俳句
○花冠句会入賞発表。
俳句
○花冠句会入賞発表。
俳句
○鎌倉吟行のあと、信之先生風邪でダウン。
○花冠2月号の投句がほぼ集まる。
俳句
報国寺10句
竹林に踏み入るところ冬椿
竹林の千幹二千幹が冬
身にしむや竹幹の青通り来て
ざわめきてさらに激しく散る黄葉
散り止みてまた散る落葉ひたすらに
サンショウバラ
薔薇の木のがんじからめに枯れにけり
柚子熟れて朝日が射しぬ禅の寺
冬の水ひたすら澄みて金魚飼う
禅寺に十月さくらのほつほつと
休耕庵
小暗さに深紅の冬菊見分かたず
宝戒寺4句
参道の萩のすっぱり刈られける
白木蓮冬芽の銀の日のまぶし
梅蕾枝垂れて届く湿る土
内陣のひがし明るき白障子
鎌倉は柚子の熟れたる黄が多し
柚子熟れて川の向こうに黄が照りぬ
水底に紅葉も鯉も谷戸の川
晴れ
○編集会議の日。花冠の創刊号はすでに発送してあるので、予定を変更して鎌倉を吟行。
○鎌倉の竹林で有名な足利氏の菩提寺である報国寺へ。信之先生、愛代さんと三人。10時に横浜駅中央改札で待ち合わせ。横須賀線逗子行きで鎌倉駅まで。
そこより、霊園行きのバスで浄明寺まで。浄明寺バス停より徒歩で報告寺まで。
報国寺は、思ったより植物が多く、規模も五山ほど大きくなく、吟行にはいい。花の寺としても紹介されているようだ。竹林には2000本の孟宗竹があり、長方形の敷石を連ね通路を作り、竹林を散策できるようにしてある。竹林の一番奥に休耕庵という茶席があり、お抹茶を一服いただく。お菓子は、椿の型の和三盆。足利氏の紋のはいった楽茶碗にふっくらと立って、結構なお服。休耕庵で、お土産に「羽根さぬき」という和三盆を買う。
行きは、バスだったが、帰りは、鎌倉駅まで徒歩。坂東観音1番の杉本寺による。この寺は鎌倉一古い寺で、本殿への石段は苔むしていて、崩れ落ちそうなため、通行止め。脇に石段があたらに作られ、本殿へお参りできるようになっている。
杉本寺を後に、萩寺として有名な天台宗宝戒寺に寄る。萩は根元から剪定され、正月を迎える準備が整いつつあった。内陣の参拝をさせていただくが、中が明るくこじんまりとしたよいお寺であった。仏様は暗くて拝顔できない。それゆえ、尊しか。梅の蕾と、白木蓮の蕾がよく付いていた。開運厄除けのお札があって、杉の木だろうか、長方形の小振りの板に、萩の花、梅の花が優雅に描かれ、欲しいくらいであった。
宝戒寺をあとに、八幡さんの前の鎌倉彫の店に寄り、若宮大路を下り、途中から、小町通りに入って、長島家の切りざんしょうを愛代さんに見せに立ち寄る。愛代さん、それを買われた。鎌倉駅から横浜駅まで行き、駅地下の喫茶店で句会。解散。
句はかなり作ったが、句会に出すために拾うと、できたものが意外と少ない。よいところだが、作句には難しい光景だったかもしれない。
○夕方からの忘年会に出席。
俳句
○冷え込んだ一日。午後から雨。
○花冠創刊号を午前中発送。クロネコメール。
○ネット短信18発信。
○新年句会、秀之さん歓迎句会の計画。1月17日(土)
新年句会は、泊りがけの鍛錬句会となりそう。場所は横浜。
俳句
○花冠発送準備。
俳句
水底に影を映してあめんぼう
落葉沈めせせらぎ流る児こと止めず
冬烏歌える森の道伝う
聳え立つ枯木に空の青一枚
枯葦の日当たり千々にざわめけり
日あたって辛夷の冬芽尖りたり
冬の陽に鵜どもいよいよ黒光る
水鳥を見ていて一つが潜りけり
冬うらら鳩が梢に揺れており
○都築区のセンター北駅から、ふじやとのみちコースの吟行。徳生公園、北山田まで吟行。参加者、信之先生、荘二さん、宏さん、治朗さん、愛代さん、正子。
先の吟行では、鴨などのほかに翡翠をみたが、今回は鵜が四羽、日向ぼっこをしているのに会えた。尾長の渡りにも出会った。公園の木で休み、また飛び立っていった。句会は、徳生公園の野外のテーブルに座って池の鴨を見ながら。句評は、昼食のチーチョダイニングで。
エールウーエールで喫茶後、解散。花冠創刊号を渡す。
花冠創刊祝、荘二さん句集「艫綱」出版祝、忘年句会の趣旨。
○飯島治朗さんの句集原稿を手渡される。CDROM、写真も。表紙の色は、菜の花色と指定される。千葉の県花、菜の花と家紋も揚羽蝶にちなんで、蝶の黄色。
俳句
○長男が急に来て、泊まる。学会賞をもらったとのこと。賞もなかなか厳しいらしい。
