2026年2月11日 02:12
晴れ
●2月月例ネット句会の入賞発表した句に、句の純度を挙げるためのアドバイスを書き込む。これまで、金賞、銀賞、銅賞の句といいながらも、問題点があるのが気になっていた。本人が気づかないことことがあるかもしれないので、書き込んだ。金、銀、銅賞の賞名は、便宜的なもので、天地人の方がいいのかもしれないのだ。インターネット上で発表するために、
金銀銅賞としたと思う。
https://suien.ne.jp/getsureikukai
アドバイスを書き込もうと思ったのは、オリンピックのフィギュアスケートを見て、頂点に立つには、完璧だけではいけないということがよく分かったからだ。俳句が完璧に出来たとしてもそれは良い俳句とはならない。そのことを意識させるようではいけない。
●昨日はロールキャベツ、今日は餃子という、一品料理。キャベツとひき肉、白菜とニラとひき肉。餃子はすぐできるはずが、餡を包むのに時間がかかる。そのはずではなかなった。
●ゆうまくん、寝付かせるのに30分はかかる。句美子が、少しの時間でいいから眠らせるようにという。30分ほど眠って起きた。私をおばあさんと言うより、遊びともだちとしているのだ。
晴れ
●2月月例ネット句会の入賞発表を昨夜のうちに済ませたので、今日は時間に余裕ができた。
https://suien.ne.jp/getsurekukai
●小峰書店の編集者の方が、丁寧な手紙をくれていた。その返事を書く。句美子の
「ごちそうに桜の花びらふってくる 句美子」
の俳句はがきがあったので、コピーして同封した。
●俳誌3誌が送られてくる。「火神」(No.84,85)、ひろそ火、灯。
●寒さで、キャベツが美味しそう。その上安い。ロールキャベツを作った。信之先生がいたときは、ロールキャベツを皆にふるまって、ずいぶんお変わりをされたことを思い出した。失敗なく作れるので、安心な料理。
ゆうまくん、帰るまぎわ、急に泣き出す。私のもっているものを触りたがっているのは、わかった。私の持っている文庫本に触りたいようだ。渡すと、読むような感じで捲っている。表紙のカバーをはずししばらく持たせたら、喜んで、いろいろ触っている。これも好奇心のようだ。
●ゆうまくんが触りたがった文庫本は『詩を読む人のために』(三好達治著)を再読している。近代詩を見直してみるのにいい。藤村の「千曲川旅情の歌」。これは音楽性とわかりやすさの単純さを分析しながら挙げている。思えば、リルケと藤村はほぼ同じ時代の人。次が薄田涙菫の『白羊宮』の「ああ大和にあらましかば」。この詩が発表される前に上田敏の『海潮音』が出ている。「秋の日のヴィオロンの」に始まるベルネーヌの「落葉」(この文庫本での題名、「秋の日の歌」が原題)とが有名で、フランスのシンボリズムの初め手の輸入と言えよう。「ああ大和にあらましかば」は、シンボリズムの影響を受けているというが、泣菫独自の耽美主義という人もいる。大和朝廷の文化のなかにいたならばの仮想の中での詩だが、たしかに古代文化を美しく捉えている。藤村の純粋抒情から急に難しくなっている。今夜はここまで読んで眠ってしまった。
曇り、雪
水仙の群れて花芯のにじみたり 正子
さつさつと降る雪夫に灯をともす 正子
揺れて立つ児の目のむこう春茜 正子
●昨夜寝る前にベランダを見ると、雪が降っていた。今朝は雪が積んでいて、おどろいた。前のマンションの駐車場の車に5センチ以上積もっている。プランターのビオラもすっかり雪を冠って、雪の下から色が見えている。立春をすぎたから春の雪というのだろう。
●2月月例ネット句会。
https://suien.ne.jp/getsureikukai
今日の句会は、紅梅の句が目立った。雪や、桜の芽、スイバの赤い芽、花冠ならではの、美しい句が並んだ。みんなの目は、春のはじまりをしっかりとらえているのは、うれしいことだ。
●これから先、することを箇条書きにした。85歳まで予定が立てられた。予備として2年を組み込んだ。87歳までには、やってしまおうと。かなり忙しい。87歳まで今の調子で生きていたらのことだが。つまり、これが終活。
●中学生の孫の誕生日祝いに濃紺のネックウォーマーを編んだ。ついでに、チャコールグレイで、息子の分も編み始めた。輪針にしてから、どんどん編める。
曇り午後雪
●有花さんの電子書籍Kindle版を発行所ブログに紹介。有花さんの考えがまとまったシリーズ。医療的な視野から見た考えで、全てではないが、合理的な考えが多くみられる。人間存在のもっと深層を考えている人には、違った意見もあろうと思える。
