NEW9月12日(金)

曇り
●延ばし、延ばしになっていた、角川年鑑の結社動向を、メール。原稿は
ずっと前に書いていたが、年会費の問題をどうするか、悩んでいた。年会費は40年値上げしていない。去年は、維持費を一人5000円を目安に募った。今年、値上げて高いと言った人には、退会してもらう、ことに腹を決めた。年を取ると、どうも自分勝手になるひとが、いるにはいる。

●昨日の大雨の中の移動で、思った以上に疲れている。今朝、いったん起きて、お風呂にはいり、ついでに、ずぶんれのスニーカーを洗ったり、洗濯をした。朝食そこそこに、自由な投句箱の仕事をしていると、睡魔が襲う。もう一度寝直すことにした。うつら、うつらしていると、チャイムが鳴る。寝乱れた髪をおさえながら出ると、ブロック長さんと、民生員さんが、敬老の日のお祝いだと言って、お茶をくれた。例年のことだが、思えば1年1年、年を取っている。「髙橋さんは、遊びながら歩いているから、元気で心配いりませんよ。昨日も会ったし。」という挨拶だった。近所の人には、「遊びながらよく歩く人」として、目に映っている。「遊びながら」と修飾語がついたのは、驚いた。遊びながらとは、ねえ。

●聞いているYouTubeのクラッシックのなかに、ものを書きながら聞いていると、流れる音が深くて、やわらかくて、なにかがほぐれてゆく感じがする曲がある。Strauss – 4 Letzte Lieder, TrV 296: No. 3, Beim Schlafengehen
ヘッセの詩にもとづいた曲だそうだ。

「眠りにつくとき」  ヘルマン・ヘッセ
(意訳(by copilot)
いま、昼が私を疲れさせたので
私の切なる願いは
星降る夜が
疲れた子どもを迎えるように
優しく私を迎えてくれること。
手よ、すべての営みから離れなさい。
額よ、すべての思考を忘れなさい。
私のすべての感覚は
眠りの中へ沈みたいと願っている。
そして魂は見張られることなく
自由な飛翔の中に漂い
夜の魔法の輪の中で
深く、幾千ものかたちで生きたいのだ。

NEW9月11日(木)

曇り、午後大雨、雷

●もらった葡萄と、今年の梅ジュースを句美子に持って行く日を今日にしていた。午後大雨の予報で、なるべく早い時間に行く予定だった、プリンを焼いていて遅なった。それでも、いつもより1時間は早い。行こうとしたところへ、いよいよ雨が降り出した。夕飯のおかずをいろいろ作っていたので、今日渡したかったので、雨の中へ思い切って出た。信之先生の大きなこうもり傘と、濡れた場合の着替えも用意して出かけた。本町駅までは、100歩ない。多少、濡れる程度で済んだ。電車は、さすが空いていた。

定刻に出発して、武蔵小杉に来ると、雨はホームの屋根を伝い落ちるのではなく、屋根からホームへ音と立て勢いよく流れ落ちている。多摩川に差し掛かったところで、雷と大雨。雷は天じゅうが、雷であるように、バリバリ、バリバリと絶え間なく鳴る。雨はこれでもか、と降っている。降っているいるより、こぼれている。電車は普通に走ったが、田園調布を過ぎ、奥沢に着いたとき、さらに雷ははげしく、雨もますます降る量が吹ている。電車はしばらく奥沢駅に停車したままだった。止まるかと思ったが、5分ぐらいして、「これから徐行運転んをします」と車内放送があった。電車は雷と雨のなかへ出て行った。落雷をいつ受けるか、という心配が湧いた。雷と雨のなかを電車は目黒の手前の駅で停まった。そこで降り、改札を通りると、かなりの人が雨の様子を見ながら立っている。雨が少し落ち着くのを待っているようだった。待ちきれずに、大雨の中へ出ていく人もいる。私も、ガードレールの下を伝えば行けそうだったので、雨の中へ出た。傘は雨を防いでくれたので、山手通りへ出た。山手通りは、周囲の道から雨が流れ下って、少し冠水していた。渡ろうかどうしようか、思いながら立っていると、道路はどんどん水が増え、車が通ると、私が立っているところへ波が寄せて来た。波はひたひたと寄せて、次第に水は深くなる。すぐ見えている向こうに渡りたいのに、渡れない。横断報道の真ん中あたりは、まだゼブラ模様が見えている。青信号を一度見送り、赤信号を待って、次に青信号になったところで、川の中を歩く覚悟で横断歩道へ踏み出した。20センチは水があったろう。パンツの裾が濡れ、スニーカーは、川の中を歩いている同然だ。水は流れているので、20センチの水深でも足を掬われそうになる。すぐ前を、脚の悪い人が渡っている。ここで、老女が転倒などしたら、話にならない。一歩一歩、踏みしめて、水に足を取られないよう歩いて渡った。向かいのビルの人たちが、仕事をやめて、窓のところに集まり、雨の降り方や、横断歩道を渡る人たちを見ている。