著者は、林望。リンボウ先生と称されているようであるが、国文学出身の書誌学者。文献学者。図書、書物についてその書物の成り立ちや、起源などを研究する学問のようだ。日本の古典や古書、文学書は言うに及ばず、中国のものにも、ヨーロッパのものも広く研究を拡げられているようだ。それを総動員して書かれた本で、その博学と文章の軽妙さには、都会人のよさがあって、たのしく読める。『イギリスはおいしい』に継いで出された本で、「イギリスはおいしい。日本はもっとおいしい。」と帯にある。
著者も漱石と同じように、イギリスに留学する。そして日本の良さを思うのである。留学中、胆嚢の病気をした著者は、食事に油を絶たねばならず、さりとて、仕事があって帰国できず、イギリスで暮らさざるを得なくなった。レストランで油抜きの料理を注文するが、上等のオリーブオイルだから体によいといって、茹で野菜や茹で魚にオイルがかかっていたりして、希望の食事を呈してもらうことはなかった。一度だけ油抜きの料理と言って出されたものは、塩胡椒さえしていない、ただのボイル野菜。シェフの発想の貧弱さを嘆く。彼らのノウミソを疑う。つまり、こういったことに対して、食文化がないということである。それに比べ、日本の食文化のゆたかさは、比類ないものだと述べる。
この本は、春の巻、夏の巻、秋の巻、冬の巻と四季にわかれ、それぞれ、旬のものがこれまた博識をもって採り上げれている。その中のどの項目から読んでもよい。読めば、食は文化であり、文化は生活の智恵や工夫、または偶然が生んだものの継承を繋いでいくことがら生まれることをよく知らされる。四季があり、海に囲まれ、また山も野もあり、田もある、水もある土地が育む文化である。ところが、現代の人たちは、このよい食文化を忘れかけている。もう一度その良さを知れと言うのである。俳句がさまざま採り上げられているのもこの本の妙味であるが、昨今の著名俳人の俳句の引用が一つもない。このことは、すでに著者のいう、伝統的日本文化の髄が消えていることを示しているように、私には思える。巻端にかえてとして「四時偶吟」として著者の俳句があるから、俳句眼を尊重したい。
(一)
先ず、春の巻の「桜鯛のころ」を挙げる。百魚はそれぞれ良さがあって、食べ飽きることはないが、もっとも味わい深きは鯛であるという著者。鯛と言えば、瀬戸内の桜鯛が思い浮ぶ。鯛網で有名な鞆の浦の岬を回ったところで育った私は、鯛は懐かしい、本書の話も懐かしい。鯛を一匹食することは、文化を食することである。身辺の生活記憶を織り交ぜて読むと、鯛にまつわる歴史の深さが思われる。辻嘉一の『味覚三昧』にある鯛を食べる醍醐味。石黒庄吉の『くらしの中の魚』の、浮き鯛の話。桜鯛について魚見吉晴『漁師の食卓』の話など、通なれば知ることである。通にある文化が大事なのである。『永代蔵』などにあらわれた江戸と京や大阪での鯛を買う際の気質まで、俳句や川柳を採り上げて、話がくり広げられる。食通としてしられた池波正太郎の『池波正太郎のぞうざい料理帖』の鯛のおいしい食べかたを挙げ、「鯛の刺身と温い飯」のうまさを称えて終る。
以下作業中
『旬菜膳語』
林望著(岩波書店2008年10月24日発行1800円+税)
俳句
洗われて紅あざやかなほうれん草
薄切り蕪の重なり純白に
一本の鉢の山椒の黄葉して
星ふたつ離して高き冬三日月
本屋より戻りて羽織るちゃんちゃんこ
ストーブに寄って読みける食物記
冷飯の一塊残る十二月
○晴れ
○急いで夕飯の仕度。蕪を刻んだ。やわらかそうなので、漬物がわりにと塩もみにした。これでは芸がない。紫蘇の実を塩漬けにしていたのを思い出し、冷蔵庫から取り出して、塩もみ蕪にばらばら振りかけて混ぜた。これがおいしい。
○今日のおいしかったもの。もうひとつ。栗蒸し羊羹。出は、岐阜県各務市の桃太郎製菓。
俳句
○晴れ。夕方までは冷え込んでいたが、夜の方が却って暖かくなった。
○歳末たすけあい募金を知らす回覧板。
○一昨日の空が昨日の夕刊に載る。西の空の二つの輝く星。上方が木星、下方が金星。それに三日月が出ている。なかなかいい空だ。
○松前漬をつくる。昆布、するめ、人参の千切り。これを暖かいご飯にのせて食べると、12月にとっぷり浸かっている感じになる。
○有機大根はスーパーで1本195円。普通の大根の倍だが、それでも安い。えぐみがなくて、ゆっくりと火が通る。肌は真っ白ではない。有機大根が手に入れば、有機大根がいい。スーパーのは、葉がついていないのが残念だが、有機は葉までおいしい。野菜がおいしければ、慎ましいながらも、満足感がある。これも、エコライフなのだろう。