鶏頭/8月17日(月)

俳句
つまみ菜を洗えば濁る水の色
人の死にベランダ秋の風が立ち
雑穀を食べるに菜で足る秋初め

晴れ
○今朝は秋の朝らしく、とても涼しい。鶏頭の花が元気に育っている。元気なものを見ると、元気が一番と思う。

○雑穀と海草の混じったものを妹が送ってくれたので、白米に混ぜて炊く。赤飯のような感じで炊き上がった。それにさわらの味噌漬けとつまみ菜の胡麻和えがよくあう。こういった雑穀は、粗食で済む。粗食は、精神の集中にいいかもしれないと、思えた。料理も後片付けも楽。

送り盆/8月16日(日)

俳句
やわらかな朝のひかりに送り盆
送り盆しずかな鮨のきらきらと

晴れ
花冠ブログ句会(8月1日~15日分)の入賞発表。

終戦日句会の金銀銅賞のかたに、賞品を珈琲屋さんから送ってもらう。

○8月は句会が連続。信之先生のパソコンが不調で、早朝私のPCのバッテリーと取り替える。回復。その後、他のあまり使っていないPCのバッテリーと取り替える。そろそろ寿命。バックアップをしっかり取らなければ。

○昨日の、泰次さん追悼句会には29名から追悼句が寄せられていたが、今日さらに加わって35名となった。

○泰次さんの霊前にお供えする線香を句美子が横浜そごうから送ってくれた。
私が出かける予定だったが、疲れているようだからと、代役を申し出てくれた。白檀にしたそうだ。

○THE NIKKEI MAGAZINE 8月号に目を瞠ることふたつ。一つは、義足。脚の形ではなく、骨となる部分をシルバーの金属を湾曲させてつくったもの。それがむき出し。それをつけて若い女性が走る。カッコイイといっては、叱られるかもしれないが、美しい。見せたくなる義足だ。美と機能が一致したもの。プロダクトデザイナーの山中俊治さんという方のデザインだそうだ。山中さん自身も「僕は宝物を見つけたかもしれない。」と語る。デザインの力がここまでと、感銘を受けた。

もうひとつは、ノルウェー的な日常とアート。「等価の理論」というのがあって、それに基づく日常生活とアートの結びつきがあるのだ。ノルウェーは、基本的には高校教育まで無料で、留学にも奨学金が支給され、社会人の復学にも休職制度や生活保障が充実していると言う。アーティストだけでなく、学ぶ意欲のある人を国が支援している。この制度の根底はCommonn(共有)の理念。労働、芸術、学習、休暇のすべてを等しく尊い社会活動として、みんなで共有しようという姿勢だそうだ。短い夏と長い冬、長い夏の日と短い冬の日がある北欧には、その環境から生まれた知恵が、楽しい暮らしを生んでいるようだ。暗い時間、明るい時間のどちらも楽しく充実して過ごす。日々の暮らしにもアートが生まれるわけだ。

終戦日句会・泰次さん追悼句会/8月15日(土)

俳句
追悼 志賀泰次さん
北の大地を詠みて秋立つ頃に逝き

○終戦日句会。

○朝、5時過ぎ、信之先生が志賀泰次さんの息子さんからメールがきているが、内容が消されていると、起こしに来る。再送をお願いするメールを送ったとのこと。
6時ごろ、メールの操作中に、内容を読み取ることが可能になった。
内容は、泰次さんが、7月10日に入院され、8月11日に亡くなり、葬儀も済まされたこと。パソコンを開いて、信之先生にブログ句集を作っていただいたりしていたことなどのお礼が書かれてある。お悔やみのメールを取り急ぎ送る。

○追悼句会を行うことを決める。

○泰次さんの訃報を聞き、眠りなおすわけにもゆかず、お茶を飲むでもなく、テーブルに座り、一昨日のの日経夕刊を取り出して読む。「奈良のやすらぎ」と題した著述家の海野弘氏のエッセイ。夏草の平城宮跡を歩き、秋篠寺、西大寺に行ったことなどがかかれてある。奈良での水煙フェスティバルを思い出した。朱雀門の見える、かんぽの宿にみんなで泊まった。西大寺には行かなかったが、平城宮跡を歩き、秋篠寺へ行った。礎石と朱雀門だけの宮城跡。このひろびろとした、何もないところに、大きな想像力が働く。京都よりも一時代古い奈良に、親近感を覚えもする。それを「やすらぎ」というのだろう。よく似た体験をされている。

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終戦日句会
ご挨拶
終戦日句会に、ご投句をありがとうございました。第二次世界大戦から64回目の終戦日を迎えました。戦地に行かれた方、母親の背に負んぶされていた方、戦争の名残りが残るなかに生まれた方、戦争も遠くなって生まれた方、様々な方からご投句いただきました。語らずとも、胸に仕舞われ、刻み込まれた戦争というものの記憶を、短い詩の俳句にしていただき、それぞれの方の思いを知ることができました。