句美子からは、駅の待合でしばらく待つようにメールが入っていたが、メールを確認する間がなかった。句美子の家の玄関を入るや、バスルームを借りて着替えた。ゆうまくんは、午前中、BCGを打って、眠ったところだった。離乳食を始めたが、重湯やおかゆは食べないらしく、野菜のペーストを平気で食べると言っていた。

午後5時ごろには空が晴れて来た。大雨はどこへ行ったかという感じで、陽が差している。ゆうまくんがお風呂に入るのを手伝って、6時半ごろ句美子の家を出た。外に出ると、冠水していた山手通りは、水がすっかりひいて、何事もなく車が通っていた。バス停には数人がバスを待っていた。いつもとおりの風景だった。

山手通りを渡り駅に着くと、目黒線は西小山駅の冠水で運休し、再開は未定と張り紙が出してある。本当かと目を疑ったが、都会ではありうることだ。一瞬、「目黒までタクシー」が、頭をよぎったが、都会の交通渋滞を思い、歩いて目黒駅にいく決心をした。

目黒駅までを歩いたことはなかったが、ちょうど傍の日産ビルから出て来た女性社員に、目黒駅の方向を聞くと、「まだ止まってるんですか。目黒は、次の駅だから、この線路を伝うといい」と教えてくれた。高架線路に沿う道を歩くと通勤人が流れるように目黒へ、あるいは反対方向へ歩いている。その人たちの流れに乗って歩いた。目黒駅までは2キロほである。帰る路線を頭に浮かべなたら、山の手線にのり、渋谷で降りた。渋谷から東横線で帰ることにした。駅に着くと電車は満員であるのに、いつまでたっても、出発しそうにない。電光掲示板に出発時間が現れない。大丈夫かな思いつつ、通勤特急に乗った。日吉には特急は停まらないが、通勤特急は停まることを、いつか覚えていたので、助かったのだ。帰宅は9時前になったが、無事帰宅できた。四十分足らずで帰れるところが、二時間以上かかった。

ラッシュアワーの通勤電車であったが、こうもり傘が杖の役目を果たし、
電車に乗る前に飲んだお茶が、体にに効いている気がした。それに、薄手のパンツに着替えたことも、家を出るとき、織り目の荒い綿シャツを着て出た。これらが、小さい困難や、体調を保つのに役立った。この些細なことが、おろそかにできない年齢になっている。

9月10日(水)

曇り、ときどき晴れ

●蒸し暑い。蚊が多くていけない。ベランダにでただけで2,3、箇所かまれている。
●『バガテルーー断章』第3,4,5章を書く。
●夕方都筑阪急へ魚を買いに行く。秋刀魚を買い、JAで酢橘を買った。