●今日はカードの有効期限の書き換えをした。なんと面倒な。今は、ほとんど人がカード支払いをしているものがあるだろうが、一つ変更すると、関連付けた情報も変更しなければいけない。これを煩雑に感じるのは、年齢のせいだろう。メールアドレスを変更したり、有効期限の数字を少し変えるだけなのに煩雑と思う。IDノートを作って、記録はしているが、かなりのパスワードがある。自分だけでなく、花冠のこともある。いつ手に負えなくなるか。それが問題。
晴れ
ラッシュ時の吾を囲める黒コート 正子
寒灯は真上に満員電車とは 正子
寒月の下弦となりて滲みたり 正子
●今日は寒くなる予報だと思ったが、暖かい日だった。鶏肉のホワイトシチューを作る。鶏肉は少しいい肉を使ったので、灰汁はほとんど出ない。こう見ると、いい肉の方が味の雑味が消えておいしさがアップしている。
●仏語は1週間に1課ずつ進む予定。今日から第2課。20課あるので、身に付こうが付くまいが6月に終わる予定。
●リルケの住んだミュゾットの館から見える風景はどうであったか。これは『ヴァレの四行詩』を解釈するためには、必要なので、ネットで調べる。ミュゾットの館は、アルプスの麓にあり、高度400mから500m。ミュゾットでのリルケは、長年書けなかった詩が突然流れ出すという奇跡を経験するが、その背景には、“風景の沈黙が、言葉の源泉を開いた”
という感覚があったという。これは、重要なこと。詩人に限らず、人間にとって、風景とはの問になると思う。
ミュゾット地形詩学――アルプスの風景とリルケ晩年の言葉
Ⅰ 垂直の山々と“上昇”の構造
ミュゾットの北側には、ヴァイスホルンを中心とする峰々が、ほとんど垂直に立ち上がっている。その垂直線は、リルケが晩年の詩で語った「上昇するものは、すべて歌である」という一句と深く呼応する。山の白さは、言葉が天へ向かうときの緊張を帯び、館の静けさを支点にして、詩はその垂直性を獲得していく。アルプスの峰々は、比喩ではなく、詩の構造そのものを支える“地形的な骨格”として存在している。
Ⅱ 谷の水平線と“開かれたもの”
ミュゾットの南側にはローヌ谷が広がり、午後の光がゆっくりと館に満ちていく。その水平のひらけは、リルケが『悲歌』で語る「開かれたもの」という概念と重なり合う。閉ざされた室内に差し込む光は、言葉が沈黙から解き放たれる瞬間を照らし、谷の広がりは、詩が外界へ向かうための呼吸を与えている。垂直と水平が交差するこの一点に、リルケの晩年の精神が置かれていた。
Ⅲ 光と影の二重性、生と死の境界
ミュゾットの風景には、光と影が常に交差している。午前の影は深く、午後の光は強い。この二重性は、リルケが「生の半ばは死に属している」と語った晩年の思想と響き合う。ラロンの墓の背後に立つビエッシホルンの孤高の姿は、孤独を世界への入口とした彼の倫理を象徴している。光と影、生と死、可視と不可視――その境界に立つことが、リルケの詩の核心であった。
Ⅳ “ミュゾットが震えた”――地形と精神の共鳴
1922年、創作の爆発が訪れたとき、リルケは「ミュゾットが震えた」と書き残した。それは、風景と精神が共鳴し、言葉が地形に呼び起こされた瞬間である。アルプスの沈黙と谷の光が交差するこの場所で、詩は単なる内的体験ではなく、地形そのものの震えとして生まれた。ミュゾットは、詩が生まれるための小さな震源地となり、リルケの晩年の言葉は、その震えの余韻として今も残っている。
●リルケは1921〜1926年、ミュゾットの館に住んだ。その時代の世界史の動きは、以下のようである。
• 戦後の荒廃• 飢饉と革命• ファシズムの台頭• ドイツ語圏の精神的崩壊
が同時に進行した時代。その中で、ミュゾットの静寂は、世界の混乱から切り離された“最後の避難所”であり、そこで生まれた『悲歌』『オルフォイスへのソネット』は、まさに世界史の暗い背景に対する精神の垂直な応答だったと言える。
2026年2月6日 11:15
晴れ
●ネット短信No.453 を出す。2月月例ネット句会の案内と有花さんの『若草ー優嵐歳時記抄2007』発刊の案内。
●句評の要点はなにかと考えれば、花冠の方向では、以下の三点。
⑴〈事実〉句の情景・季語の本意・観察の核心を簡潔に述べる。
(2)〈気配〉句が孕む季節の移ろい、作者の視線の高さを示す。
(3)〈心の動き〉句が読者にもたらす感覚を、静かに言葉にする。
2026年2月5日 01:00
快晴
立春の朝日に窓際はや温し 正子
