6月25日の定期総会で、新設のIT事業部長に選出された。早速、IT事業部のブログを立ち上げ、6人のスタッフを花冠同人にお願いした。
▼全国俳誌協会IT事業部ブログ:
http://blog.goo.ne.jp/zhk2011
IT事業部の当座の仕事は、協会のホームページ作製となる。その骨格が出来上がった。全国規模の俳句協会は、いくつかあるが、それとは違った特徴を持たせた。俳誌相互の交流、会員相互の交流といったことで、俳誌の電子書籍作製、会員交流のツイッターなどである。
▼全国俳誌協会ウェブサイト:
http://internet-haiku.info/zenkokuhaishi/
○水無月(みなづき・旧暦6月・京都の和菓子)
昨日の七月七日は、新暦の七夕。朝から風がよく吹く。特に信之先生の部屋は簾越しに入る涼風でまるで避暑地。朝九時過ぎから、日吉本町二丁目あたりを写真を撮りながら信之先生と散策。朝顔を咲かせている家はないかと思うが、小学校の校庭にたった一つ咲いていた。金蔵寺の半夏生を見に行く。半夏生は、終わりかけている。花盛りのときは、なにやら恐ろしい。蓮の花はまだ。金蔵寺を出て駒林神社に行こうとして、途中、槿の垣根に出会う。「道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉」を思い出だす。江戸時代なら、ここを馬が通りかかるのだろう。その道の突き当たりは、神社の崖下で、藪カンゾウが緑の中にひときわ目立っている。神社の境内に入るが。森閑として梔子の花だけが咲いている。お賽銭をあげる。水筒の冷茶を飲んで石段に座ってしばし休憩。石段から境内の端のお稲荷さんを眺めるが、狐もコンと応えそうにもない。
神社を出て二丁目の奥の方へ。のうぜんかずらが咲いている家があり、草原のどくだみを踏んで近寄って写真を撮る。どくだみの匂いが芬々と立つ。ところが、早速草に負けたらしく、腕がかゆい。空は曇っていて、風は良く吹く。何か作ろうとして竹を割っている老人がいるので、「今日はよく風が吹きますね。」と声をかけると、「そうだね、割合良く吹くね。」と。巻尺で道路幅を測っている初老の夫婦がいて、ちらっと見て会釈してくれる。若いお母さんが、自転車で自分の家に帰ってきたのか、「こんにちは。」という。今朝あった人は、みんな始めて出会う人だが、七夕という日のせいか、風がすずしいせいか、これまでと人の心が違っていると感じる。
荒れた畑に「はるしゃ菊」が群れ咲いて、それにヒメジョオンの白い花が混じり、なかなかいい景色だ。「はるしゃ菊」は「蛇の目草」とも言うが、コスモスのような黄色い花の中に、蛇の目傘のようなチョコレート色の模様が入っている。はるしゃ菊の荒れ畑を曲がると、お寺ののうぜんかずらが、花をたわわに咲かせている。花の下には、オシロイバナがたくさん蕾を付け、夕方が来るのを待っている。
今日は、これで打ち切り。家に向かう。十一時半ごろ家に着くが、やはり暑かった。信之先生用にそうめんを茹で、私は蕗の佃煮を作っていたのを出して、ご飯を食べる。食後は、冷茶とお菓子の「水無月」。「水無月」は、京都の老舗では六月三十日にしか売らないそうだが、今日の「水無月」は、コープに注文していたもの。白い外郎に小豆が載っている。三角形に包丁を入れて食べるが、三角形であるゆえに涼しさが湧く。
「水無月」は、ちょうど一年の半分に当たる六月三十日の「夏越祓(なごしのはらえ」に食されるお菓子。三角形に切られた白い外郎は、暑気を払う氷室の氷を表し、小豆には、魔よけの意味と、氷室の藁をイメージしたものということだ。。見た目といい、食感といい、涼しいお菓子だ。今年は、節電のため、家ではまだ一度もクーラーを使っていないが、なんの不便も感じない。「水無月」を食べて、少し昔の日本にもどったような気持ちになった。夜、外に出ると、田を吹き渡るような涼しい風が吹いている。七夕の空は、あいかわらず曇り。