9月9日(火)重陽

晴れ
恙なき友より葡萄粉をふきて    正子
どっさりと葡萄ある日をすこやかに 正子
朝顔の咲きつらなれる風の先    正子

●『バガテルーー断章』の第二章を今朝から書き始めたが、2時半ごろ書き上げた。400字×11枚。第1章より内容が濃いが、第1章より、2枚少なくなった。長く座っていたので、脚がむくんでしまった。エコノミー症候群にならないよう、部屋を歩く。Halidonの選曲したベートーベンの作業用を聞きながら書いた。こうときはベートーベンがいい。前へ向いて書かないといけない時は、後を押してくれる。

●ウエップから、WEP俳句年鑑2026への7句の投句依頼がある。前にも依頼があったと思うが、今回は投句することにした。ウエップは俳句朝日の編集長だった大崎紀夫氏が起こした会社らしい。すこし違う方面へも関心を持たないといけないだろう。締め切りは9月30日。

★Dear friends in Los Angeles,
Thank you for taking the time to read our blog posts.
★そして志木市にお住いの方、足利市にお住まいの方、お訪ねいただき、ありがとうございます。
そのほかのみなさまも、ありがとうごじざいます。

9月8日(月)

晴れ
●『バガテルーー断章』の第一章400字×13枚で完成。

●故郷の友人から葡萄が二箱送られてきて、驚くもうれしくいただく。
息子さんが東京にいるとき、俳句の結社に入っていたと聞いたので、ぜひ、と勧めた。勧めてみるとのことだった。話を聞いていると友人は源氏物語を攻略したい気持ちが高校時代からあったと言う。この秋10月11日から19日まで国宝「紫式部日記絵巻」が展示されるので、それを見に行って、ミュージアムグッズを買って置くってあげようと思っている。
来春には、一週間だけ『源氏物語絵巻』の一部が展示される。期間を逃すと見れなくなる。琴さんに源氏物語絵巻の絵はがきをもらっている。

9月7日(日)

曇りときどき晴れ

●今朝は涼しかった。よく眠れた。きのう夜から「バガテルーー断章」を書き始めた。出だしは非常によさそう。20断章を考えていて、今日第1断章ができた。400字で13枚。どのくらいのペースで書くかなのだ。

●このごろはベートーベンの小品をよく聴いている。アルヴォ・ペルトの「鏡の中の鏡」をチェロ 遠藤真理  とピアノ フーマン で聞いた。ヴァイオリン/服部佐知子 ピアノ/関野真矢子でも聞いた。ペルトの音と呼吸と、ときに響く鐘の音のような和音がいい。

●WPのブログが書き込めない人がいる。書き込めないので退会しようと思うということだが、こちらもみんなが出来なければ、花冠を止めるしかないのだが。いちど手もとを若い人に見てもらってくださいと伝えた。水煙時代もインターネットを使い始めた時、それまでの人がほとんど退会した。彼等はそれをみずから選んだのだと思う。残った人は残ることを選んだのであって、提示されたことへの選択は、主宰や代表が決めることではない。当時人数は減ったが、それがよかったのだと思う。浄化が必要な時もある。

9月6日(土)

晴れ
●台風が去って午前中までは涼しかったが、午後いつも通り暑くなった。朝顔に黄色い葉が目立ち、花の色も薄く、形も小さくなってきたので、蔓を上げようと思う。百日草は仏壇のお花にいつも新しく切って供えることができた。丈は伸びすぎているが、もう少し置いておくことにした。

●二、三日前から電子レンジが温まらなくなった。まだ新しいのに買い替えなければならないかとヒヤッとした。「初期化」が頭に浮かんで、電源を切ってみた。一度はうまく行ったが、そのあとは電源を切ってもダメ。やっぱり買い帰るのがいいだろうと、ネットでレンジを探していた。何気なく立ち上がって、扉を開閉してみた。? 傍に立てかけていたオーブン用の金網が1mmほど扉を押していた。これが原因のようだ。

●悠仁様の成年式の様子をYoutubeで見た。すべて古式に則っているのではないだろうが、儀式で述べる挨拶が、全く必要なことだけ。天皇陛下からの冠を受け取ったお礼として「冠を賜りありがとうございした」。朝見の儀のときもそうであった。緩やかに進む儀式ではあったが簡素いう言葉が似あう。