立春のはや暖かし居間に来て 正子
立春の薔薇の芽小さく生まれたり 正子
●今日は立春なのだ。朝、遅く起きるとリビングはもう日が差して暖かくなっている。窓から、この前うえたビオラがよく見える。元気はよさそうだ。
●午後子守りに。今日はおんぶしたら、大喜びだったという。おんぶは目線が高くなるのか、ケラケラ笑って大喜びしている。蜜柑を持って行ったら、初め変な顔をしていたが、嫌がらずに食べている。窓の外の空を見ている。7階から空は、ビルとうすい金色がかった夕焼け。柵につかまって立っているのが好きで、ずっと立っている。前はけらけら笑っていたが、今はよほど面白くないと笑わなくなった。
●絵本を見ながら、動物の鳴き声をすると、振り返って私の口元をふしぎそうに見る。おばあさんは、猫ではあるまいか、と。あるいは、犬ではあるまいか、と思っているのではないか。
快晴
節分の夜空月光得て青し 正子
節分や夜空の青に月中天 正子
鬼の面つけし幼子手を引かれ 正子
●今日は、暖かい。
●小峰書店の女性の編集者から、1月に参考資料として送った句集『手袋の色』(髙橋句美子著)の返事をいただく。小峰書店が、『季節のことばをあじわう はじめての俳句歳時記』に私の「鉛筆を削る木の香の春めくを」を掲載するにあたり、この句について確認の電話をいただいた。私も子とも俳句を、砥部・松山時代十数年信之先生と一緒に指導したので、この企画を嬉しく思い、参考資料として、句美子の句集『手袋の色』を送っていた。こういう場合は、編集部門は大変忙しく、返事がないのが普通である。丁寧に読んでいただいたことのわかり、ありがたく思った。今日、句美子の家に行くので、持って行って句美子に読ませた。熱心に読んでいた。
歴史ある子供向けの本の出版社だけあって、編集者の女性の手紙は、児童文学に精通していると思える感想文をいただいた。俳人が見逃すところをより深く理解されている。物語性を句に見ているところが面白いと思った。以下の句を好きな句にあげてくれた。
ごちそうにさくらの花びらふってくる 句美子
千代紙のとんぼふすまの絵になった
海水浴手を引かれゆく幼き手
夜寒さを帰り秋刀魚の焼きあがり
の句を好きな句として挙げてくれた。
手紙で印象に残ったところを引用させていただく。
「子ども時代の句は多幸感に溢れ、ご両親の愛情も伝わって来て胸がいっぱいになります。小学生になった頃から比喩表現を獲得し、表現の試行を繰り返す過程や、徐々に写実に集中していくようすが見てとれますね。成長の記録としても大変貴重な句集と感じます。」
●余談ながら、句美子に手紙を見せたあと、ゆうまくんが手紙を持ちたがるので、持たせておいた。破らないで、手にじっともって、切手の柄をたしかめて、封筒をなめていた。大人の持つものをなんでも手にしたがる。
掃除用の粘着ローラーも使いたがって仕方がないので、ローラーを外して渡すと、大人がするとおりの仕草を一生懸命している。なかなか働き者。
●今日は、暖かい。
●小峰書店の女性の編集者から、1月参考資料として送った句集『手袋の色』(髙橋句美子著)の返事をいただく。小峰書店が、『季節のことばをあじわう はじめての俳句歳時記』に私の「鉛筆を削る木の香の春めくを」を掲載するにあたり、この句について確認の電話をいただいた。私も子とも俳句を、砥部・松山時代十数年信之先生と一緒に指導したので、この企画を嬉しく思い、参考資料として、句美子の句集『手袋の色』を送っていた。こういう場合は、編集部門は大変忙しく、返事がないのが普通である。丁寧に読んでいただいたことのわかる、手紙で、ありがたくおもった。今日、句美子の家に子守りにいくので、持って行って句美子によませた。熱心に読んでいた。
歴史ある子供向けの本の出版社だけあって、編集者の女性の手紙は、よく児童文学に精通していると思える感想文をいただいた。俳人が見逃すところをより深く理解されている。また、物語性を句に見ているところが面白いと思った。
ごちそうにさくらの花びらふってくる 句美子
千代紙のとんぼふすまの絵になった
海水浴手を引かれゆく幼き手
夜寒さを帰り秋刀魚の焼きあがり
の句を好きな句として挙げてくれた。
手紙で印象に残ったところを引用させていただく。
「子ども時代の句は多幸感に溢れ、ご両親の愛情も伝わって来て胸がいっぱいになります。小学生になった頃から比喩表現を獲得し、表現の試行を繰り返す過程や、徐々に写実に集中していくようすが見てとれますね。成長の記録としても大変貴重な句集と感じます。」