敗戦という言葉に、何があるでしょうか。農地改革、選挙制度の改革、新しい学校制度など、いろいろ変革がありました。それらの改革を今真摯に受け止めたよい結果が出ているでしょうか。農は、政治は、教育文化は、と問いたくなります。戦後、どんな文化が育てられたのでしょうか。俳句にしても、なかなか難しいところにきています。世界戦略をかけた経済は、ほんとうに平和を呼びかけているのでしょうか。ある大企業に勤めた方は、センチメンタルな平和主義と、言い放ちました。企業利益で社員が行った夢は、ドーバー海峡で大凧を揚げたことでした。これが現実です。今終戦の日があったことを新たに認識し、そこを出発点に、われわれは、俳句を作るべきだと思います。そんな思いのした、終戦日句会でした。

終戦の日は、また盂蘭盆と重なり、同時にお盆の句をありがとうございました。先祖の御霊を迎えまた送り、夏から新涼の季節へと移りゆくころを、しみじみと句に詠んでいただきました。そして選とコメントをありがとうございました。信之先生には、原爆忌句会に続き、句会の運営などお世話になり、ありがとうございました。

終戦日句会の途中に、句友の志賀泰次さんの訃報が届き、別のブログに同人の皆さまから沢山の追悼句を寄せていただきました。ありがとうございました。
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お盆/8月13日(木)

俳句

曇り時々晴れ。
○今夜からお盆だが、それも忘れかけて、花冠の10月号の編集と、俳句年鑑の原稿書きに集中する。

午前9時から信之先生と編集と原稿書き。後記と子ども俳句にコメントをつける。昼過ぎ、編集を終え、表紙の字も揃ったので、エックスパックで送る。

少し休憩して午後2時から信之先生と年鑑の原稿書き。俳句研究年鑑、角川の俳句年鑑に載せる原稿を書く。2時間ほどかかった。信之先生の自選5句は、締切が遅いので、後回し。年鑑原稿は、気を使う。仕上げたときには、疲れで喉が変な感じだったが回復。

○夕方、松山NHK支局から、コンテストの後援の承諾書が届く。洋子さんが転送してくれた。今回は、大いに好意的で、NHKが賞品、賞状を出すと言う。選者も派遣する用意があるという。教育委員会も、愛媛新聞社も、南海放送も快諾。選者も多才な顔ぶれとなった。9月1日には、インターネット俳句コンテストの応募作品の受付が始まる。蓋を開けてみないとどうなるかわからないが、後援に熱気が入っている。これから10月までは、忙しい日が続きそうで気が許せない。

○昼は、室蘭に里帰りした友人からいただいた塩ラーメンを食す。さすが、札幌の麺。

8月12日(水)

俳句
フェンスより見越す芙蓉の白すがし
葡萄食ぶ一つ一つの冷たさを
夕涼に花壇の花の吹かれけり

曇りのち晴れ
○午前9時から10時半まで、花冠10月号の「選後に」と「巻頭抄」の句を選ぶ。明日後記を書き、入稿予定。

○昨日の蒸し暑さがなくなって、夜は涼しい。お盆のお供えの作り物が売られている。よくは見ていないが、ほおずきの朱が目に付く。

○インターネット俳句コンテストで、<インターネット新俳句大賞>を設けてはどうかと打診される。わずかだが、賞金をということになる。

8月11日(火)

俳句

曇り
○ミニバラが咲く。元気がなかったサフィニアが涼しくなったせいか、ぼつぼつ挽回。

○午前5時まえだったか、地震。震度4くらい。床から揺れる。食器棚の観音開きのガラス戸が片方(磁石が弱くなっている向かって右)。磁石で扉を閉めるようになっている戸だが。
地震と台風が一緒に来た。死者のでる災害が続く。

台風9号/8月10日(月)

俳句
新涼の雨はたっぷり白く降り
いちばんに目覚めて赤きハイビスカス

○雨。台風9号の影響で、大雨の予報。
朝、7時前、一時停電。蒸し暑いので、朝からエアコンをドライにする。花冠ブログ句会も、急に新涼の句が増えた。みんなの句を毎日読んでいると、季節が刻々移り変わってゆくのが「見える」。

○昨日から、花冠10月号の編集をはじめる。大まかな割付と雑詠の選を投句されたものから済ます。

○インターネット俳句コンテストの、愛媛県教育委員会と愛媛新聞社の後援がすでに、決定。初めての申請でないものの、申請から決定まで、1週間ほど。非常に早い処理。また、コンテストの審査員に詩人の村上伸生さんを加えた。コンテストは、俳句、川柳、詩人、学者の選者がそろったことになり、俳句、川柳について、いろいろな見解がでるだろうから、楽しみなことである。

10月号投句/2009

葉桜の蔭から
高橋正子

 築地行四句
築地出て炎暑の風に煽られし
葉桜の蔭から勝鬨橋がよい
炎天の塔より水の浜離宮
遊覧船に手を振り水の涼しかり
朝粥に胡瓜茗荷を漬けて寝る
鶏頭の花が咲き出す原爆忌
被爆手帳も父も死にゆき原爆忌
みんみんの遠き声へと耳尖る
西瓜切ってみなの心に故郷(くに)ありぬ
えのころに夕日の色の風が吹き
蝉一つ鳴き止み遠くまた鳴けり