NEW1月30日(金)

晴れのち曇り
寒さというより、冷たさが厳しい。出かけないで、一日炬燵にいて、仏語の練習と「ヴァレの四行詩」21番を書き写し、読む。

リルケの『ヴァレの四行詩』21番の訳詩を書き写す。ネットに原詩にあったので、以下に引用する。著作権は切れているので、大丈夫。この詩から感じ取れる一番重要なことは、冬の季節のもつ「明るさと透明感」とその逆の意味を負う冬の厳しい寒さや暮れ行く日の早さからくる「不安」であろう。リルケは冬とは言わないが、たしかに冬の季節を感じ取っていると思われる。

この詩への詩返
風落ちて冬夕焼けの金のいろ 正子

21
Après une journée de vent,
dans une paix infinie,
le soir se réconcilie
comme un docile amant.

Tout devient calme, clarté…  (devenir ゆっくり変わる)
Mais à l’horizon s’étage, ( s’étage, 再帰動詞段々になる)
éclairé et doré,
un beau bas-relief de nuages. (bas-relief 浅浮彫り)

◆「おとなしい恋びとのように」とあるが、amant(恋人)に男性名詞につけられるun がついている。夕暮をそのように表現したと思う。必ずしも名詞の性に捉われることはないと思う。ただ、夕暮に一致させたと思う。ここでの「おとなしい恋びと」は、激情をぶつける恋人ではなく、相手の前で静かに和らぎ、心を開き、そっと寄り添う恋人。夕暮が「和らぐ」という動詞と結びつくことで、 風の吹いた一日のあとに訪れる、 ほっと息をつくような、 相手の存在によって静かに落ち着いていく、そんな「控えめで、優しく、相手の気配に寄り添う恋びと」の像が浮かびます。こう読めばamantは女性として読めるが、ここは日本人の感覚ではむずかしい。リルケはしばしば、自然を「人格をもった存在」として描くので、夕暮れが、相手に身をゆだねて柔らかくなる恋人のように、静かに沈んでいくというニュアンスと受け取れる。
seが使われこの詩には再帰用法が2か所に使われている。これも自然の変化が自ずからの変化を意識させているのではないかと思う。

◆第2連の「calme, calme, clarté… … 」の意味は、「すべてが静かになり 明るさになる」。静けさが深まることで、かえって世界が透き通り、ものの輪郭が明るく見えてくるという感覚。夕暮れの「光が弱まる=暗くなる」ではなく、静けさが世界を照らすように、明るさが生まれる
という逆説的な表現で、精神的な「明るさ」を意味している。外界の光ではなく、心の内側に生まれる明るさ。

◆第2連は、不安を予感させている。
その静けさと明るさの中に、地平線の上に積み重なる「きんいろの低い雲」が現れ、 どこか重く、 低く垂れこめ、 光を受けて不気味に輝く不穏な前兆を帯びている。
つまり第2連は、
一日の終わりの静けさ、 心の明るさ、その奥に忍び寄る、説明しがたい不安や影を同時に描いている。「美しさの中に潜む不安」「静けさの奥のざわめき」。

このように解釈した後残るは、冬を思わせる季節感だ。その理由を分析すると次のようになる。
●「風の吹いた一日の後に」
冬の風は、秋の風よりも鋭く、吹き荒れたあとの静けさは格別に深い。
その「吹き荒れた後の静けさ」は、冬の夕暮れの質感に近い。
●「限りない平穏」「すべてが静かになり」
冬の夕暮れは、音が吸い込まれたように静まり返り、冬の空気の密度に似ている。
●「明るさになる」
冬の夕暮れは、光が弱まるのに、空気が澄んでいるためにかえって明るく見える瞬間がある。これは夏や秋にはあまりない、冬特有の「透明な明るさ」である。
●「低い金色の雲」
冬の雲は低く、光を受けると金色に輝くことがあり、その美しさの奥に、どこか冷たさや不安が潜むのも冬の特徴です。これは冬の厳しい寒さと暮れ行く不安。
◆冬の夕暮れがもつ「美しさと不安」
冬の夕暮れは、 透明で、 静かで、 美しいのに どこか不安を含んでいる。静けさと明るさの中に、何かが始まるのか、終わるのか、わからない気配が漂っている。これは冬の夕暮れの精神的な質感と非常に近い。

 


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