●リルケの「ヴァレの四行詩」を今晩も2篇便箋に書き写す。自分が自分に寄り添っていることがわかる時間だ。誰かが寄り添ってくれているわけではない。リルケが寄り添ってくれているとは思えない。が、精神が落ち着くことは確かだ。

9月5日(金)

雨 夕方上がる
吾亦紅を夫に供えて帰りけり    正子
赤の色に入れてあげるよ吾亦紅   正子
あおあおと酢橘・青柚子売られけり 正子

●晃さんに角川自選5句のことで朝10時半ごろ電話。台風15号の事を聞くと、もう通り過ぎたとのことだった。ここは雨が降っているがひどくはない。夕方には台風が通り過ぎ雨があがった。肌寒いくらいの気温。

●角川年鑑2026年版自選5句、句美子、正子分を投函。
句美子
すきとおる新茶を淹れる益子焼  句美子
更衣小さな服の袖洗う      句美子
色鳥をそっと爪先立ちて見る   句美子
冬夕焼け真っ白な壁に影二人   句美子
冬星の神話語りにうとうとと   句美子

正子
葉桜の影を踏みゆく墓所までを  正子
あめんぼう水速ければ流れゆき  正子
早苗田の水を響かせ雷去りぬ   正子
遺されしセーター一折して被る  正子
睡蓮をしずめて平ら冬の水    正子

●「ヴァレの四行詩」(六)より
(詩返)きよらかな太初や夏の葡萄園  正子
(第1行)無言の土地 これについて預言者たちも語らない。
・・・・
(最終行)お前の堅い子音の中へ置く!
●この年で思うが、自分の本来のミッションが何かを分からなくされていた気がする。人より繊細なために、却って都合のよいようにされてきたのではないか。そうならばひどいことだが、幸いこのところ体調不良で外出をほとんどしなかったために、自分のミッションをはっきりさせることができた。

 

9月4日(木)

曇り、夕方小雨

●台風が四国に来ている。四国を横断して紀伊半島から明日はこちらに向かう。
●「八月尽」を調べるために「新日本大歳時記」(講談社/1999年)を本棚から取り出した。当時40代だろうと思われる著名俳人たちも季語を解説している。その年齢が感じるであろう感覚で季節をつかんで解説しているのが面白い。当時60代前後の俳人の解説とは違っているのである。季語の伝統的解釈がすこしずつ変わっているのに気づいた。それが良いか悪いかわからないが、季語も時代と共に変遷していると言わないといけないだろう。
秋めくとすぐ咲く花に山の風  飯田龍太
日のさしてをりて秋めく庭の草 深見けん二

●死ぬ十年ぐらい前だったろうか、信之先生がふと漏らしたことがある。クーラーからは風が吹き出ていた。その下に来て私のすぐそばに立って腕組みをして言ったことがある。それを聞き、私は息が止まりそうなるほど驚き、体の真ん中を氷水が落ちる感覚になった。私は息をつめて時が過ぎるの待った。そして信之先生がひと言聞いて来た。それに「はい」と言った。信之先生は「ふうん」と答えてそのことは終わった。花冠の発送準備で封筒に宛名シールをは貼っていたときのことなのだ。そのときに言われたことが本当かどうか、いまだに確かめられないでいる。忘れてしまえばいいが、どきどきはっきりと浮かんできて、やはりそれが本当かどうか確かめたくなるのである。そうだったとすればあまりに切ない。確かめる方法はあるが、そんな確かめかたでよいのか。どうすればいいのだろう。それが本当かどうか、文学として書いて確かめるしかないのか、と思っている。そうすることが文学の使命なのかと、老年の今になって初めて気づいた。そのことを書かねばならないのだろう。ゆっくり書こうと。とにかく書くべきだ。しかし、なんて遅くになって気づいたのだろう。

