晴れ
●朝夕は涼しいが、昼間は蒸し暑い。
●『小西昭夫句集』(現代俳句文庫II -3/ふらんす堂 2025年10月1日刊)が送られて来る。一通り読む。
●ようやくコッズウォルズの3村について書けた。今日はストウ・オン・ザ・ウォルドを書いた。
●阪急の八百屋で買った、さつまいものシルクスウィートを蒸かした。実入りもよく、甘くて十分美味しかった。最近おいしいさつまいもに出会っていなかったので、幻滅して、さつまいもは買わないようにしていた。店を選ぶといいのかもしれない。
晴れ
●朝夕は涼しいが、昼間は蒸し暑い。
●『小西昭夫句集』(現代俳句文庫II -3/ふらんす堂 2025年10月1日刊)が送られて来る。一通り読む。
●ようやくコッズウォルズの3村について書けた。今日はストウ・オン・ザ・ウォルドを書いた。
●阪急の八百屋で買った、さつまいものシルクスウィートを蒸かした。実入りもよく、甘くて十分美味しかった。最近おいしいさつまいもに出会っていなかったので、幻滅して、さつまいもは買わないようにしていた。店を選ぶといいのかもしれない。
曇りときどき晴れ
●「私のコッズウォルズ」のバイブリ―どボードン・オン・ザ・ウオーターまで書けた。もう一村が残る。一日に町一つ書くのがやっとだ。
●モリスのイチゴ泥棒の端切れで、ブックカバーを作った。端切れだけ見ていると、そんなにいいものが出来そうにない。縫ってみて、文庫本のカバーにとても似合っている。『マルテの手記』が傷んでいるので、この本専用にした。モリスの柄はいいのだと、つくづく思った。
晴れ
葛の花夜雨降り出し降りやまず 正子
バス降りてすぐ数本の曼殊沙華 正子
歳時記の秋の名草はみな親し 正子
●ハート内科定期受診。動脈硬化度の検査をした。血管年齢が50代後半だと言う。去年は、年相応だった血管が若返るとは、信じられない。一度固くなったものが復元するとは。何でも入れる味噌汁とご飯という粗食のせいかもしれない。このごろは、ほとんど独りで過ごしている。眠くなったら、昼寝をする。これは一日2回のときもある。夜、寝床で本を読まない。酷暑でほ2か月ほどは、ほとんど歩いていない。血管若返りの理由は不明だが、おそらく、マイペースの独り暮らしのお陰。そろそろ歩かねばと、帰りは1キロほどの道を歩いて帰った。自分では絶対買わない、母の形見のぺらぺらのブラウスを着ていたせいで暑くなかった。
「ウィンダミアの風」と「紫陽花は古色をたたえ」を推敲し、書き直す。「ウィンダミアの風」はうまく書けたと自信があったが、「紫陽花は古色をたたえ」の方が中身が濃くなった。これは読み手にあきさせないために書いたが、結構、核となる話となった。書いてみないとわからないものだ。
晴れ
朝夕はすずしかったが、昼間は暑さがもどった。
晴れ
昼の虫一匹鳴けるわが住まい 正子
月見まんじゅう小さきものが五個並び 正子
秋彼岸菊のお香をくゆらしぬ 正子
●みよさんの俳句にコメントを書くために、「源氏物語 夕霧巻」を読む。源氏を読むのは久しぶり。以前読んだときより、切実に感じる。こういうことが読み取れるようになったということか。
●今書いている、「こんなにさびしい山々が」のために、漱石の『三四郎』を読む。三四郎の一場面を確認するため。初めの方にあったので、たすかった。『三四郎』は六年生の時に初めて読んだ。その時の印象がまだ残っていて、その場面を確かめるためだった。日常のことを言葉にし、それを読めるようにするには、「胆力」がいるらしい。「胆力と繊細さ」を持ち合わせねばならないと言う。
今日は、一つ書き進めて、「紫陽花は古色をたたえて」を書いた。昨日書いた「ウィンダミアの風」を手直し。昨夜「ピーター ラビットのお話」を12巻読んだ。農夫の「マクレガー」の名前を忘れていた。
●朝夕はめっきりすずしくなった。センター北へ買い物。秋刀魚1尾580円。これはよく太ったもの、痩せたのは、2尾で780円。それにしても高い。太刀魚が旬を迎えているので、太刀魚にした。
●ユザワヤによって、端切れ2種類かった。一つはモリスの苺泥棒、もう一つは、灰色が買った水色に青いバラの布。苺泥棒は好きと言うわけではないが買った。
晴のち曇り
●彼岸法会に出席。休日なので、長男がいっしょに出席した。読経の前に、僧侶が「布施」の意味について話し、「みなさんも布施をおこなってください」で締めくくった。それから読経があり、その後、ろうそくの灯が配られ、それを持ってお墓へ行き、墓前に置いた。
帰りは長男が成瀬まで送ってくれた。今日は彼岸の中日でほどんどの墓に花が立てられていた。菊やりんどう、鶏頭、が目立った。
帰りの電車で、どこかから連絡が来ているかもしれないとスマホを開くと、ゆうまくんの歯が生えた、と連絡。この前あったとき、口でぷうーぷうーしていたから、私は、歯が生えるまえで、むずむずしているのかと思っていたのだ。その通りになったようだ。
晴れ
白雲の空にひろがる丘の秋 正子
酢橘ふたつ使い残りて熟れはじむ 正子
秋刀魚ひとりの餉には高すぎる 正子
●ウィンダミアについて「ウィンダミアの風」の小文を書く。細かい部分は記憶がはっきりしないので、ネットで調べると、あいま記憶が蘇り、ほかの景色と入り混じっていたのがはっきり区別できた。とんでもなく、間違えてはいなかった。ハワース、バース、コッツウォルズ、チェスター、ポントカサルテ水道橋(Pontcysyllte Aqueduct) について書きたいと思っている。
晴れ
露草の青点々と立ち上がる 正子
紅芙蓉風に吹かるるさわやかさ 正子
●国政調査の回答をネットで済ませた。メールアドレスを総務省が知るわけがないのに、メールが届いた。そのメールに書き込めばすぐ回答ができりうようになっている。総務省も気が利くと思ったが、怪しいと気づいて、削除。うっかり、ひっかるところだった。送信者のアドレスがあやしい。
●涼しいので5丁目の丘まで散歩にいった。ちょこちょこ歩きは前身の筋肉を使わないので、良くないそうだ。
曇り、ときどき小雨
九月はや夜長となりぬ独りの灯 正子
虫の声まわりにありて独りの灯 正子
●日中の気温も下がってきた。暑さ寒さも彼岸までのことわざ通りになるのも不思議と思うが、これは夜の長さが永くなって気温が下がるというものらしい。
曇り、夜雨
●一日、物書き。昭和時代のことを書き、当時話された言葉をそのまま記録すると、問題が生じる。AIで文章を診断すると、これは現代では差別語、ジェンダーの観点からこれは問題であるとかが、指摘される。いろいろチェエクしていると、もう、書かないでおこうとなる。これでは、事実は書きにくい。
例えば、昭和時代は普通の会話で、「嫁をもらう」と言った。この「もらう」が、いけない。人をもらう がいけないのだ。「あっちから嫁さんをもらった」は、「外国から嫁さんを見つけた」になる。カタカナ表記も、うっかりできない。「アリガトウ ゴザイマス」と書けば、これが、外国人の日本語のカタコトを揶揄した言い方と、取られる。こういうことで、書いていた3篇話を没にした。