★青田みな青嶺へ靡き吹かれける 正子
苗が育って青田となり、青田波が生まれるころは山々の緑も最盛期を迎えています。青田が青嶺に吹かれている、日本の最も日本らしい風景かもしれません。(多田有花)
○今日の俳句
とりどりの浴衣の少女踏切に/多田有花
踏み切りの開くのを待っている浴衣を着た少女たち。これから、連れ立って、祭りに出かけるのであろう。涼しそうで、少女らしいかわいさがあって、大人には、幼い頃を思い出させてくれる光景である。(高橋正子)
○アクセスランキング
2011.07.04(月) 691 PV 218 IP 5887 位 / 1604103ブログ
★蜜豆に夜の会話の間がありぬ 正子
○今日の俳句
隣家の窓に今朝より青簾/河野啓一
隣家の窓を見ると、今朝からは、青簾がかかって目にも涼しげ。隣家も夏支度が整って、夏本番を迎える。(高橋正子)
○四季の森公園
七月三日、日曜日。このごろは早く目が覚める。夏は朝が来るのが楽しみだった田舎暮らし。庭に出て掃除や水遣り。西窓に朝顔を一杯咲かせていたので、これを外から見る楽しみがあったし、山鳩もくうくう鳴いていた。
だから朝、信之先生と久しぶりに四季の森公園へ出かける。九時に家を出発、中山駅まで地下鉄。駅からはズーラシア行のバスで長坂というところまで。その停留所から徒歩十分ほどで、公園の南口に着く。南口には、花壇があるので、そこから入る。百日草、ベゴニア、マリーゴールドが植えられて、噴水を中心にシンメトリーに設計されている。花壇を見て、森へ入る。
森へ入るや、楮(こうぞ)の赤い実を見つけた。くわ科の木なので、桑の実のような実だが、食べられない。さらに歩くと、ゴンズイという木があって、青い実が付いている。山ぼうしも、青い丸い粒粒が集まったような実をつけていた。むらさきの蛍袋がある。ムラサキシキブの花が咲いているが、葉も大きく、木の姿も、普段見ている形とは違って、枝が乱れて自生のものか。ゴンズイという木に初めて出会う。青い実がたくさんできている。
山を下って降りたところに、夏椿と合歓の花が咲いている。広場になってベンチもあるので、持参のお茶とスライスケーキで涼みながら一服。合歓を撮ろうとするが、ズームすると、どのあたりがズームされているか良く分からないし、手振れするうえに風が吹いて枝をあおるので、なかなか焦点が合わない。一休みした後さらに下る。平地になったところの山肌にオカトラノオの群生を見つける。向こうに目を移せば、夏草の中にひときわ目立ってノカンゾウ。盛りを過ぎた感じだが、紅カンゾウもある。菖蒲田には、まだぽつぽつ花が咲き残っている。菖蒲田を木道伝いに巡る。時期を逸した花、ちょうどタイミングよく出会った花や実など、出会えば幸運である。自然界は一時も休まず変化している。われわれは、光に乗って、彼方へ行っているのかなという風にも思える。
今日は、日曜日なので、公園内にはスケッチをする人たちが二十人ほど、かわせみを狙ってカメラに収めようとする人たちが十三人。(数えたのです。)それを見物する人も。北口には、七夕飾りが山からの涼風にさらされ揺れている。北口のベンチは、白樫と桂の木陰にあって、涼しい風が吹いてしばらく居れば汗が引く。正午には、中山駅ビルの軽食喫茶に行く予定で、公園を出る。暑いこと。去年尾瀬に行った経験から、暑い時は薄手の長袖シャツに限ると自分に言い聞かせていたので、今日はそのいでたちで出た。(思い出した。)尾瀬を持ち出す間でもなく、暑い盛りは、薄手の長袖シャツ一枚が一番ということは、田舎暮らしでよく知っていたのに。