It must have been about ten years before his death. One day, Nobuyuki sensei let something slip. The air conditioner was blowing softly, and he stepped beneath it, stood close beside me, arms folded, and said something.
When I heard it, I was so shocked I nearly stopped breathing. It felt as if ice water had been poured down the center of my body. I held my breath and waited for time to pass. Then  Nobuyuki snsei asked me a single question. I answered, “Yes.”
He replied, “Hmm,” and that was the end of it.
It happened while I was preparing to send out haiku magazine Kakan, affixing address labels to envelopes.
To this day, I still don’t know whether what he said was true. I wish I could forget it, but now and then it rises vividly to the surface, and I find myself wanting to know—was it true? If it was, it’s unbearably sad.
There is a way to find out. But is that really the right way to confirm it? What should I do?
Perhaps the only way to know whether it was true is to write it—as literature.
Only now, in old age, have I realized that this may be the very mission of literature. I suppose I must write about it. Slowly, deliberately. At the very least, I must write. But how late I was to realize it.

9月3日(水)

晴れ、午後曇り
朝顔の色褪せ保つうす紫 正子

●9月というのに、猛暑はいっこう収まらない。むしろ、いっそうひどくなっているように感じる。ベランダのプランターの朝顔は水が足りなくて枯れたも同然の姿になる。水は如雨露一杯では足りなく、たっぷり2杯、鉢の底に水が溜まるほど注いでいる。半日もすれば水が底をつく。朝顔の色も濃い青だったのが、今朝は色を失って薄紫になっている。いつものように2輪を摘んで今朝の食卓に置いた。

●9月1日の有花さんの投句の「八月尽」ついて自由な投句箱に説明した。私が俳句の問題で説明するのが一番難しいと思っているのは「季語」である。歳時記には、机上で使うもの、吟行などに携帯するもの、さらに詳しい大歳時記と言われるものがある。問題はこの「大歳時記」である。新季語が取り上げられることもあり、著名人がそれを使う場合もある。しかし私から見れば、内容によっては慎重に見極める必要があると感じることもある。著名人の句を批判するのは難しい。俳句を褒めるのは私にとっては、やりやすい。句の問題点を指摘することは、私にとって容易ではない。褒めておけば無難、というわけではない。俳句の問題点は、技術だけでなく、言葉の象徴性や倫理性など、複雑な要素が絡み合っている。季語の範囲があまりに広がり、もはや何でも季語になり得るように感じる。象徴としての季語の働きが弱まっているものもある。季語に触れるには慎重さが求められるが、私自身、慎重さを忘れるというより、つい手を伸ばしてしまう——それもまた、季語の魅力なのかもしれない。季語が「なんでもあり」となれば、逆に季語がないと同様になる。今後、季語はどう変容していくのだろうか。

On September 1st, I offered an explanation in the free submission box regarding Yuka-san’s haiku using the seasonal phrase “End of August.” What I find most difficult when discussing haiku is the matter of kigo—seasonal words. There are various types of saijiki (seasonal word dictionaries): those for desk reference, those carried during ginko (poetic outings), and the more detailed ones known as daisaijiki. The issue lies with this daisaijiki. New seasonal words are sometimes introduced, and prominent figures may choose to use them. Yet from my perspective, depending on the content, I often feel that careful discernment is required.
It is difficult to critique the haiku of well-known individuals. For me, praising a haiku is far easier. Pointing out a poem’s weaknesses is not something I find easy. That said, simply offering praise for safety’s sake is not the answer either. The problems within a haiku are not limited to technique—they involve complex elements such as the symbolic nature of language and ethical considerations.
The scope of kigo has expanded so much that it feels as though anything can now be considered a seasonal word. Some kigo seem to have lost their symbolic power. Engaging with kigo demands caution, yet for myself, it’s not that I forget to be cautious—it’s that I find myself reaching out to them nonetheless. Perhaps that, too, is part of their allure.
If kigo become “anything goes,” then they may as well not exist at all. How will kigo evolve from here?(the translarion by copilot )