●余談ながら、句美子に手紙を見せたあと、ゆうまくんが手紙を持ちたがるので、持たせておいた。破らないで、手にじっともって、切手の柄をたしかめて、封筒をなめていた。大人の持つものをなんでも手にしたがる。
掃除用の粘着ローラーも使いたがって仕方がないので、ローラーを外して渡すと、大人がするとおりの仕草を一生懸命している。なかなか働き者。
晴れ
●晃さんから、有花さんの句集のための選句が届く。そろそろ返信がある事かと思っていたら、その通りになった。今日はゆっくり見れなかったが、明日から、じっくり読む予定。
●3日ぶりにゆうまくんの子守りに。ゆうまくんは、この3日の間に、言葉がよくわかるようになり、情緒的に急に成長しているので、驚いた。
よだれが出ているので、「おくち、きれきれいしようね。」とハンカチを渡すと、口に持っていって、ちょんちょんと押さえる。句美子が「まあ、上品でかわいい。おばあさんの孫だわ。」と笑う。かなり言葉が聞き取れている。自分のしたいことができないと、大泣きする。今日はよく泣くと言っていた。
●句美子の家に行く電車の中で編み物をする。ネックウォーマーを編んでいる。小さいものなので電車の中で編むに二ちょうどいい。行きは空いているので、こんなことができるが、帰りは通勤ラッシュ。びっしり立ち並ぶ人の間にいる。
晴れ
菜の花と鰺をそろえて買い戻る 正子
花屋いま薄桃色に春隣 正子
チューリップ数本仏花として束に 正子
●元希くんの誕生日祝いや、誰彼と言うわけではない、バレンタインの買い物を考えなくてはいけない。
センター北のユザワヤへ。毛糸を見たり、持っているモリスの柄で自分用のショルダーバッグを思いついたので、裏地やショルダー紐を探したり。
●昨日はリルケの『ヴァレの四行詩』のテキストを決めるのに、混乱した情報の惑わされ、ちょっとおもしろくなかった。こういう場合、チャットGPTの情報はかなり不正確。全然不正確。一晩寝て、昨日アマゾンに注文したドイツ語とフランス語併記の『ヴァリス(ヴァレ)の四行詩』は確かだろうと思えた。紀伊國屋書店に問い合わせたフランス語の『ヴァレの四行詩』については、いっこう返事がない。そのまま放っておくことにした。
●今日は、『ヴァレの四行詩』(片山敏彦訳)を22~24を書き写す。
●『詩を読む人のために』(三好達治著)に堀口大學の「夕ぐれの時はよい時」が口語自由詩として紹介されていた。いつか教科書で読んだ記憶があるが、リルケの『ヴァレの四行詩』21番の夕暮に比べると、ずいぶん穏やかで、宥められる。リルケの夕方には、不安がある。となれば、リルケはいつ眠りにつくのだろうか。寝ないのだろうか、とも思われる。
夕方の感じ方についてChatGPTに聞いた。
■1 ヨーロッパ(特にドイツ語圏)の夕方
ドイツ語圏では、夕方はしばしば
「光が失われる瞬間」=存在の不安が立ち上がる時間
として描かれることが多い。
• 光と影の境界が急に鋭くなる
• 世界の輪郭が揺らぐ
• 日常が終わり、夜の「別の相貌」が迫る
リルケはまさにこの感覚を極端に鋭く受け取る詩人で、
夕方は「休息の前」ではなく、
存在の深部が開く入口になっている。
だから彼の夕暮れには、
「これから何かが始まる」
という緊張が宿る。
■2 フランスの夕方
フランス語圏では、夕方はもっと
感覚的・情緒的な移ろいとして扱われることが多い。
• 光の色の変化
• 街のざわめきが柔らかくなる
• 余韻やメランコリー
不安よりも、
「美しい一日の終わり」
というニュアンスが強い。
ヴァレ(Valais)の風土も関係していて、山の影が長く伸びる静かな時間は、どこか祈りに近い落ち着きを持つ。
■3 日本の夕方
日本の夕方は、「もののあはれ」や「日常の終わりの静けさ」が中心にある。
• 茜色の空
• 帰り道の気配
• 家々の灯りがともる安心感
堀口大學の「夕ぐれの時はよい時」は、まさにこの日本的な「宥められる夕方」の典型。夕方は、「夜への不安」よりも「今日が静かに閉じていく」という感覚が強い。
■4 なぜ国によって違うのか
夕方の受け止め方を左右するのは、単なる気候や風景だけではなく、
**文化が育ててきた“時間の哲学”**だと思う。
• ドイツ語圏:存在の深部に触れる時間
• フランス語圏:感覚の移ろいを味わう時間
• 日本:日常が静かに収まっていく時間
あなたが感じた「リルケは眠らないのでは」という直感は、まさにドイツ語圏の夕方の本質を捉えている。彼にとって夜は休息ではなく、世界の声がもっともよく聞こえる時間だから。